2019年12月9日月曜日

『パリ左岸:1940-50年』ついにラストへ。


『パリ左岸:1940-50年』、ついに読み終わった。

297頁。ケストラーは幻滅しつつもド・ゴール派を支持する。
298頁。アメリカが入国を許可した。ケストラーは共産党のジレンマ(民主主義とファシズム)を講演する。そしてスターリン主義と米帝国主義は一意ではないとも。知り合ったハンナ・アーレントやメアリー・マッカーシー、ディートリッヒと別れを惜しむ。
307頁。チェスター・ハイムズ、パリに来てリチャード・ライトの豪華な住居に驚く。

(ハイムズに関しては、この本では記述が削られている。私としてはこれは残念。植草さんお気に入りの作家だったのに。)

308頁。ライトの執筆場所、カフェの立地は良い。モニエのアパートやビーチの書店の近くなのだ。

310頁。「第十一章 巴里の憂鬱は強力な気付け薬」(これはソール・ベローのMy Parisからとった)
ボーヴォワールはホテル・ルイジアーヌの円形の部屋に1943年から1949年まで住んだ。1月、寒くてバーボンを飲みながら執筆。ホテルの自由。
311頁。サルトルは母親と同居。しかし何も所有しないのだと考える。ブルジョワ生活を否定したい。
314頁。メイラーは実存主義にかぶれ、参加し・実行もする作家になりたがる。でも無邪気に、トロツキストのマラケにもかぶれた。
315頁。マラケは資本主義にもスターリン主義にも反対だ。
318頁。ジャズが流行した、それも大流行。
320頁。ボーヴォワールは恋人オルグレンとメキシコを旅行。
323頁。ボーヴォワールは「知的自由・経済的自立・性的自由」の三位一体を望む。カミュはマリア・カザレスと共に暮らさずに、人生を共にした。
327頁。グレコがデビューした。マーロン・ブランドが観ていた。グレコの後アーサー・キットも出演。ブランドは後にサガンとも付き合う。グレコとブランドは共に1925年生まれの23歳。

331頁。「実存主義」も「ディオール」もフランスの公式輸出品目の一つであり、観光資源でもある。大勢の資本主義国の若者がもてはやす。資本主義に取り込まれてしまった!!
333頁。後ろから4行目の「ビガール」は「ピガール」の誤植かもしれない。
341頁。グッゲンハイム奨励金で、ソール・ベローがカナダからパリにやって来た。
343頁。「オーギー・マーチ」のアパートに住む。新品のレミントン・ポータブルをもってきた。
349頁。シオドア・ホワイトはパリ特派員として、「右岸」に住み、ブルジョワ的(右岸的)に暮らして喜んだが、左岸の友人たちには笑われていた。1ドル=500フラン。
351頁。マーシャル・プランの現実。ECへの布石。「第三の道」の提唱者たちの求めた統一ヨーロッパと同じことになった。

353頁。ボーヴォワールは1948年10月ついにホテルを出て貸し部屋に移った。3メートル×4.5メートルの部屋。ノートルダムの南面に面する、ビュシュリー通りにあった。窓の下の雨樋に猫も居り、気に入った。
357頁。1948年7月21日。パリを離れたメイラーは左岸の学生たちと同じような情熱で政治に取り組む。大統領選でウォレスを支援。国民皆保険と人種差別反対が政策の骨子。その後、資本論も読んだ。
363頁。ジェームズ・ボールドウィン、パリへ。1948年11月11日。『山に登りて告げよ』を書く。
367頁。1949年1月、病気になりドストエフスキーとH.ジェームズを読み耽る。
372頁。サルトルとボーヴォワールの日課。AM9〜PM1、仕事。昼食後、PM5〜PM9また仕事。その後夕食と外出。
372頁。1949.1.27。ボーヴォワールはリチャード・ライトとクスクスを食べに行く。

373頁。ボーヴォワールもサルトルもカミュも脱力感に襲われる。1949年2月。
382頁。3月、サルトルは政治から身を引くことにした!
385頁。ソール・ベロー、『オーギー・マーチ』を完成させる。4月10日。
394頁。1949年5月11日。ボーヴォワールはオルグレンをサンラザール駅に出迎える。シカゴで買った白いコートで。
395頁。マイルス・デイヴィスもパリへ。「偏見を持たない白人」にはじめて出会う。そして言葉が通じなくてもグレコと意気投合。
400頁。メイラーはハリウッドに(ToT)
402頁。病気のオーウェルは『1984』を完成。
404頁。1949年夏、左岸はもうみるかげもない。

406頁。バルドー、サガンがデビュー。サガンという名前はプルースト由来(サガン大公)。
413頁。ボーヴォワールの『第二の性』の波紋が大きい。
414頁。「第三の道」は冷戦の中についえる。しかし、その後、哲学や文学、映画やモダンアートのなかに生き延びる。
418頁。欧州連合への動き。1950年。
420頁。(著者あとがき)「わたしたちにはいつだってパリがある。」



ついに読み終わった。

左岸は50年前もそして今も、パラレルワールドとして生きているような気がした。
戦後史のまとめとして秀逸。自分の頭の中も整理できた。ありがたい。

0 件のコメント: