124頁。1943年10月21日。
「空襲に備えて大切な本や物は新潟に送れとの父上のお言葉に従い…ギリシャ古典のものを」木箱にしまうのだが、「できた空所には日本文学のものなど並べてよろこんだ。」…「私の本道楽も、いわば友人代りの話相手なのだから許してもらってもいい…」
125頁。1943年10月23日。
「哲学的思索も、心理学的分析も、医学的実験も、結局、人間の極く小さな部分を小きざみに刻むに過ぎなかった。…あるがままの人間の姿を如実に描きだ(す)…小説の意義は大きい。人間探求という課題に対して、たくさんの観察材料をうず高く積み上げていくようなものだ。」
128頁。1943年11月11日。ベルグソンMatière et mémoire(『物質と記憶』)を読み終えて、日仏会館図書館で返し、かわりにL'Energie spirituelle(『精神のエネルギー』)を借りている。さすがだ。
130頁。1943年11月18日。
「夜日響のバッハのマトイス・パッションを聴きに行く。」「イエスを単なる教義の具象として扱わず、熱いハートを持った人間として生かしているバッハの大いさ!」ここには戦争に怯える姿は微塵もない。
150頁。
「私のような人間にいちばんアフィニテート(親和性)のある理想主義思想乃至文学は、ドイツにこそその最も純粋な形に於て見出さるるではないか。」
一方、
「咳のため仲々眠り就けないので、例のように源氏物語を床の中で長い間読んでいた。この言葉は実に美しい。」
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