2020年3月7日土曜日

神谷美恵子はどんな机を使っていたのだろうか

神谷美恵子の『若き日の日記』を読み始めた。一応読んでおこうか、という軽い気持ちで読み始めたが、かなり引き込まれた。



9頁。1942年4月26日。「母上はフレンドへ出かけ、私はひとりうららかな陽を浴びて庭のデージーを植えかえる。」とある。「フレンド」という単語でもしやと思い、神谷美恵子のことを調べると、母親が普連土学園の関係者だったらしい。私事になるが私の亡くなった姉が昭和30年代にここの数学の先生をやっていた。
神谷美恵子は旧姓前田、前田多門の娘、兄は前田陽一で、ふたりとも幼いときはスイスで学校に行っており、帰国してからも日本語よりフランス語での会話のほうが楽だったという。

11頁。1942年4月30日。「父上は七月頃第二船にて御帰朝のことと殆ど確定せる由、」とあるが、第一船なのか第二船なのかは私には疑問。調べなくては。神谷の書き間違いかもしれない。

31頁。「「柿の種」をひもといて巻頭のいくつかの文に強く惹かれた。」とある。寺田寅彦の文章は医学を学び、臨床医学を志しており、それを家族に反対されていた神谷美恵子が寺田の「科学随筆」に惹かれたのは、さもありなんというところか。

63頁。1943年1月4日。「この頃はすっかり文学少女にかえって長与善郎や志賀直哉や田山花袋を読んでいる。きょう明治大正文学全集の中に木下杢太郎の劇が三つ入っているのを発見してよろこぶ。」。木下杢太郎(太田正雄)は神谷の指導もしたことがある。東大医学部皮膚科学講座の教授だったとき神谷に助言もしていたという。



『100分de名著 神谷美恵子“生きがいについて”』で島津有理子さんは司会をしていた。

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マンション管理組合の理事会第一回開催。理事長になってしまった。今年の課題はマンション内の自主管理公園(遊具)の改善。それと、防音工事の建具機能改善申し込み。


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『四季芳書』(紀田順一郎)も拾い読みしているが、700ページの本のほとんど全てのページで、面白そうな本が紹介されている。少なくとも100冊くらいは読むべき本が増えそうだ。困るが楽しい。

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『グッド・ワイフ』第7シーズン。個人で事務所を始めた主人公が、自宅で仕事を始める時、ドアを外してきて机代わりにするのが興味深い。自分の思い通りに、(金のためだけでない、)仕事をする喜びに溢れるエピソード。真似をして、私もシゴトはダイニングの大きな食卓でやることにした。弁護士ほどではないが、パソコン以外に参照する資料は多く、机の上にならべると効率が良い。

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