2020年3月3日火曜日
「論語対談」書き直しの続き。明日には終わるだろう。
「論語対談」今日の書き直し部分。2/3にあたるところ。
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16時36分。
鹿島:私なりに易しく言ってみる。論語には「礼」という言葉が頻繁に出てくる。「礼」とは宮廷の儀礼と考えて良い。すると孔子は礼儀作法の指導者だった。今で言うとブライダル・マナーやセレモニー・マナーそして宮廷マナーの塾長だった。母親はシャーマンだが、その母方の祖父にいろいろ学んだのだろう。賢い孔子の学び方はブッキシュだった。「詩」(詩経)と「易」(易経)をオタッキーに勉強した。ただし「論語」ではシャーマニズムを嫌っており、その要素の部分は哲学的に変えて理論武装している。
したがって勉強好きだった孔子は弟子にも「考えろ」、勉強しろと教えている。つまり知識を覚えるだけでは駄目と。そして孔子は勉強し考えることが本当に好きでそうしていると幸せを感じていたらしい。
いろいろな弟子がいた。なかでも顔淵は勉強好きだったので非常に可愛がっていてその死の時のなげきは激しい。
別の弟子、子路は駄目生徒だった。何回教えても身につかない。でも孔子は目をかけた。
いろいろな弟子によりかかれた論語なので、なかで孔子のことばの受け取りかたがちがう。そこが論語の面白さでもある。
勉強好きの人が現れるのは直系家族の特徴だ。直系なので祖父母の教育力が大きい、したがって勉強好きの子供が成長する。
出口:年寄りを手厚く扱って老年まで養う。おばあさん仮説が有名だが、群れ社会全体での生存率が高くなる。これは差別化戦略だ。差別化された群れの秩序を守るのは血統と礼儀。王権や君主権を安定させる。
平清盛と頼朝は福原と鎌倉に引っ込んで、(儀式まみれのうるさい旧権力から離れて)政治を行った。
孔子は「礼」のかなりの部分を自分でも創った。周の大物の夢を見たとして「礼」を記述。こうして作り上げた体系を諸侯に売りに行こうとした。
鹿島:土地私有制のもとに代々続く直系家族が成り立つ。祖先崇拝が出てくる。相続だけでなく、他のことで孔子はフィロソフィー(一般原理)に従った。
出口:戦国の七雄などがあり、中国は欧州より広大なので、一般化した原理でないと諸国に通用しない。中華という国が昔あって、そこに伝説の人がいたと仮定して理論武装した。ともかく孔子は勉強が好きだった。
鹿島:孔子が好きな勉強のために引用した文献は今では分からないものが多い。今の文献学でやってもわからない。論語は詩とか易とか古いものと新しいものを見分ける文献学にもなっている。ニーチェの『道徳の系譜』に通ずる。(聖書には新旧の話が含まれており、それを見分ける。)
文献学は見分けのルールを体系化する。なぜ「古い方」がいいのかなど。これはフィロソフィー(哲学)すなわち「考える」ルールである。孔子は文献学好きであり哲学好きである。
出口:孔子はそのルールを知っていた。昔の文章を集めて整理する。他国に通用するものができた。(でも)総理大臣にはなれなかった。仕方ないのでルールを体系化して弟子に教えた。プラトンにも似ている。プラトンも政治家をあきらめてアカデメイアという学校を作った。(続く)
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あと残りは1/3。
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