『若き日の日記』(神谷美恵子)を読みすすめる。
95頁。1943年5月25日。「バッハのヨハンネス・パシオンを聴きに青山会館に行く。……プリングスハイムという人物は好々爺であった。……聴き入ると一日の長い放浪のあと家に帰ったような温かさと、涙のにじむようななつかしさに包まれた。」
プリングスハイムとはトーマス・マンの奥様の双子の兄のことだろう。バッハを聴いて思い出したのはスイスでの幼時の思い出だろうか。もっと抽象的なものか。
97頁。1943年6月4日。「昨日(見学した手術で)切取った胃癌を生のまま見せていただいた。」
臨床の修行は続く。そんななかで、
6月14日。「自らの本性の足りないところを補おうとして努力するのはよいが、それも程度問題である。……私も、日本的教養を得んがためにあまりに多くの無理をせぬ方がよいと考えはじめた。哲学的に、倫理的に、情操的に、日本の文化は到底私を充たしてくれはしない。」
たしかにこの直前には日本の古典・近代文学をたくさん読んでいた。
6月24日。「バッハの奥さんの書いたバッハの思い出を読了。」バッハの勉強にも勤しんでいた。
7月3日。「「平均律」を弾いている中に涙が出て来た。バッハの深い、やさしい声!……きよらかな愛を思わせる。私の一生の目標はこれであらねばならぬ。」
きっとシュヴァイツァーが頭にあっただろう。
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午後は、『パリの手記』を題材にしたnote記事を書いた。元ネタはこのブログからとった。今週中には発表できるだろう。
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一日中冷たい雨が降った。夜は豚肉と青梗菜の炒めものを作った。安上がりだけど美味い。
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