318頁。ナチスがボルンを帰国させようとハイゼンベルクを通じて働きかける。ボルンは拒否。一方、ガモフ夫妻は1933年のソルベー会議を好機として亡命。1934年にはディラックはガモフの妻ローにロシア語を習う。
320頁。別のロシア語教師に恋心をいだく。だんだん、ディラックもさばけてきたわけか。
322頁。プリンストンでウィグナー(1963年のノーベル物理学賞受賞者)の妹マンシーと出会う。
324頁。『量子力学(第二版)』を出版。
332頁。このころ、プリンストンにはルメートル神父(宇宙論)がおり、食事をともにした。そのころフリードマンが宇宙論の重要な論文を出したが、ロシア語だったのでほとんど誰も気づかなかった。
マンシーは『くまのプーさん』をディラックに勧めたが、なんとディラックはすぐ読んだ。音楽会にも行きだした。大した進歩。
330頁。プリンストンでの、「研究漬けでない」サバティカルが終わる。まわりは、風雲急。
*
寺田寅彦はディラックを知っていたのか、少し調べた。
生没年は、
ディラック 1902-1984
寺田寅彦 1878-1935
なので、当然面識はないだろうし、会ったらディラックは敬遠されただろう。
寺田寅彦の「ルクレチウスと科学」という有名な随筆の後記に、ディラックの評価が書いてある。純粋な理論家と見ていたらしい。『物理学序説』(未完)には何も書いてない。
寺田寅彦より、ディラックと同世代の人がいる。
中谷宇吉郎 1900-1962
朝永振一郎 1906-1979
この二人、特に朝永振一郎は、専門も同じだし、ディラックを知っていた。会ったことはあるのかそしてどんな印象を持ったのか、これは宿題。
(注 『物理学序説』は「科学図書館」という素晴らしいサイト中の記事です。ありがとうございます。 「ルクレティウスと科学」は青空文庫。こちらにも感謝です。
そして、寺田寅彦全集の目次も見つけました。
http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-706.html
このサイトには他にも有用なデーターがぎっしり。これにも頭が下がります。)
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夜、買い物に行こうとすると、月と金星と木星がならんだ光景が見えた。浮世の辛さを忘れる瞬間。
左から月、金星、木星。三役揃い踏み! |
気分が良くなったので、一枚200円の宮崎黒豚肉を購入。フライパンであぶって醤油と味醂で味付けしたが、美味しかった。久しぶりの動物性タンパク質だと、Jが喜ぶ。
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そろそろ、今年の三冊を選び始めるべきだ。ブログの過去を眺めてみた。
今日の候補は、
『三体』
『歩道橋の魔術師』
『まいぼこ』
『吉田健一ふたたび』
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