昨夜発行のARメルマガの巻頭言として、三中信宏さんの『読む・打つ・書く』の読後感想を掲載していただいた。内容は以下の通り。数日前の原稿を少し手直ししたもの。
なお、この件をAR友の会のアカウントでツイートしたら、なんと著者の三中信宏さんから、「いいね」をいただきリツイートもしていただいた。光栄だ!
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週刊ALL REVIEWS Vol.110 (2021/7/12から2021/7/18)巻頭言
三中信宏さんの『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版会)を読んだ。理系研究者でありながら著書も多くその上書評もたくさん書いておられる三中信宏さんによる本とのつきあい方のレクチャーであると、帯に書いてある。研究者の著書なので内容が難しいのではないかと危惧したが、さにあらず。読み終えてみると自分のような一般読者にも参考になるアイデアが満載されており、読んでよかったと大満足だ。
そこで今回はこの本のことを書くことにした。いつもはなかなか筆が進まないが、この本の勧めに従ってどんどん書き(キーボードを打ち)始める。「打つ」のニュアンスはこの場合ぴったりだ。どうしても筆が進まなくなる、いわゆるライターズ・ブロックを打ち破るのには、この本の教えの通りにともかくどんどん打つのが良いと思うようになった。この本を読んだ効用はまずこれだった。 「第2楽章」の「打つ」を読んで、自分の書評に関する見方が、非常に狭いものだったと気づかせられた。私は短め(800字から1500字くらい)の書評ばかりを考えていたが、長い書評でないと意を尽くせないことがある。そして、書評を書く側の意見や知見を強く押し出すべきでないとも私は思っていた。しかし科学書などの書評をしっかりやるとすれば、かなりの長さを使って書評する側の意見と知見を論理的に説明する必要もある。読者の専門分野における知識レベルが高くないと仮定すれば、基礎的な知識にも触れる必要がある。書評対象本の論理構成まで批評するには、本の長さと同じとは言わずとも、相当な長さを要求される。
文芸書の場合でも実は同じようなことが言える。新聞などの短い書評で本の拡販に全面協力するか、あえて炎上を恐れずに書評家の忌憚のない意見を言ってしまうかだ。一方、植草甚一さんの長めのエッセイ的書評の書き方、例えば『ぼくは散歩と雑学がすき』(晶文社)に見られるように、本の内容の長い引用と見せかけて、自分(つまり植草さん)の意見を述べてしまうという高等テクニックを使うという第3の道もありそうだ。
文章をとにかく精力的に書くという最初の勧めがいいなと思っていたが、もっとよく考えると「三位一体」という話が素晴らしいのだと思うようになってきた。それは以下の部分で、今後の参考のため、以下に引用させていただく。
「「書く私」と「読む私」と「評する私」はいつも一心同体だが、たがいに別人格をもっている。どのようにプロットを構成していくかを考えるとき、傍らの「私=読者・評者」に相談をしながら、「私=著者」が実際に原稿を書いていく――私が本を書く仕事場はある種の“工房“のようなものかもしれない。(236ページ)」
読み書きとよく言うが、その真の意味はこんなところにあるのだろうと納得してしまった。このような自分の中のコミュニケーションは執筆だけではなく読書のためにも効果的な方法なのだろう。
本の著者にはなりたくてもなれそうもないが、この本の勧めの通りに自分なりの書評を書くことは本を読むたびに実行し続けたい。それを読書記録ブログの形で長期間続けていきたい。三中信宏さんはブログでお手本を紹介してくださっている。
http://leeswijzer.org/index.html
今後の読書生活をもっと充実させてくれそうな良い目標ができた。(hiro)
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「打ち」まくるために、iPadとキーボードの組み合わせをためす。
SimplenoteをiPadで表示。27インチにはChromeを表示。MacbookではBGMウィンドウとFancontrolを表示させる。
BGMは、
Violin Concerto In G Major K 216 / Violin Concerto No. 2 In G Minor
by Leonid Kogan; Wolfgang Amadeus Mozart; Philharmonia Orchestra; Otto Ackermann; Sergei Prokofiev; The London Symphony Orchestra; Basil Cameron
Angel Records (35344)
うむむ。やはりiPadではキーボードよりも手書き入力だ。copy&pasteはMacbookでやるのが早い。SimplenoteはiPadにも27インチにも表示させておく。Simplenoteの同期は早いので十分使い物になる。
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そしてこの環境で好きなことを「打っ」てみると……💦
高山宏さんの5万5千冊の書籍(もちろんほとんど洋書だろう)の内容索引カード手作り2年間というエピソードや、夕方視聴したジャパンサーチ(デジタルアーカイブの検索サイト)のビデオに影響されて考えついた「妄想」。
現在考えている書評収集の件の将来的に目指すところは、すべての書評をAIの助けを借りて検索でき、可能な限り閲覧できたり、利用者が検索結果を自分の都合に応じて表示できる、オープンな書評サイトを組み立てることではないかと思い始めた。この場合、国会図書館にせよInternet Archiveにせよ新聞や雑誌や出版社のサイトにせよ、このオープンなサイトからのアクセスにそれぞれの可能な範囲と方法で応答していただくことになる。特に現在の商用サイトの内容がどこまでデジタルアーカイブ化されるかが問題だが、10年単位のスパンで考えると可能性は大きくなっていくだろう。小さく始めて大きく育てていけば良い。インターネットそのものも私の働き始めた頃は存在を知らないほどのものだったが、わずか数十年でこれだけ巨大になった。デジタルアーカイブにはすでに30年もの歴史がある。ブレークするのはもうじきだろう。ともかく著作権料の問題をうまく解決する必要がある。
(参考)
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