このLPを聞いていたら、外から蝉の声が聞こえた。季節のめぐりは早い。
Sonatas For Piano And Violin
by David Oistrach; Lev Oborin; Ludwig van Beethoven
Philips (PHM500-032 / PHM 500-032)
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三中信宏『読む・打つ・書く: 読書・書評・執筆をめぐる理系研究者の日々』(東京大学出版局)、第1楽章「読む」を読む。興が乗ってきて、第3楽章「書く」も読んでしまった。つまりとりあえず全巻目を通したことになった。もちろん、文献リストや索引の部分も忘れずに拝見した。
三中さんによれば、本の註・文献・索引は重要な要素で、後で本を資料として参照する場合にこれらはなくてはならない。たとえ、新書として出版する場合もこれらを欠かすことはない。費用の関係という言い訳で省略するのはケシカランということだ。私も最近ある翻訳本を読みはじめて、索引がきちんと翻訳されていないだけでなく、出版社のホームページに掲載したと知り、読む気をなくしたことがあった。『トーマス・マン日記』を読むと、その註と参考資料と索引の膨大さに驚くが、単に趣味として読んでいる私でも、この丁寧さに感謝することが多い。現在刊行中のドイツ語版の『トーマス・マン全集』も同様に註や索引が本文より多く、膨大なページ数となっているらしい。当然出版に時間が(きっと金も)かかるが、それをおろそかにしない姿勢に打たれる。もっと身近な例だと、高遠弘美先生の訳本『プルーストへの扉』白水社 (2021/1/23)は原著にはほとんどない文献目録・年表・固有名詞索引が付いており、そこが魅力だ。高遠先生に伺ったところ、これはご自分で作成されたという。ぜひ、このようなことが当たり前のことになってほしい。後で読み返したい本は、多少高くても、このような面で充実していてほしい。
三中さんの本の感想に戻ると、読書と書評と執筆が三位一体であるべきと言う点に納得した。本の題名はここから来ている。これは「理系」の本に限らない。
とにかく毎日「書いて(打って)」、その上で充実した読書生活を愉しむとしよう。とりあえずは、7月いっぱいは毎日、「書評探索」レポートと「コミュニティ・マネジメント・マニュアル」の執筆を続けたい。
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