『日米交換船』を読み進めた。168頁まで。
交換船として使われ、鶴見俊輔が乗ったのは、ニューヨークからロレンソ・マルケスまでが「グリップスホルム号」、ロレンソ・マルケスから横浜までは、「浅間丸」だったそうだ。浅間丸の名前は知っていたが、グリップスホルム号は知らなかった。(または、少年時代に知っていたが忘れていた。)
Wikipedia や、『豪華客船の文化史』(野間恒 2008年 NTT出版)(書誌)で見ると、浅間丸とグリップスホルムは大型船にディーゼル機関を載せる初期の例であったらしい。グリップスホルムが先だろう。
浅間丸は航空母艦に改装されようとしていたが、終戦前に、輸送船として使われているうちに、潜水艦の雷撃で撃沈された。
グリップスホルムはスウェーデン船籍で米国にチャーターされていたが、戦後はドイツに売却され、最後はイタリアで1966年に解体される。
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どちらも豪華客船ではあったが、交換船としての使われ方は、当時の日米の政治体制に左右された。たとえば、食事の良し悪しや、食事内容に階級差別があるか否か。
昭南(いまのシンガポール)に着くと、鶴見俊輔と姉の和子は官邸で叔父の鶴見憲(後に陸軍中将格)の接待を受ける。久しぶりの美食だっただろう。
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午前中は主治医のK内科に行き、定期の診察。最近、血圧高めで、次回まで朝の血圧を今より頻繁に測って報告するよう言われた。下手をするとまた薬を飲む羽目に陥りそう。
午後は、Jの手伝いで、子供向けお汁粉会用の大納言小豆を買い出しに行く。6キロも買い込んだ。重い。やっとの思いで、コミュニティセンターに届ける。小豆は値上がりしている。6キロで8000円。数年前なら6000円程度だった。
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