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2016年12月29日木曜日

今年の忘年会は終わりです

ベランダはいまも花盛り


 薄ら寒い一日。

 人間ドックに行きましたが、まあ普通の採点。新宿の街も普通ににぎやか。

 『高い城の男』、読み終えたが案のじょう考えさせる結末。余韻の大切さを考えさせられました。

 今年も、いや今年は、しんどい年でした。来年も今年程度のしんどさなら嬉しいな!

 

2016年12月5日月曜日

ブログの書き方にも影響する、すごい忘年会コミュニケーション

 一昨日の忘年会で、私は最近ブログを毎日書いていると報告。なぜ?との無言の質問に、「将来、自伝として読んでもらえればいい。紙の日記より、人の目に触れやすい。」と言ってみた。
 思いつきの発言だが、こういった場で他の人と会話をしていると、思いがけなく、アイディアの種子となるコトバを発してしまうことがある。潜在意識が言わせているのかもしれない。

 昨夜、これについて考えてみた。

 自伝とするには、最近のブログ記事の内容は読書記録に偏りすぎている。ブログタイトルを「読書日記」に変えたためであろう。
 タイトルにこだわらず、なんでも書くことにしたい。
 たとえば、
(1)旅行にまつわる話。いくつか旅行日記は過去に書いたが、事実と創作を混ぜても構わない。過去に遡る。修学旅行もいい。
(2)昔通った、そしてもう殆ど消えてしまった、映画館の思い出。
(3)おもちゃの記憶。
(4)先生シリーズ、特に小学校の。
(5)昔の書店、図書館の記憶。
(6)自宅内古本発掘記録。これは相当書ける。
などなど。自分用百科事典とすれば、題材には事欠かない。

ゆかりのある家の壁の壁画(これも調べて書く必要アリ)

 そんなの誰が読むのと言われても構いません。自分が読む。現にこのブログの過去の記事は自分で読んで楽しんでいる。描いた内容はほとんど忘れているからだ。

 寺田寅彦先生の『連句雑俎』はようやく読み終えた。連句を考えていくと、そもそも人間はどのように思考するか行動するかという、根源的なことに、思いがいたる。自分が現在おかれた場のなかでどのように考え行動するかといったこと。

 学校の役割は、このようなことをいかに行うかを訓練することにあると思う。

 随想風に、つまり知識の記述でなく、いかに考えているか、今後どうするかを記述する。こんなこともブログにかければ素晴らしい。\(^o^)/

 書くことにより、自分自身の生き方が、より良い方向に変化する。

 次の忘年会は、来週。また、新しい生きるヒントが得られそう。うれしい。これも体調が回復しつつあるからだ。ありがとう、体調さん。

2016年12月4日日曜日

忘年会で会話するとまた勉強したくなる

 昨夜は老人有志の忘年会、「昭和酒場研究会2016年末忘年会」を実施。6名参加。盛況です。
 「くるまだ」さんという、最近吉田類先生があるTV番組の取材で訪れた店。グウゼン行ったのだが、なかなか良いお店です。番組のページリンクを貼り付けておきます。都電荒川線で行くと情緒満点。下車駅は熊野前。



 この会は「清談」を旨とする会なので、いろいろためになる話が(も)聞けます。そして、なにより、今後のベンキョウのためのヒントが得られる、貴重な会です。
 私は、次のようなことを得て戻ってきました。
(1)社会主義と共産主義の相違は。そして社会主義の未来を考えるべし。
(2)幾つかの本を紹介してもらう。「流転の海」、国木田独歩、「海賊とよばれた男」、永六輔(家族の糸は無理にほぐすと家族がばらばらに…)、「逝きし日の面影」
(3)自然とのつきあい(虫に鳥に野菜)
(4)数値目標にとらわれない暮らし
(5)各種養生法

 消化不良を中心とした体調不良もかなり良くなり、牛肉も煮たものではあるが、三四切れ食べられたので、ハッピーになりました。「くるまだ」さんの料理が上手だったせいもあります\(^o^)/