2019年10月31日木曜日

国会図書館の書籍の全文テキストデーターベース化を望みたい

朝目覚めた後、しばらくは寝床でTwitterやFacebookをのぞいたり、読みかけの本を読んだりする。起床時間になると、大抵はまず用足し。尾籠な話だが、ここでは集中できるので、前夜の夕刊をじっくり読む。夕刊には、暇人向けの記事が多い。今朝見つけたのは、森鷗外の全集未収録の文章が出てきたという記事だ。『新纂診斷學』という1891年の医学書の序文だとか。
思い立って、朝食後、『新纂診斷學』を国会図書館で探してみたら、すぐ見つかった。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/834380



インターネット公開扱いなので、誰でも読める。ただし、森鷗外または森林太郎という名前からは検索できない。彼は序文を書いただけなので。

Internet Archiveや外国の大手図書館の蔵書なら全文検索ができるようだから、このようなことにはならないだろう。
日本でも、古書→OCR→全文テキスト化をもっと行うべきだと思う。大蔵経など、個別のものは出来つつあるので、金をかけさえすればできると思うのだが。クラウドファンディングでやってみるか?いくらくらい掛かるのか、見積もりをしてみたい。

***
『きのこのなぐさめ』は、読み終えた。最後の方で、マジックマッシュルームによりみちしそうになるが、なんとか思いとどまったらしい。癒やしという面で考えると、当然のよりみちであろう。
最終的に、作者は100パーセント立ち直ったわけではないが、新しい世界に行動範囲を広げたので、相対的に元気になったし、質の違う楽しみを手に入れたことになる。
この本に書かれた記録は、多くの人の参考になるだろう。そういう意味で大切な本だと思う。
私だったら、きのこではなく、ある種の書籍だったり、昆虫だったり、宇宙の星だったりするかも知れない。

2019年10月30日水曜日

『きのこのなぐさめ』を読みながら『きのこ図鑑』を参照すると10倍オモシロイ

地元自治会の役員をやっているJの補佐で、12月の子ども向けイベントの参加者募集チラシを作成。他の役員さんとも打ち合わせた末、今朝文案が確定したので原稿を最終修正。チラシと配付お願い状とポスター合わせて200枚ほどを印刷した。MacのOSを先週アップデートしたのだが、プリンタードライバーをアップデートし忘れて、いくらか時間をロスした。なんとか昼食前までに作業終了。

このオシゴトのプロセスは10年間変わらず、旧態依然。改善必要だが…

***

午後は『きのこのなぐさめ』の続きを読む。夫をなくした悲しみから立ち直る過程で、きのこ(学)に目覚め、まったく新しい世界を体験することにより、再び活力を取り戻す主人公。

なぜ、きのこを選んだのかは不明、夫がきのこの精になって戻ってきたのでもない。きのこが主人公の生活に入り込んでくる。もとの元気を取り戻すのでなく、新しい種類の元気を手に入れる。

このような、事例は珍しいのだろうか。奇跡が起きたのは主人公が若く教養もあるからと言えるかも知れない。多言語の世界に暮しているからかも知れない。一方では、きのこを含む生物の世界には実はこのようなパワーがあたりまえに存在しているのかもしれない。心を開くと、誰にでも起きることと信じたい。

本の読み残りは100ページ弱。明日中には読み終えて、次の予約の方にこの本を読んでもらいたい。

きのこの図鑑も参照すると味わい深い

2019年10月29日火曜日

『きのこのなぐさめ』を読めば喪失感による苦しみが軽減されるだろう



『きのこのなぐさめ』(ロン・リット・ウーン 枇谷玲子・中村冬美訳 2019年 みすず書房)を読み始める。実は最近話題の本だと言う理由だけで読み始めたが、たちまち引き込まれた。午前中で100頁。そして、掟破りながら、最終章も先に読む。

作者はマレーシア生まれの社会人類学者で、ノルウェイで最愛の夫を急病でなくした。喪失感のなかで、「きのこ」に出会う。なぜきのこの採集か、は愚問で、たまたまであろう、というよりきのこが傷心の作者を癒やすために近づいたというのが、正解に近い。

作者はその後「公認きのこ鑑定士」になる。今日読んだのは最初の試験に受かる、そこまで。

「きのこ」を学んで、その精妙な世界の素晴らしさに目覚める過程と、夫をなくした喪失感が癒えていくまでの物心両面にわたる大変な過程が、交互にそして縄をなうように入り混じって語られる。語り口に、悲痛ながらもユーモアが感じられるのは、作者の人柄のおかげだろうし、社会学者として、マレーシアとノルウェイの文化を比べながら書いているからだし、なによりも、「きのこ」という新しい世界に踏み出しているからだ。

きのこの写真やもっと多数の名称がでて来る。昔買ったきのこの図鑑があるので、照らし合わせながら読む。趣が深くなる。

枇谷さんの翻訳は、きっと困難を極めたと思うが、見事に、作者の「なぐさめ」感のある文体を日本語化されていると思う。困難ながらも作者に共感しながら訳されたことと思う。中村さんの約した箇所にはまだ到達していないが、楽しみである。

***

『量子の海…』も、少し読み進めた。大学院最後の年。同輩の学生たちに量子論の連続講義を行った。ファウラーも聴衆の一人として出席。自分を追い越した弟子についての感慨もひとしお。(130頁)

***

ALL REVIEWSサポートスタッフの仕事を今月はこれまでサボっていたが、書誌編集のチェックを少しだけやった。あと、二日間、もう少しやろう。

2019年10月28日月曜日

ソール・ライターの写真の「差し色」にしびれる

『ソール・ライターのすべて』(2017年 青幻社)、写真集を「読」んだ。




ファッション写真を撮っていた。有名だったが、金の世界に愛想をつかした。
「スタジオだと昼食会ができるから、彼ら(編集者)にとっては快適だったのだ。外で働いていたら昼食会はできないからね。でも私は外で働くのが好きだった。」(30頁)

「私が写真を撮るのは自宅の周辺だ。神秘的なことは馴染み深い場所で起きると思っている。」(35頁)

「写真を見る人への写真家からの贈り物は、日常で見逃されている美を時々提示することだ。」(104頁)
この言葉通り、何気ない場所で何気ない写真を撮るが、それがウェットな美しさを放つ。モノトーンの中の赤い差し色、たとえば赤い傘の色、はしみじみとしてかつ印象的だ。

この本は2017年の展覧会に合わせて作られたが、同じBUNKAMURAで来春に第二回の展覧会がある。また、写真集が出るだろうか。出るとしたらどんな形になるのか。

***

『量子の海…』も続けて読んだ。このころ、1925年、「量子力学」という言葉が生まれた。名付け親はボルン。ディラックは「量子力学の基本方程式」なる論文をまとめた。ファウラーはさっそく王立協会に送る。(120頁)
https://royalsocietypublishing.org/doi/pdf/10.1098/rspa.1925.0150

このころ米国からオッペンハイマーがやってきた。(122頁)
大陸ではハイゼンベルグとパウリとボルンとその弟子ヨルダンは協力して研究にとりくむ。英国のディラックは一人で研究を続ける。これが性に合っていた。
1925年ごろの「量子力学」は50名ほどの学者が取り組む「仕掛品」で、完成にはまだ数年かかる。(125頁)

***

昨日の朝刊に芦田愛菜さんが書いた文章が紹介されている。我々が本を探すのでなく、本のほうが我々を尋ねてやってくるというもの。私は70年かかってやっとその事に気づいたが、彼女は若くしてこの感想を述べている。おそるべし。


2019年10月27日日曜日

養老先生の『虫の虫』は虫好きだけでなく生涯の趣味を持つヒト向けの本

今朝の林檎は「とき」。色が美しい。本当に鴇色。味も香りも口当たりも良い。


***

午前中は、自治会の子供向けイベントの参加者募集を作成。毎年、りんご狩りをやっていたのだが、市内のりんご園のりんごの木が年取った(!)ので、できなくなった。今年は全天周映画鑑賞。「えんとつ町のプペル」だ。チラシの絵は自分で描いてみた。

***


午後は、『虫の虫』(養老孟司 2015年 廣済堂出版 )を読む。一気に全部読んでしまった。軽いタッチで書かれている。最初から、ゾウムシが好きなどと書いてあるので、引き込まれた。養老孟司さんは、写真をちょっと撮るだけの私と違って、本格的な虫好きだ。ラオスに何度も採集旅行に行っておられる。37ページのホウセキゾウムシの写真が見事だ。『月刊むし』の2003年5月号の表紙。

この雑誌が見たくなったので、図書館で今年の夏の号を借りる予約をした。2016年以前のはない。どこかで探さなくてはならないだろう。小檜山さんのムックも借りることにした。

最後の方にオモシロイことが書いてある。「人生は決して自分だけのためのものではない。だからといって、他人の評価なんか、求めないほうがいい。そういうものは仕事の結果に「ひとりでについてくる」のであって、ついてこなくたって、知ったことではないのである。」

本を読むのもこんな気持で読まないと、やっていられない。

***

WCラグビー準決勝は南アフリカがウェールズを破った。デクラークという小柄な選手のカンのいい動きやちょっと生意気な態度が小気味好い。

***

いま、見つけた宇宙論のサイト。素晴らしい。
https://tmcosmos.org/cosmology/cosmology-web/

2019年10月26日土曜日

『量子の海、ディラックの深淵』、大学院生ながらディラックは研究の最前線に

『量子の海、ディラックの深淵』を読みすすめる。手軽な課題ではなく、根本的な研究課題へとどんどんシフトして行く。これが偉大な科学者のしるしだ。(110頁)
新たな奨学金を得て、大学院での研究生活を続ける。推薦者には、ケインズ、カニングハム、ファウラー、ジェームス・ジーンズなどがいる。(113頁)
1925年、ハイゼンベルグの有名な論文の校正刷りがファウラーから届けられる。これに魅せられる。アインシュタインもこの論文には興奮したのだそうだ。(116頁)
まだ、大学院生のディラックはポアソン括弧式を使ってハイゼンベルグの理論を説明し直す。

ディラックの論文は、
https://royalsocietypublishing.org/doi/10.1098/rspa.1927.0071
で読むことができる。眺めるだけでも役に立つ。



***

図書館でまた、5冊借用。


***

毎週土曜朝刊には数ページの読書特集が掲載される。後で読むためにiPhoneで写真を撮っておく。1ページ全体を撮る。新聞を床において、立って撮る。解像度の高いカメラが搭載されている。拡大にたえるので、老眼には嬉しい。

***

近所の工事風景。土台がほとんど完成。工事開始以来3ヶ月。

2019年10月25日金曜日

覆麺ラーメンと追加した浅利のディップの旨さに震える全身の細胞

大雨の中だが、前から約束していたので出かけた。

久しぶりのラッシュ時(ちょっと過ぎ)の電車。急行だが座れた。隣の居眠りオジサンが寄りかかってきて、肩が凝った。まあ、睡眠時無呼吸症候群に悩む方かも知れないし、怒るに怒れない。ともかく、毎朝の通勤は皆大変そうだ。

最初に、神保町の覆麺(ラーメン屋さん)に向かう。このために朝食は最小限にしておいた。デフォールトの醤油味ラーメンだが、オプションで浅利の濃厚ディップを頼んだ。(落ち合って一緒に行ったYさんのおすすめ。)



ラーメンは通常通り、美味しいが、浅利のディップが超絶を通り越して、超弩級に旨い。体中の細胞がにわかに活性化する。

このシアワセ感を保持しながら、(口はあまりゆすがない、ガムなどは禁物、)紀尾井町のLodgeに向かう。Yahooさんの社内にあるオープンコラボレーションスペース。われわれボランティアスタッフの勉強会が無料貸出スペースで出来ないのかと相談に行ったが、社内だけの催しでは貸してもらえないとわかった。他社、Yahoo、自社の三方得にならないと、認められないらしい。Yさんが話しているうちに、校閲のイベントで三方得のことができるかもというアイディアは出てきたが、まあ、なんとも言えない。他の企業とのコラボレーションなど、別の用途に使うほうがいいのかも知れない。コワーキングスペース(Lodgeは違うのだが)の施設模範の見学という意味で、勉強になった。お金を随分かけている。

このビルはもとの赤坂プリンスホテルなのだと聞いて、場所の感覚がつかめた。永田町(南北線の)駅直結なので、よくわからなかった。

***

大雨の中を帰ってきた。千葉や茨城や福島などではまた川の氾濫や土砂崩れが起きている。

『量子の海、ディラックの深淵』の読書はあまりはかどらなかった。彼の兄上が服毒自殺。詳しい原因は不明だが、この事件により、ディラックが衝撃を受けたことは間違いないだろう。相変わらず、有名物理学者・数学者が登場する。ボーア、ハーディー、ミルン、プランク、ド・ブロイ、ハイゼンベルグ…

2019年10月24日木曜日

ディラックの足跡をたどれば現代物理学の歴史がよく見えてくる

昨日読み始めた『量子の海、ディラックの深淵』(天才物理学者ディラックの伝記)を、少しだけ読みすすめる。あこがれの(でもないらしい、名誉とかそういう世間的なものには興味がなかったのだろう)、ケンブリッジのセント・ジョンズ・カレッジに、奨学金を得て入ったが、普通の顔で過ごす。

最初は学寮でなく、下宿生活。夕食はカレッジの「大広間」でとる。このあたりは、最近読んだラマヌジャンを思い出さざるを得ないが、ディラックは菜食主義者ではないので、普通に食べていたのだろう。ただし、子供時代からの消化不良児なので、豪華な料理はあまりたくさんは食べない。痩せていた。他の学生は周囲と大声で会話しているが、ディラックは黙って座っている。
指導教官、ファウラーはすぐにディラックの才能を見抜く。ディラックも月曜から土曜までぶっ通しで研究に励む。日曜日だけは天気が良ければ散歩した。頭を休めるのが目的。

ケンブリッジでは有名な科学者に会える。たとえば、相対性理論を理解し天文学でも偉大な存在だったエディントン。講義は下手だが、科学に数学的アプローチで取り組む姿にディラックは感動した。そして、ラザフォードも。ラザフォードはエディントンと違い、外交的で現実的。学界のボス的存在だ。

他に、キャベンディッシュ研究所では後に親友となるブラケットやカピッツアにも出会う。

当時のディラックが家族(母親)に、帰省を知らせるはがきはそっけない。用事を簡潔につたえる三行だけ。帰省したディラック家には当時最新のラジオ受信機があり、皆でBBCの番組を聴いていた。94頁。

パブリックドメイン、若いときから額が広かったが、これはもっと後の写真だろう


***

思ったほど、読書ははかどらなかった。かかりつけの医院が満員で出直したりしたため。

2019年10月23日水曜日

『量子の海、ディラックの深淵』を読むとディラックの「変人」ぶりがわかる

次に読む本につき迷ったが、『量子の海、ディラックの深淵』(グレアム・ファーメロ 吉田三知世訳 2010年 早川書房)にした。これも図書館本。ディラックの量子力学教科書の美しさに感銘を受けたのを思い出したからだ。(読んで理解したとは言っておりません、念の為。)



ディラック方程式はファインマンの経路積分に影響を与えた、とどこかに書いてあった。1933年にシュレディンガーと一緒にノーベル賞を受賞。このときは波動力学と行列力学の等価性の証明による。

本の前書きによると、ディラックは物理世界を数式でいかに表現するかに興味があり、その応用には興味をしめさなかったという。すごく狷介だったらしい。

その、性格はどこから来ているか、そしてどのように暮したのかに興味があり、この伝記を選んだ。

1902年にブリストルで生まれる。父親はクソ真面目なスイス出身の語学教師。母親はイギリス人。父親と二人だけで食事をするはめになり、厳格な父の前で、食欲不振になる。晩年まで胃酸欠乏による消化不良に悩まされた。ここはすごく気の毒。
当時の庶民の小学校のカリキュラムがオモシロイ。理科がなくて、今で言う技術家庭科がある。製図(三面図など)が得意だった。女性はその時間料理を習った。(なんと!)

1914年(大戦がはじまる年)には中学校にはいるが、やはり技能教育が多い。レンガ積み・漆喰仕上げ・靴つくり・金属加工・製図など。これは、私の場合、中学校で金工や木工や製図や園芸などやったので、懐かしい。ま、イギリスの当時の技術立国のための政策だったのだろう。ディラックは数学や製図の理論などは大得意。でも、技能的な部分は全くダメ。でも、成績はダントツ一番。先生はリーマン幾何学など自習しろと言っていたらしい。ディラックの兄も同じ学校だったが成績が悪く、仲は悪かった。これも、ディラックの性格に悪い影響を与えた。

1919年。大戦は終わる。このころアインシュタインの一般相対性理論の裏付けに、エディントンらの日食観測隊が成功。大ブームとなっていた。大抵の人はわからないが、ディラックは直感的に理解していたのかも知れない。

ここまでで、50頁くらい読了。読書の波に乗れたので、このあとはメモをとるのをやめる。時間がかかるから。

2019年10月22日火曜日

『虫の文学誌』の読書開始そのついでに『蟲と藝術』も読む

『虫の文学誌』(奥本大三郎 2019年 小学館)を読み始める。NHKの1993年、「人間大学」のテキストをひさしぶりに書き直したもの。この間に『ファーブル昆虫記』の全訳をやっておられる。素晴らしいお働きだ。この本の書きぶりは大仕事の後の余裕が感じられる、と言ったらエラそうだと叱られそう。



序文で、さっそく面白そうな参考書の紹介がある。そのうちの1冊『蟲と藝術』(金井紫雲)は、国会図書館ですぐ見つかった。美しい本だ。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1236410


金井紫雲さんの本は『花と藝術』、『草と藝術』など、他にも国会図書館デジタルコレクションで読める。これは楽しみだ。


***

今週末に、永田町駅近くのLというワーキングスペースを見学に行くことにした。書評サイトのサポートスタッフ(ボランティア)の研修用に使えないかの検討をしたい。大人数の研修はダメにしても、数人での共同作業には使えると思う。そして、独自のコワーキングスペース立ち上げ計画の参考にもしたい。
同じビルに昔の若い同僚がいるようなので、久しぶりの挨拶もしてくる。
先に、覆麺のラーメンを頂くという楽しみもある。颱風がそれることを祈りたい。

2019年10月21日月曜日

『お楽しみはこれからだ』…(T_T)

亡くなられた和田誠さんをしのんで借りてきた『お楽しみはこれからだ』(和田誠=文と絵 1975年 文藝春秋)を読んだ。全体に目を通し(つまり絵と紹介された名セリフと映画題名をチェックし)、一部は本文も読む。「キネマ旬報」に連載されていた記事をまとめたものであることは言うまでもない、が言ってしまった。

「カサブランカ」がとくにお好きだったらしい。記事が3つもある。

「ゆうべどこにいたの?」
「そんなに昔のことは憶えていないね」
「今夜会ってくれる?」
「そんなにさきのことはわからない」 (10頁)

「十年前、君は何をしてた?」
「歯にブリッジをしていたわ。あなたは?」
「職をさがしてた」(20頁)
ブリッジとは歯列矯正のハリガネのことだそうだ。映画を見たときには私は気づかなかった。二人の年の差をあらわすのですね。

「ルイ、これが友情の始まりだな」(240頁)
最後の場面。このあと、本当に友情が続くかはギモンだが…

やはり、土曜日の『パリ左岸…』の対談を聞いたから、フランス戦中戦後のことに関心が向いた。この本を借りたのは和田誠さんの訃報をきいたからだが、潜在意識は常に私の行動に口を出してくるようだ。

表紙は「サンセット大通り」のグロリア・スワンソン。これも素晴らしくいい映画でしたね。

2019年10月20日日曜日

花束を君に…♪


この花束を買うまでの行動は以下の通り(*^^*)

***

昨日の余波で、『河岸忘日抄』(堀江敏幸 2005年 新潮文庫)を読みたくなった。数年前の堀江敏幸マイブームのときに、買った古本だ。5回くらい繰り返して読んだ。パリ郊外の運河に係留された船に偶然住むことが可能になった、という設定は何回読んでも心躍る。
今回は鷲田清一さんの解説をじっくり読んだ。「ためらい、あとずさり、尻込み」を切り捨てる社会のなかで、「たゆたえど沈まぬ」船に住み、ゆっくりとしかし異国の世界で迷いながら生活する。その主人公の心の動きを精密に書き綴る。この職人技がこの本の特徴であろうという意味のことおっしゃる。「移動祝祭日」ならぬ、「河岸忘日抄」。リアルな日記もいいが、このような小説体の文章もいい。



これを読みながら、神保町に向かう。ALL REVIEWS友の会の交流会がある。

時間が少しある。覆麺に行くのもいいが、今夜もご馳走を食べそうなので、それはやめて、古本を物色して歩く。いつも顔を出すのは小宮山書店(のガレージセール)。三冊500円のB級(未整理未クリーニング)古本がたくさんある。目玉として、三島由紀夫愛好者の手放したらしい三島本が150冊程度置いてある。これは3冊千円。他に全集本も少し。高橋和巳全集一万円。契沖全集4千円。久保田万太郎全集一万円。先日の『古本屋散策』ドゥマゴ対談を聞いた後なので、全集に目が行って困った。
中の棚に斎藤茂吉全集の端本がたくさんあり、そのうちの日記編が欲しくなった。ちょうど三冊見つけたので、考えたすえ、レジに行こうと本を持って進みかけたが、ここで余計な自制心が働き、また棚に戻す。重いし、図書館で借りればいい…
この判断は良かったのか否か。帰って検索したら、地元の図書館には選集しかなかった。日記は入っていない(T_T)

***



交流会会場は、スタッフのミーティング第一回で使った建物、の応接間。いつ見ても、この会場(上は高層マンション)は立派だ。
交流会は楽しかった。いろいろな「建設的」意見が出た。ただし、実務を担当するのはお一人だけなので、プライオリティをつけてやっていかなければならない。
ボードゲームもやろうということになったが、家の皇后陛下の誕生日なので、先に失礼した。

***

帰り道(地元駅)で花束を買った。ささやかだが、香り高い薔薇のプレゼント。

2019年10月19日土曜日

ALL REVIEWS 友の会イベント「アニエス・ポワリエ × 鹿島 茂 スペシャルトーク」、本日開催

表題に全く関係ないが、町内自治会の子供向けイベントのチラシ用に、「えんとつ町のプペル」を題材とした絵を作った。貼り絵風にしてみた。
***

泥縄で、関連書籍(だと思った)『パリスケッチブック』をほぼ最後まで読んだ。ロナルド・サールの絵は素晴らしい。アーウィン・ショーの文章は、最初は、つまりパリ開放の日の本人の体験に基づく第一章は、読ませる。ところが、それ以降はパリ観光案内みたいで、あまり面白くない。原稿料儲けのためだけの文章ではないのかと邪推したくなる。面白く読ませるために飾り過ぎの文章になっている。

ともかく、あとになっても読むべき本と思われる『パリ左岸…』を図書館にリクエストしてから、電車に乗る。

***

一番右は素晴らしい通訳のKさん


18時から「スペシャルトーク」が始まった。読んでいない私でもついていける話の内容だった。おもしろかった。ただし、第三勢力(資本主義でも共産主義でもない第三の道)が、その後形を変えて5月革命とそれ以降の改革につながっていくのではないかという質問は、ポワリエさんにはうまく伝わらなかったようだ。自分でもっと考えてみたい。日本の事情、冷戦集結までは、自民党の政策は意外に社会民主主義的だったが、冷戦後は金持ち優遇政策に変わり、そのなかで第三勢力は力を失う…という鹿島先生の説は、一理あると思った。

別の方の質問で、原著は英語で書かれているが、その理由はディレッタントの観点で記述したかったからということもわかった。

英仏両方で文筆活動をするポワリエさんに、フランスと英国の書評の違いを尋ねた方がおられた。答えは英語の書評にはエンターテインメント性が求められるという、予想外のもの。
(後記:この時、書評記事にジャンルの違うことをまぜないようにしているとおっしゃっていた。そして、『パリ左岸…』はエッセイだとも。すると、第一の質問の答えにもなっている。ポリティカルなことはこの本の対象外。少し異論はあるが、大筋では納得。)

書評だけでなく、文章全般にそれは言えるのかも知れないと思った。アーウィン・ショーの文章の通俗性は、ここに起因しているのかも知れないとも思った。「面白く」ないと、英国やアメリカでは売れないのだろう。

ポワリエさんは、ノートルダム大聖堂に関する次の本をすでに脱稿。その次には1900年前後のことを書くが、ジャポニズムのことも含まれるそうだ。これらは楽しみ。


2019年10月18日金曜日

ALL REVIEWS 友の会イベント「アニエス・ポワリエ × 鹿島 茂 スペシャルトーク」現地観覧の予習を少しだけ

アニエス・ポワリエの『パリ左岸 1940-50年』(木下哲夫訳 白水社)
https://allreviews.jp/column/3838

に関する、著者と訳者と鹿島茂さんの鼎談が明日、ある。月刊ALL REVIEWS友の会の催し。
https://allreviews.jp/news/3821

ビデオ収録の現地で観覧できることになっているので、予習をする。

『パリ左岸 1940-50年』はまで入手してない。間に合いそうもないので、Kindleで原著『Left Bank: Art, Passion and the Rebirth of Paris 1940–1950 (English Edition) 』のお試し版をダウンロードして読む。


緊迫した1940年前半のパリの様子が読める。サルトルはボーボワールと引き離されて、収容所にいる。占領軍の文学検閲担当者ゲルハルト・ヘラーのおかげで多くの文学者は助かっている。一方、ヴェルコールの『海の沈黙』は地下出版された。この『海の沈黙』は、原二郎先生の先生、河野与一さんと加藤周一さんの訳で岩波文庫から出ている。(読んでない。)
懐かしくなり、『羊の歌(下)』を出してきて読む。戦後のヨーロッパでの加藤周一さんと奥様の恋物語が秀逸だ。


『羊の歌』を掘り出していたら、『パリスケッチブック』(アーウィン・ショー ロナルド・サール絵 中西秀男訳 1986年 サンリオ)も、出てきた。2013年に古本屋で買い、読まずじまいだった。アーウィン・ショーも『パリ左岸』では取り上げられているはずだ。最初を読む。
パリ開放の日に、アーウィン・ショーは米軍の兵士として、残ったドイツ軍兵士と市街戦を続けながら、パレードをする。狙撃されて倒れた兵士の頬に、歓迎のキスの口紅が残ったまま…という場面にも出くわす。





そのころ、ヘミングウェイはシルヴィア・ビーチのシェイクスピア書店を「開放」していたのだろう。これも『パリ左岸』には出てくるだろう。

ともかく、知りたいのは、この後の「新左翼」(資本主義勢力でも共産主義勢力でもない第三勢力)の、誕生と発展と衰亡の経緯だ。サルトルたちの言動を追えば参考になるものが出てくるだろう。そして、それは日本における動きに呼応する。現在の日本の閉塞状況を打開するヒントが見つかるかも知れない。

***

夕方、図書館に行って、また7冊借りてきた。借りる前に6冊ほど返した。『JR』は重すぎるので、後で返すことにした。



先日の『古本屋散策』と『出版状況クロニクル』は、リクエスト本にすることにし、リクエストカード用紙をもらってきた。

2019年10月17日木曜日

『言葉と歩く日記』を再再読。著者の多和田葉子さんはいずれノーベル賞をとると思う。



『言葉と歩く日記』(多和田葉子 2013年 岩波新書)を再再読。自前本なので、線をひいたりコメント入れたりして読んでいる。前回までは赤鉛筆だったので、今回は黒鉛筆。
表題通り、言葉に関する本なのだが、テーマを決めて章分けして書こうとすると、ナンセンスに思えてくるので、日記形態にしたとおっしゃる。言語は、他のテーマとともに、体にうったえてくる時のみ意味を持つと…

日記好きの私としては、我が意を得たりというところだ。多和田さんはこの時には、二重帳簿をつけていた。つまりこの本の元になった日記と、子供の時からの普通の日記。東日本大震災後の虚脱感を克服するための手立てだったのかも知れない。
今回の颱風による大雨被害の報道を見ていると、また2011年に戻ったような気がして、やっと薄れてきたトラウマが復活してしまうような気がする。この克服には、ナニカをしないといけない。

***

夏風邪のなごりと、颱風のつかれで、気分は最悪で、ほとんど一日寝床で過ごす。少し回復したので、頑張って買い物に行って来た。夕食のおかずに珍しい生サンマ一尾98円。
塩焼きにした。新鮮で美味しかった。



このサンマの写真を、このあいだ更新したiPhone7Pで撮ったのだが、写真のフォーマットが、heicとやらになっていて、PC上での加工が自由にできない。仕方ないので、設定でjpgに戻す。heicのほうがサイズが小さいのだが…

2019年10月16日水曜日

ドゥマゴ文学賞の受賞作は『古本屋散策』(小田光雄さん)、その受賞記念対談に行ってきた

夏風邪(?)のなごりで気分があまり良くなかったが、かえって出かけたほうが良いかも知れないと思い、渋谷まで行ってきた。



BUNKAMUERAドゥマゴ文学賞の授賞式。第29回で毎回変わる一名だけの審査員は鹿島茂先生、受賞作は『古本屋散策』という小田光雄さんのスゴイ本。小田さんのことは今まで知らなかった。「読み書きの職人」として、ひっそりと「居職」の仕事を続けた…とパンフレットの「受賞の言葉」にある。17年かけて主に古本屋を歩いて調べた出版事情(どちらかと言うと悲観的な)を書き綴った本。彼の『出版・読書メモランダム』(ブログ)も有名らしい。その中に含まれる「出版状況クロニクル」は、今度まとめて本になる。
http://odamitsuo.hatenablog.com/

鹿島先生の書いた『古本屋散策』の書評はこちら。
https://allreviews.jp/review/3784




授賞式前の対談が面白かった。
古い本はどうしても現物に当たらないと、出版社の住所や、編集人の情報がわからない…。
最近は全集物の古本が安い。場所をとるので古本屋も早く売りたいし、読者も邪魔なので買わないから。志賀直哉全集が980円だったことがある。
筑摩書房が左前になり、企画中だった「大正文学全集」全50巻は出版されずじまい…もし出版されていたらもっといろいろなことがわかったはず…。
http://odamitsuo.hatenablog.com/entry/20160522/1463929197
などなど。ともかく、小田さんのように本に埋もれた生活をしたいものだ。

対談終了後の授賞式とパーティーにも潜り込ませていただいた。スポンサーの中にメルシャン社があったおかげで、おいしいシャンパンとぶどう酒をいただいた。

小田さんの本、『古本屋散策』と『近代出版史探索』はぜひ読んでみたい。お許しを得たので、もより図書館で購入依頼をするつもり。

帰りに、王将の餃子を30円引きで購入。うまかった。出かけたおかげで体調も良くなった。シャンパンのおかげかも知れない。

(後記)小田さんもブログでお書きになっているが、こんな大正文学全集はある。もより図書館にもあった。
https://www.amazon.co.jp/dp/4897148901/ref=cm_sw_r_tw_dp_U_x_EXYPDbXYQXJSB

2019年10月15日火曜日

秋の寒さで夏風邪再発!?

今朝の林檎。秋陽(たぶん)。



***
『ロケット・ササキ ジョブスが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』を読み終える。

東西冷戦終了のせいで、米国の政治的配慮による手厚い庇護を受けられなくなった日本経済界が、なぜ没落したかをシャープの例をとって、推測させる1冊。
ジョブズや孫正義が本当に佐々木正に憧れたかどうか、別資料にあたるつもり。

佐々木正を美化してかいてあるが、彼は「技術者」のプロダクトアウトな性癖を最後まで捨てきれなかったのでは、ないだろうか。そして、シャープの末路を考えるともっと複雑な気持ちになる。しかし、こういった栄枯盛衰は、どんな会社も避けられない。

自分が、最後まで同じ会社にいたのは稀有なこととしか思えない。良かったか悪かったかはまだ不明。

***

昨夜辺りから、金木犀の良い香りがしている。一方、気温が下がり、風邪がぶり返した感じ。早寝。

2019年10月14日月曜日

木村泉先生には感謝の一言しかない

『ロケット・ササキ ジョブスが憧れた伝説のエンジニア・佐々木正』(大西康之 2016年 新潮社)を読み始める。90頁まで。人となりがよく分かるとは行かないが、ともかく今まで知らなかった佐々木正の業績がわかるという面では役立ちそうな本。小型Uボートでレーダーの設計図を持ち帰るところなどは、もっと書いて欲しかった。ともかく、彼が本当に腕を振るうのは、これからだ。ヒッピーのジョブスにはもう会っている。臭う大男だった(*^^*)


***

ノーベル物理学賞のことを考えていたら、ディラックのことが調べたくなった。特に、彼の変人ぶり。

https://archive.org/details/faustincopenhage00segr

Internet Archiveの本を読み始めたが、なかなか進まないので、図書館に頼ることにした。これを借りることにし、予約した。学生時代にDiracの量子力学の教科書は眺めたが、また読む元気はない。



***

夕方、木村泉先生が亡くなっていたのを知った。お会いしたことはないが、会社時代に、SEの教育のために、木村泉先生の訳された本を何冊か使った。

『プログラム書法』、『ソフトウェア作法』。内容よりも、書店から届いたこれらの本数百冊を汗をかきながら、階上の教室に運んだのが記憶に残っている。

そして、『スーパーエンジニアへの道―技術リーダーシップの人間学』(ワインバーグ)が最も懐かしい。研修の企画や実施準備で何百回読んだかわからない。何度読んでも新しい発見があった。これだけ影響を受けた本は、人生のうちでもあまりない。



情報処理学会の紹介ページ。
https://www.ipsj.or.jp/award/2011/1kimura.html

2019年10月13日日曜日

台風疲れだが読みたい本は待ってくれない

台風一過の晴天。暑いくらいだ。ただし、被害は甚大。河川の氾濫は続いている。ベランダから室内に取り込んでいたものを戻した。木の葉や埃で汚れた物干し竿を雑巾で拭く。



朝食後、近所を歩いて、店舗の開店状況を見に行く。電車が動き始めたばかりなので、人手が足りないらしく、開店を遅らせる店が大半。夕方にもう一度行ったらほぼ通常通りになっていた。

***

『翻訳家たちの挑戦 日仏交流から世界文学へ』(澤田直・坂井セシル編 2019年 水声社)をななめ読み。昨年4月に日仏会館であった「世界文学の可能性、日仏翻訳の遠近法」というシンポジウムの記録集だそうだ。なので、難しくて、全ては読みきれない。多和田葉子さんや堀江敏幸さん、吉川一義さんなどのお名前に惹かれて、借りてきた本だ。吉川さんの『失われた時を求めて』論がおもしろかった。翻訳に絡んで多種多様なことを徹底的に調べ、訳文の調子にも気を配る、これを長大な全編に渡って繰り返すのはさぞ大変なことだろう。

序文でフランス国立図書館のオンラインページGallicaの紹介がされてあったので、行ってみた。国会図書館のデジタルコレクションに似たこともできる。『失われた…』のデジタル化されたものも眺めてみた。ここの本たちも自由に読めるようになれば、ますます私の書庫が拡大する。嬉しい。
https://gallica.bnf.fr/ark:/12148/bpt6k1049566j/f21.item.zoom

ところで、ノーベル物理学賞の方が書いたこの本もよまなくてはイケナイ。
https://archive.org/details/principlesofphys00pjep

***

ラグビーワールドカップはスコットランドにも勝って、予選通過。ジャイアンツは日本シリーズにでることになった。

2019年10月12日土曜日

バルテュスに関する本を読んでいたが風が強いときはうるさくて頭に入らない

今朝の林檎。今シーズン初の「早生ふじ」。「早生ふじ」は品種名でなく総称なのだそうだ。ともかく、香り高く甘い、王者の風格。


***

林檎を食べる前の読書。『評伝バルテュス』を、惜しみつつ読み終える。
201頁。グラン・シャレーのアトリエは別棟のバラック風建物だったらしい。「職人」を自称するバルテュスは「芸術家は職人の仕事を支えとする…」などと言っていた。
アトリエ内は、無筒所の秩序で本人しか目的物を探し出せなかった。しかもそれは素早い。「猫と鏡」三部作。三部作が好きな人だった。
211頁からは、「語録」となった。著者の病気のせいだろう。
「自然を無視するな、多くを与えてくれる」、「シャルダンは物の肖像画家」などなど。
220頁。バルテュスは、輝く官能美の画家であり、おだやかな大自然の画家でもある。
224頁。この本の原本は、1996年、ガリマール社から出た画文集。1997年に河出書房新社から『バルテュス生涯と作品』として出ている。
読みながらとったメモは7枚になった。

***

『バルテュスの優雅な生活』(節子・クロソフスカ・ド・ローラ 夏目典子・芸術新潮編集部編 2005年 新潮社)も読んだ、というより見た。「おだやかな大自然の画家」の面の画がやや少ないが、楽しめる本だ。

***

昼間はほぼ雨が降り続け、夕方から風も強くなってきた。おまけに、地震まで発生(トイレにいたのであせった)。

8時過ぎが一番風が強く、9時になった今は、風がぴたりと収まった。台風の目?まあ、ほぼ通り過ぎたようだ。我が家には大きな被害なし。三軒茶屋の息子や、二子玉の友人や、日野の友人が浸水被害にあっていなければいいのだが。
怖い台風だ。

2019年10月11日金曜日

台風前夜の静けさ

非常に強い台風が近づいている。明日は外出できなさそうなので、いろいろ準備をする。感じとしては大晦日。
昨夜、まず、Mac OS Catalinaというのをインストール(アップグレード)した。最後にハングアップしたが、強制終了させて、(電源を切った、)再起動したら、終了した。その後大きな問題なく使えている。Catalinaという名前のハリケーンがあった気がしてきた。


***

『父と娘の歳月』をほぼすべて読む。反骨精神の塊の二人に拍手。

***

昨夕買い残した食料品を求めに、強い雨の中を駅前スーパーに向かう。パンを買おうとしたが、ほとんど売り切れ。まだ、午後3時なのに、皆出足がいい。半斤でなくそのまた半分のを買う。

帰って、一休み後、ベランダの片付けを行う。風で飛びそうな物は、室内に入れ、重い植木鉢類は風が当たらなそうなところに片寄せ、スチールの物干し竿はベランダ床の隅に横たえる。まあ、大丈夫だろう。スマートフォンは全部充電。空きペットボトル数本に水道水を詰める。

***

あとは、台風のお手並み拝見。我が家のそばには川はないし、二階部分なので、浸水の心配はない。雨水に注意するだけ。防音工事済みなので、窓ガラスは分厚いので安心だ。

いまは、雨がやみ、虫の声が聞こえる。明朝から嵐になる予報。首都圏の電車は明日午後は全部止まりそうだ。

2019年10月10日木曜日

台風に備え『JR』、二段組900ページ強を借りてきたが、読み終えないうちに行っちゃうね

『評伝バルテュス』をまたも、朝に読む。165頁、彼の住まいは、パリのロアンの袋小路、モンテ・カルヴェッロ城、メディチ館、シャッスィー、ロッシニエールのグラン・シャレーなど。たいてい住まいは自分で指揮して手入れをしてから住む。それぞれ画の背景にもなるので当たり前とも言える。メディチ館では館長として組織の手入れもしただろうから、大変だっただろう。
179頁。「東方より来た奥方」、これは章の名前だ。節子夫人とは1962年に知り合って、1967年には結婚。
180頁。このころの代表作。「トルコ風の部屋」(メディチ館?)、「黒い鏡を見る日本の女」、「朱色の机の日本の女」
199頁。グラン・シャレーの藤棚の机の上で、クロード・ロアはこの本の原稿を書いている。現実に文章が追いついた。

***

午後までに、『想父記』(寿岳章子 1993年 人文書院)を読んだ。政治的活動もきっちりやる両親と娘。息子の天文学者潤氏は一線を画す。

『父と娘の歳月』(寿岳文章・寿岳章子 装丁栃折久美子 1988年 人文書院)も途中まで読んだ。この本が出たときはまだ文章先生は存命だった、多分、栃折久美子さんの装丁に美しい和紙のモチーフが使われて、ご満足だっただろう。


***

夕方、台風に備えて、買い物にでかけた。スーパー二軒をまわり、明後日までの食料品を買い整える。ついでに、図書館にも行き、三冊借りてきた。この『JR』という小説は、二段組で900頁以上ある。べらぼうだ。二週間の期限内には読めないだろう、延長が必要かも。

2019年10月9日水曜日

「秋陽」は美味しい林檎、林檎を味わうようにバルテュスの画も味わいたい

今朝の林檎は、山形産の「秋陽」。適度にジューシー、酸味も甘みもバランス良くあり、おすすめですね。これは500グラムくらいある大玉。模様がきれいだが、人工的なのか?



***

林檎を食べる前に、『評伝バルテュス』を朝読書。
126頁。1951年の「窓、ロアンの袋小路」、静謐な朝の室内と窓から見える路地の向こう側の家の壁、空が明るくなりかけて、直接には見えない朝の光を感じさせる。
131頁。「牛のいる大きな風景」1958年〜60年。そもそもこの評伝はオリジナルでは画文集だったようだ。オリジナルが見たいぞ。
144頁。「蛾」1959−60年、存在の無重力状態。
163頁。マルロー(文部大臣?)の推薦により、ローマの「メディチ館」の館長に就任。

***

数日前に借りてきた本の別の1冊。『大きく考えようー人生に役立つ哲学入門』(ペーテル・エクベリ 枇谷玲子訳 2017年 晶文社)を読んだ。若者向けだが、「自分で考えること」をすすめる、力強い本。日本にもこんな本はあるのだろうか? 『君たちはどう生きるか』があるのかも。枇谷さんの訳の『きのこのなぐさめ』も図書館で予約した。

***

ノーベル物理学賞のピーブルス博士の業績(銀河のポテンシャルを調べるとダークエネルギーが必須となる…)を調べているうちに、ノーベル化学賞の発表。リチウムイオン電池の旭化成名誉フェローの吉野彰氏(71)が受賞。

***

息子様のCDとBDをダンボールに退避させ、空いた棚に先日発掘した文庫本と新書版の本を並べた。またあとで、並べ替えるのが楽しみ。


2019年10月8日火曜日

週刊ALL REVIEWS Vol.17 (2019/9/30-2019/10/6)、無事に出ました\(^o^)/

週刊ALL REVIEWS、5週間に1回、巻頭言を書く順番が来る。

短い文章なのだが、毎回何を書こうかと考えこむ。予め書いておこうと考えたこともあるが、かえって書いた後に考えすぎて、直しをたくさん入れると、支離滅裂になってくるので、ぎりぎり、前の日になって考えることにしている。潜在意識の奥底では数日前から、文章が練られている雰囲気があるが、それをあまり早く形にすると、水から上げた魚のように鮮度が下がるようだ。外山滋比古さんが似たようなことをお書きになっていた気がする。

***

週刊ALL REVIEWSは本来、ALL REVIEWSに前週どんな書評記事が追加されたかを知らせるものなので、それらの書評に絡む記事になることが多い。今回は鹿島先生の書かれた、抄訳本の『失われた時を求めて』の書評があり、話題はここから取ることに決めた。そして、今週末には、月刊ALL REVIEWSで、高遠先生と鹿島先生の『「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読』(長い題名の本は、最近はやっているかも。)に関する対談があるので、これも軽く紹介したい。

高遠先生によって現在翻訳進行中の『失われた時を求めて』を読むにあたっては、かなり思い入れがあるので、これを主たるテーマにしたい。

この3つが決まったので、あとは自らが書くに任せる。割とすんなりと、1時間位で原稿ができた。600字くらいで、長さも適当だ。月曜日の午前中はこの作業にあてた。午後、この仕事用のSlackチャンネルに、原稿をあげて、他の巻頭言執筆者の批評をいただく。直しのコメントはいただかなかったので、メールレター化の作業を編集長のYさんに依頼。

今、ちょうど火曜の夜9時。そろそろメールが出たはずなので、見に行ってくる。



無事に出たようだ\(^o^)/
あとの心配は、台風。それてくれないと月刊ALL REVIEWSの対談が出来なくなる恐れがある。

***

しつこいが、週刊ALL REVIEWSの購読申し込みはこのブログの右上から出来ますよ。

2019年10月7日月曜日

『評伝バルテュス』、メモを取りながら読みたくなる

『評伝バルテュス』。続きを読む。今日は125頁まで。いつもの読書ペースより遅いが、京大式B6カードにメモをたくさん取るせいだ。普通の読書だと禁じ手だが、(感興が薄れる、)この本の場合、メモを取らずにいられない。今日で、カードは4枚になった。全部読み終わったら10枚くらいになりそうだ。

***

99頁。自分のは単なるジャポニズムではない。そしてシエナ派に通じるところがある。最近だとクールベ。晩年の「モンテ・カルヴェッロ城」参照。「隠居の自然」は大きな安らかさ。
104頁。ロッシニエールのグラン・シャレー(晩年のアトリエ兼住居)はまるで日本の大建築のような雰囲気だ。そして、京都での授賞式で日本の「モダン」な女子学生に会う。これが節子さん。1992年。
107頁。「風景画」、想像力において人間は自然に勝てない。
109頁。1940年。シャンプロヴァンスの「さくらんぼの木」その調和を見よ。
110頁。1943年。「ゴッテロン峡谷」は暗い絵。「美しい日々」は暗い中の明るさを見せる夜の絵。
111頁。「モンテカルヴェッロの風景」、「山」、「羊小屋」。
115頁。デッサンをきちんと保存しなかった失敗。
116頁。デッサンの快楽は晩年に意識した。それは「心の日記」だ。118頁。

***

朝食後に、何気なくBSプレミアム再放送で観た、「運河の暮し」。定年直後のフランス人夫婦(年金月20万円)が、パリからアムステルダムまで800キロを住宅を兼ねた船で旅する話。時速8キロなので、100時間航行、2ヶ月位かかる。そこに「自由」な暮しを見つける。このビデオ番組は放映当時人気があった。今見てもオモシロイ。ちょっと憧れる。もう遅いが。しかし、流れる水に身を任せるのは良いことだ。こちらも、彼らと同じような気持ちで生きてみたい、いや生きている。
この二人、この初めての旅(2001年初放映)で、日記を書き始めたが、今でも書いているのだろうか。

***

SIMカードが届いた。iPhone7Pに入れてみたら、あっけないくらいに、すぐ繋がった\(^o^)/

2019年10月6日日曜日

『評伝バルテュス』の文章は気に入った、翻訳だけれど

『評伝バルテュス』。続きを読む。まだ節子さん(奥さん)は出てこない。本人がまだ若いから。
ともかく、この評伝を書いた方はすごい筆力だと思う。簡潔なのにイメージ喚起力が抜群。ゴンクール賞(詩部門)やアポリネール賞を取っているので当たり前だ。

54頁。15歳から17歳位の絵。1923年「少年の肖像」。1924年〜25年「ぶどう栽培の男」。1925年「初聖体拝受の少女」。1925年「プロヴァンスの風景」。見たい。

56頁。1923年のリルケからのクリスマス・プレゼントはダンテの「神曲」。もちろん熱心に読む。1924年、パリに移り住む。1926年、フィレンツェ、アシジ、アレッツォで過ごす。途中リルケのミュゾットを訪問。フィレンツェでは皿洗いのアルバイトをしながら絵の勉強。

59頁。パリでの絵。1927年〜28年。「オデオン座広場のカフェ」、「ポン・ヌフ」、「セーヌ河岸」。

63頁。不器用さと素朴さは、夢と稚拙の贈り物。

65頁。1930年〜32年。兵役につく。モロッコで。

99頁。ロラン・バルトの『表徴の王国』のような日本観。

絵を見たいが、図書館には画集がない。Youtubeで少し発見。
https://www.youtube.com/watch?v=_YPDymHbIhQ

この評伝ではまだ出てきてない、節子さんの出てくるビデオ。
https://www.youtube.com/watch?v=Q5ZmVlEj0l0



これを見て、話を聞いていると、一瞬自分にもフランス語が分かるような錯覚に陥る。日本人のしゃべる仏語だし、なにより、ゆっくりしゃべる。字幕を出して聞いてみると、半分くらいの単語は捉えている。
しかし、別のビデオ。例えば、バルテュスの少女像のモデルをした方、のフランス語を聴くと猛烈に速くて、聞き取れなかった。ガッカリ。

***

昨日注文した、iPhone7用の格安SIMピンはカードは、今日午後発送したと、メールが来た。明日には届くかも。

2019年10月5日土曜日

『評伝バルテュス』は見つけものだった、オモシロイ

今朝の読書。『評伝バルテュス』(クロード・ロワ 與謝野文子訳 2014年 河出書房新社)を50頁。オモシロイ。

30頁。12歳のバルテュスは母親と兄とともに1920年にジュネーブ、21年にベルリンへ。リルケにその才能を認められている。父親(離婚)、母親ともポーランド出の芸術家。「莊子」を読み耽る早熟児。

35頁。可愛がっていた仔猫のミツを失う。その猫の絵を書く。リルケの猫はミノ。後に、1935年「猫たちの王」、1949年「地中海の猫」を描く。後者の猫は本のカバー絵になっているが、魚をナイフとフォークで食べようとしている。



兄と、女中さんの寝言を聞いて記録して楽しんでいるような変わり者。タンタンも好きだった。

41頁。自然の見方を中国や日本の芸術に学ぶ。対立でなく自然と一体になる。

46頁。「絵のレッスンは受けていない…」と母親。でもボナールは絵を絶賛した。母親の目は手放しの愛情で曇るのでなく、かえってバルテュスの将来を見透かす。ルーブルでプッサンの絵を模写したときも母は褒める。

***

昼から、息子殿がやってきた。彼は先週iPhone11を購入したので、それまで使ったiPhone7Plus(SIMフリー)を譲ってくれた。

今まで、やはりお下がりのiPhone6Plusを使っていたが、7Plusに変更しなければならない。UQモバイルの格安SIMを使っているのだが、少し手こずった。データなどの移行はあまり迷わずできたが、SIMカードを移したら認識しない。インターネットに相談して得た結論は、iPhone7用のSIMは6と違うということだ。大きさ(ナノ)は同じなのだが。

結局、SIMカードの更新が必要との結論に達し、Webで注文した。更新手数料は3千円プラス税、計3300円。ちょっと痛い出費だ。何回かデザートを我慢しなければならない。

***

ラグビーワールドカップ。日本はサモアにも勝利。ひょっとするとベスト8に行くのか。