2016年12月31日土曜日

大晦日今年の憂さは中掃除

 ある忘年会で友人が言っていた。「家庭内のもつれた糸は無理してまで完全には解きほぐすな。」
 仕事など人事全般にもいえそうだ。

 易経のことを調べているが、黄小娥先生の『易入門』を読んでいたら、ヘッセの『ガラス玉演戯』からの引用が出てきた。

 さっそく調べてみた。夜中なので本を取りに行くのは面倒なので、Kindleで捜した。Kindle Unlimitedにあった。ラッキー。(今朝本を出してみたら、出所は同じでした。高橋健二訳) 以下は黄小娥先生がふれておられた、Kindle本のなかの一部。



 (このような引用も許されるかな。iPadの画面キャプチャーを使いました。不都合なら取り下げます!)

 クネヒトの修行時代の先生の一人が、易をクネヒトに教えた。クネヒトは、易をマスターしそして易のエッセンスをガラス玉演戯に取り入れようとする。
 
 『高い城の男』よりは、易の取り上げ方が上手い。

 易の卦は、最近私が考えている「呼び水」の一種とかんがえられるだろう。問題を真剣に探求しているとき、解決への道(知恵)は実は自分の中にある。そして卦という「呼び水」により、隠された知恵が表面化し、意識の表面に登ってくる。

 修行しなさい、と師が弟子に言うとき、「呼び水」の捜し方は最初に伝授する。それ以上は教えない。弟子の内部に本来の知恵が育っていないと、「呼び水」は無益な、いや有害なものになる。
 本来の知恵を自らのなかに育て、「呼び水」の作用で泉のように流れ出すように弟子が努力することを修行と言う。

 年末大掃除も「呼び水」の一環かもしれない。
 知恵あるヒトは大掃除によって、スバラシイものを自分にもたらす。単にキレイにするだけが大掃除ではない。

 そして人事に関することは、ときには掃除しないでなりゆきにまかせる必要がありそう。

 昨日拭いた窓ガラスを、今朝の日光で透かしてみると、少し汚れが残っている。これはまた拭いておきましょう。

2016年12月30日金曜日

歳末の掃除はかどる寂しさや

 忘年会ラストは、高齢おじさまたちとの恒例人間ドック終了後。体調不良が治ったので、ドック終了時の医師のアドバイスも余裕で聞き流した。勇躍外国人観光客もそぞろ歩く新宿の街へ。

 終了後、ロマンスカーに乗り、しあげの飲み物とつまみとで、一人宴会をしながら帰るのが無上の楽しみ。

 乗り換え駅のホームで、手袋をはめていたら、後ろから肩をたたかれた。振り向くと上品な女性が笑みを浮かべている。夢かと思ったが、「これを落としましたよ!」と私の手に、アメを乗せてくれ、立ち去っていった。飲み屋のレジでくれるおまけのアメを手袋を出すときに落としたのだった。

 アメをしゃぶりながら帰る。

 夜中に目をさまし、『高い城の男』で、しきりに取り上げられた「易」に関する本をKindleで捜す。

 『黄小娥の易入門』(黄 小娥 著) がKindle Unlimitedで読めるのを発見。さっそくダウンロードして読み始めたが、数ページで眠気に負けてダウン。
 今朝、続きをかなり読んだ。易の基本がわかりやすく書かれている。文章に品がある。アメのオバサマのような感じ(何が??)。昭和37年のベストセラーだったのも頷ける。郷里の本屋で立ち読みしたのを思い出した。



 硬貨6枚で占えるそうなのでやってみよう(^^) 「易経」も読んでみよう。

 年末大掃除は、珍しく事前にかなりの部分をやってあるので、あとは窓拭きと照明器具のホコリ払いくらい。楽勝だ。捗ったのは仕事量が減って家事に時間が費やせるようになったからだ。寂しくもあり嬉しくもある。まあ、体が丈夫なだけでもよしとしなければ。

2016年12月29日木曜日

今年の忘年会は終わりです

ベランダはいまも花盛り


 薄ら寒い一日。

 人間ドックに行きましたが、まあ普通の採点。新宿の街も普通ににぎやか。

 『高い城の男』、読み終えたが案のじょう考えさせる結末。余韻の大切さを考えさせられました。

 今年も、いや今年は、しんどい年でした。来年も今年程度のしんどさなら嬉しいな!

 

2016年12月28日水曜日

大瀧詠一と寅さんで年が暮れそう

 昨日購入した『大瀧詠一 40年史』を読みふける。

 内田樹さんとの対談が秀逸。大瀧師匠の「どーだ感」が、好ましい。真の知識があるヒトは、説得力が違う。何かを研究するとはこのようなことだ。手本にしたい。虚空蔵求聞持法が入りそうだが。

 相倉久人さんとの「分母分子論」対談も面白い。日本の海外文化輸入とその矮小化の歴史がうまく説明されている。
 途中から、Youtubeにある、参考資料をさがす。

 「日本ポップス伝」は、「1995年8月7日~11日の5日間にかけてNHK-FM「夏の音楽特別講座」にて放送。」されたものだそうだ。貴重な音源が聴けるし、なにしろ大瀧師匠の語りが面白い。あと、四回分(各回90分(*_*))を聴かなければ。

 関連動画で紀の国屋バンドの「雨想」を聴く。スバラシイ。高崎昌子さんは今でも当時のようないや当時以上の歌唱力なので、もっとスバラシイ。

これは再発されたCD「STREET SENSATION」

 そうこうしているうちに、偶然Amazonビデオのサイトを眺めたら、「男はつらいよ」シリーズが、プライムでリリースされている。全巻ありそうだ。劇場でもTV放映でも何回も観たが、Amazonビデオで、手元のPCのp24インチハイビジョンで観るのも味があるので、また全巻観てしまいそう。

2016年12月27日火曜日

大瀧詠一特集誌の二割り引き販売は1月31日まで

 仲良し同士内輪の忘年会なので話がはずむ。皆トイレも近い。トイレに立つと、そこまで話していた内容に関連した別の話を思い出す。急いでもどり、その話をしてみる。連句の世界に近い。

 そんななか、「呼び水理論」というのを思いついた。ひところはどこにでもあった井戸のポンプ。しばらく使わなかったときには、乾いて水を汲み出しにくくなっている。バケツなどで、井戸ポンプに呼び水を与えると、また井戸水を汲み出せるようになる。

 われわれの頭の中の記憶を汲み出すポンプにも、呼び水的なものを与えると、深いところから記憶や知識が汲み上げられてくる。酒を酌み交わしながらの何気ない話の交換は、この呼び水になることが多い。

 ブログを書くという行為も、この「呼び水」になりやすい。一応は、何を書くかをはじめに思い浮かべて書き始めるが、書いているうちに、頭の中の記憶や知識が、汲み上げられ、最初の構想よりも深いことや全く違ったことが思い浮かぶ。それを逃さないように、手早く書き取る。

 使うキーボードやエディターは簡素なものがいい。これらの手段に関わっていると、せっかく思いついたことをわすれてしまう。
 外山滋比古先生はこのあたりの呼吸を、清流に棲む魚を捕らえることに例えていらっしゃったと思う。

 忘年会の前に、会場の近くの本屋さんに行ったら、こんな本を見つけた。



 『文藝別冊 大瀧詠一<増補新板>』(河出書房新社、2012年、1,200円の2割引き)

 この本が出た翌年に大瀧詠一さんは亡くなっている。ほぼ同年輩の彼の音楽への造詣は驚くほど深い。その情熱の理由をしりたい。これから目を通すのが楽しみだ。家人のママ友も本の中に出てくるといい。

 この本を買うという行為も「呼び水」であることに思い至る。

2016年12月26日月曜日

年末の快挙!、『世界の船』を二冊発掘


朝日新聞社、1,200円


 今回の年末お片付けの成果として、『世界の船’75』と『世界の船’76』の発掘があった\(^o^)/

 朝日新聞社が「世界の乗りものシリーズ」として、毎年、『世界の自動車』や『世界の翼』や『世界の鉄道』などを発行していた。今回見つけたものは、会社に入ってから(!)、帆船に興味を持ったので、「帆船特集号’75」を購入し、翌年も「日本の船の近代史’76」を購入したもの。

 写真(ほとんど白黒、歴史的写真が多いからしかたない、値段も抑えないと売れなかっただろうし)が主で、マニアックな写真説明と、記事が魅力だった。

 小学生、中学生時代にも何年かにわたり、『世界の船』や『世界の自動車』や『世界の翼』を買ってもらい、ワクワクしながら読んだものだ。したがって当時は、飛行機や自動車をみると、すべて機種がわかった。(どーだ!) ムツカシイ漢字や術語もこのシリーズでおぼえたような気がする。最近漢字を忘れてきたので、また読み返したいなあ。

 小学生時代の友人(実家がお菓子問屋)N里君が、おどろくほど、飛行機や戦車や船の絵(鉛筆画)を書くのがうまく、描いた画をもらったり、一緒に模型を作ったりしていたのが、きっかけで興味を持ったらしい。すぐ上の兄の友人のK合君は、船のソリッドモデル作りがうまく、当時もらった駆逐艦の模型をずっと大事にしていた。

 この時代の『乗り物シリーズ』や模型や鉛筆画は、なくしたり、実家の火災でやいたりしてすべて失ってしまった。


 会社に入って、少しカネに余裕ができたときに、趣味がぶりかえし、冒頭に述べた二冊を買ったらしい。その後。このシリーズは廃刊されてしまったようで、今本屋さんに行っても発見できない(*_*)

 Amazonなどで調べると、古本で少し出ているようだ。買い集めようかという気持ちもある。でも、値上がりするのは嫌なので、あまりおおっぴらにはできないなあ。

2016年12月25日日曜日

旨いご馳走を食べたら、ビデオを観て本も読む

息子様からのクリスマス・プレゼント\(^o^)/

クリスマス・イブのご馳走の準備では、よく家人と意見の相違が生じる。「(いつもより)高級な材料を使っているのだから、丁寧に調理し、見栄え良く盛り付けてね!」、「ハラ減ってるんだから、適当でいいでしょ。それより早くビールのみてー。」「サーモンはサラダの上にバラの花のように…。」
 まあ、なんとか無事終了。


 フィリップ・K・ディック(面倒なので(^^) PKD と略す)の『高い城の男』を読み続ける。チルダンという米国人骨董商とセレブな日本人夫妻との会話とチルダンの心理描写の絶妙な組み合わせ。

 同時並行でPKDをテーマとした様々なビデオを、Youtubeで観る。TEDもあるし、フランスで制作されたものもある。フランスでもPKDは人気あるんですね。いや、PKDの皮肉はフランスや日本でのほうが本国アメリカでより評価されやすいのかも。(あくまでも個人の主観的感想です。)


 このように(一般の)ビデオと小説を交互にみていると、媒体の違いに意識が向いてくる。

 ひとに見せられるビデオを実際に制作するのには大変な時間と金と手間がかかりそうだ。「ベンツSL220に乗って…」と一言書けば、セレブな感じを表現できるのが小説なら、実車を用意して通行を遮断してロケするのに何日もかかって10秒の作品を作るのがビデオだろう。

 コストパフォーマンスは圧倒的に違う。小説のほうが受け手を考えさせるという意味で、優れている。狙うところが違うといえばそれまでだが。

 われわれの仕事にもこのような事象は発生していそうだ。
 システムのプレゼンテーション(ユーザーインターフェース)の重要性はよくいわれる。ただし、システムの対象となる仕事上の概念をハンドリングするのに、気の利いた手段は他にもあるに違いない。
 システム・ユーザーのIT成熟度によって、話が異なってくるという厄介さも、ビデオと小説の関係に似ている。

 ところで、普段とちがう料理をうまく失敗せずに作るには、最終的な(食べる前の)イメージを、きちんと定義する必要がある。このイメージを定義するには言葉は非常に無力で、絵やビデオが強力なのは間違いない。やれやれ。

2016年12月24日土曜日

楽しくも悲しいそして面白いクリスマス・イブがやってきた

 浮世の雑事に追いかけられ、ブログの仕込みができてない。「等身大」の話でいきます。

 昨夜、香港から夜遅いキャセイ便で帰る息子様を羽田に迎えに行った。高速湾岸線でベイブリッジを渡り終えた頃、ガムを噛む奥歯に違和感。運転しながらこわごわ舌の先で探ったら、なんと右の奥歯の金属冠がはずれてしまっている。年末なのにとがっくり。

 今朝、いきつけの歯医者さんに駆け込んだら、歯の根がほとんどなくなっているので、来年そうそうブリッジにしましょうとのこと。
(ベイブリッジと歯のブリッジ。はは、面白い???)

 しばらく行かなかったのに、またまた歯医者がよいとなりそうだ。トーマス・マンもよく歯医者に行った話を(歯無しでなくって)、日記に書いている。(恐れ多いが)同病相憐れむとすると、やはりクリスマスの買い物は彼の『日記』か?

 さて、羽田の駐車場(成田でもおなじようなことに気づいたが)では、各階に各種の鳥(羽田だから?)のイメージが関連付けられている。今回は五階に車を駐めたが、五階の「鳥」はフクロウ。他の階にもそれぞれハクチョウやクジャクなどが割り当てられている。



 あとで、階数を思い出すのに苦労する人がおおいのだろう。フクロウと覚えるほうが忘れにくい。イメージのうまい活用。
 なお、車を駐めた位置(今回G531番だったが、)は、さすがにイメージが付属していないので、自分で携帯で写真を撮っておく。



 さて、帰ってきてから寝床の中でまたiPadのKindleアプリで『高い城の男』を読み続ける。昨日も書いたが、フィリップ・K・ディックの風刺のきいた小説を読んでいると、笑いをこらえるので苦しい。『猿の惑星』の原作もそうだったかしらん。

 風刺をうまく交えたタッチで、映画を作り直して欲しい。(リドリー・スコットでは無理でしょうが、)ウディ・アレンなら出来る。

 易経を用いて行動の指針を得る場面が頻繁に出てくる。面白そうなので、自分でもやってみたくなった。クリスマス・プレゼントは筮竹

2016年12月23日金曜日

ビデオと小説のイメージ喚起力と現実変革力

 『高い城の男』を、忘年会に向かう電車の片隅で読む。フィリップ・K・ディックの筆力に引き込まれて、降りるべき駅に停車するまで気づかず慌てておりた。コンコースを歩きながら折りたたみ傘を座席に忘れてきたことに気づく。それくらい面白いということか。

 まだ邦訳を三分の一しか読んでいないが、昨日までに観たビデオ版から受ける印象とはあきらかに異質なものを感じる。小説で読むとビデオ映像から受けるやりきれない暗さが感じられない。

 リドリー・スコットは原作を読んで、自分なりの世界観に照らし合わせ、映像作品を作った。ほぼ彼の創作と言っていいだろう。そして彼の狙った効果は十分に発揮される。我々は混乱し、困惑し、世界の不条理さをたっぷりと味わう。この点でリドリー・スコットの思い通りである。映像のプロの技はすごい。しかしそこに、「やられた」感がある。

 小説から受ける印象は、乾いた、皮肉な、そして時にはユーモアすら感じられるものである。そして、フィリップ・K・ディックは知的な困惑を読者に起こさせ、読者自身が考えて、この世界の不条理性を把握することを促す。イメージを作るのは読者自身である。

 ビデオにせよ小説にせよ、「正しくない世界」を「より正しい世界」へと変革することを、受け手(視聴者・読者)に促す。

 どちらのメディアの受け手のほうが、社会を良い方に導くように動きやすいか? この種のことを考えるには、この『高い城の男』は良い題材である。これを提出したディックに拍手を贈りたい。



 今日こそクリスマス・ツリーの飾り付けをしないと。

2016年12月22日木曜日

自分へのクリスマス・プレゼントは松岡正剛先生に選んでもらう(かも)

30年もののツリーセット!

 『高い城の男』をAmazon videoで観た。『ブレードランナー』とは違った面白さ。フィリップ・K・ディックはやはり研究対象になる。

 原作を読んでいないので、Kindle本を買うことにする。ただし、原作とビデオは、第二次世界大戦で米国が負けてナチス・ドイツと日本に占領されているという設定は同じだが、内容はかなり違っているそうだ。
 
 ビデオを観たあとは、かなり重たい気持ちになり、胃痛がぶり返しそうになったので、暗いイメージを自分で排除できる小説本を読むほうが気楽かもしれない。

 ただし、ビデオを観ただけでも、この作品が提示する各種のテーマは勉強したいという気持ちを誘う。易経、第二次大戦中と直後の世界情勢、ユダヤ人への迫害、旧約聖書、などなど。小説を読めばもっと課題が見つかって楽しいだろう。
 
 最近は新しいことを学ぶには、まず、オンラインの百科事典(JKの世界大百科と日本大百科など)を見て基本知識を得て、つぎに読むべき参考書を松岡正剛先生のサイトに行って教わることにしている。ほぼハズレがなく殆どの著者や本についての知識が得られる。素晴らしいサイト。自分でもこんなサイトを作れればいいなあとも思う。
 
 今回のフィリップ・K・ディックについては、こんな記事が見つかった。この記事を読むと「エントロピー小説」という「ヴァリス三部作」も読みたくなる。
 
 かくして勉強プロジェクトのバックログは毎日溜まっていく。まあ、借金のようなもので、溜まるほど尊敬されるような気もする。
 
 年末のこの時期には、古いクリスマスツリーを出して飾り付けながら、自分へのクリスマス・プレゼントも考える。大抵は少し値のはる書籍である。今年の第一候補は『トーマス・マン日記1946−48』。中古で8,000円。二年ぐらいかけて読むので、ものすごく高いというわけではない。フィリップ・K・ディックの本たちも候補に入れるか?悩ましい。

2016年12月21日水曜日

OneNoteよこんにちは、Evernoteさん少し休んでね



 EvernoteのBasic版を5年ほど使用した。アップグレードしないと、常用端末を2台に制限すると通知が来てから、半年以上そのままで使い続けた。1ヶ月のUP容量は60MB。Web閲覧のメモと原稿の構想メモが中心なので、60MBで本当は十分なのだが、松岡先生のブログなど大きいものは要注意だった。

 そして、だんだんアップグレードを促す通知が、うるさく感じるようになってきた。医療保険のアップグレード通知(これは封書と電話だが)のように。保険の方は封書は捨てればいいし、電話にはでなければいい。Evernoteは使うたびにメッセージが出る。迷惑だ。
 
 いよいよOneNoteを使うことにする。やったことのメモ。

(1)インストール(は簡単。)

(2)Evernoteのデータ約3,000件の移行。普段はPCではEvernoteのWeb版を使っていた。(端末2台制限のカウント外だからね。) 移行のためのバックアップを作るため、PC版をインストールし、バックアップ。その後OneNoteで用意された移行ツールを動かす。30時間かかった。(MacBookProナノニ)

(3)Webクリッピングツールを、PCのChromeとSafariに埋め込む。

(4)iPadとAndroidにもOneNoteをインストール。簡単。

(5)Onedriveの容量は、基本15GBとカメラバックアップボーナス15GB。計30GB。いまのところ十分。毎回のUP容量制限はない\(^o^)/

(6)メモの作成速度はまあまあ。輻輳やサーバートラブルがなければ、十分使用に耐える。
(7)メモの閲覧性。慣れてきたら使いやすくなった。Evernoteのほうがエレガント。(悪くいうと素人には使いにくい。)

(8)大切な検索。まだあまりやっていない。これから評価します。Evernoteは使いこなせなかったなあ。

(9)慣れのスピード。Onenoteの方がはやい。MSOfficeに似ているからかも。(ちと悔しい。)

(10)iPad、Androidのアプリとの連携性。心配していたが、Evernoteに匹敵する。十分な機能を持っている。

(11)Evernoteから移行したデータの閲覧性はあまりよくない。旧データはEvernoteに残して、閲覧の補助に使うことにした。

 総じて、移行は成功と思いました。Evernoteさんごめんなさい。OneNoteさん、トラブルは起こさないでね、よろしく。

2016年12月20日火曜日

冷えと、胃痛と、木村蒹葭堂の功績




 発掘本。たぶん初めて買った全集本。『芥川龍之介全集(全二巻)』(春陽堂書店、1966・1967年)。

 二巻本だが、それぞれ3段組1,000ページ以上。索引もついた立派な全集。中性紙をつかっているのか、50年たった今も劣化していない。ただし、本文が現代仮名遣いなのが難。二巻とも1800円なのだが、高校生だったので親に支払ってもらったのだろう。当時八戸市の中心部にあるI書院は、つけがきき大いに助かった。

 この本を今朝持ち出したのは、「僻見」という評論を引用したいためである。木村兼葭堂のことが書いてある。芥川はこれを書いた当時に胃を悪くしていたらしい。旅行中に京都の博物館で、美術品をみながら胃の痛みをこらえていた。木村蒹葭堂(芥川は巽斎(そんさい)と別号で呼んでいる。)の山水画をみて、「しろうとじみた」駘蕩さをもった絵に惚れ込んでいる。(春陽堂版全集、第二巻、一八八ページ中段)

 昨夜、私も(というと恐れ多いが)、冷えから来る胃痛で目を覚まし、あわてて薬をのみ、あんかを使って温めて治した。眠れないので、本をよむのだが、たしかにむつかしい本は読めない。そこで、「僻見」の青空文庫版の電子書籍を読んで、眠気を誘うことにした。このようなときの読書は手軽な電子書籍にかぎる。

 「ちょうど大きい微笑に似た、うらうらと明るい何ものかはおのずから紙の上にあふれてゐる。僕はその何ものかの中に蒹葭堂主人の真面目を、──静かに人生を楽しんでゐるジレッタントの魂を発見した。たとい蒹葭堂コレクシヨンは当代の学者や芸術家に寸毫の恩恵を与へなかつたとしても、そんなことは僕の問うところではない。僕はただこのジレッタントに、──如何に落寞たる人生を享楽するかを知つていた、風流無双の大阪町人に親しみを感ぜずにはいられないのである。」(同、191ページ下段)

 芥川はこのときまだ若かったはずだが、蒹葭堂の隠居芸を楽しむ余裕は持ち合わせていた。これは彼の才能でもあるが、やや病弱な体と多量の読書と執筆上の経験から来るのだろう。

 私はこれから、この余裕を得ようと、(ゆるく)つとめたい。このためには胃痛の原因は冷えにあろうと推測する人生の余裕も大切だろう。



 ともかく、この本を20年以内(現在購入後10年経過)に読み終えることにしたい。

2016年12月19日月曜日

来し方、行くすえを考える

 三浦宗太郎の『岩手における転形期の群像』を、ひととおり読み終えた。もちろん、ブログに書いていないことやそもそも読み取れなかったことなどが多い。99%はそうだろう。しかし、1%は私の今後に影響を与えると思われる。

 読んで、ブログにまとめる中で、新しいテーマも見つかった。「民主戦線」他。

 昨夜は家人のママ友でもあり、元有名バンドのボーカルをやっておられた「高崎昌子」さんのライブにいった。

 2時間ほどのライブを楽しんだが、子育てを終わり、再度唄の道を歩もうとしている姿にも感銘をうけた。2,3年のうちに、声の力強さが戻ってきている。というよりは、年齢なりの唄の力を身に着けつつある、と感じた。
 
 老年期に入りつつある人間は、いかに生きるべきかが問われるが、その一つの答えを見つけてその方向に進もうとされているのは、同年代(いやちょっと上)の、私達にとって、非常に参考になる、そして羨ましい。

 ポイントは、自ら唄おうとするその姿であり、他人を楽しませるのに、自分の楽しみを用いるということだと思う。そして、若いときの唄への情熱を忘れないで、それを活用して年齢なりの努力をすることも。

 若いときの勉強は、年齢がいったときに、じわじわ効いてくる。その「効いてくる」ところを上手く楽しんで活用しなければ。こう思いながら、横浜の街を歩いて帰ってきた。

 彼女の最近のCD。STREET SENSATION
 もっと最近の動画はYoutubeで「高崎昌子」で検索するといくつか出てきます。私のオススメはYou've Got a Friendです。


2016年12月18日日曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その8(第三部下)

 『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 昭和21年には、5月以降の食糧危機との闘いがあった。それと同時に国鉄や新聞放送労組、電産労組のゼネストへの動き、それを支持する共同戦線の活動などを特筆すべきであろう。たとえば、十一月一日の「ゼネスト討論会」は盛岡文化懇話会の主催で行われた。

 筆者は荒畑寒村の著作をひきながら、共産党と労農派との確執を描写している。そのなかで、昭和22年2月のゼネストは空前の盛り上がりをみせながらも、マッカーサーの禁止命令のため、実施が断念されてしまった。

 休むことなく、その後すぐ行われた統一選挙へ、時代の波は進む。必ずしも民主戦線の思うようには選挙結果はならなかった。


 メーデーのあと、「民主政府樹立共闘委員会」は、5月11日拡大幹事会をひらき、今後の活動は民主協議会の形態をとり、名称は「民主団体連絡協議会」とし、政党と民主団体の活動分野を区別する旨を決めた。

 「若干の後退を余儀なくされた」(273ページ)と筆者は残念そうに書いている。

 上部構造だけでなく、下部構造も視野に入れた動きをこの本の後編として書きたいという希望が、あとがきに書かれているが、ついにこれは実現しなかった。(この項おわり)


荒畑寒村、『平民社時代』、『寒村自伝(上・下)』

 追伸 義父の書棚から譲り受けた書籍の中に、荒畑寒村の文庫本も発見した。今後これも目を通したい。考えることがあったら、ブログに書きます。
 

2016年12月17日土曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その7(第三部中)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 昭和20年秋以降、民主戦線を育て、民主的な人民政権の実現を願う運動の記述が続く。全国多数の民主団体・有志が、民主戦線に参加を表明する。
 岩手でも有志による、動きが始まった。筆者はその世話人として飛び回ったとみられる。ただし、社会党と共産党の県組織の動きはにぶい。

 その当時(昭和21年1月?)筆者が書いた論説が、「東北文庫 21年3月号」に掲載された。そのなかで筆者は「(労働組合やもう民組合が「人民協議会」という形をとるようになり、)ここに共産党、社会党、自由党、進歩党の政策綱領に拘束せられることなき人民大衆の、自由なる意志に基く運動が展開せられるのである。かくしてこそ始めて「人民政府」の樹立が可能となるであろう。」(202ページ)と述べている。

本と一緒にこんなCDも掘り出した いいねえ


 現代でも有効な考え方である。当時と今はこのような理想が実現できていないという点で共通性があり、一般の意識を考えると、かえって今は大幅に後退しているといえる。

 人民戦線はまとまらないまま、総選挙が行われ、岩手では自由党・進歩党の保守陣営が62%の得票を獲得、社会党・共産党は15%しか取れなかった。保守の地盤は固い。

 昭和21年5月、岩手の共同戦線は結成され、統一目標を掲げて活動をすることになった。本部方針をもとにした、「救国民主連盟」を作りたいとする社会党県連の態度が決定的となった。

2016年12月16日金曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その6(第三部上)




 『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 第三部は「民主戦線とその周辺」、社会党、共産党と民主戦線の関係性が明らかになることを期待しながら読む。

 昭和二〇年十月二〇日、社会党結党大会。十一月八日に共産党結成のための全国協議会が開かれ、岩手県からも参加者がいた。(161ページ)

 社会党盛岡支部は、十二月一日結党。県全体としての体制ができたのは翌二十一年九月二二日の県連臨時大会。農村問題、農民組合の結成に努力した、とある。(163ページ)

 一方、共産党は労働組合組織に重点をおいた。(164ページ)

 昭和二十一年十二月七日社、共、文懇、日農、全岩手産別会議等、民主団体共催の「生活権獲得吉田反動内閣打倒県民大会」においては、なんとか足並みをそろえて、「民主人民政府樹立共同闘争委員会」結成動議が、満場一致で決議された。

 このあと、共産党、社会党の知人を紹介しながら、両党への評価が書かれている。人間的、民主運動的なつながりは、どちらの党の人々に感じていたらしいが、共産党中央の「職業革命家」の権威主義や立身出世主義には反発を感じていたようだ。(181ページ)

 どちらの党にも非常に近い立場にありながら、入党はしていなかったのか。

 

2016年12月15日木曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その5(第二部下)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 第二部「文化運動とその周辺」の71ページで、
花巻における「光太郎詩碑「一億号泣」撤去」問題を取り上げている。もちろん、「戦争指導者の責任問題は、そのまま棚上げしておいて国民は号泣した」とするのは許せなかったようだ。そうして、「詩碑撤去は、岩手も恥の上塗りをせずにすんだというものであろう。」と結んでいる。(73,74ページ)

 その後の記述は煩瑣にわたるので、省略する。盛岡での自らおよび知人たちを含む人々の「文化活動」について、ページ数をとって紹介している。個人的な思いでとして、自宅にはよく知人が訪れ好きな日本酒を飲み交わしながら、夜を徹して話し込み、妻を驚かす話が書き込まれている。(77ページ)
 私としては義父母の姿が目に浮かび、懐かしさを覚える。

 執筆当時に特に親しかったと思われる人々からのその後の贈呈本が数冊、この本と一緒にみつかった。
 『啄木とその周辺』(浦田敬三、1977年、熊谷印刷出版部)
 『日本人の起源と沖縄』(小野隆祥、1972年、三一書房)
 『宮沢賢治入門』(「宮沢賢治批判」を含む、佐藤勝治、1974年、十字屋書店)
など。



 これらも調べて、面白そうなら紹介したい。次回は「民主戦線」の話に戻る。

2016年12月14日水曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その4(第二部上)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。
 
 第二部は「文化運動とその周辺」。「文化運動」?と思ったが、中身を読んで、了解した。この本の筆者にとっては、「文化運動」と労働運動や政治活動は切り離せない。あるいは、「文化運動」の一端として他の活動がある。その最大の理由は昭和二〇年八月一五日までの苦しい生活にある。

 「(敗戦直後の国内問題のうち)主要な命題は政治的には「天皇制存廃」「戦犯追放」の問題であり、経済的には「食料確保」「産業再建」の問題に要約された。」とある。(35ページ)
「戦後の民主勢力は、政治的には社会党と共産党、経済的には労働組合と農民組合が主な組織」とも述べる。(35ページ)
「この4つの民主団体と、密接、不可分」ではありながら、「全然別個なグループの中心に」居たと筆者は述べている。(35ページ)

 このグループは「文化運動」においては「盛岡文化懇話会」を組織し、民主人民戦線内では「文懇グループ」と呼ばれた。

 このあと、いわゆる「文化人」の戦争中の行動を批判している。高村光太郎や横光利一(筆者は「敬愛する」と書いているが)の戦争中の行動や発言に失望した旨の記述が続く。

『山荘の高村光太郎』(佐藤勝治、1,956年、現代社)著者の蔵書
また、前述の鈴木東民の「ナチスの国を見る」も紹介している。これは読んでみたいが、国会図書館に行くしかなさそう。

 この鈴木東民が編集局長だった、当時の読売新聞は「アカハタに近いといわれたりした」とある(42ページ)ので、今から考えると驚き!しかし、正力松太郎を中心とする会社側との労働争議に敗れ、鈴木は「岩手の民主戦線へ参加する」。(43ページ)

 「朝日新聞は新岩手日報との特殊関係(未調査 福地)から多くの記者を岩手に疎開させた」(45ページ)このため、終戦後の新聞業界のストで、新岩手日報だけがストを決行する事となる。
 
 このあと、筆者(三浦)の「文化運動」についての記述が続く。
新岩手日報、東北文庫への寄稿、「岩手出版文化協議会(筆者は幹事)」に参加した「生活者」誌の編集、文化人グループとの交流など。
 このあたりは、資料にあたって調べなければならないが、今のところそのような余裕がないので、将来への重たい宿題としたい。

2016年12月13日火曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その3(第一部下)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。



 2.1ストの直前、三浦宗太郎は某銀行従業員組合の労働組合講座で講演。終了時の質問への返答で
「このまま、米占領軍が傍観すれば、必ずストは決行されるだろう。」
しかし
「これまでの占領軍の労働行政をみれば、傍観するとは思われない。」
と答えた、とある。(24ページ)

 そして、その晩、共産党県委員会を訪ねたが、幹部はすでに姿を隠している。そこにいた委員に尋ねると、ストは必ず実行されると楽観的な見方を述べたという。
「この諸君に、果たして政権をまかせることが出来るか…。」と三浦宗太郎は不信感をもったという。(25ページ)

 三浦宗太郎の「占領軍の労働行政」への危惧が、28ページにある。
「(労働関係調整法などの行政的措置は)占領軍の行政目的を阻害しない範囲において、日本の労働組合が自由に活動し、かつ、助長、援助されるということ、ことにその教育面における効果が、根本的な目的であった…。」
 一方で、「労働組合側の盛り上がる闘争の力」はとどめることはできかねるとも、考えていた。

 
そして、1月31日午後。「連合軍の占領目的を阻害する行為」であるとして、ゼネストは禁止命令をうける。


 
 昭和22年4月に、選挙が行われる。3月には占領軍は「共産主義は国際的な民主主義の敵」として、共産党および同調者を排除する姿勢を示した。このため、岩手県内でも「民同派(社会党系)」が「組織的に動き始めた」(32ページ)。

 知事候補として鈴木東民が立候補、そして参院議員候補として若干37歳の三浦宗太郎が立候補したらしい。
 結果は「骨身にこたえるみごとな惨敗」(33ページ)。

 労働委員だった三浦宗太郎は総選挙後に改選を迎え、支持者はおおかったものの、「赤」のレッテルを貼られ、選任を忌避された。「岩手におけるレッドパージ一号というべきであろう。」と自らを評している。(34ページ)


 ここで、第一部は終了。「文化活動とその周辺」という第二部
にうつる。挫折後の心理と行動はどうするのか。続きは明日。

2016年12月12日月曜日

岩手における転形期の群像』の紹介 その2(第一部上)



『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 上記の本を読み始めたのですが、内容がよくわからない。まず、自分の勉強不足。そして、これは言い訳ながら、今で言うとブログのように、週刊紙に断片的に記事がかかれているため、前後関係や、背後状況がよくわからない。

 そこで、理解の手がかりになりそうな事柄の記述を抜き出して、自分なりに整理してみます。第一部の途中(22ページ)までの範囲です。

以下、出来事とその日付、カッコ内は三浦宗太郎の行動など
(1)昭和20年8月15日 敗戦放送(夜、圧迫の中を生き延びた感激で号泣)

(2)昭和21年3月1日 労働組合法施行

(3)昭和21年4月30日 岩手県地方労働委員会成立(会長となる。翌日の第一回メーデーで挨拶し労働協約と経営協議会の重要性を訴える)

(4)昭和21年8月 東北電気製鉄における組合紛争(労働組合の「経営管理」か、「御用組合」かの紛争、解決まで4ヶ月を費やす)

(5)昭和21年10月 ・金竜山炭鉱不当労働行為事件(労働委員会として解決に努力) 
            ・新聞・通信・放送のゼネスト決行の動き、中央ほかでは中止されたが新岩手日報労組ではスト実施
            ・全産別電算労組の実力行使(労働基準法なき労働関係調整法施行に反対声明)

(6)昭和21年12月 ・第一回労働委員会会長会議が首相官邸で行われる(出席、末広厳太郎博士(主催側)と「第二組合とその御用化」問題を議論)(注)「末広」 ママ 「末弘」が正しいと思われる
            ・「民主人民政府樹立共同闘争委員会」結成

(7)昭和22年1月 岩手県農業会医療従組の労働協約締結の斡旋(不調)

(8)昭和22年1月 2.1ストを控え民主人民政府樹立共同闘争委員会は「危機突破吉田反動内閣打倒県民会議」を開催、鈴木東民氏を知事候補として壇上に迎える

 本には、「「革命近し」の感を強く抱かせずにはおかなかった」と記述されている。

 当時の熱気が伝わってくる、三浦宗太郎は30台後半のはずだが、大活躍で盛岡・県内・東京など飛び回っていた様子。すごいエネルギーだ。

 さていよいよ、2.1ストなのですが、これから学習します。

2016年12月11日日曜日

『岩手における転形期の群像』の紹介 その1(序文、目次、あとがき)

『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、とうほくずうずうべん鼓社発行)。

 昭和37年の本、しかも造本には金をかけていないようで、傷みがかなりある。手製のカバーをかけ、少しずつコピーをとって読んだり書き込みをすることにした。
序文と目次と三浦宗太郎本人のあとがきと奥付をコピーして、眺めてみた。



 目次に書かれた大きな項目は以下の通り。
 「序文
 第一部 労働運動とその周辺
 第二部 文化運動とその周辺
 第三部 民主戦線とその周辺
 あとがき」

 あとがき によると
「一九六〇年一月から六二年二月まで六八回、二年余りにわたって、「週間いわて」紙上に連載した」とある。また、
「敗戦からすでに十七年、今書いておかなければ、」とも、ある。そして、
「欲すると否とにかかわらず、東西の谷間になるであろう日本のためには、思想こそ民族の背骨となる」と執筆の意図をあかす。

 序文を寄せたのは鈴木東民と鈴木彦次郎。以下敬称略。
鈴木東民は読売争議で組合長として正力松太郎などと対立。後に共産党入党、離党後、労働者農民党入党、釜石市長をつとめた。(Wikipedeaによる。
 この序文で、高野岩三郎と憲法調査会の思い出を語っている。高野岩三郎ははじめ、「天皇制の全面廃止と軍備の完全撤廃」を主張していたらしい。(私はこれは知りませんでした。勉強不足。)

 鈴木彦次郎は小説家、盛岡の文化人。「終戦時から昭和二十四・五年まで…この時代は、全国的にはげしく吹きすさぶ敗戦のあらしのうちに、新鮮な民主戦線の芽生えがたくましく頭をもたげる』時代だったが、この当時の記憶はすぐにうすれるが、三浦宗太郎のこの本の執筆はそれをおぎなうものだと評している。

 いよいよこのあと、本文を読もうと思います。

2016年12月10日土曜日

大掃除前哨戦たけなわのなか、義父の著書を発掘した


 昨日午後と本日午前をかけて、物置のような部屋を片付けた。狭い場所に荷物が詰まっていて、ワークスペースが少なく、片付けに余分な時間がかかる。
 とくに今年は古本の発掘をやるという目的もかねて作業しているので、途中で昔の本を読みふけってしまい、怒られたりする。

 そんななかで、今朝古いダンボールを開けたら、かなり前に亡くなった義父の蔵書がかなり出てきた。その中にこの本が隠れていた。

 『岩手における転形期の群像』(三浦宗太郎著、昭和37年、盛岡鼓社発行)。

 義父は民主主義活動をやっていたようだが、あまり良く知らない。この本と、一緒に出てきた幾つかの書籍を手がかりに、どんな活動をし、何を考えていたのかを推測してみようと思う。

 実は、退職後はこれを一度やっておかないといけないと思いつつ、生きるための日々を暮らしてしまった。今も状況は変わりないのだが、手付かずにしておくと、間に合わなくなるとの危惧があった。ここで少しでも、形にできると嬉しい。

2016年12月9日金曜日

イメージで考えるのは有効そうと考えたり、写真を活用したいのでまず検索からはじようと考えたり


昨日の雲の映像。随分多くの情報が読み取れる。個人情報は読まないでね。

 『How to Draw Ships and Boats』という子供向けの本を夜中にKindleでみた。これを真似して船の絵をかけそうだ。これからは絵を書けないといけないと思っているから。

 昨日『201 Vintage Boat Travel Posters with Links to Purchase Prints』という、豪華客船による船旅のポスターを集めた本を(やはりKindleで)みた。今だと航空会社や旅行代理店のポスターにあたる。

 ポスターのカタログなので、説明の文章は全くと言っていいほど、ない。しかし、ポスターを眺めていると当時の状況が伝わってくる。文章での情報量よりもこれらのポスターの情報量のほうが多いかもしれない。

 植草甚一先生は、ニューヨークに行く前に、ニューヨークの地図が頭に入っていたらしい。なので、いろいろな本屋さんに迷わず行けたらしい。村田蔵六は(先生じゃない)、蘭書(兵書)を読んで、たとえば歩兵の動きなどを俯瞰図的にありありと頭に思い浮かべることが出来たらしい。これは彼が天才だというわけでなく、物の考え方のコツを彼が自然と身に付けた結果なのだろう。(やっぱし天才か(*_*))

 イメージを媒介にして物事を考えるのは有効だろうと容易に想像がつく。もっと言うと、実はわれわれは具体的または抽象的なイメージを脳の中で操作して考えていると思われる。コトバでは「遅い」のである。

 一般の物理学者は数式で論理を記述し、数式操作で論理を展開するが、天才的(たとえばアインシュタイン)物理学者は、たぶんイメージで、アイディアを考えている。
 ITシステムを記述するのはプログラミング言語だが、ITシステムを構想・デザインするときは、イメージが先行する。説明のためやむをえず、イメージを何らかの形式で記述するが、十分には説明しきれない。

 アニメーション映画「この世界の片隅に」が現在話題になっている。原作者や監督はイメージで考えている。われわれは彼らの作り出した、彼らの原イメージよりは少し不完全な、にもかかわらず素晴らしい映像を観て、自分のイメージを作り出す。

 撮りためた写真が一万枚くらいある。芸術的ではないので、人様の目にはさらせないが、自分としては過去の資料として活用したい。まずは、画像検索ができるようにならないと。写真にキーワードなぞ付けてないし、やろうとしても無理。まずは、Google画像検索でも勉強するか。

2016年12月8日木曜日

年末進行はフリーランスも同じ、いやもっときつい


こいつら気楽そうだな(*_*)

 ブログ書きの仕事前に、フローリングの掃除兼ワックスがけを行った。毎年、12月には大掃除を少しずつ分割して行っている。他には窓磨きや照明器具掃除、換気扇掃除、障子張り(隔年)、片付け、ゴミ捨てなど。

 大掃除を一気にやると仕事に差し支える。特に今年はブログを毎日更新するつもりなので、ある一日に、大掃除作業を集中させるとマズイ。
 さすがに年末年始は仕事をしたくないし、人間ドックもいきたい。すると、ブログ記事を前もって書き溜める必要がある。そのため、仕事量は増える。これを計画的にやる必要がある。一方、自分が風邪をひいたり家族が腹をこわして医者に行く必要があるかもしれない。

 かくして、師走というコトバが現実味を帯びてくる。サラリーマン時代は、会社内で忙しがっていればよかったが、フリーランスはそうもいかない。あまり、真面目に頑張ろうとすると、過労になりかねない。ブラックだと訴えることもできない。経営者で労働者なのは自分だけ。それも体力が毎年落ちていく。

 自分でオールラウンドな調整を行う必要があり、これには頭を働かせる必要がある。「仕事」を計画的にやれる能力があれば、家庭の「仕事」も理論的にはできるはずだ。ありがちな、家人との衝突も会社員時代の上司先輩同僚部下のみなさんとのやり取りに比べれば、易しい(かな?)
 
 ワックスの乾くのを待ちながら、TVをながめると、来年の大河ドラマの関連で「女城主 井伊景虎」の話題を取り上げている。戦闘場面が少ないと面白くないという子供っぽい人もいるが、先年の「花燃ゆ」は好きだったので、今回の大河も期待したい。女性を特別視はしたくないが、社会の中で人間がいかに生きるかを、より鮮明に表現できるのが、このようなドラマと思う。

 さて、ワックスが乾いたので、敷物などをもとに戻します。

2016年12月7日水曜日

アシモフ先生の三冊目の自伝はブログそのものだ


左、アシモフ自伝 右、I, Asimov: A Memoir

 アシモフ先生の自伝的な本はいくつかある。『アシモフ自伝』(昭和58年(1983年)、早川書房、山高昭訳)は4冊もの。原書だと二冊本。64万語だそうだ(*_*)

 『It's Been a Good Life』はアシモフの死後、奥様のJanetさんが、自伝を中心に彼の文章を集め、彼女のコメントを付したもの。彼女も実は作家だった。なんとなく、辻邦生夫人のことも思い出される。

 そして、『I, Asimov: A Memoir』は『アシモフ自伝』のあと、彼が亡くなる直前まで書かれた、「三冊目」の自伝。『アシモフ自伝』は年代を追って書かれているが、これは、個々の事柄や人ごとに書かれた166個の短い文章を集めた自伝である。
 このような構成なので、英語で読んでも、非常に読みやすい。もともと、アシモフの文章はやさしく書かれているし。結構分厚いペーパーバック版を、二回通読できた。ドヤ(^_-)

 最近自分のブログの題材を集めることに熱中している。それより早く書きなさいというおしかりが来ないので、まだここにこだわっている。題材をストックしておけば、今のような自転車操業(その日のブログをその日に書き下ろす)から、あらかじめブログ記事をいくつも書いておくスタイルにできると思うからである。

 ということで、今朝も風呂に入っていて、アシモフの自伝を思い出した。『I, Asimov: A Memoir』は人と事物を主題とした短文の集まりである。個々の文章のテーマは、自伝的ブログの題材の大きな参考となる。

 たとえば、「神童」、「私の父」、「母」、「姉」、「宗教(ユダヤ教)」、「名前」、「図書館」などなど。アシモフはこれらについて饒舌をふるう。


 よく考えると、この本は、アシモフにとってブログそのものだ。1,2ページの短い文章の集まりであるが、現代なら、アシモフはこれをブログとして発表したにちがいない。読者の立場としても、ブログ形式のほうが、一冊の本になっているより、ある主題について素早く読もうとするときに便利である。もちろん通読したいファンは一冊にしたものを購入するだろう。


 私としては、このブログをいつか本の形にしたいと思っていたが、ブログ形式のままでもかまわないかなと思いはじめた。

 問題点は、ブログのバックアップと、永続性である。これはこれから検討する。その結果もブログ記事になるではないか\(^o^)/
 

2016年12月6日火曜日

トンカツと朝風呂でブログ題材のストック増加

 昨夜は6ヶ月ぶりのトンカツを、1人前の8割位たべられた。胃のもたれ感はたいしたことない。今日からビールを試してみる。回復してくると病気もいいもんだと思える。体質が変わって生まれ変わったような新しいいい気分。\(^o^)/

クリスマス。アドベント。去年の福引であてたポインセチア。

 忘年会のおかげで、ブログ記事の題材候補が昨日からどんどん出てきている。今日の朝風呂の中で思いついたアイテム。 

(1)昔はよかった四季折々のいい気分状況(冬、春、夏、秋)
(2)こどもだったけれど忘れえぬ人々シリーズ(eg.T内さんと手芸と母と兄、おまわりさんのXXさん(あとで思い出す)、大工さん)
(3)家庭電化製品が家にやってきた(電話、トースター、冷蔵庫、電気釜、洗濯機、TV)
(4)人間の記憶の容量は1PBという記事がある。科学的に考えるべし。仮説だから。
(5)寝床になぜ本を持ち込むのか、読まないのに(*_*)
(6)外国語との戦いはやめてゆるくたのしくコミュニケーションすべきと悟ってきた今日このごろ。年のせいか?
(7)芭蕉は知っていても読んでない、なんとかせい。

 もっと風呂に入っていれば、いくらでも出てきそう。でもカラスの行水なので、7つくらいでやめた。お、もう一つ出ました。

(8)家庭風呂の入り方、あるべき姿(なんてあるのか)と癖。銭湯との関連。

 これらを自分の記憶と心のなかに深くダイビングして発掘し書き出す。待ちきれないが、少しずつ書くのが吉。

 (7)ですが、芭蕉を読んでないので、読むことにした。てはじめは、青空文庫。検索機能が便利。Kindleに落として読む。たとえば、芥川の『芭蕉雑記』『続芭蕉雑記』、島崎藤村の』『芭蕉』。寺田寅彦『連句雑俎』。

 そして、本棚ジャングルから救い出してきた『芭蕉庵桃靑』(中山義秀、1975年、中公文庫)も時間がかかりそう(ムツカシイ)ながら読む。
 並行して「芭蕉七部集」も読み、俳書もいくつか読んでおきたい。

 こうして毎日が過ぎていくがこれでいいんでしょうね。

 書いているうちにFacebookのぞいて、次の題材見つけました。追加!
(9)スエーデンなどの社会民主主義の評価

2016年12月5日月曜日

ブログの書き方にも影響する、すごい忘年会コミュニケーション

 一昨日の忘年会で、私は最近ブログを毎日書いていると報告。なぜ?との無言の質問に、「将来、自伝として読んでもらえればいい。紙の日記より、人の目に触れやすい。」と言ってみた。
 思いつきの発言だが、こういった場で他の人と会話をしていると、思いがけなく、アイディアの種子となるコトバを発してしまうことがある。潜在意識が言わせているのかもしれない。

 昨夜、これについて考えてみた。

 自伝とするには、最近のブログ記事の内容は読書記録に偏りすぎている。ブログタイトルを「読書日記」に変えたためであろう。
 タイトルにこだわらず、なんでも書くことにしたい。
 たとえば、
(1)旅行にまつわる話。いくつか旅行日記は過去に書いたが、事実と創作を混ぜても構わない。過去に遡る。修学旅行もいい。
(2)昔通った、そしてもう殆ど消えてしまった、映画館の思い出。
(3)おもちゃの記憶。
(4)先生シリーズ、特に小学校の。
(5)昔の書店、図書館の記憶。
(6)自宅内古本発掘記録。これは相当書ける。
などなど。自分用百科事典とすれば、題材には事欠かない。

ゆかりのある家の壁の壁画(これも調べて書く必要アリ)

 そんなの誰が読むのと言われても構いません。自分が読む。現にこのブログの過去の記事は自分で読んで楽しんでいる。描いた内容はほとんど忘れているからだ。

 寺田寅彦先生の『連句雑俎』はようやく読み終えた。連句を考えていくと、そもそも人間はどのように思考するか行動するかという、根源的なことに、思いがいたる。自分が現在おかれた場のなかでどのように考え行動するかといったこと。

 学校の役割は、このようなことをいかに行うかを訓練することにあると思う。

 随想風に、つまり知識の記述でなく、いかに考えているか、今後どうするかを記述する。こんなこともブログにかければ素晴らしい。\(^o^)/

 書くことにより、自分自身の生き方が、より良い方向に変化する。

 次の忘年会は、来週。また、新しい生きるヒントが得られそう。うれしい。これも体調が回復しつつあるからだ。ありがとう、体調さん。

2016年12月4日日曜日

忘年会で会話するとまた勉強したくなる

 昨夜は老人有志の忘年会、「昭和酒場研究会2016年末忘年会」を実施。6名参加。盛況です。
 「くるまだ」さんという、最近吉田類先生があるTV番組の取材で訪れた店。グウゼン行ったのだが、なかなか良いお店です。番組のページリンクを貼り付けておきます。都電荒川線で行くと情緒満点。下車駅は熊野前。



 この会は「清談」を旨とする会なので、いろいろためになる話が(も)聞けます。そして、なにより、今後のベンキョウのためのヒントが得られる、貴重な会です。
 私は、次のようなことを得て戻ってきました。
(1)社会主義と共産主義の相違は。そして社会主義の未来を考えるべし。
(2)幾つかの本を紹介してもらう。「流転の海」、国木田独歩、「海賊とよばれた男」、永六輔(家族の糸は無理にほぐすと家族がばらばらに…)、「逝きし日の面影」
(3)自然とのつきあい(虫に鳥に野菜)
(4)数値目標にとらわれない暮らし
(5)各種養生法

 消化不良を中心とした体調不良もかなり良くなり、牛肉も煮たものではあるが、三四切れ食べられたので、ハッピーになりました。「くるまだ」さんの料理が上手だったせいもあります\(^o^)/

2016年12月3日土曜日

忘年会を迎えられる幸せ、連句はオモシロイがムツカシイ

ベランダのマンリョウ(ヒヨドリが植えていった)が真っ赤になった


 今夜は忘年会(その1)に出席します。今年は5回ほど出る予定。

 会社をやめてからは、おとなしい会ばかりである。つまり、かくし芸もいらないし、福引もないし、あわない上司に酒をつぎにいくこともない。(このあたり昭和の薫りがぷんぷん(*_*))
 本来の、年忘れの会が楽しめるようになった。しみじみと酒を飲み、会話を楽しむ。

 連句の勉強を続けている。芭蕉一門の連句集は、なかなか芸術的、理解するには教養が必要だ。一方、すこしだけ眺めてみた蕪村一門の連句は庶民的。カラオケの選曲の参考にはこちらがいいのかもしれません。
 
 『連句雑俎』(寺田寅彦先生著、青空文庫)も読み進める。連句を複数人でまとめ上げるには、各メンバーが世間と人間に関する理解を持っていないといけない。修行がいる、とのこと。
 われわれの老人カラオケ会なら、この点は大丈夫だ。

 これから、今日の忘年会の宿題「ゆくとしくるとし」をA4一枚でつくらなければならない。頑張ります!

2016年12月2日金曜日

学部で自分は何を学ぼうとしたのかをいまさら知ろうとしている、楽しいアホらしさ


金(Au)の格子構造、面心立方格子のつもり\(^o^)/


 X線回折で、金属結晶の格子間距離を測定する、という卒業実験の意味を考えた。その基礎的な理論構成も、このページをみたらわかった(思い出したといいたいが(^O^))。実験のベースの理論はわかってきたが、そもそも結晶とはなにか、とか、なぜ結晶を勉強しようとしたのかがよくわからない。

 マヌケな話だが、それだけレベルも意識も低い学生だったのだろう。当時の大学では、まず2年間の教養部というのがあり、私は3年間でなんとか教養部を脱出。学科と研究室を選んだはずである。

 その研究室には渡辺先生というエライ教授(でもみかけは優しそう)がおられ、助教授や助手や教授秘書の方々や、先輩にあたる、修士・博士課程の方々も皆できそうで、正直言って最初は、無知な自分が恥をかきそうでオソロシかった。すぐ恥をかくのには慣れたけど。

 この研究室では、何が研究されていたのか。当然ながら、思い出せないので、当時の学部の学生便覧(捨てないでよかった)を発掘してきて、読んでみた。

 「理学部物理学第2専攻、回折結晶学・X線電子線光学学科、研究内容 塑性物理の電子回折・X線回折法による実験的研究」とある。ムム、ムツカシイ(*_*)

 塑性とは金属などが力を加えられて伸びたり変形したりすることを言うらしい。金属や合金の物性を探ろうということらしい。
 電子線光学とあるが、これはいわゆる電子顕微鏡と呼ばれるものを使って、金属の細かい物性を探ろうとしていたわけだ。

 研究室選びには各研究室がデモンストレーションをしてくれたのだが、そのときに電子顕微鏡で撮った金属薄膜の電子線回折写真をみて、そのウツクシサに、クラクラしたのが、ここを選んだ大きな理由だったのを思い出した。

 今となってみるとオモシロイので、もう少しこの辺の学問領域を調べてみたい。使っていた装置は安いのでも数千万円以上らしいので、買えない。書籍も高いので買えない。装置は何かの機会にメーカーのデモを見ればいいだろう。
 書籍は借りる。どこかの大学の図書館に潜り込めればいいが。東工大など近くていいなあ。
 あとは、もう始めたが、インターネットというつよい味方がいる。これは昔はなかったぜ。

2016年12月1日木曜日

ラウエとX線回折とマンホールの蓋と日記には書いておこう

 ブログを毎日書くようになってから1ヶ月半たった。手書きの日記を書くのはその間お休みしている。ブログ記事のタイトルを転記しておこうと思っているが、まだやっていないので、空白のページが続いている。なんだかやましい気分。



 日記は、自伝を書くための、材料(ワインバーグ先生の言う自然石)の貯蔵場所だ、と考える。すると、手書き日記よりも参照しやすいブログが適しているかもしれない。

 最近ハマっている寺田寅彦先生の随筆。ベルリンでラウエ先生に会ったという記述を読み、にわかに、自分の学生時代にやった実験を思い出した。できの悪い学部生の卒業実験なので、今考えると、随分幼稚なことをやっていたとも思う。しかし、道具立てはいろいろ立派だったようだ。ラウエ先生の始めた、そして寺田先生が日本でも始めたX線回折の原理を使い、金(金属Au)の極超低温(液体ヘリウムで試料を冷却)での原子間距離を測定するというもの。ほぼ指導教官(当時助手をしておられた寺崎先生)に、教えられるままにやっていた。

 卒業前には、普段練習していた液体窒素でなく、高価な液体ヘリウムを使って、原子間距離を測定し終えた。

 純金は金属状態なら簡単な結晶構造をとっている。(面心立方格子構造だったかな。)粉末化した金にX線ビームを当てると、干渉を起こし、ビームはある方向に散乱される。この散乱の角度を測定すると、簡単な式に当てはめて、原子の格子間距離がわかる。試料を冷やしてやると温度変化とともにビームの角度が変わり、したがって格子間距離も短くなっていく。
 装置が複雑なわりには単純なことを実験していたことになる。でも、粉末試料を試料用プレパラートに塗りつけることとか、液体窒素を汲んできて装置を冷やすとか、面倒なことがたくさんある。

 今回、この実験を思い出し、「簡単な式」を思い出したが、その式の意味や導出の仕方を忘れてしまっていた。というより、当時は教科書の記述を鵜呑みにしていたと思われる。

 昨夜、YoutubeでX線回折の原理のビデオを捜して、2,3視聴してみたが、なるほど、わかりやすいというものがあった。シンガポール大学の教育用ビデオである。
 当時、これがあればもっと、楽しく実験ができたし、ひょっとすると学校に残って勉強を続けたかもしれない。と少し甘酸っぱい気持ちがしてきた。要するに甘えだが。
 
 今度は、興味を持って、X線回折や固体物理学の勉強をしてみたい。教科書を紐解くだけでなく、いろいろな情報源を使って。

 そして(X線回折とは全然関係ないが)、日本マンホール蓋学会、というページを発見したので、ここを起点にいろいろ情報を仕入れながら、散歩の時マンホールの蓋を鑑賞することも始めたい\(^o^)/
 交通事故には気をつけよう。