思いつきの発言だが、こういった場で他の人と会話をしていると、思いがけなく、アイディアの種子となるコトバを発してしまうことがある。潜在意識が言わせているのかもしれない。
昨夜、これについて考えてみた。
自伝とするには、最近のブログ記事の内容は読書記録に偏りすぎている。ブログタイトルを「読書日記」に変えたためであろう。
タイトルにこだわらず、なんでも書くことにしたい。
たとえば、
(1)旅行にまつわる話。いくつか旅行日記は過去に書いたが、事実と創作を混ぜても構わない。過去に遡る。修学旅行もいい。
(2)昔通った、そしてもう殆ど消えてしまった、映画館の思い出。
(3)おもちゃの記憶。
(4)先生シリーズ、特に小学校の。
(5)昔の書店、図書館の記憶。
(6)自宅内古本発掘記録。これは相当書ける。
などなど。自分用百科事典とすれば、題材には事欠かない。
ゆかりのある家の壁の壁画(これも調べて書く必要アリ) |
そんなの誰が読むのと言われても構いません。自分が読む。現にこのブログの過去の記事は自分で読んで楽しんでいる。描いた内容はほとんど忘れているからだ。
寺田寅彦先生の『連句雑俎』はようやく読み終えた。連句を考えていくと、そもそも人間はどのように思考するか行動するかという、根源的なことに、思いがいたる。自分が現在おかれた場のなかでどのように考え行動するかといったこと。
学校の役割は、このようなことをいかに行うかを訓練することにあると思う。
随想風に、つまり知識の記述でなく、いかに考えているか、今後どうするかを記述する。こんなこともブログにかければ素晴らしい。\(^o^)/
書くことにより、自分自身の生き方が、より良い方向に変化する。
次の忘年会は、来週。また、新しい生きるヒントが得られそう。うれしい。これも体調が回復しつつあるからだ。ありがとう、体調さん。
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