2010年12月31日金曜日

本当に好きな仕事を求めて

 2010年もあと少しです。会社を完全にリタイアしたあとの長い1年間でした。好きなことだけをやって暮らしていくというのは、思ったより大変でした。ついうっかりとして、生活のために、よく考えると自分の意に沿わない仕事を引き受けそうになる。また一方では純粋な知識の追求がおろそかになる。
 のんびりと落ち着いて暮らしていくのは凡人にとって難しいことです。来年も頑張って(頑張らないで?!)自己に忠実に生きる方法を追求し続けたいと思います。

2010年12月26日日曜日

年末だが...

 まだ年賀状の準備ができていません。一年のごぶさたと言う方が多いので、近況を手短にまとめたいのですが良いアイディアがまだ浮かばない。実は、「つくりはじめないとアイディアは出てこない」という研修に使えそうなフレーズを思いついたのでその方針で進めようと思います。

2010年10月28日木曜日

Writing Patternsという研修を考えています

「SEのための文章術」という題名で研修を開発中ですが、本日慶応大学の井庭さんの公開講義ビデオ
(ここを参照ください)
を見て、改称することにしました。
 従来のこの手の研修や教科書より、現場で役に立ちやすくする工夫を凝らしているのですが、パターン・ランゲージの考え方を取り入れるのが適していると考えたためです。
内容例:
パターンその1 「まず書き始める」
パターンその2 「なぜ書くかを表明しておく」
パターンその3 「パラグラフを意識する」
パターンその4 「パラグラフ先頭に最重要文を配置する」
パターンその5 「書くことの楽しさを味わう」
...
パターンそのn 「Twitterで書く練習をする」
パターンそのm 「ブログで書く練習をする」
...
パターンそのp 「作成対象文書ごとに使用するパターンを組み合わせる」
パターンそのq 「自分なりのパターンを作成する」
...
既存パターン適用練習と、新規パターン作成ワークショップ付きです。

2010年9月8日水曜日

研修で久しぶりの手ごたえ

 久しぶりに研修を実施しました。「要件定義」を題材とし、ペルソナ法をテーマとした研修です。過去何回か同一の研修にサブ講師として立会い、今回は初めて独力で実施しました。
 準備は当然しっかり行い、当日は準備したことを話し、演習も筋書きに従い行ってもらいました。なんとか無事に終了し受講者のかたがたの感想もみな好意的だったので、正直言ってほっとしました。翌日はどっと疲れが出て何も手につきませんでした。
 研修実施中に気づいたのですが、だんだん「乗って」くると、準備した以上の「良い?」話をしていることがあります。われながらうまいストーリー展開でしかも説得力のあることをしゃべっている。こんなに俺は上手なインストラクターだったかな?と驚く瞬間があるのですね。場の雰囲気と教材と準備作業のおかげといえますが、なによりも受講者のこのようなことを聞きたいという意欲が伝わってそれに答えようとして、うまくいったときにこのようなハイな状況になることがあるのです。夏ばて気味で、体力的には少し不安がありましたが、それもこのような状況になると克服できると再認識しました。
 このようなトランス状況になるためのノウハウをまとめてみたいとも思います。たとえば小説家が書いているうちに、自然と登場人物が動いてくるときがあるとおっしゃることがありますが、それに似ていますね、「登場人物つまりペルソナ」がうまく動いてくれることで要件定義の材料となる「シナリオ」がリアルに出来上がるという意味でこの研修のテーマにもつながります。「書くこと」で自分の脳が普段以上の発想をしてくれる...そういえばマインド・マップもこの研修で使ってみましたが、目指すところに通じるところがあります。
 また、このような形で研修を実施したいのですが、なにせ不況で、なかなか機会に恵まれないのがぜいたくな悩みです。

2010年9月5日日曜日

「理学部→医学部→60歳で文学部 京大3回合格の体験記」記事への不満

 なかなかすばらしい方の記事が見つかりました。
http://www.asahi.com/national/update/0904/OSK201009030193.html?ref=rss

 しかし、ご本人ではなく、記事の浅薄な書き方には不満です。
 試験合格は、ご本人にとっては手段に過ぎないはずなのに、合格が自己目的化した書き方になってしまっている。本来この方が、何を求めて大学再々入学を目指したのかを掘り下げてほしい。

2010年8月10日火曜日

[書籍]間違いだらけのソフトウェア・アーキテクチャ

出版されました。あのエンゲルバーグさんの本です。(翻訳:長谷川裕一さん、土岐孝平さん)
すでに店頭に並んでいるらしい。もう買いましたか?

驚くほど面白くて、悲しいほどリアルです。さすが、エンゲルバーグ。

amazonではここ。

2010年8月9日月曜日

ゲゲゲの資料集めと貼紙

 ひさびさのヒット朝ドラを見ていると本筋以外にも興味深いシーンが多い。
(1)スクラップブックが大量にある。
 ごく一部は奥様も(TV局のテーマで)お手伝いされたようだが、ほとんどゲゲゲ先生が自力で新聞や書籍、週刊誌などからイメージが主となる材料を集めて主題別に作成されているようだ。テーマは「墓場」とか「妖怪」とか...漫画を描くときに背景のイメージなどに参考として使用するらしい。
 これはわれわれもメモを作ったり、最近だとブログに書きまくったりする文章の「覚え」にあたるものだろう。イメージの形で保存されているので情報量は多そう。
 本棚の大部分はこの資料が占めている。もとろんご自分の出版本や市販本などもあるが。
 創作の原点にはこのような努力があり、どの世界にも欠かせない。食事中に読んでいる新聞も資料の一部となる。
(2)机の周りやトイレの中まで貼紙がいっぱい。
 仕事の思い付きであったり、処世訓であったり、いたるところに貼紙がされてある。
 われわれだとよくポストイットでやっているあれである。
 仕事に必要な外部記憶は基本的には上記のスクラップだろうが、「中期記憶」としては貼紙方式がよかろう。今日はトイレ中に窓からのぞく猫にも、「こう貼紙にかいているではないか」と諭されていた。
 貼紙にせよ猫にせよ、ものを考えぬいていれば意外なところから、思わぬヒントが生まれてくる。

2010年8月4日水曜日

大学など研究機関に対する予算削減に反対

天文学会HPにも掲載された以下の声明(提言)をお読みください。
http://www.asj.or.jp/news/100804
今の大学、研究機関などのあり方は(自由な研究の擁護という意味で)必ずしもすべて満足とはいきませんが、予算を他と一律に10%ずつ下げるというのは問題です。次世代のために教育への投資は別枠で考えるのが良いと考えます。

2010年7月20日火曜日

非線形・非平衡・開放系の自然観と人間集団観

 放送大学「進化する宇宙」の最終講義では杉本先生は、宇宙は非線形・非平衡・開放系の自然観で見ることができるとされ、社会や人間(集団)も相互作用が強くて非線形が重要ととらえてシステムの探求や理解につなげたいとおっしゃっている。熱力学の第2法則(エントロピーは増加する)を拙劣に適用すると、宇宙は単純に熱的死を結末とする無秩序へ向かう道をたどるように思われてしまうが、これは誤解というわけである。
 G.M.ワインバーグ先生も著書「スーパーエンジニアへの道」でまさにプロジェクト内の技術革新などで、このことをおっしゃっていた。変化の激しい時代や分野のことに対しては有効な考え方と思う。

2010年7月15日木曜日

すばらしいインターネットの世界

 トーマス・マンの「読書衛生法」というのがあって、執筆(彼の場合小説)する際に、小さな図書館の蔵書に匹敵するくらい参考書を集めて読みまくるのだそうだ。確かに、材料を得たり、典拠をあきらかにしたり、時代背景を知ったり、読書が果たす役割は大きいと思う。また、「書く」ことに疲れた場合、本を読むことは格好の気分転換になるし、思わぬヒントがわくことが多いだろう。司馬遼太郎さんも似たようなことをやっておられたようだ。金のないわれわれ(失礼!わたし)には、今までこのやりかたは無理と思われていた。
 ところがインターネットのおかげで似たようなことが出来るようになってきた。たとえば、ERDとRDBについての解説を書こうと言う場合、チェン先生やコッド先生の原論文は読んでおかないと話にならないが、予算の都合上孫引きですましてきたとする、今は違います、Wikipediaなどからたどれば、インターネットで歴史的な論文を手に入れることが出来る。関連資料も手に入る。すばらしい。内容相互の検索に関してはマン先生に勝てるのではないかと思う。一九七〇年代にコンピュータに関するものごころがついた私には、夢のような世界だ。大げさに言えば、生きていて良かったという感じ。

2010年7月14日水曜日

パラグラフ理解とエッセイで日本語改革そして思考の自由化

 最近また見直されているらしい外山滋比古先生が、「學士會会報No.883(2010-IV)」の講演要旨で、従来の外国語理解にはパラグラフの概念が欠如して失敗している。その改善も含め新しい日本語を創造したい。知識と思考が一体となる知的散文(エッセイ)を書くことで知識と思考の閉塞状況を突破したい。とおっしゃっています。
 ごもっともな話なのでぜひこの方向で仕事をしていきたいと思います。(できるかな?)
 パラグラフの話は木下是雄先生も「理科系の作文技術」でおっしゃってましたが、お二人は交流があったのですね。ロゲルギストという集まりで。
 ハーシェルも参加していた月光会というのがその昔イギリスにあったそうなのですが、技術的なことを楽しく話し合えるコミュニティも欲しいものです。本当は「会社」がそうであって欲しいのですが、資本主義社会ではそうも行かないところがつらい。
 ところでハーシェルはすでに大人気ですが、やはり気になる存在ですね。音楽家から天文学者に転身しましたがそのバイタリティーの秘密を探りたいです。

2010年7月10日土曜日

本日の朝ドラ「ゲゲゲの女房」に拍手

 茂旦那が、大手出版の編集者に対し、おおいに漫画出稿への魅力は感じながらも、「自分の不得意な題材でかくのは断る!」と突っぱねたのは痛快でしたね。そののち、編集者は茂がわき目も振らず一心に漫画を執筆する様子をみてうたれていました。次週にはこの編集者があらたな編集方針で再訪し、こんどは好きにかいて良いと言いにやってくるような前振りがされました。
 努力していれば(もちろん自分らしさを追及する才能の裏づけがあれば)がんばった結果は報われるという、不況の中で視聴者を元気付けるストーリー展開にも五つ星をあげたい気分です。そういえば久木綾子さんが18年かけて書いた「見残しの塔」の次の本も出ているらしい。御年とっくに90を超えていらっしゃると思うが、これも元気付くお話です。

2010年7月2日金曜日

LeavittとCecilia Payne-Gaposchkin

 Leavittさんの次世代のひとと言える、英国生まれのCecilia Payne-Gaposchkinは男女の区別を越えたヘビースモーカーでハードボイルドな天文学者タイプと思える。星の温度とスペクトルの関連を研究したとのこと(まだ彼女の詳しい業績は私未調査です)。秀逸な博士論文を書いて一発で認められた。Leavittさんの報告は直接にはほとんど賞賛されなかったのに。
 彼女は当時英国より少しリベラルな米国に来て研究職に就けた訳だが、時代背景、それぞれの年代、個性や持っていた理想、大学の伝統の違いなどなど、2人の違いは多くの問題を提起する。

2010年6月29日火曜日

Leavittあれこれ

 G.Johnsonの"Miss Leavitt's Stars"に書かれたように、個人的データがあまりにも少ないと思う。Johnsonはハーバード大学図書館に出向いて古い(たぶんピッカリング天文台長や同僚たちの)手紙類を覗いてきたようです。ここが電子化してくれればいいが、いまのところ現地に出かけるしかない。こちらはインターネットで細々と探していくとしましょう。
 1900年前後の時代背景(特に天文学界の)を知らなければ、彼女の仕事の意味と、仕事上の立場(後任?の英国生まれの女性天文学者セシリア・ペイン=ガポシュキンの批判する)を正当に理解できない。米国とほか(例:英国)でのその差も調べないといけないでしょう。
 たまたま読んでいる中村真一郎さんの「文学としての評伝」の方法論はおおいにやくだちそうです。

2010年6月25日金曜日

Leavittの本(Miss Leavitt's Stars)到着

 本日届きました。
 やはり、Leavittに関する個人的な資料(日記や手紙など)はほとんどないと序文で言っている。でもその一寸後にピッカリングとの手紙めいた記述があるが?? これはハーバード大のアーカイブスにある手紙らしい。
 旅行は1896年から2年ヨーロッパへ行ったがどこに誰と行ったかは不明である、1903年には冬の休暇でイタリアか南仏にいっのだとか。(船会社の名前からの推測らしい。)同年夏には英国に行っているようです。大西洋横断は6日半しかかからなかったようです。船賃はかなり安い、10ドル前後。ここをつつくのも面白いですね。

2010年6月23日水曜日

Leavittの挿話

 昨日から今朝までにインターネットで調べた結果、かなり詳細な論文リストが見つかりました。(これは「Leavittの業績」にコメントしてあります。
 次に系図が上にはたどれました。
 http://www.leavittfamilies.org/genweb/Leavitt/Leavitt335.html
数代さかのぼると英国から移住してきたJohn Leavittという祖先(1608年生まれ)に突き当たります。また彼女は牧師の7人の子供たちのうち一番年かさな娘です。系図はまだ下にたどれていないのですが(彼女自身は子供はいなかった。)どうもシカゴにいとこの孫?がいるらしい。

 天文学上の関係者のリストもこれから調べて整理しそれぞれ書きます。(たとえばPickering, Annie Cannon, Solon Bailey, Antonia Maury, H. Shapley, Willimina Fleming, Hubbleなど)中村さんの「木村蒹葭堂のサロン」風にしたいですね。

 ノーベル賞ノミネート話は事実らしい。
 http://www.aas.org/cswa/status/2005/JANUARY2005/HenriettaLeavitt.html

 あまり評判よくないらしい伝記本はAmazonで中古(幸い日本の業者さんでした)を購入手配しました。これしか本は見あたらないので注文。今日、夕方には届くでしょう。楽しみ!

2010年6月22日火曜日

Leavittの情熱

 まだ、彼女をドライブした情熱の出所は判然としません。ほとんど伝記的事実がみつからないのです。
 清教徒(といっていいのか?)としての家庭環境や、当時のアメリカの事情に影響はされているようだが、本質は宇宙へのあこがれと、真実の追求意欲だと思いますが、これから考えなくてはなりません。
 没年月日は1921年12月12日で間違いないようです。(新聞記者が撮った墓碑の写真を見つけました。)また、時給30セントは当時の標準(25セント)に比べて高いという説もありました。英国の賃金はもっと安い。天文台長ピッカリングからも一目おかれていたらしいし。

2010年6月21日月曜日

Leavittの業績

1893年(5年?)
 ハーバード大学天文台で「人間コンピュータ」の一人として、写真から星の光度を読みとり一覧表にして整理する仕事を始める。無給。後に有給の常勤職員となる(1902年)。

1908年
 マゼラン星雲の変光星の一覧表作成。以下を発表。Periods Of 25 Variable Stars In The Small Magellanic Cloud. Edward C. Pickering, March 3, 1912; credits Leavitt.

1912年
 小マゼラン星雲中の変光星の変更周期と光度の関係を発見。以下を発表。1777 Variables in the Magellanic Clouds. H. S. Leavitt, Annals of Harvard College Observatory, vol. 60, pp. 87–108.3

1921年
 ハーバード大学天文台に勤務を続けたまま、53歳で死去。

宇宙論でもっとも大切な遠い天体までの距離を算定するための基礎を築いた。銀河はわれわれの済む銀河だけでなく、アンドロメダをはじめとする無数の島宇宙銀河からなることや遠方銀河の後退速度などわれわれの宇宙観が一変したのは彼女の発見がきっかけとなっている。

2010年6月20日日曜日

Leavitt小伝

とりあえず、インターネットで調べたことを私なりに文章にしてみました。これをベースにまた調べて、彼女の業績の意味や他の周辺トピックスも調べて書きます。最終的には「なぜ彼女は天文学を志し、どう生活を楽しんだか」が解明できれば幸いです。

 Henrietta Swan Leavittは1868年7月4日、米国マサチューセッツ州ランカスターという小都会の牧師の娘として生まれた。幼くして家族とオハイオ州クリーブランドに移住し、オベロン・カレッジそしてラドクリフ大学(現ハーバード大学)の前身校を1892年に卒業した。これを見ると両親は当時としては珍しく娘の教育に熱心であったようだ。
 卒業前から天文学に興味を持ち、天文学の講義を受け、その成績はA-だったという。卒業後も天文の勉強を続けたがそのころ病を得、聴覚に障碍を持つようになっている。
 卒業後数年して、ハーバード大学天文台で有名な「人間コンピュータ」役の女性の一員として無給で働くようになった。望遠鏡を用いて写真乾板上に撮影された星々の光度測定とそのデータ整理が主な仕事であったのだろう。彼女はこの仕事でたちまち頭角を表した。
にもかかわらず天文台長ピッカリングは1902年になって初めて時給30セント(!)の常勤職員に任命している。) 彼女にとっては天文に関する仕事をすることが金銭にかえられない至上の喜びだったのだと思う。
 写真乾板上の星像から星の光度を算定する基準システムを作り上げたがこれは後に(1913年)国際標準として採用されている。
 1908年、小マゼラン星雲の中のCephide変光星たちの光度変化を調べ、光度変化の周期と絶対光度に相関関係があることを発見した。星の周期から絶対光度がわかれば、観測される見かけの光度と比較することでその星までの距離を見積もることができる。これは大変重要な発見で、アインシュタインの一般相対性理論による宇宙方程式の理論的解釈や観測的宇宙論(たとえば宇宙の大きさやその大きさの変化など)の論争のなかで科学者たちが追求し議論していることのおおもとを左右することになる。
 その後も彼女は仕事を続け、女性天文学者の団体で地位向上などの推進もしたが、1921年12月(12日または21日)、胃ガンで亡くなる。病気ではありながら明るい性格で同僚にも人気があったとされている。
 1924年にはノーベル賞の候補にもあげられたがすでに死去していたことがわかり沙汰やみとなったとのこと。

2010年6月18日金曜日

リービットさん(その2)

 昨日からインターネットで調べている。
 1.1868.7.4生まれ。これは正しそう。
 2.没年月日は1921.12.12と同21の二説有り。
 3.大学時代(ラドクリフ大の前身)に天文学の講義を受けて興味を持ったと言うがどんな講義だったのか?
 4.父親は牧師さんらしいが娘をどう教育したのか不明。
 5.ハーバード天文台での上司(ピッカリング)の女性蔑視らしい態度は当時としては当たり前?それとももっとひどかった?
 6.卒業後に欧州も旅行しているらしいがどこに行ったのか?
 7.なぜ病気になったのか?
 8.1924年にノーベル賞候補になったがご本人が亡くなられていたのでその話が消えたという話は本当?
 9.同僚にもっとすごい女性もいた?
 10.明るい性格で女性科学者の地位向上にも貢献していた?

調べると疑問が大いにわいてきてそこをつっこむのがまた面白い。

2010年6月17日木曜日

リービットさんのこと

Henrietta Leavittさんは私より80歳以上年上のかた。病身をおして好きな天文学をやろうと、ボランティアで天文台に勤め(後には常勤となったが)、セファイド変光星の変光周期と光度の相関を発見、その後の天文学の発展の礎を築く。後にノーベル賞候補となったがすでに胃がんでなくなった後。ちょっと調べて伝記的なことを書いてみたくなりました。

2010年6月6日日曜日

イメージを媒介にするのがおすすめ

 放送大学の講義を聞いていて気づいた。教え方がうまい先生のお話を聞いていると、内容のイメージが沸き上がってくる。銀河系宇宙の大構造やその進化のしくみ(仮説であっても)が具体的なイメージとして想像出来るようになる。これは言葉であるいは数式を用いて理解・記憶するのとは違う、快感を伴った理解といえる。
 コンサルテーションも研修の講義もイメージまたはモデルを媒介あるいは主体として成り立たせるのが効果的なのだろう。そのためにはコンサルタントまたは講師の頭の中に語るためのイメージが出来ていなければならない。あるいは顧客や受講者とともにイメージを作り上げていくにせよ、自分たちなりの完成イメージを持って置く必要がある。
 辻さんは小説を書き始める前にその「イメージ」が完成しているという。そのイメージを描写するために細かい表現の断片を積み重ねていく。目的を失った部分の積分として作品が構築されるのでなく、完成品に近づくために部分を連ねる微分的作業なのだとか。
 たしかにお互いのイメージをすり合わせるために話しあう、図を使う、グラフのパラメータを検討する、文章の表現を調整するという行き方のほうが上手くいくイメージがある。

2010年6月1日火曜日

ブライアン・メイに続きたい

 クイーンのギタリストのブライアン・メイ(Brian May)はロンドンのインペリアル・カレッジに宇宙空間の黄道上のちりやガスに関係する博士論文を提出して、博士に2年前になったらしい。当時60歳。もともと大学院には行ったのだが、音楽活動で30数年研究を中断していたという。素晴らしい。
 博士論文まではいかなくても、私も60の手習いを続けます。

2010年5月27日木曜日

とにかく机に向かう

 村上さんのエッセイにはレイモンド・チャンドラー式の執筆方法が紹介されている。とにかく机にむかって2時間は座っていろと。辻さんはトーマス・マンの方法、すなわち毎日朝9時から12時までは机に向かって仕事をする、について書いている。実際に辻さんもそうしたらしい。そのトーマス・マンの魔の山にはセテムブリーニ氏の魅力的な下宿の魅力的な立ち机が出てくる。ワインバーグ先生の「文章読本」にも書くための名案(迷案も)が満載されている。モンテーニュ様の塔型の書斎にも(寒そうなのだが)憧れる。ちょっとずつ真似してみている。
 書くべきものは小説やエッセイだけでなく研修のテキストや教案などたくさんある。とにかく質と量に関しあるレベルを達成しなければならない。仕事をするのは孤独で単調な仕事だ。でも続けているとライターズ・ハイ(ランナーズ・ハイの類推)みたいなものが襲ってくる。なんとなく麻薬的なところもある。(麻薬はやったことがないが。言葉のあやです。)
 別の話ですが、このようにほとんど世間とは交渉がなく(たまの講師稼業以外は)本をよみ何かを書き続けるという「生活」に実は昔から憧れていた。学生時代はそれで下宿にこもっていたし、会社員になってからも本当はそうしたかった。できなかったけれど。結局人間は自分のやりたい事をやりだすものであるようだ。

2010年5月20日木曜日

技法にはとらわれるな

 システム開発に関わる研修では多くの場合、ある手法を用いて研修を進め演習も行います。ここでの間違った態度は技法にとらわれて技法の使い方にばかり論議してしまうことです。似たようなことはプレゼンテーションでも起きて、プレゼンテーション画面に使われたテクニックにのみ感心してしまう。結果としてプレゼン技法は頭にはいったがプレゼンで言われたことは忘れたと言うことになってしまったりします。
 技法は手段にすぎず、それは論理を進めるためのツールにすぎません。演習である技法を使った図の書き方たとえば線の引き方がまっすぐがよいか曲線であるべきかといった些細なことに気を取られ、本筋のこの図の意味は誰も気にしていないといった状況はナンセンスそのものです。
 この傾向は物理学や天文学の世界でもありそうです。数式の操作にのみ習熟し、複雑怪奇な計算はできるが、その数式の意味することはよくわかっていないというケースです。数式は強力な道具ですが、単なる数学だけでは現実の世界は説明できません。
 テクノロジーが現代には必要不可欠ですが、テクノロジーだけでは十分ではありません。自分の思考を統合的に導くためのより深い思索が必要です。これには時間がかかりますが。

2010年5月19日水曜日

多忙なので勉強できないのではない

 忙しいから、余裕がないので勉強できないということをよく聞きます。いかにも最もらしいのですが、本当にそうなのかよく考える必要がありそうです。
 学生時代には勉強する暇はあったはずですが、勉強している人はどのくらいいたのでしょうか?一方、忙しい仕事の合間に新しいことを学び、一方では学んだことを他の人に伝えるための筆をとっている人はたくさんいます。そもそもそうでないと現代の社会は成り立ってこなかったでしょう。
 忙しいが学ぶ、余裕は気持ちの持ちようで生まれるという態度で暮らさないと、人生の最良の部分を味わわないうちに老いてしまいます。
 楽しいから学ぶというのが一番です。自分がいままで知らなかったことを知り、それによって人生が広々としたものに感じられるこの喜びをひとりでも多くの方に感じて欲しいものです。
 多忙なので勉強できないのではなくて、勉強しないから多忙なのです。ついでに言うと、業績不振だからといって従業員の教育をおこたる組織はさらなる業績不振に陥るでしょう。

2010年5月12日水曜日

研修理解のコツ-まず課題を調べよう

 はじめての事柄を学ぼうとする皆さん。どのように手をつけますか?基本を理解すべきなのでまず基礎事項をじっくり予習しよう...。これは大きな間違い(言い過ぎならば、時間の浪費)です。
 まず、テキストを後ろから見て、演習課題をみつけ、読んでみましょう。演習が解けない?当たり前です。ここで読み取って欲しいのは演習で何をやろうとしているかと、演習の状況とキーワードです。
 演習で何を問題としているか、これがこの研修の主題です。たとえば「Webアプリケーションの要件定義」。これがわかるということは研修の肝をつかんだということになります。次に演習課題の背景にある状況を読み取ります。これで、研修内容の背景と前提条件が理解できます。最後にキーワードを調べます。これはたいてい、設問で求められていることに相当します。「要件定義リスト」を書きなさいとあれば「要件定義リスト」です。
 これらを頭において、テキストの目次を調べます。テキストはどのような筋書きで主題に向かって構成されているかを見ます。ときには主題とはずれたこともありえますが、そこは講師の説明でストーリーがつかめるだろうと楽観視しておきましょう。あとは、キーワードがどこに出てくるかを調べたうえで、テキストを流し読みします。途中でむつかしそうな部分や単語がでてきても問題ありません。わからないことはまずは無視しましょう。全体の話の流れをつかむことが大切で、わからないことは99%テキストの後ろの方ででてきます。
 「学ぶ」ということは、単に知識を得てそれを一つ覚えで繰り返すことではありません。どのように考えるかを学ぶという姿勢が大切です。しかもわれわれは得た知識を活用すなわち現場で応用しなければいけません。このためにも「課題」からはいるという姿勢は大切です。将来的には皆さんの多くは、課題を抽出してその解放は誰か適切な人に依頼するという仕事の仕方が求められます。

2010年5月8日土曜日

「ツール」でものを語らないこと

 仕事の内容や研修(演習)の内容を言わないで、使用した「ツール」の名前で話をすませる事があります。 「今夜は「ユースケース図」を書き終えるぞ」、とか、「今回の演習ではエクセルの表をかいてもらいましょう」などなど。
 一見わかりやすいのですが、システム屋さんの陥りがちな落とし穴にはまります。きれいなユースケース図を書くことに熱中して肝腎の顧客の業務機能が正しく反映されていなかったり、エクセル表は罫線や色つけしてきれいに書けておりマクロのテクニックもすばらしいが内容のデータが間違って記入されていたり...
 プロ野球選手は打席にはいるときにはヒットを打とうと思っているのであって、バットを振るフォームを見せようとはしていません。ぼてぼての内野ゴロでも結果としてタイムリーになれば良いのです。
 したがって、「今夜はあのお客さんのこの業務に関する機能をうまくまとめて機能の一覧を作ろう」、とか「課題の前半の文章を分析して売り上げデータの変化を表すような表をかいてもらいましょう」と言って欲しい。
 これには上司なり講師が気を付けて、何のために仕事や演習をやるのかを言葉で表現させるようにし向けることです。#ところで今回もらった研修用のテキストには開発プロセスの説明図としてユースケース図やロバストネス図とかごまんと書いてあるがよわった。

2010年4月28日水曜日

要求の理解にも外国語の習得と同様な努力を

 外国語の習得において、中級クラスでの困難はどうも、ヒアリングのようです。相手が何を言っているか解らない。言葉面はわかるが、何を言いたいのかがつかめない。一応返答はするものの、本当の理解に基づいた会話になっていないのでお互いに気持ちが悪い。時間もないのでうやむやのまま会話が終了する。もちろんこれではビジネスに使用するなど望むべくもないということになりましょう。
 ここで一手間かける必要が有ったわけです。つまり、相手の言うことを注意深く聞くとともに、勇気を奮い起こして不明点をこちらの言葉で伝え、お互いに疑問点の解消をはかるように議論を行う。いくつか生まれてきた相互理解をベースとして論理的により深く広い理解に進んでいく。この際助けになるのは、相手の立場の理解、大げさに言うと相手のよってたっている文化をどれだけ理解しているかです。
 要件定義の際に接する顧客は外国人だと思ってください。顧客の言っていることには彼のよってたっているビジネスの世界があります。これを理解することにつとめましょう。その世界の語彙を習得するのが第一段階、ビジネスの仕組みの概要も理解しておき顧客と話します。誤解は当然発生しますので、それをお互いに解消するように議論をリードします。
 一方顧客からみても事情は同じで、われわれは奇妙なシステム用語を話す外国人(宇宙人?)です。顧客にわれわれの立場をうまく説明しましょう。
 こうしたコミュニケーションには特有の「感」というか「運動神経」が必要なのかも知れません。ここは「文科系」の方の腕の見せ所なのでしょう。

2010年4月26日月曜日

「事実」の吟味とモデル化

 たとえば天文学の場合、遠い天体の観測から得られる情報の量は、理論構築に必要な情報量にくらべ非常に少ないし、観測に伴なう誤差がおおきい事が認識されています。そこで、得られた情報の精度やその解釈方法を徹底的に議論します。
 システム開発で顧客の持っている情報をわれわれも「観測」して、それを解釈して顧客のビジネスモデルや要求モデルを作るわけですが、このときに得られた「観測」事実をどの程度吟味しているでしょうか?顧客の発言やビジネスの表面上の姿を、無条件に信用して、モデル作成に使っていないでしょうか?
 顧客が「こういったので」そのとおり作ったのに、なぜ使い勝手が悪いと文句をいわれなきゃならないの..と不平を言うずっと前に、自分が正しいと思っている顧客からの取材事項をじっくり考えて、その正しい解釈はなにか、見落としはないのか、顧客そのものの発言の正確度はどうなのかを振り返ってみておく必要があります。
 天文学ではものいわぬ天体が相手ですが、顧客はうまくアプローチすれば、物を語ってくれます。これで安心するのではなく正しいシステム化のための重要な手がかりとして大事にする心構えが重要でしょう。

2010年4月25日日曜日

吉田松陰と譜面台

 今日の話題は、ブログ表題{ITエンジニアの教育」)とは直接関係ありません。
 そもそも吉田松陰を思い出したのがきっかけ。座敷で正座して読書する場合、ちゃぶ台では姿勢が悪くなります。そこで吉田松陰先生や、要するに昔の人がよくつかっていたらしい、足のついた書見台が欲しいと思いつきました。自分で作るのが良さそうですがまずは手近なところで間に合わないかと考えて、息子に以前買ってやった譜面台を物置部屋に探しにいきました。なんとか引っ張り出したが、錆だらけ。錆というより曇がホコリと混じって金属の表面が白っぽくなっています。
 こんなとき効力を発揮する杉の精油のポリッシュ剤を取り出して、磨きをかけました。一応綺麗になったな..と思いポリッシュ剤をしまおうとしたら、ビンをひっくり返してしまい、あたりが油だらけ。
 つかっていた布巾で余分な油をふき取り、もったいないので部屋中の木材部の効果のありそうなところを磨きまくりました。フローリングの床も輝いたし、いくつかの埃だらけの家具が美しく輝きだしかなり満足。一度終了して布巾はすてたのですが、思い直して、窓や網戸のアルミサッシの表面も磨きました。光沢がなく白っぽい錆状のものに覆われていましたが、これもつやを取り戻しました。
 ここ数年は、いろいろなことがあり、住居の手入れも怠っていたなと感じました。余裕をもった生活をしないと、心も錆びそうです。精彩を失うと心だけでなく、形にも現れます。
 いろいろな職業の修業時代の重要な教育要素として掃除を扱うことが多いのですが、身の回りを整えるやり方にその人の心のあり方や余裕度が現れるからでしょう。うん、やはり最後は教育でまとまったか。前言撤回します。
 譜面台の読書はなかなか気持ちイイですが、やはり本物も欲しいな。

2010年4月23日金曜日

昔の上司を思いだした

 部屋の整理をしていたら、昔書いたメモが出てきました。どうも上司の退職送別会のスピーチネタだったようです。
 Tさん(上司)に教えられたこと。
 1.部下には教えない(自分で学ばせる)
 2.酒(酒を飲みに誘うと必ずつきあってくれる。自分から部下は誘わない。無粋な話ぬきで楽しい酒。)
 3.人生は楽しむ。(趣味:単独行登山、旅行、外国語の独習)
 4.表面的マネジメントはなさらない。(なぜか自然に部下は一生懸命やってしまう。なにか問題がおきるといつの間にか責任を取ってくれている。しかも失敗して落ち込むとうまく慰めてくれる。)
 こんなTさんに、ずいぶんいろいろと「教わった」と思います。昨日今日と仕事がうまくいかず悩んでいたのですが、このメモが見つかったと言う事はTさんがまた「がんばれ」と言ってくれてるんだなと思います。
 

2010年4月21日水曜日

要件定義での落とし穴

 われわれはソフトウェア屋なので、問題を「表面的に」発見すると、問題の本質(それは海水のなかの氷山のようにその大部分が隠れている。)を見抜こうとせずに、ソフトウェアを使って問題の一部分を解決する方策を懸命に考えはじめる癖があります。それはまるで現在の日本の各種問題へのアプローチに酷似しています。本来、何がしたいのかを見失った議論は不毛でエネルギーを無駄に消費していきます。
 まず、「問題」そのものの大きさとその構造を理解しないといけません。どうもこのためには、いままで受けてきたソフトウェア教育では足りないことが有るのかも知れません。学校で真に「学んで」きた方々は、身につけてきた能力と技術がここで十分に発揮できるでしょう。
 「問題」の本質をとらえるにはどうするか、どう分析・構造化するか、はその人の全人格的能力を傾ける必要のあるところです。経験も必要ですがそれ以上に問題に立ち向かう謙虚な態度が必要です。想像力も必要ですし、想像したことを実際のデータで検証することや、実際のデータおよび顧客の談話を理解する能力も必要です。
 理解することと、理解したことをいかに記述するか、に関しても重要な能力が要請されます。しかもそれらは切り離せないことなのです。

2010年4月19日月曜日

業務領域のモデリングは「科学」であり「芸術」である

 要件定義を行うときにはITエンジニアは顧客に取材して、様々な顧客毎の固有の概念を「言葉」によって整理しモデルによって整理します。まずはシステム化対象業務の世界を理解しようとつとめ、共通の語彙を模索することで顧客との相互理解度を高め、このとき曖昧な用語を使わないように注意します。モデルを使って顧客の世界を記述して検討することが理解を促進します。
 考えてみるとこれは自然科学や社会科学で新しい概念を考え仮説を作り新しい世界の理論を検討していくこととまったく同じです。芸術の世界でも同じで絵画や小説は芸術家が世界を理解するためのモデルと思えば、似たようなものと言うことができましょう。
 なんにせよ、人間がまじめに未知の世界を理解しその中で生きて行くための指針を得るための模索活動はこのようにならざるを得ない。そのようなモデルを創出できる人類の脳はすばらしい能力を持っていると言わざるを得ません。この能力は誰でも持っているので十分活用しないといけないですね。もちろんそうすることを楽しみながら。なおかつ人類の人類たるゆえんはこれを協力して多数の人間でやることが出来ることなのだろうと思います。もちろんバベルの塔というアンチパターンは会ったので、その落とし穴には注意したいです。

2010年4月16日金曜日

大きな意味でのビジネスマナーを学ぼう

 4月も中旬になりました。たいていの新人ITエンジニアの方々はすでに現場に配属されているか、その準備中と思います。
 ビジネスマナーというものを入社直後に教わったと思います。挨拶の仕方や名刺のやりとりに代表されます。これらは「まあ、サラリーマンはみんなこうするんだろう」ということだけで学んでは実はもったいない事柄です。
 入社前の勉強時代とちがい、われわれの仕事はすべてが共同作業です。共同で、一人では出来ないような大きなあるいは複雑なあるいは高度な仕事ができます。ここに喜びを見いださなくては会社人生はつまらないものになってしまいます。このための基礎となるのが「ビジネスマナー」です。
 そしてもっと考えて欲しいのは、ここまでに習った「ビジネスマナー」とはそのすべてなのか?と言うことです。「ビジネスマナー」を広義にとると、人または会社組織の間でいかにしてビジネスつまり仕事を進めていくべきかの倫理にまでたどりつきます。ここまでの事は新人時代だけではとても学べませんので、とりあえず簡単な形だけのビジネスマナーを時間の許す限り教えて、あとは実地で学んでくださいねというのが新人研修です。
 このあと長い年月をかけて、大きな(広い)意味のビジネスマナーを体得し、仕事に生かすことにより、自分の給料も上がるでしょうし、会社も収益があがり、社会に貢献も出来るようになります。このようなことをふまえた上での「挨拶の練習」をやってください。

「問題解決」よりも「問題発見」を

 「問題解決」よりも「問題発見」を重要視すべきと言うことです。
 過去の学校・企業教育は知識を切り売りすることで成り立ってきましたし、それになれた受講者は、ほぼ間違いなく教場で講師が何か質問はありますかの問いに答えようとしません。そのくせ与えられた演習課題は要領よく解いてしまう。演習問題に潜ませた問題点に気づくことはない。気づいたとしてもそれは演習出題側の不備と見なしてしまい、要するに思考停止に落ちいってしまう。
 この様な方が、顧客のところに出向いてもうまく顧客の状況をつかんで「真の」問題解決をする良いシステムの提案が出来るとは思えません。顧客の述べる問題点を表面的に聞き取るだけになりはしないか?
 限られた時間でいかに有効な質問をするか、そのためにはどのような事前準備が必要か、インタビューの場ではどのように振る舞うべきかを、時間がかかっても練習していただくしかないでしょう。

2010年4月15日木曜日

企業内教育担当者も研修発注時はRFPを書きましょう

 ごく基礎的で当たり前だが、かえってそのせいで行われていないのが外部に研修を頼む場合のRFP作成です。
 通常のシステム開発の仕事ではこのような手抜きはしないはずですが、「どうせ教育だから」という油断が有るようです。きちんと契約しないと結局失敗すると言うお定まりの結果になります。
 できあいの研修にせよオーダーメードの研修にせよ、RFPは書かないといけません。そしてきちんとそれを理解して対応してくれる業者を選びましょう。
 そしてRFP作成も一緒にやってくれる業者にはその対価も与えましょう。要するに教育コンサルタントですね。コンサルタント料金の形式がとれなければやむを得ませんから講師料や研修開発費に含めてあげてください。こうしていかないと社員のレベルアップがはかれません。

プロセス(手順)を学ぶ際の注意点

 たとえば、「要件の定義」をするには「現状把握」をして「要求獲得」をしてそして...と研修のはじめに学ばなくてはいけない場合があります。この際には以下の注意をしながら学ばねばなりません。

(1)そもそもこれからあるプロセスたとえば「要件の定義」を議論する必要があるが、議論をなりたたせる前提として、なんらかのプロセスモデルが提示される必要がある。このモデルの導出から話しているときりがないので、講師が用意したモデルを提示します。
(2)このモデルを無理矢理覚えろというのではないが、議論のためにはモデルを頭に入れていただく必要があります。講師が説明します。
(3)受講者は、プロセスモデルを「理解した」(何を言っているかわかった)ならばその適用を考えてみる。自分の課題に即して、このプロセスを頭の中で動かしてみる。考えられる状況を書いてみる。うまくいくだろうか?
(4)プロセスはこの通りでよいか考える。いったん考えたのと違う使い方があるだろうか?たとえば並行して作業できるか、繰り返しが必要か、省略や、追加すべきプロセスがあるか? もちろんこれも書いてみる。
(5)受講者は自分なりのプロセスモデルを書いてみる。
(6)受講者は自分のプロセスを吟味してみる。Okなら次へ進む。まずければ(3)へ戻る。

ぐらいのことを頭と手で考えながらやらないと、「公式=プロセスモデル」を機械的に当てはめようとする悪い癖が出て、せっかくの研修時間が無駄になるわけです。

さてこのような思考訓練をしながら学んでいく余裕が持たせられるでしょうか? なお、この思考訓練の中でいくつかメモを作りますが、これがあとで大いに役に立ちます。

2010年4月14日水曜日

仕事と生活は切り離せない

 朝会社に行き一生懸命に仕事をし、ストレスを解消すると称して帰りに酒を飲み帰って寝てまた朝に...
 このような生活はサラリーマンの鏡かも知れませんが、そこに何とか仕事と生活の喜びを感じるようになりたい。そのような思いが高じて独立してしまいました。やってみた結果は(まだ完全には出ていないのかも知れませんが)「よかった」というのが本音です。月々のサラリーがなくなったのは大きな痛手ですが、それを補ってあまりあるのは、コンパクトな生活の中で考えながら仕事もしていく。自分のペースを守ってあるいは興味が生じればペースを変化させて学んでいけること。そしてその結果を本当に望んでいる方々に伝えることが出来るのは今までにない無上の喜びといえましょう。報酬はあくまでもそれについてくるものと自分に言い聞かせる。

 ITエンジニアリングのなかに数々のノウハウがありますが単にそれを適用する事だけを考えるのでなく、そのノウハウの出自や背景そしてその幅広い適用をゆっくり考えながら仕事を進めていくのは興味深い。一方でわれわれ人類の科学技術の進化の様子を(約40年のブランクのあと)たどることの楽しさもそれに加わります。まあ言ってみれば第2の人生でしょうし、学徒に戻ったとも言えます。

 1日24時間がすべて仕事でもあるしすべてが趣味でもある。生活そのものを自分の考えで統御できるのが良いところです。

2010年4月13日火曜日

良い課題を発見するのが良い研修

 最近放送大学に入り、ある講義を取ることにしました。もちろん怠惰だった実際の学生時代とはちがい、きちんと予習をおこたりません。(放送大学の手引き書によると単位を与える前提として1時間の講義に当たり2時間の自己学習が課されています。)予習では、テキストを見ながら、講義のあらすじを自分で書き出し、わかっていることは確認し、疑問点を見つけだして時間の許す限り解決策を調べて置きます。講義中に解決できればいいなと思うわけです。
 実際の講義を聴くと、驚くのは、テキストの筋書き通りには必ずしも講義は進まないのと疑問は解決されるどころかもっと増えるまたは深まることです。それはそうだよなと言う気持ちとなるほどという気持ちになります。
 一方通行の講義なのでこうなるのは当たり前なのですが、もっと深い意図も含まれていそうです。
 疑問あるいは課題は、単純なものならその場で解決できますが、理論の背景とかその応用上の意味づけなどはそもそも解答が得られない、あるいは一見して得られたとしても立場が変わる(一般にはその領域の理解が進む)ともっと課題が進化(深化)してしまう。
 そもそもそのような課題を見つけることが重要なのではないか?と感じはじめました。
 学生時代や研修受講時に何とかして「良い課題」を発見しその解決に向けて自分をコントロールしていくことが大切なのでしょう。すると、研修終了時によくわれわれは「アンケート」をとったりとられたりしますが、「よくわかりました。満点です。」というアンケート結果は必ずしも喜ぶべきでなく、「わかりませんでした」という結果には「ある疑問を抱いていたが、その疑問はもっと深くなった、困った。でも自分で解決しようと思えた。」という意味が含まれているのならば、大成功と思われます。ただし、その疑問つまり課題の解決に向けての学び方のヒントを与えてくれるのが良い研修・講義なのでしょう。

2010年4月12日月曜日

コミュニケーションの基本は相手の立場の理解

 研修の障害の第一は、相手が(講師からは受講者、受講者からは講師や他の受講者)なんでそんなことを言っているのか理解せずに、言葉面だけを理解(記憶)しようとすること。
 これをさけるために、講師は通常まず自分の紹介と称して自分の立場を説明する。いわく「XXのコンサルをこんな形でやっているのでこのコースのテーマに関してはこんな興味を持っており、今日はこのような視点でしゃべりたい。」
 次に研修のテーマの概略とその目的を説明し、研修で学ぶ項目(目標)を説明し、参加者の前提知識と受講後の達成レベルを述べる。ここまでは基本なので、これをやらない講師ならそこで席を立ってもよい。(でも受講料は払ってるので無理ですが。)
 講師側は、受講者に自己紹介をやらせたり、初期の質問をしたりして、受講者のプロフィールを探ります。これも基本技。
 受講者としても質問の前に、自分の立場を簡単に説明した上で、疑問点を聞くのが効率的です。いきなり質問をしていきなり答えようとするとほぼ間違いなく、とんちんかんな応答になります。
 多分このような事は、教場にいるのでわかる事であって、実際の仕事の場でのコミュニケーションでは程度を問わなければ行き違いが毎回起きていると思わなければなりません。不幸な行き違いを防ぐ一助としてまずは研修の場で基本を確認しながら話を進めましょう。

2010年4月9日金曜日

IT研修における「演習」の取り組み方

 各種の研修で、いわゆる「演習」課題がだされます。演習をうまくやることで研修の効果が何倍もちがいます。
 効果的な演習への取り組みへのヒントをすこしあげてみます。
 (1)多少ゆるめに取り組む。
 (2)正解は一つではない。
 (3)何のための演習か?を常に考える。

 (1)は、怒られる表現かも知れませんが、「まじめになりすぎるな」ということです。スポーツ選手は知っていると思いますが、筋肉をリラックスさせないと良いプレーができません。われわれの場合も「頭の筋肉」をリラックスさせないと思考力が弱まります。せっかくの問題、できないと恥ずかしいとばかりに、必死で取り組むのは百害あって一利なし。演習なので間違っても別に困りませんよという態度の方がよくできますよ。大事なのは笑顔やユーモア。

 (2)は最近の受験勉強を勝ち抜いたばかりの人だけでなく、会社で昇進競争に勝ち抜こうと努力される方も陥りがちな落とし穴にご注意くださいという事です。われわれの取り扱うシステムの要素全般に言えるわけですが、課題に対する解決策は一つではありません。よりよい回答があるだろうと考えるかもしれませんが、それもありません。せいぜい言えるのは、「ある条件下でこの解決策はより好ましいなぜならXXXと私は考えましたので」という表明が他の方(たとえば顧客)に認められれば、よかったねと思いましょうと言うことぐらいです。解決策やその考え方を整理するやり方を練習するのが演習課題への取り組みの趣旨と思いましょう。

 (3)どのように考えるべきかを練習すべきなのですが、せっかく練習したことをどのような場面で活用すべきかまたは活用すべきでないかについて常に頭に置きながら演習を行いましょう。

2010年4月8日木曜日

イメージを伝える手段ペルソナは大学の講義でも使える

 放送大学講義を受けるための予習をしています。一般には1時間の講義に対し2時間程度の準備が必要とされています。(もちろん前提となる知識が足りない場合はこの限りではありません。)
 たまたま今やっているところは天文学の基礎となる各種物理法則のおさらいです。端的に言うと公式が出てきます。ローレンツ力の公式や理想気体の状態方程式と言ったものが
 (1)何を意味しているか
 (2)公式はどの場合どのように応用できるか
知っていなければ議論がすすみません。
 これをうまく伝えるには受講者のペルソナを意識して、このペルソナにいかにして上記のことを伝えるかが大切になります。なお、伝える「もの」はこの講義の場合概念的なイメージです。講師の頭の中にあるイメージをうまく受講者の頭に移し替えなければなりません。もちろん単にポンチ絵のイメージを覚えさせるという低いレベルの話ではありません。
 ビジネスシステムの開発時にもこのような場面は数多くありそうです。

2010年4月7日水曜日

要件定義にペルソナ法で魂を入れる

 せっかく作ったシステム、懸命に要件定義し、設計し、実装したのにさっぱりお客さんが喜ばない。これがわれわれSEの一番がっくりすることですね。
 正しく作るのではなく、正しいシステムを作れとよく言われます。「正しい」かどうか判断するのは顧客です。その顧客に役立つ、使いやすいシステムを作ればいいわけです。
 顧客とよく相談すれば良いのか?そうですね。でもそれだけでは不足です。実際に要件定義をするときに顧客の要求をとらえ、推測し、補いながら「正しい」システムの姿をとらえないといけません。
 このためにわれわれが使える手法の一つが「ペルソナ」法です。ペルソナつまり典型的なエンドユーザーの実際の性格や行動パターンや価値観などを具体的にとらえ、このエンドユーザーはいかなるシステムであれば満足するのかをイメージして要件定義を進めます。
 ここでイメージしたペルソナは設計や実装時の担当者にも、イメージを共有してもらいます。それによりシステム開発中の誤解を防ぎ、顧客またはエンドユーザーに使いやすいシステムを供給することができます。
 このペルソナ法は、実は、社会生活のいろいろな場面で応用されています。たとえばお医者さんや看護師さんの世界で「病気をみるな、患者をみよ」とか、「患者の生活全般をよく見た上で治療方針を立てる」と言われますが、これはペルソナ法の典型的応用でしょう。 皆さんもペルソナ法を学び、システム開発だけでなく、生活に応用しましょう。

2010年4月5日月曜日

放送大学、入学者の集い

 4日日曜日は弘明寺の神奈川学習センターで入学者の集いが10時からあったので出席しました。横浜市営地下鉄の駅が近いとのことで行きましたが、うっかりして手前の上大岡で降りてしまい、さんざん探してもわからず。駅前の不動産屋さんの店員さんにうかがったら、そもそも駅が違いますといわれ、初めて気がつきました。そんなことで10時ギリギリに到着。主たる目的の学生証の引換番号を渡されたが190番。その後も20人くらい到着していたようなので200人強のひとが参加していたようです。立ち見も出ていました。全国の今期入学者は8万人であるとか。全盛期は15万人くらい入学したようです。
 お年を召した方が大部分です。若い人もちらほらおられます。若い人は忙しくて出席していない可能性があると思います。
 先輩(文字通り)のお話などありましたが、修士課程も終了したとか、1992年から何回も入学しているとかの猛者が多かったです。最後にサークルの勧誘まであり、大学生生活に戻ったような懐かしさです。
 ところで私のとった科目の授業(放送)は土曜日からすでに始まりました。45分のビデオ放送ですがあらかじめ2時間以上予習してノートを作っておいたので内容は(まだイントロダクションですが)よくわかりました。逆に言って自分で勉強しないと45分の一方通行ではほとんど学べないということです。15回シリーズ(15週間)で1単位ですが放送時間では1日7時間としても2日弱です。企業の教育の1日、2日、3日コースの方がたくさんのことがやれるという事になります、大学生は自分の時間を与えられるのでその時間をいかに過ごすかが問題であるし、企業内の教育では自分でいかに学ぶ時間をとり、意欲をみずからかきたてられるかが鍵となるのでしょう。

2010年3月29日月曜日

自分で書いたメモを情報源として活用する

 とにかく、メモを書くことをおすすめします。一日のうちの空き時間5分程度を使ってそのとき思いつくアイディア・学んだこと・覚えておきたいこと・本のなかや他人の言葉で感心したものなどをメモします。このさいに年月日時刻を必ずメモに一緒に記入するのがコツです。メモを書くことによって自分の考えが整理できます。あらたな発見もできます
 人間は忘れる動物です。メモを書くことによって少しはその内容を忘れにくくなりますが、数日たつとやはり忘れます。このためメモを書くだけでなく、あとで読み返すことが有効になってきます。数日前、数カ月前、数年前のメモを読み返すとあっと驚くことがよくあります。このころの自分はなんてよく考えていたのだろうと感心します。
 メモはPCでとってもいいのですが、いつも携帯出来るようなノートに気に入った筆記具で手書きするのが筆者のお気に入りです。いまはA6版のノートと万年筆を使っています。これらを出先や旅先でみかけたお店で選ぶのも楽しいですね。

2010年3月26日金曜日

ITエンジニアの基礎的な素養とは

 もちろん基本は情報科学、コンピュータ科学、計算の理論、システム工学、ビジネスマナー、コミュニケーション能力などでしょうが、意外に見落とされがちでかつ重要なのは、文科系および理科系の学問のやり方であると思っています。
 事実を自分で見つめることや、仮説を立ててその検証をしていくこと、先人の業績を熱心にかつ冷静に学びその改善を含めた自分なりの取り入れ方をするというプロセス。一方常に全体と部分の関連を考えながら作業を進めるというプロセス。自分で発見したことは必ず自分の言葉で書きしるすというプロセス。
 基本的には学校でこれらを身につけておけば、ITエンジニアとしての基礎ができているので、どんどん新しい仕事をしていけると思います。 一方ここが弱いといつまでも仕事を「見習っている」ということになってしまい、本来楽しくあるべき仕事が苦痛になってしまいます。
 遅くはないのでここに気づいたら自分なりの主題を決めてしっかり考えて上記プロセスを実践していきましょう。

2010年3月25日木曜日

ITエンジニアの教育をサポート

 このブログやtwitterを通じて、ITエンジニアの育成に関するお手伝いができないかと考えています。コンサルテーションというと難しげですが、気軽に相談に応じる形で。
 企業の中の教育・育成担当の方や、自分で自分を教育するしかない立場の方も対象としていきます。もちろん無料です。私のメリットはこのような相談を通じて私の経験を増して行く。それが今後の相談の裏付けになっていきますし、口幅ったいことを言えばいままでお世話になってきた社会へのお礼ともなろうと言うわけです。
 窓口は以下の通り。
  (1)このブログの各記事の下にコメントが記入できます。ここでどうぞ。
  (2)twitter使用の場合はhfukuchiのコメントへの返信コメントでOK。
  (3)人に見られたくない方は以下にメールください。

ITアーキテクトの基本行動パターンの提案

 まず必要なのは、自分の生き方・仕事の仕方つまりパターンを意識的に決めること。そしてそれらに沿って生き・働きながらパターンを順次改善していく。
 この際、システムのアーキテクチャを考えるように自分の知識や生活の体系を設計し・実行し・レビュし・改善する。
 次の手順で行っていく。
  (1)自分の生き甲斐と仕事における目的は何か。これらを明文化する。なるべく簡潔に。
  (2)この生き甲斐や仕事の目的をブレークダウンする。具体的な行動に結びつけられるように。
  (3)それぞれのブレークダウン項目に対し実際に何をすれば良いか行動項目を考える。
     ---ここまでは必ず独力で行う。人に聞いてはいけない。---
  (4)行動項目にたいし、実行計画をたてる。この計画は周囲の人にレビュしてもらうと良い。
  (5)実施に移る。
  (6)定期的にレビュを行う。(ここも周囲の人に助けを借りるとよい。)必ず計画の修正を行う。
  (7)(1)から(3)までの見直しは年に一度行う。年度初めや正月が最適。

2010年3月23日火曜日

小山慶太さんの本を

 久しぶりにY市市立図書館に行って借りてきた。少し彼の科学史に関する考え方を研究したい。
 閉架図書なので青い伝票に書名他細かいことを書く必要があった。15分ほど待ってと言われ、いままで行ってみなかった二階と三階の閲覧室を見学。二階は一般の閲覧室とパソコン持ち込み席(8席のみ)および資料検索室がある。三階はCDなどの視聴覚教材閲覧とインターネット閲覧PC席がある。受験シーズンが終わったせいか空いている。パソコン持ち込み席には年寄りがたくさんいる。仕事をやっているような人も。今度私も持ち込みでやってみよう。
 下に降りていくと地下の閉架書架室から本が届いていた。いままで検索システムを使っていても閉架の概念が思いつかずこの本は見あたらない??とあきらめていた。これからは考えをあらためま~す。

2010年3月12日金曜日

青色申告の申請をしました

この1週間くらい準備をしていたが、本日午前中書類を6種類くらい作成し、最寄税務署へ持参しました。確定申告の追い込みで玄関から道路まで長蛇の列で確定申告書類作成指導を待つ人々を尻目に、無事提出しました。いろいろ苦労して書いたにしては、あっさり受理してくれて拍子抜けです。念のため「何かあったら連絡くれるのか?」と余計な質問までしてしまいました。

2010年3月4日木曜日

新しい収入源さがし

少し当てにしていた会社からの4-5月新人研修の引き合いがないようなので、この道の先輩にお願いして他社の研修講師の口を紹介していただいた。来週先方のご担当の方に会っていただけることになった。うまくメードするといいが。「いつか王子駅で」(堀江敏幸)の主人公の気分。
 それ以外に雑誌原稿のテーマを考え、売り込んでいただくことにした。もつべきものは頼りになる先輩!

2010年3月1日月曜日

5ヶ月たってやっと落ち着いた

昨年9月30日定年退職後、5ヶ月経過した。旅行などあわただしい毎日だったが、ここに来て(オリンピックも終わり?)やっと落ちついた気分になってきた。どうも学生時代にもどったような気もしている。これからは自分の生活のリズムを作っていこう。
 とりあえずの目標は堀江さんの「河岸忘日抄」の境地。読み直したら、オーディオセットの記述を見つけたが(LP 351枚 CD 232枚 Naim NAP250 NAC62 CD1 ロジャースLS3/5A リンLP12)、この分野がもっとも目標に近いかもしれない。もちろんこちらの機材はおよびもつかない安物ですが。

2010年2月24日水曜日

フランス旅行記-美術館めぐりは楽しいけど足は疲れる



今回、アヴィニョン、アルル、パリ三カ所の美術館に行きました。
アヴィニョンではプチパレ美術館が白眉。数々の聖母子像が静謐のなかに我々を迎えてくれました。ショップも充実(ただしおつりをまちがわれないように)。他アングラドン美術館やアヴィニョン橋(これは美術館ではないか。)など落ち着いた街のたたずまいのなかに調和した小美術館があります。
 アルルでは円形競技場のまわりにある、古代劇場(アンフィテアトル)や共同浴場の間にやはり小美術館が点在。目立たない裏通りにもありますので要注意。
 パリはご存じルーブル以外に、オルセー、オランジュリーなどが大所でしょうが、ケー・ブランリーもおすすめ。古代の人々の生活をのぞかせてくれる膨大な展示が西洋・東洋を通じてあります。ルーブルほどではありませんが、広いので足の疲れに注意。ルーブルでは「ウサギの聖母」の解説ブースがあり、解説を聞く振りをしてゆっくり休めます。
 フランスのお手洗いは必ずしもきれいとは限りませんが、美術館ではみな清潔で安心して入れます。

2010年2月23日火曜日

昨夜は昔の仲間と飲んでしまった

水道橋の有名餃子店の「O」で、先輩の送別会。行きは神保町で降りて歩きましたが、岩波ホールで「海の沈黙」をやっていて、ついそちらに入りそうになった。今度見に行きます。
 飲み放題、餃子は食べ放題のコース、込み合っていてなかなかお代わりが出てこないのを克服し、たっぷり飲み食いしました。
先輩のTさんは今後九州での在宅勤務になります、夜の飲みでお世話になった大恩人です。また上京のおりには、そして九州訪問のおりには飲みましょうということで2次会後解散。
地下鉄ですわり、iPodでエルガーを聞いていたら寝てしまい、連れの方の降りるのはよく気づかなかった。みんなよく自分の駅で都合よくおきるものだ。
 今日は寝不足と二日酔いで一日中ごろごろしていました。


2010年2月17日水曜日

iPod Classic購入


160GBのシルバーを購入しました。
いままでは日本メーカーのポータブルプレーヤーを使いそれなりに満足していましたが、最近クラシック音楽の良さを再発見し、それを聞くにはiPodがぴったりと思いました。音質もそうですが、160GBの大容量を生かして大きなファイルサイズでAppleロスレスかAIFFで聴こうと思います。
 実際に実験してみるとなかなか良好。ただし添付のイヤフォンはまったく使わず、繊細な音のビクターのHP-FXC50を使用しています。
 自宅ではアナログ出力をYAMAHAのDP-U50(楽天オークションで入手)経由でAIWAのメインアンプP7(いただきもの)につないでいます。スピーカー(パイオニアのブックシェルフ。HARDOFFで¥2,100)はやや弱体かとおもいきや意外にバランス良く低音もそこそこでます。
 デジタル出力も試してみたいのですがONKYOのトランスポーターをどこかでやすく入手できるまでお預けです。PC(NB100)からはUSBデジタルでDP-U50につないでいるので、わざわざそこまでやることはないのですが...
 おまけで、iTunes経由で無料の大学講座動画をいれて楽しんで(英語なので雰囲気だけ)います。

2010年2月6日土曜日

フランス旅行記-帰途につく(10月11日)



さて、最終日。6時に起きて昨夜のパッキングの続き。今回仕入れた大型の白のスーツケースに着替えとおみやげをしこたま詰め込む。(写真1)この部屋には重さをはかる体重計がないなー。(ま、いいか)
 パリ最初の朝のカフェで最後の朝食。息子はなんだか卵焼きをのせたトースト(クロックムッシューだと)を頼んでいる。(写真2) マスター相変わらず渋い。
 豪華ではないがロケーション抜群でそれなりの懐かしさもこもるホテル・アンタン・トリニテ(写真3)をあとにした。
 タクシーのお兄さんはなかなか気さくで日本人かなどと声をかけてくれる。ドゴール空港まで約50ユーロ。3人なので、バスよりおとくかもしれない。
 空港では大騒動。まず、デタックス(消費税の還元)手続きで、手間取る。なにしろたくさん買い、伝票もたくさん。つぎにエール・フランスのカウンターでお姉さんが「アナタノバッゲージ、オモスギルヨ」と無情な宣告。昨夜適当にパッキングしたせいだ。重そうな物をかなり取り出し機内持ち込みにしたが、結局8Kgオーバーで別の窓口で240ユーロ払わされた。もう時間がないとも言われ出国手続きへダッシュ。きびしく身体検査もされ、靴も脱がされた。ああしんどい。
 帰りはほとんど寝ながら飛行。おきたら沿海州の上をとおっていた。誰もいない大地と海が続く。ほぼ定時に成田着。空港リムジンバスで多摩プラザ駅へ。日本語が通じるってすごく楽ですね。帰宅、お疲れ様でした。
 

2010年2月5日金曜日

フランス旅行記-2階建て観光バスも結構楽しい(10月10日)



里心がそろそろついてきた。安いカフェで朝食の後、息子とは別行動でカールージュ(「赤バス」ですね)にのり市内お上り観光をすることにしました。料金は安く2日間乗り降りしほうだい。タクシー代わりに使う方もいらっしゃるとか。主要な観光スポットを要領よくまわるので今回の訪問の復習にいいなと思ったのです。
 ホテル近くのオペラ座の横、ユニクロが開店してなぜか列を作って待つパリジャンを尻目にバスの2階(天井なし-ちと寒かった)席に乗り込みました。(写真2)
 すでに見て歩いた場所をイアフォンの解説つきで回ります。解説はもちろん日本語が選べます。BGMにオペラの音楽が流れ、風景とマッチしてすごくいい気分。眺めも良好。カメラも自由に振り回せます。公園を走る子供たちもスナップ。(写真3)こういう何気ない写真がいいんですよね。自画自賛。
 昨日朝きたエッフェル塔のバス停では降りる人も多いし乗る人も多い。写真1はバス停にいた土産物売りのお兄さん。エッフェル塔の模型をたくさんぶら下げて売っています。ルーブルやセーヌ河畔をドライブしているうちに、旅愁を感じました。またパリにこれるだろうか??ぜひまた来たい。やや涙目。
 セーヌ河畔の古本屋。ここも次回に取っておこう。 結構満足して2時間ほどでバスを降りました。(写真4)
 オペラ座に結局戻ったのでラファイエットで昼食。いわゆるデパートの高層階の食堂群で中華料理店にいきました。そんなにおいしくはない。土曜日なので家族連れが多かった。チャーハンと焼きそばと白いご飯という我々から見ると唖然とするような組み合わせで楽しそうに食べたりしてます。雰囲気は日本のデパートの休日と同じです。今回はネズミちゃんには会いませんでした。昼寝してたんでしょう。
 昨日Kさんに紹介されたフラゴナール美術館(要するに香水や石けんを売るための「美術館」)も探して行きました。私は別にどうでも良かったが、連れが...
 このあとは私はホテルで休み、他のみなさんはシャンゼリゼに買い物に行く。元気な方たちだ。
 夕食はオペラコミック座のそばのあるレストランにいったら一杯で、フォンデュのレストランにはいったが意外にいける、おいしい。ウエィターのおじさんは鼻眼鏡でおかしい。
 部屋に戻って荷物のパッキング。息子が寝てしまったので老夫婦でぶつぶつ言いながら適当に押し込んだ。
 

2010年2月4日木曜日

フランス旅行記-朝食はカレット昼食はラジュレでも夕食は部屋でサンド(10月9日)


7時起床。曇っている。地下鉄でトロカデロ広場へ。有名喫茶「カレット」で豪華に朝食。同じプチデジュネでも高くてうまい。エクレア(写真1)も全員追加したが、あとで気づいたら請求されなかったような気もする。サービスということで...大満足でした。
 エッフェル塔(写真2)に登ろうと思っていたが朝食でゆっくりしすぎたせいでもう長蛇の列。やめとくことにしました。まあこの次でいいや。
 サンジェルマンデプレを散歩。カフェレドゥマゴに入る。主に誰かがトイレを借りるため。ついでにカフェクレーム。
 今日のメインは昔(20年くらい前?)一緒に仕事をしていたKさんとの再会です。昔とちっとも変わらず若いが(年齢差は変わらないからね)、ご主人の仕事の関係で昨年からパリに住んでいる。子供の教育のお話や昔の仲間の消息などをラジュレという店でオムレツのランチを食べながら話して楽しかった。別れ(写真3)たあと、少し散歩しホテルへ。
 ラファイエットに行き、今日は私のマフラー(イタリア製、ピンク)とセリーヌのネクタイ(青)をバーゲンで買っていただいた。
 夜は出かける気力なく、ラファイエットのデパ地下(?)で買ったサンドイッチとパテとスーパーで仕入れた赤ワインで夕食。

2010年1月31日日曜日

フランス旅行記-サクレ・クール寺院とモンマルトルの猫そしてラファイエットのネズミ(10月8日)



起床七時。疲れからか風邪気味。でもせっかくのパリなので起きる。マクドナルドで朝食。インターネットが目的。なんとかつながってメールは読めた。もとの会社の人事異動のニュースあり。あまり関係ないな。
 バスと地下鉄を乗り継ぎモンマルトルへ。下町風。浅草みたいです。サクレクール寺院へ「登る」。(写真1)ノートルダムほど感激せず。したがってローソクもあげなかった。
 来秋からのお祭りの準備をしている街を別ルートでくだる。瀬戸物屋さんがあり、少し買う。喫茶店のウインドウで三毛猫が昼寝をしている。猫の置物やカップなど。もっと下ってくると小さな公園があり、人なつっこい猫がいる。(写真2)。少し遊んでいただき食事場所をさがす。
 「アメリ」という映画に出てきたレストランで食事。映画よりざわざわした感じ。少し残念。きのう食べ損ねたステーキを食べた。「アメリ」でなく、アメリカのステーキに似てます。出たところで記念スナップ。(写真3)
 地下鉄でサントノレ通りへ。エルメス本店でスカーフを買い込んだかたがいる。アラブの大富豪の奥様風のマダムも買い物している。ショッピングにつきあっているとなぜか急速に疲れるので、ホテルに戻って休息。他の方々はなおもショッピングにいった。
 夕食は近くのラファイエットに行き、セルフの食堂で食べた。いい値段だがとくにおいしくもない。ただ、眺めが良くエッフェル塔が八時にライトアップ(シャンパンライトというらしい)されたときは息を呑んだ。ついでに客が減ってきたら食堂の床を小さなかわいいネズミが走り回ったのにも息を呑んだ。すぐ足下までやってきてえさをあさっているようだ。さっき猫がたくさんいたのはねずみ取り用だったのかも。
 

2010年1月30日土曜日

フランス旅行記-ルーブル美術館・オランジュリー・疲れた(10月7日)



フランス旅行記も再開します。パリに着いて(戻って?)の三日目の朝。洗面所からなかなか出てこない人がおり、戻ってきた後聞いてみたら、シャワーがぬるくてという返事。温度調整をするのが難しかったらしい。あと、フランスに来た当初はトイレで水を流すのが出来なかったと。確かに日本のとはボタンの構造が違います。手を洗う水が足もとのボタンで出てくるなんてのもあるし。
 ともかく七時半に出発し、ホテル近くの小さなカフェで11ユーロのプチデジュネ。おいしいです。マスターは白いワイシャツとネクタイで渋く決めてます。地下鉄で急いでルーブルへ。まだはやくほとんどだれも並んでいない。こちらはチケットは買ってあるし。余裕というか寒いのではやく入りたいがなかなか開場しない。噴水池になげこまれた小銭を集めているおばさんもいる。ごくろうさまだ。
 入りました。大感激。名画がびっしり。客がほとんどいないのですべてが直接目に入ってくる。涙がでそうになりました。写真1は誰もまわりにいないミロのビーナス。ニケ、ジョコンダ、ナポレオンとお上りさん鑑賞コースを歩いている間に徐々に混んできました。絵はがきやガイドブックも立派な売店で買い、ステーキでも食べたいねとカフェをのぞいたがまだ開店してない。
 外に出て、「ポール」とかいう有名だというサンドイッチ店へ、テークアウトでそれなりにおいしかったがまず堅くてあごがつかれました。
 オランジュリー美術館へ歩く。受付の方は親切でしたが中の監視員が怖かった。最近なにか事件が有ったようで、カメラのフラッシュをたくなとカメラを持っている人全員に言うし、絵に不用意に近づいた人を脅しあげる。でも睡蓮(写真2)の展示の仕方はすばらしかった。外光をうまくとりいれて見やすい。(これは後日談ですが、一月に新国立美術館(六本木)にルノアールをみに行きましたが照明がきつくてさっぱり色がよく見えませんでした。センスのちがい?)
 あまり感激したせいでオランジュリーを出た後財布を落とし、後ろから来た人に拾ってもらいました。(写真3はその直前)
 このあと地下鉄で凱旋門に向かいシャンゼリゼでウインドウ・ショッピングのあと、年寄り用のエレベータに乗せてもらい高いところにあがりました。そろそろ疲れてきて景色を楽しむどころではなくなってきた。
 もどって一休みしプランタン百貨店へ。帰りに猛烈な雷雨。でもホテルは近いのでへっちゃら。
 夕食はベルギー資本のチェーン店でムール貝をなべに一杯ずつ食べました。かえって前後不覚に眠る。ぐーぐー。

2010年1月26日火曜日

読書中

この手の本はたくさんある。説明(口頭のプレゼンや説明書仕様書)を実際にやって見てもらい、感想を言う研修のネタに使える。

2010年1月18日月曜日

またまたマカオ・香港(お茶と雑貨ショッピング)

おみやげの定番はマカオでは杏仁餅ですが、毎回買ってきているので今回はお茶をメインにご紹介。1番目の写真の英記茶荘は有名店でいろいろなところにあります。通常は香港のエアターミナルの店で買うのですが、今回はマカオの下町の店に行ってみました。セナド広場から北東にあるくこと15分中国の香り豊かな商店街です。壁にずらりと並んだ茶の缶のラベルの銘柄と価格(一斤すなわち600グラムあたり)を考慮しお店の人と手真似で会話しながらえらびます。茉莉花茶(ジャスミンティー)と鉄観音(テッカンノンと言えば通じます)にしました。この袋は半斤ですがこれで毎日飲んでも1ヶ月は持ちます。しかもおいしい。それでもってヘルシー。
他にも香港駅でおみやげ用として買いました(写真3)。
写真2は前々回買った香港上環の店のお茶の袋。この店の作りも上記と同じ。店に入って右側がカウンター、左が缶ののならんだ壁になっています。

他におすすめはスーパーでのショッピング。息子はチョコレート・フリークなのでスーパーに入るたびにチョコレートの棚に張り付き、格安高級チョコを買いまくります。写真4はチョコでなくわりとポピュラーなインスタントラーメン。日本のチキンラーメンをあっさりさせたような味で我が家では好評です。

べつの文房具屋兼雑貨屋に入ると旧正月前なのでカレンダーや正月用の飾りがたくさんありました。私の名前にも使われている「福」という字のはいった商品が多い。半分以上に書いてあります。なので買ってきました。(最後の写真)





2010年1月17日日曜日

またまたマカオ(B級グルメ)

香港からマカオには普通フェリーで行きますが100HK$ほどよけいに払ってスーパークラスにのりましょう。シートが豪華で軽食もで、飲み物のみ放題(急いで頼まないと着いちゃうけど)。軽食は毎回メニューが違っていました。今回(往き)にでたデザートはたぶん豆の緑色のゼリーを食べていたら下からコーンが出てきていっしゅんあっけにとられました。でもさっぱりしていておいしかった。(写真1)




翌朝の朝食は焼きそばにエビの卵をかけたりワンタンが乗ったもの。祥記麺食専家というところ。うまい。朝食にちょうどいい分量です。(写真2)

翌々日これも有名な豆腐麺を食べました。(写真3)意外にミスマッチではない感じです。

その夜は陶陶園で広東料理。右奧のは表面かりかりに焼いた豚肉になにか白い粉を付けて食べろと言われましたが、これがどうも砂糖でした。最初塩だと思ってつけてもさっぱり味がしないので大量につけたらわかった。全体的にこの店はきれいでメニュウもわかりやすく初心者にはお勧めです。(写真4)

最終日に香港にもどって食べたのが牛肉(筋でもやわらか)ワンタン麺、あまり期待していませんでしたがうまい!おすすめ。香港IFCからピークに向けて出て坂をちょっとあがった横町にあります。(写真5)





2010年1月15日金曜日

またまたマカオ(図書館巡り)


まずは有名なのがロバート・ホートン図書館です。カジノ、ホテルを経営する一族の寄付で作られたとか。マカオに行くたび立ち寄ります。前回から目を付けていた欽定四庫全書會要(會には本当はくさかんむりがつきます)とは何者か少し序文を読んでみました。四庫全書そのものではもちろんなく、なかなか出来ないのにごうをにやした乾隆帝がダイジェスト版を作らせたらしい。でも500冊もあります。ここにあるのは2002年に印刷されたもの。手書きのものを写真製版したようです。全部買っても68000元。日本でも売っているようですね。こんど日本の図書館のどこで見られるか調べてみます。東洋文庫とかにありそうですね。

 あとは、マカオ・ポルトガルと日本で知られている文学者とその著作の一覧本「東洋のポルトガル作家」を眺めました。カモンエスは知っていたが、モラエスは知りませんでした。その後ホテルに戻ってamazonで彼の著作「日本精神」と瀬戸内さんの「モラエス恋遍路」を注文してしまいました。翌日ポルトガル語の本屋さんにいったらカモンエスの「ウズ・ルジアダス」の注解本を売っていたが読めないしまた荷物が重くなるのでやめました。モラエスの写真集もあったけどこちらはもっと重いしなにしろポルトガル語が読めないのでやめ。

 翌日は中央図書館に行きました。塔石広場というところにあります。(写真上)マカオ資料室があり午後は閲覧自由。ここはほとんど中国語の資料です。ポルトガル語、英語の資料が少々。)政府の予算などの資料もあります。ここで眺めたのは華英辞書を初めて作っり華訳聖書の基礎を作ったモリソンの著作集。その英語の序文などを読み、モリソンにも興味をひかれました。これもホテルに帰りインターネットで調査。東洋文庫のもととなったモリソン文庫というのがありはじめは混同しましたが、別人ですね。
その帰りにセナド広場の向かいの民政総署の二階の図書室を初めて見学。一七世紀から一九世紀にかけての本が二万冊ある(そうです)。本の背中は見ることができますが、貴重本なので閲覧は特別に申し込む必要があります。これは準備が必要そうなので次回まわし。でもマイ・フェア・レディーの映画に出てくる教授の書斎のようですごくかっこいいです。(写真下はパンフレットの写真の写真。)

2010年1月14日木曜日

またまたマカオ(1月8日-12日)

昨年6月以降3回目のマカオです。
なぜこんなに行ってしまうのかよくわかりません。
ともかく着いたら、マカオはまだクリスマス期間中でした。返還記念10周年でもありセナド広場や大通りはきれいに飾り付けしてありました。マカオにしては寒かったのですが、歩き回るには最適の気候かも知れません。
今回のマカオ旅行記は日付を追うのはやめて、トピックスをいくつか紹介しようと思います。(図書館巡り、B級グルメ、など)明日からはじめます。

2010年1月6日水曜日

香港朝飲茶昼甘味でやっと帰宅(11月3日)


香港の朝。6時起床で荷物のパッキング。腹が減ったのでチェックアウト前に、飲茶にいくことにしました。
チムサチョイからモンコックへ地下鉄4.4HK$。出口を間違い20分くらいロスしたがなんとか倫敦大飯店へ。明るく大きな店で朝食をとったり新聞を読んだり中には会議をしている人もいます。ゆっくり食べて帰ろうとしたがどうも香港には珍しく寒い。町中で高校生(たぶん)が警官に「学校はどうした}と声をかけられているようです。そういえばこちらは休日ではないのですね。
地下鉄で戻りペニンシュラホテルのアーケードで買い物。YMCAの売店でも土産物を購入。ついでに中藝でも絹のケースを奥方様に購入。翡翠は高すぎたのでカタログをいただいて眺めるだけ。
時間ぎりぎりにホテルにもどりチェックアウト。また出かけるので荷物を預けたが、すぐ気が変わり香港駅へ行き、キャセイパシフィックのカウンターで預けて一安心。
このあたりはビジネス街でもありショッピングセンターにもなっています。息子の好きなKENZOもあります。本屋をひやかし(KindleよりごついIlliadという読書端末があった。498HK$買わなかったけれど。)CD屋でベートーベンの弦楽四重奏曲全集を購入。
甘味屋でゼリーみたいなものとフルーツのセット(写真)を頼んだら、その後トイレが近くなって困った。小のほうですが10分おき。体にはいいのだろう。このとき入ったトイレには常時掃除のおじさんがいることに気づきました。人件費安いんですね。
16時15分発CX508便で成田へ。B777-300ですが機内の装備など見ると古い。シートの表面がはがれたりしてました。座席予約がうまくいってなかったので席を替わってもらい窓際になっちゃったが、トイレは1回だけですみました。ジェットストリームははやい。一時は130kmもありました。追い風で帰りが速いわけです。高速リムジンバスでTCAT→半蔵門線→田園都市線で23時30分自宅着。
マカオ旅行記終わってやれやれですが、実は明後日からまたマカオに4泊で行って来ます。パリの旅行記はまたお預けです。




2010年1月5日火曜日

朝粥食べて昼は陸軍クラブでランチ・ビュッフェ夜は香港の四川料理(11月2日)



さて、マカオ三日目です。夜は香港泊まりなので、マカオ最終日。
朝は気合いを入れて(でもないが)早起きし開店前に三元粥品専家へ。おばあちゃんにシャッターをあけてもらい、店の名前にもなっている三元粥を注文。卵もいれてもらう。もちろん油条(揚げパン)も注文。おいしいです。(メニュウの写真中)
そのあとスタバでコーヒーを飲み(高いが)、ホテルに戻り、用をすませてチェックアウト。ところでトイレのタイルもきれいです。(写真下)
荷物を預け、タクシーでフィッシャーマンズワーフ(ショッピングセンター&テーマパーク)へ。土産を買ったり、カジノで遊んだり。2件目のカジノで賽子の操作に不具合があり、掛け金の返却で客と係員が大もめ。結局マネージャが出てきて防犯(?)ビデオの映像で判定し一人のおばさまの主張は却下された。皆で疑っていたおじさんには掛け金が無事帰った。その横でなにげに手堅く儲けていた別のおばさんはその事件をきっかけに大小の賭台をはなれた。われわれも。
陸軍クラブに行き、ランチ。クラブなので会員以外でも入店時に名前を聞かれます。注意。高級感ある建物と料理(ただしというか幸いにというかセルフ)。おいしいし、割安です。
フェリー(今回はエコノミー)で香港へ。夜は前回も行ったショッピングモールの四川料理屋へ。あいかわらずうまいです。ちなみに途中で白飯持ってきてとお願いしたら、メニューにはなかったが、ちゃんと出てきました。(写真は1番上です)

帰りにHMVで安いJazz(コルトレーンやエバンス)のCDを数枚仕入れました。

2010年1月4日月曜日

マカオのロバート・ホートン図書館(11月1日)



元気なおばさんの運転するタクシーでコロアン島へ。
エッグタルトとビールを買い、ザビエル教会前の公園で朝食。掃除のおばさんがにこにこしながらなにごとか話しかけてくる。「日本人か?とか朝飯か?」とかだろうがさっぱりわからない。どうも最後は「散らかすな」とおっしゃったようです。
前は海向こう側は中国本土。岸壁の穴からネズミが顔を出している。(上の写真の右下。)朝食のあまりをねらっているようだ。
夕方はホートン図書館(右側の黄色い塀のなかの建物)に行き1時間半ほど読書。欽定四庫全書のそろいがあった。一応目次だけ眺める。あとは望遠鏡の本(英語)をみていた。
夜はレストラン「カルロス」マカオ料理。カレーチキンがうまい。ワインも安い。町中はもうじきあるマカオグランプリの準備で普通の道路に仮設スタンドを作っている。(最後の写真の右下。)