2020年8月31日月曜日

偏奇館を訪ねてみたいし、書評論も勉強したい

「月刊ALL REVIEWS」ノンフィクション部門第20回、武田砂鉄さん×鹿島茂さんを視聴。

武田さんの『わかりやすさの罪』(朝日新聞出版)が課題本だったのだが、対談の内容がいつの間にか「書評論」に変わり、それが素敵に面白かった。これを機会に、書評そのものについて勉強してみたい。その際に、気をつけることは無理に「わかろう」としないことだろう。とりあえず、対談の文字起こしを個人的にやってみる。経過はこのブログに逐次書きつける。うまくいけばnote記事にまとまるかも知れない。(吉本隆明テーマの対談記事に関しては、まだできない―多分5年ぐらいしないとできない―ので大きな事は言えないが。)

とりあえず、書評論で記憶に残ったのは以下。

書評は受け売りを可能にするためのツール(鹿島茂さん)

 

書評三原則(丸谷才一作)

(1)マクラは三行で書く。

(2)要約はきちんとする。

(3)けなし書評は書かない。

 

書評の勉強には落語を聞け。(鹿島茂さん)


***

静かな朝に読んだのは『荷風と東京 『断腸亭日常』私註』の続き。

89頁。
山の手の子(荷風)は築地から30分歩いて、日比谷公園に行き、読書を楽しむ。「下町」の騒がしさに耐えられなくなった。大正8年10月29日。

90頁。
三味線に興味を失う。オペラがいい。

94頁。
麻布市兵衛町(現在の六本木一丁目、アークヒルズの隣接地)に二階建ての家を借り、ペンキを塗る。ペンキ=偏奇館。

96頁。
大正9年5月23日に引っ越す。以来昭和20年3月10日(東京大空襲)まで25年間偏奇館に住む。

103頁。
『おもかげ』に偏奇館の写真が掲載されているという。早速、国会図書館DLで調べると、119頁にたしかにある。バーチャル本棚の便利さと醍醐味を感じる。ついでに、『日和下駄』も捜して少し読む。楽しい。



2020年8月30日日曜日

山陽は結局都会人になれ(なら)なかったし、荷風は下町っ子にあこがれたがなれなかった

今朝のリンゴ。「きおう」青森産。爽やかな味。


***

『頼山陽とその時代』、とにかく今日で一回読み終えたことにする。

546頁。
『日本政記』、歴代天皇の事蹟。(『日本外史』は武家)

556頁。
『日本楽府』、『政記』の副産物。絶・律だけでない古体の詩。しかも即時・風景のみの当時の詩の材料とは異なる。

567頁。
『新策』と『通議』。政治経済論。

575頁。
『詩鈔』と『遺稿』。死を間近にして『詩鈔』の出版に心を砕く。

612頁。
『書後題跋』。批評家山陽の面目躍如。

641頁。
略年譜。

645頁。
頼家系図。

そのあと、索引。

奥付に押された「ns」の検印の朱が鮮やかだ。



***

『荷風と東京 『断腸亭日常』私註』を、読み進める。

77頁付近。
荷風は、現在の目ではなく過去の目で東京をみていたらしい。明治の目ではなく江戸の目で、たとえば隅田川を見る。そこには実際にはない風景を見ようとする。そして『濹東綺譚』が生まれる。

79頁。
悲しいかな、でもやはり、荷風は下町の子にはなりきれない。大正9年、数年住んだ築地から、麻布市兵衛町に引っ越す。

2020年8月29日土曜日

毎日書かないといけないようです

『荷風と東京 『断腸亭日常』私註』(都市出版)。ALL REVIEWSの書評(評者は出口先生)でこの本を知り、読みたくなって図書館で借りてみた。

読み始めると止まらなくなる面白さ。11章の「鷗外への景仰」を先に眺めていたら、磯田光一の『永井荷風』や、山崎正和の『鷗外・闘う家長』も読みたくなる。芋づる式に本が読みたくなるいわゆる「危険」な本。

あらためて、まえがきから、読み進める。

13頁。
荷風が日乗(日記)を書く方法が紹介されている。まず手帖に鉛筆でメモ書き。次に、大型ノートに万年筆で文章として書く。推敲もする。最後に、筆で和紙に書く。最後のはきちんと製本して保存する。これを42年間ほぼ毎日続けた。うーむ。真似したいが無理。

46頁。
家庭を持つと老い込む。孫を可愛がる「おじいちゃん」はゴメンだ。独身主義の荷風の持論。

47頁。
独身なら自由に街歩きできる。池波正太郎はやらない無目的の街歩き。

51頁。
単身者のユートピア。40代で隠居生活。

54頁。
単身者でないと毎日日記は書けないと荷風。


***

『頼山陽とその時代』、「山陽の学藝」は山陽への接近作業の頂点だ、と中村真一郎は書く。(531頁)

この章のまえがき。「儒学は元来死の哲学ではない」ので山陽も死は気に留めない。

534頁。
京の古注学者、猪飼敬所も、江戸の朱子学者・陽明学者、佐藤一斎も山陽は「無学」だと公言していた。本人は学統には無関心。そんなのは時代遅れだと思っていたフシがある。

535頁。
幽閉中に暇つぶしに毎日書いた物がその後、『日本外史』になった。著述と言うより編纂物に近い。(537頁)

***

とにかく、毎日書くのが好きな人が多いようだ。

2020年8月28日金曜日

浮かれてはいけない、これからが大切。

『頼山陽とその時代』、中断しようかと思ったが、もう少し読んでみよう。

201頁。
新宮涼庭(1787〜1854)、蘭医。『西遊日記』。1832年山陽が喀血で倒れた時診察した。旧知。

209頁。
村瀬栲亭(1746〜1820)。京都学会のボス。古注学者で詩人。人気の出そうな山陽を講師として雇おうとするが断られる。その後対立。村瀬栲亭は博識にまかせディレッタント的な書物も出していた。これも山陽に嫌われた。

219頁。
中島棕隠(1780〜1856)。流行作家、通人。村瀬栲亭の弟子。都会人の中島棕隠と田舎出の山陽はやはりあわない。

このあと、友達の友達など、たくさん。

246頁からは、西遊中の知人たち、つまり春水の三回忌(1818)の後、九州旅行した山陽の知人がたくさん。

やはり、531頁からの「山陽の学藝」(この本の総まとめ)にワープすることにする。明日。

***

気分を変えるために、『木村蒹葭堂のサロン』のなかの、頼山陽の記述を索引を使って拾い読みする。

29頁。
江戸後期の知識人「共和国」の典型的三人を中村真一郎は描きたかった。

(1)山陽 ジャーナリスト、詩人、批評家。認識の人。ホモ・サピエンス。

(2)蠣崎波響 政治と芸術の狭間にいた。ホモ・ファーベル。

(3)蒹葭堂 社交人。ホモ・ルーデンス。

195頁。
母親の影響が良くも悪くも強すぎた。母親はメリー・ウィドウ。弟子は顰蹙。

***

もうひとり、マザーコンプレックスの方が現在の日本にいらしたが、ご病気で現在の要職を投げ出すことになった。2回目なので、呆れられている。病気なのであまり悪口は言いたくないが、在位中に、戦後庶民が苦労して築きあげた社会の民主的な部分をすべてダメにしてくれた。この回復には相当な時間と我々の努力が必要になるだろう。

また読み返そう!


2020年8月27日木曜日

美しい青空を見ながら美しいリンゴ「恋空」を食べるたのしさよ

午前中は変わりやすい天候。蒸し暑い。空は美しい。


***

今朝のリンゴは「恋空」(青森産)。初めて食べた。色が美しく、味は、早生リンゴにしては。しっかりしている。


***

『頼山陽とその時代』。

185頁。
武元登々庵(1767〜1818)とも、頼山陽はあそんだ。文化5年(1808年)からのこと。登々庵は『古詩韻範』を仮名まじり文で書いている。書と詩と蘭学を好んだ。『古詩韻範』は1880年の版を国会図書館DLで閲覧可能。序文は山陽。

190頁。
大塩中齋(平八郎)(1794〜1837)。与力で陽明学者。その座を離れた時山陽は賞賛したという。(193頁)「言行に制限を受ける職業に就くことは、山陽は一生しなかった」。

194頁。
「体制の内部で、いかにして内的な自由を維持しながら生きていくか…」。
山陽は、生きていても、大塩平八郎の義挙には参加しなかっただろう。

195頁。
書斎的慷慨家。

199頁。
猪飼敬所(1761〜1845 儒学者、芸術的才能はない大御所)。年上だが気があった。心疾を二人共病んでいた。別れの時敬所は自分を学者、山陽を文人と呼んだ。文学者が学者とは別物となりつつある時代。(明治の幸田露伴たちは例外的?)

このあと、209頁まで蘭学者たちの話。209頁からは、京摂の敵対者たちの話。人名だけ拾っていくつもり。

***

『物語マリー・アントワネット』(白水uブックス)を読み終えた。マリー・アントワネットの悲惨な最後。


2020年8月26日水曜日

先延ばししていた免許更新をやっと実現、熱中症に怯えながら

免許更新に二俣川の免許試験センターへ行く。暑い。午後に行ったせいか、普段に比べ空いている。すでに高齢者講習を受けているので、今日は講習はなし。目が悪くなっていたが、なんとかおまけしてもらった。眼鏡のコーティング(ブルーライト軽減用)が、紫色に写ってしまうということで、眼鏡を外して撮られたが、出来上がった写真を見ると、見知らぬ老人が写っている。更新は多分これで最期で、次の機会には返納しようと思う。

***

朝、早起きして『頼山陽とその時代』を読む。

もう一度戻って、9頁のまえがきをまた見る。「無数の可能性の中途半端な実現の束が人の一生」とある。10頁には、「事実だけを配列した伝記が面白くなってきた」とある。このあたりに、しみじみと同感している。

167頁。
第三部「山陽の交友」のまえがき。100年前は日本の代表的文学者は山陽だと言われていた。『日本外史』、『日本政記』、『通議』(経済論)を書いたのだから。ところが、「参加の文学者」であり死後に尊皇攘夷派に担がれたが、山陽は実は晩年特に体制主義者だった。

168頁。
森田思軒の『頼山陽及其時代』(国会図書館DLにある)によれば、幾多の朋友の中心点だったという。

169頁。
当時、朋友たちは互いに交際、手紙のやりとりを頻繁にした。交通の不便さがかえって互いの出会いを深めていたと中村真一郎先生は言う。

170頁。
京摂の友人たち。山陽は江戸進出を狙い、20年間京都で準備したのに、江戸に行く直前に病没してしまった。

このあと、友人の羅列。

篠崎小竹(1781〜1851)、処世上のリアリスト。山陽の天才を愛でる秀才。そこを山陽も利用する。人の良いボス。

172頁。
小石元瑞(1784〜1849)、開けた(開けすぎた?)蘭医。

175頁。
浦上春琴(1779〜1846)、父玉堂と同じく、画人。

176頁。
北条霞亭(1780〜1823)、志摩的矢出身。山陽と深い付き合い。同年代。昌平黌を出て1811年に京都に行き、山陽と出会う。二人で京儒を罵る。霞亭は茶山を訪問し、廉塾における山陽の後釜にされる。茶山の姪と結婚させられる。福山藩主が気に入り、江戸へ引き抜く。茶山は失望した。大目付格儒官兼奥詰。古賀穀堂と結んで学術研究団体を作り活躍。結局は優柔不断のうちに死。墓碑銘を書いたのは晩年の山陽。やはり親友だった。

北条霞亭については、まず森鷗外を読まなくてはならない。

185頁。
武元登々庵(1767〜1818)は明日。

***

読書途中で見つけたが

『古本年鑑 第2年版』のなかの随筆も面白そう。データももちろん大事だが。

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1868285


2020年8月25日火曜日

映画『我等の生涯の最良の年』を研究する人が『サンセット・パーク』に描かれたが……

朝起きして『頼山陽とその時代』を読み進める。

143頁。
第三子、鴨崖(1825〜1859)、通称、三樹三郎。青年時代の山陽に似る、早世したためより不運な生涯と言えよう。昌平黌を退学、その後しばらく勤王攘夷活動をして死刑になる。牢獄内でも果敢な法廷闘争をしたため。木崎好尚『頼三樹伝』は国会図書館DLにあるが、インターネット公開はされていない。

子供時代から悪ガキ。しかも母親は甘やかしていた。

146頁。
山陽門下には実は開明的官吏もいた。

147頁。
齋藤竹堂(詩人)面白い詩を書く。この人につきかなりな脱線。

155頁。
鴨崖の北海道旅行(途中仙台で竹堂方に逗留)。

158頁。
晩年の山陽の利殖術がすごい。三樹三郎が長生きしたらこうなったか?

160頁。
死刑。

3つの世代論、春水(寛政)、山陽(化政)、鴨崖(嘉永安政)。山陽は単なるイデオローグと捉えられ、今は名声が失墜している。3世代は明治、大正、昭和に似ている。歴史の意志!

***

窪田般彌の『物語マリー・アントワネット』(白水社)を読み始める。鹿島さんのサマースクール第三回の予習用。

マリー・アントワネットの不幸な結婚生活、フェルゼンとの恋、デュ・バリー夫人の悲惨な最期とそれを招いたルイ15世の天然痘による死。ルイ16世は決してボンクラではない……

物語と銘打ってあるだけあって、面白く読める。72頁まで進んだ。

***

『我等の生涯の最良の年』をAmazonPrimeVideoで観た。『サンセット・パーク』で取り上げられていたため、冒頭だけと思ったのだが、引き込まれて全部観た。長い。3時間弱だが、飽きない。商業映画だが戦争の無意味さをかなり良く捉えている。1947年封切りだから、まだ当局もうるさくなかったのだろう。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%91%E7%AD%89%E3%81%AE%E7%94%9F%E6%B6%AF%E3%81%AE%E6%9C%80%E8%89%AF%E3%81%AE%E5%B9%B4

***

出版不況の克服策を考えようと、小田光雄さんのブログなどを見始める。




2020年8月24日月曜日

ポール・オースターの『サンセット・パーク』スバラシイ。次の大作『4321』の邦訳も早く読みたいです。

早朝に『頼山陽とその時代』を読む。

134頁。
山陽の三子、頼聿庵・頼支峰・頼鴨崖(三樹三郎)の話。

聿庵(いつあん)(1801〜1856)。母淳子は離婚、父(山陽)は家を出て行き、京都で再婚してしまう。頼家のあとつぎは春風の子景譲だったが、その死により、聿庵が春水の嫡子となる。月並みな儒官であり、不平を持つ地方官となる。支峰をひきとったが、いじめた(山陽の母静子の日記)。

『近世名家詩抄』(安政五年 1858年)にわずかに勤王不平家的な詩が取り上げられる。

138頁。
支峰(1823〜1889)。全体としては幸福な町儒者。父の名声のおかげ。

明治22年、67歳で死。『支峰詩抄』(1899 明治32年)。山水逍遥が健康の秘訣。一時は東京で大学教授もした。御茶ノ水に在住。でもすぐ職を辞する。生まれながらの都会人。中村真一郎先生好みの。

143頁。
頼鴨崖(三樹三郎)については明日。

***

『サンセット・パーク』を読み終える。一見幸せに見えた若者たちの共同生活は、予想通り権力の手により破綻。若者たちはまた過酷な運命の手に委ねられる。厳しい結末だが、例によって、次回作を期待させる、ポール・オースターお得意の余韻を持って終る。さすがに、うまいなあと思わせる。大作『4321』(2017)の邦訳はまだ。お忙しいであろうけれど柴田元幸さんに期待する。



2020年8月23日日曜日

頼山陽の叔父である頼杏坪という方も面白い人だ

今日はマンションの理事会があり、『頼山陽とその時代』の読書の時間がとれなかった。
そのかわりに、『草枕』の一節、温泉宿の老人と和尚の対話を思い出す。


「これが春水の替え蓋」と老人は綸子で張った薄い蓋を見せる。 

上に春水の字で七言絶句が書いてある。

「なるほど。春水はようかく。ようかくが、書は杏坪の方が上手じゃて」

「やはり杏坪の方がいいかな」 

「山陽が一番まずいようだ。どうも才子肌で俗気があって、いっこう面白うない」

「ハハハハ。和尚さんは、山陽が嫌いだから、今日は山陽の幅を懸け替えて置いた」


『草枕』は好きな作品で、いままで何度も読み返しているが、この部分に大きな注意を払ったことはない。でも、頭の片隅に山陽というキーワードで残っていたのだろう。今回『頼山陽とその時代』をマジメに読んでいたら、ここを思い出した。頭の中の「索引」はよく出来ていると感嘆。

叔父の頼杏坪は、父親の春水より、山陽に「影響」を与えたと中村真一郎先生はおっしゃっているのだが……このあたりをゆるやかに追求するのは面白そうだ。


これを国会図書館DLで見つけたが……読むべきか?

https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991723


2020年8月22日土曜日

「旭流創流四十周年記念舞踏会」を叔母の名代で観に行く

「旭流創流四十周年記念舞踏会」を観に、国立劇場へ。暑い。観覧席コロナウィルス対策で一つおきに座る。感染者が出た場合の連絡用に氏名と電話番号を書かされる。久しぶりに、華やかなものを観て、楽しかったと言える。

***

『頼山陽とその時代』。

118頁。
叔父の一人、春風(1753〜1825)。村夫子然とした医者兼家塾経営者兼商売人。春水が「方」なら、春風は「円」で、この後出てくる杏坪は「三角」なのだそうだ。『春風館詩抄』2巻を残す。

120頁。
酒の詩がいい。自分の本性に従って生きている。

次の叔父。杏坪(1756〜1834)。春水が藩侯を動かして藩の儒者にした。地方官としても優秀。詩文もものする。

122頁。
『纂評春草堂詩抄』8巻。新しい詩のエコールに属する。古いのは春風。最新は杏坪。山陽に影響を与えただろう。

寛斎、詩佛、五山グループとも付き合い、一方で栗山、古賀精里などとも付き合っている。人柄がいい?

125頁。
藩務で長崎に。

127頁。
巻5。閑を得ると、詩は風雅に婉麗になっていく。和歌もよい。(130頁)

132頁。
老耄状態を意識し、致仕。

134頁。
ここから山陽の三子の話。明日以降にまわす。

2020年8月21日金曜日

分厚い『頼山陽とその時代』は涼しい朝に読むべき

iPhone7pを、iOS14 Public Betaにアップデート。意外に速く終わった。30分ぐらい。


***

これは文庫版の書影だが私が読んでいるのは単行本版


早起きしてアイスクリームをなめながら、『頼山陽とその時代』を読む。

100頁。
昨日の訂正。菅茶山は遺稿集の詩の部分の序文と、最後の哀詩を書いている。
遺稿集の次の2巻は文集。思想が統一されすぎかつ精神主義的すぎる。

101頁。
それに比べて、赤松滄洲などの意見のほうが、程朱学に凝り固まっていないという点で好ましい。定信はこのような批判は受け止める雅量は持っていたが、実際の方針は変更しない。つまり朱子学一本槍。

103頁。104頁。
『遺稿別録』の2巻は、『在津紀事』、春水の青春記。大阪での貧乏学生の思いで。片山北海の混沌社に在籍した。木村蒹葭堂もいた。ところで、詩を作るときの韻書という参考書があったらしい。

105頁。
巻3は『師友志』。

106頁。
天才と狂者は紙一重。これは山陽のことを言っているが、中村真一郎は自分の病のことも考えて言っているのだろう。

107頁。
『師友志』は未完に終わったのだが、山陽が補う。補遺は尾藤二州、古賀精里、菅茶山などのこと。

113頁。
菅茶山の評価は高い。小説で言えば西鶴。俳諧なら芭蕉。戯曲で言えば近松に匹敵するのだと中村真一郎先生。

114頁。
菅茶山の『黄葉夕陽村舎詩』は8巻(文化7年)、『同 後編』8巻(文政6年)北条霞亭編、『遺稿』7巻(天保2年)これを山陽が校正、出版した。2300首。

115頁。
「亡母ノ十七回忌」の詩は泣かせる。

先妣十七回忌祭 從鄕例行香 涙餘賦此 菅茶山

舊夢茫茫十七春、梅花細雨復芳辰。

墳前稽顙頭全白、曾是懷中索乳人。

117頁。
ここから山陽の叔父たち(春水の弟の春風と杏坪)の話に移る。明日朝にまわす。

***

『サンセット・パーク』、165頁まで読む。マイルズ・ヘラ―の不法シェアハウス(?)の相手たちが数人描写され、その後彼の父親の話。次は義理の母親の話になる。ポール・オースターはやはり野球好きだ。

2020年8月20日木曜日

頼山陽よりも父春水のほうにシンパシーを感じた一日

『頼山陽とその時代』の続きを読む。今日は父春水の部分。

88頁。
頼山陽が編集した『春水遺稿』11巻、別巻3巻、付録1巻。山陽は編集の才能もあることをこれで証明した。中村真一郎先生によると、上手な編集により、春水の内面と外面を彷彿させているのだという。

インターネットを検索して、早稲田大学のサイトで『春水遺稿』の画像を見つけた。このような字なら読みやすい。活字だろうか?

89頁。
頼山陽は菅茶山に序文とあとがきを依頼した。菅茶山は山陽の意外な才能に感嘆し、自分の遺稿集『黄葉夕陽村舎詩遺稿』詩2巻、文2巻も編集を依頼した。『春水遺稿』の方は詩8巻で春水の内面が窺え、文3巻で外面がわかる。別冊3巻は交遊録やメモワール。

90頁や91頁の春水の五言絶句は、若くて気楽な頃の感情がストレートに出ていて、好ましい。春水がもしこのまま町儒者で暮らしていたら、「ストレス」もなく、山陽の病気も起きなかったのではないかと、中村真一郎先生は書いている。しかし、現実世界には「もし」はあり得ない。そしてそれは春水が自ら求めた道なので仕方がない。

93頁。
後期になっても詩には若い頃の「筋」が残る。ただ、一方でその頃の文章を読むと、松平定信の生真面目な政治改革による成果を喜ぶ、春水の姿もある。春水は松平候のブレインの一人だった。

96頁。
若い世代の考え方はわからないという春水の繰り言。頭が固くなっていた。

100頁。
春水没。

***

『サンセット・パーク』も読み進めた。

第2の登場人物、ビング・ネイサンの話。彼は「こわれた物の病院」を経営して、気ままに物の修理をやって暮らしを立てて(あまり立っていないけれど)いるが、パートナーたちと市の所有物件に無断で入り込み、暮らし始める。

***

2ヶ月ぶりに、要するに年金が入ったので、床屋に行く。旧日本軍の潜水艦の話で盛り上がる。伊四百型潜水艦のプラモデルを作ったらどうかと提案された。700分の1なら千円以下なので、考えてみても良い。

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)


帰ってきてみたら、非常に涼しい。

2020年8月19日水曜日

頼山陽の生涯はある意味理想的、放蕩から克己その後読書執筆三昧。

まずは『サンセット・パーク』。ポール・オースターの作品のなかでは、華やかさのない地味な記述がめだつ。何人かの主人公(?)が出てくることになっているが、「マイルズ・ヘラ―」の物語が64頁あたりまでで一旦終わる。

彼は写真を撮ることがすきなのだが、物語を読むと、登場人物がスチール写真に写された人物のように、動きがなく感情も乏しく思えてくる。

次は「ビング・ネイサン」とやらの話になる。切りが良いので、ここでストップした。

***

『頼山陽とその時代』を読む。中村真一郎先生が、頼山陽の生涯をうまく要約している頁が、第一部のなかの62頁。大詩人と讃えられる寸前に亡くなってしまったのが残念だ。

  1. 放蕩。山陽は病気からの解放を目指し、遊びの結果を詩文に綴る。
  2. 克己。放蕩を3年間我慢し精神を自由にし自分を支配する儒者的訓練。
  3. 読書執筆三昧。超人的努力で書籍を読み執筆も続ける。

64頁。随園袁牧(清代の文人)に学ぶ。袁枚にはA.ウェイレーの評伝もある。

66頁。自由な女性観。女性詩人たちも解放されている。新しい対等な男女関係。なぜか、このことは明治期になって薩長の田舎漢の古い考えのために一挙に後退してしまう。(と中村真一郎先生は嘆いている。)

この後、第二部からは、頼山陽の周りの人々の記述に入る。まずは父春水から。

***

疲れたので、Internet Archiveに行って、本を借りて遊ぶ。2冊、面白そうなのを発見。



2020年8月18日火曜日

森まゆみさんのスーパー書評、「『幸田文全集〈第1巻〉父・こんなこと』(岩波書店)」に、ただただ感嘆するのみ。

森まゆみさんの書評の凄さを語った、今日のARメルマガ巻頭言を、ご披露する。


ともかく、この森まゆみさんによる書評を読んで、幸田露伴と幸田文の父娘関係がなんだか懐かしいものに思えてきた。厳しさのうちに隠された優しさが。

(注)ALL REVIEWSの書評家ページ。森まゆみさん。

https://allreviews.jp/reviewer/41

そして、これがその書評。

https://allreviews.jp/review/4808


***

ポール・オースターの『サンセット・パーク』(新潮社)を読み始めた。いつものような著者の分身のような主人公(若いけど影をもつ)が、登場する。始まって三ページで、主人公が無類の読書好きというところになるが、そこで完全に物語に没入できる。最短記録かもしれない。こうなると、順調に読書が進行する。一時間でやめておいたが、ちょうど50頁まで。読み終えるのが惜しい状態。

2020年8月17日月曜日

幸田文とポール・オースターの文章は……似てないやっぱり

『幸田文全集〈第一巻〉』をほぼ読み終える。明日の巻頭言で、森まゆみさんのこの本に関する書評を取り上げるので、頑張って読んだ。幸田文の文章は、大昔『婦人之友』や『暮しの手帖』で読んでいたが、まとめて読むのは初めてだ。パワーのある文章を書く方だ。「あか」という野良犬を飼い犬にした話が泣かせる。

露伴はなぜ、終末期に「貧乏」になっていたのか、という問題はまだ片付かない。奥様と別居していたからという仮説、晩年にはあまり著書が売れなかったなぜなら戦時下なのに難しいことばかり書いていたからという仮説、まだよくわからない。文化勲章には年金はついてなかったのか。(これは今調べた。昭和25年に「文化功労者」として年金が支給される道が開けたが、間に合わなかったわけだ。)ともかく、幸田文を読んでみると金には恬淡としていたようではある。

巻頭言は予定通り午前中に出来て、査読にかけている。

***

図書館に行き、

  1. 『江戸後期の詩人たち』(平凡社 東洋文庫)
  2. 『日本の詩歌 佐藤春夫』(中央公論社)
  3. 『サンセット・パーク』(新潮社)

を借りてきた。最後のは、柴田元幸さん訳のポール・オースターの最新作だが2月に出たのに、順番が回ってきたのは半年後。ともかく大至急で読みたい。


2020年8月16日日曜日

『幸田文全集 』欲しい。全23巻。

『幸田文全集 〈第一巻〉』をほとんど読む。8月3日にARに掲載された森まゆみさんの書評で知った本だ。露伴はもちろん、幸田文も断片的には読んでいたが、露伴の、(全盛期に比べるとだが、恵まれず)やや寂しい晩年のことは、小林勇の『蝸牛庵訪問記』で、「外側」から知った。それを幸田文が「内側」から、看取りをした家族として書いている。幸田文の直接読者に刃を突きつけるような文章で、しかも肉親の悲しみを生で書かれると、読むのはつらい。特に年寄にとっては非常につらい。しかし、幸田文の文章からは、どうしても目を離せない。

http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-491.html

森まゆみさんの素晴らしい書評は他にもたくさんARに掲載されている。これらのリストを眺めると、彼女の読書嗜好と私のそれとは相当似通っていると思われる。もちろん、必ずしも好きな本だけを書評しているとは限らないが、それにしても、である。そこで未読のものは読んでみることになる。

彼女の著書もたくさんある。これらも面白そう。

このへんの事を明日執筆予定のメルマガ巻頭言にまとめたい。

***

こんな事を考えていたら、Twitterで森まゆみさんが、須賀敦子の『トリエステの坂道』に関するご自分の書評のことを書かれているのを発見。つい、とりとめないことを返信してしまったが、迷惑がらずに丁寧なご返信を頂いた。これは家宝にしておこう。

2020年8月15日土曜日

ルイ14世はバレーで鍛えた脚が自慢だったそうだ

ALL REVIEWS スペシャルオンラインサマースクール 『鹿島茂「三代の王とヴェルサイユの名花」』の第一回目を視聴。鹿島茂さんの迫力あるトークにより、ヴェルサイユ宮殿を空間的にツァーをするという形で、ルイ14世時代のフランスを時間的にも旅することが出来た。友の会会員なので、割安に受講できてよかった。そして、「予習」として『太陽王ルイ14世』を読んでおいたのは大正解だった。

Louis XIV en tenue de sacre, portrait par Hyacinthe Rigaud.
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

あと2回、ルイ15世とルイ16世の回が残っている。どういうお話になるのか見当がついていないが、これらも楽しみだ。

***

終了後は友の会会員有志による、オンライン(Zoom)暑気払い会に参加した。私もお手伝いしているメルマガ「週刊ALL REVIEWS」の読者1000名超え記念と、新規執筆者Yさんの歓迎会も兼ねる。こちらも楽しかった。なぜか「ぬか床」の話で盛り上がっていた。

ということで、来週のメルマガ巻頭言の執筆は前進しなかった。が、頭の中では案は出来てきているので、明日第一稿を書こうと思う。月曜日中に最終原稿にできるだろう。


2020年8月14日金曜日

サマースクールの準備として鹿島茂さんの『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』(角川書店)を読了

『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』を読了。

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

ヴェルサイユ宮をめぐって、わかりやすく当時のフランスの政治経済状況をも語っている。

308頁。壮大なヴェルサイユを造営する資金はどこから出てきたか。宰相コルベール主導で、(1)保護貿易(2)国内産業育成(3)植民地の拡大を行った。そして都市に流入する食料品に(間接)税をかけた。この取り立てを行う人を税関吏と呼んだ。

323頁。コルベールは64歳で前立線がんで死去。ルイの独裁強化。

337頁。ブルボン家への中央集権化は直系家族化による。すなわち次男三男は王権の周辺に集まる。

339頁。ルイ法典。訴訟法など。

342頁。宗教問題が国力を弱める。ユグノー(新教徒)を弾圧。彼らは国外へ。周辺国の産業発展。戻ってきたユグノーにエルメスとかブレゲがいた。

358頁。ユグノー弾圧はマンテノン夫人版の国王「ドーダ」。

368頁。ルイ14世の唯一の「作品」がヴェルサイユ。

405頁。ルイ14世は大食い。ロミの『悪食大全』(高遠弘美訳)による。

これで、明日のARサマースクールの準備は万全(かも)。

***

今度の火曜日のARメルマガ巻頭言のラフスケッチを作った。

幸田露伴読んでいた。
小林勇の『蝸牛庵訪問記』も。
幸田文のものを読もうか迷っていた。
森さんの書評発見。8月3日。
図書館で予約。今週入手。
さっそく読んで感動。
同じ書評家の書評した本を検索。
趣味があう。読んでない他の本も面白く読めそう。
書評家自身の著書もよみたくなる。
いまここ。

***

macOS Big Sur(Public Beta)をインストールしてみた。インストールデータは12Gくらいなのに、ワーク領域は50G以上要求された。最初は入らなかったが、写真と旧Macのバックアップデータと音楽サブスクリプションのキャッシュを消したり、USBメモリーに移してやっとインストールした。インストールそのものの時間は一時間強。結果としてストレージの大掃除ができてよかったのかも知れない。

とりあえず、音楽は聞けるし、プリンターもZoomもすぐ動いた。使えそうだ。画面デザインはそれほど良いと思えない。

2020年8月13日木曜日

幸田露伴の死の直前の記述が凄絶――『父――その死――』(幸田文)

連日の夕立と雨上がりの虹。ここまではいいのだが、その後の蒸し暑さが余計だ。風が吹けば過ごしやすいだろうと思うが、そうならない。やむを得ずエアコンに頼る。エアコンのない方は大変だろう。


***

『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』をなお、50頁ほど読み進む。

232頁。ルイ14世は愛姫に「ドーダ」と言いたいがために、ヴェルサイユ造営だけにとどまらず、戦争を仕掛ける。モンテスパン夫人に「ドーダ」するためにはフランドル戦争を仕掛けた。実はスペイン領なので、スペインとの戦い。

234頁。戦争を仕掛ける前に、軍隊を近代化していた。貴族の私兵だった軍隊に国王直轄の仕組みを付け加えた。

244頁。フランドル戦争の成果として、毛織物業の盛んなリールを手に入れ、この結果フランスの産業の近代化を進める。知恵師がついていたらしい。

248頁。ヴェルサイユ新宮殿は建てるが、旧宮殿はコアとして残す。建築家泣かせ。このアイデアはデカルトを読んだせいか?(251頁)

***

『幸田文全集第一巻』(岩波書店)のなかの「父――その死――」を読む。幸田露伴の死の直前の様子は、少し前に小林勇の『蝸牛庵訪問記』で読んだが、身内の記述は生々しくて迫力があり、怖くなる。自分ももうすぐ行く道だろうから。ただし、死後の回想では、幸田文にとって、厳しくも思いやりのある父親にもどる。ALL REVIEWSで、森まゆみさんがこの書評を書いておられるが、まったく同意。そして、森まゆみさんの書評群を見ると。私の趣味とぴったりあっているような気がして、書評で取り上げている他の本も読みたくなる。ここが書評家の真骨頂だろう。

***

午後は、『頼山陽とその時代』を読み進める。55頁まで。中村真一郎の筆が冴え渡る。


***

盆の入りなので、夕食は精進料理風にした。


2020年8月12日水曜日

ルイ14世は「構造主義者」だったのですね

『太陽王ルイ14世 ヴェルサイユの発明者』を233頁まで読み進めた。今週土曜日の鹿島さんのサマースクール(第一回)までには読み終えられそうだ。昨夜から熱中症(または寝冷え)で体調が悪いのだが、かえってそのおかげでゆっくり読書ができて、捗った。

この本の冒頭はルイ14世が、専制君主になる過程をスピード感をもって書いていて、それはそれで興味深い。その後は、彼の女性遍歴を書きながら、その過程でというか、つぎつぎと変わる愛姫に気に入るようなヴェルサイユ宮を作り上げていく様子が書かれていて、おもしろい。「元祖構造主義者」ルイ14世が、ヴェルサイユの構造を始めとして、ヨーロッパ全体を自らの「構造」、統治の巧妙な仕組みによって、支配しようと考える。

***

夕方、なんとか勇気を奮い起こして、買い物に出る。二度目の夕立があがる。虹が出て、スーパーの二階から見た、西空に夕日が輝く。35年前の空はもっと晴れていた。そのときは新任の勤め先である渋谷の高層ビルの窓からやはり西の空の夕日を眺めた。747が飛んでいくのを見たような気がする。

2020年8月11日火曜日

熱中症、馬鹿にすると危ないですね

『江戸漢詩』の最初の部分の索引を書き留めておく。実は、この部分は「散文」の章なので、漢詩を読むには直接には不要だと思って完全には作らなかったが、中村真一郎が書いている意味を汲み取ろうと、作り直した。


  • 20頁。 頼山陽。 ベストセラー『日本外史』の作者。この後頻出。
  • 21頁。 市川寛斎。 異端の学者。
  • 27頁。 菊池五山。 『五山堂詩話』を書く。
  • 34頁。 斎藤拙堂。 『拙堂文話』を書いた津の儒官。
  • 37頁。 村瀬栲亭。 エッセイスト、『秇(げい)苑日渉』を書いた。
  • 43頁。 篠崎小竹。 大阪の町儒。
  • 47頁。 幽谷。  僧、『幽谷余韻』。
  • 52頁。 大田錦城。 考証学者。

先に書いておいたものと合わせ、初出以外の出現頁を書き足せばかなり良い索引となろう。

***

午後は、note記事(『共同幻想論』)を直したが、あまり満足できない。無理せず、明日以降にまわそう。

『司馬遼太郎短編全集 11』(文藝春秋)のなかの「故郷忘じがたく候」を読む。沈寿官さんが出てくる。やや悲しい話。


***

買い物から帰ってきたら、気分が悪くなった。頭も痛い。多分軽い熱中症。水分をとって休むことにする。気温が40度を超えたところもあるらしい。

2020年8月10日月曜日

『江戸漢詩』読了し、索引も作った。

中村真一郎の『江戸漢詩』を読了。

今日読んだ分の冒頭は、頼山陽の「母親コンプレックス」話。昨日までの「自然」を歌った詩のほうが好きだが……

今日作った索引。

  • 165頁。 佐藤一斎。 老年で愛妻を失う、その嘆き。
  • 171頁。 広瀬旭荘。 「東国詩人の冠」と評される。
  • 189頁。 菊池五山。 市川寛斎(21頁)門下の秀才。
  • 194頁。 匹田松塘。 文化的な家老。
  • 201頁。 祇園南海。 詩人兼詩学啓蒙家。
  • 206頁。 梁川星巌。 頼山陽の後輩。
  • 217頁。 菊池渓琴。 中島棕隠の親しい後輩。
  • 222頁。 江馬細香。 女流詩人、山陽の愛人。
  • 233頁。 張紅蘭。  詩人。梁川星巌の幼い妻。
  • 237頁。 高橋玉蕉。 仙台出身の儒生。
  • 246頁。 塩谷宕陰。 山陽塾から昌平黌へ。
  • 248頁。 大槻磐渓。 開明的文化人、仙台生まれ。
  • 252頁。 斎藤竹堂。 昌平黌舎長。


あとがき(279頁)で永井荷風の『下谷叢話』に触れている。荷風の外祖父鷲津毅堂とその周囲のことが書かれている。国会図書館デジタルコレクションで冒頭のみ読んだ。


ともかく、この漢詩の世界は豊潤で、勉強のし甲斐がありそうだ。まずは、『頼山陽とその時代』が届いたら読んで見る。場合によっては購入する。


2020年8月9日日曜日

中村真一郎の『江戸漢詩』(岩波書店)に登場する多士済々の詩人たちの生き様を漢詩から窺う

『スペシャルオンラインサマースクール 鹿島茂「三代の王とヴェルサイユの名花」』の申込みをした。第一回は8月15日。

と、昨日書いたが、その直後、AR友の会の暑気払いオンライン飲み会をやることになった。メルマガ巻頭言チームの読者1000人突破記念と新規執筆者の方の歓迎会もかねる。


***


『江戸漢詩』は半分以上、読み進めた。

今日読んだ分(75頁以降)に、登場した詩人たちは…

  • 75頁。菅茶山。一世を風靡した新感覚の詩人。
  • 80頁。林述斎。大名家出身のエピキュリアン。
  • 82頁。頼山陽。野心的な青年。菅茶山のもとから逃げ出す。
  • 90頁。北条霞亭。森鷗外の史伝に登場。菅茶山から逃げ出せない。
  • 93頁。武本登々庵。放浪詩人。
  • 97頁。柏木如亭。放浪詩人。
  • 107頁。寺門静軒。『江戸繁昌記』を書く。
  • 107頁。中島棕隠。『都繁昌記』を書く。
  • 114頁。梅辻春樵。都会派詩人。
  • 116頁。古賀穀堂。人生を楽しむ賢者。
  • 126頁。大窪詩佛。流行詩人、花火の詩作。
  • 133頁。松崎慊堂。漢唐学の祖。華山の親友。
  • 139頁。小畑詩山。江戸の風物を歌う町医者詩人。

……

まだまだ続く。中村真一郎さんもたくさんの和書を集めて、それを良く読んだものだ。頭が下がる。

おかげで、こちらは世界が広がったのでありがたい。


***


他に、今朝、佐藤春夫の『車塵集』の収められた本を図書館に予約した。

2020年8月8日土曜日

漢詩の世界でのんびり遊びたい

『江戸漢詩』を読んでいると、菅茶山などの文人たちのことを知りたくなる。いきなり、本人たちの著書を探す前に、予備知識を仕入れたい。手持ちの本のなかから、それらしいものを捜して並べてみた。

  • 『唐詩選』(岩波文庫)
  • 吉川幸次郎『漱石詩注』(岩波新書)
  • 『漱石全集 第十巻 初期の文章及詩歌俳句』(漱石全集刊行會)
  • 『鷗外選集 第六巻 澁江抽斎他』(岩波書店)
  • 『鷗外選集 第七巻 伊沢蘭軒 上』(岩波書店)
  • 『鷗外選集 第八巻 伊沢蘭軒 下』(岩波書店)
  • 『鷗外選集 第九巻 北条霞亭』(岩波書店)

このうちの、『鷗外選集』の各巻末についている、小堀桂一郎さんの解説が面白い。手軽に江戸後期の漢詩人たちのひととなりや互いの交友関係がわかる。『木村蒹葭堂のサロン』に中村真一郎が書いているように、彼らは互いに切磋琢磨して文人共和国風のコミュニティを作っていたようだ。ある意味では現在よりもずっとユートピア的だ。その世界を垣間見ることができれば楽しいことだろう。中村真一郎のように心のやすらぎが得られる可能性もある。

本題から外れるが、鷗外が書き残した覚書の筆跡が美しい。

***

漢詩にかんして(😅)、もう一冊見つけた。堀辰雄の『杜甫詩ノオト』(木耳社)。瀟洒な造りの本だ。誰が買ったのかよくわからない。堀多恵子さんのあとがきを見ていると、佐藤春夫の『車塵集』も欲しくなる。


***

昨夕の朝日夕刊。『ガリバー旅行記 8』に訳者の柴田元幸さんが書いた注釈のなかに、アシモフが『ガリバー』の詳細な注釈本を書いている、とあった。耳寄りな話なので、捜してみた。予想通りInternet Archiveに『The annotated Gulliver's travels』という本があった。借りてみた。面白そうだが全部読む時間は捻出できそうもない。邦訳はなさそう。

以前、こういった注釈本を書いていればネタは尽きないとアシモフが書いていて、なるほどと感心したことがある。柴田さんも楽しんでおられるのだろう(?)。


***

『スペシャルオンラインサマースクール 鹿島茂「三代の王とヴェルサイユの名花」』の申込みをした。第一回は8月15日。


2020年8月7日金曜日

エアコンがないと暮らせないような暑さ

暑い一日。夜になっても外は蒸し暑い。午前中、定期的に診ていただいている内科医に行ってきた。盆休み前なのでコロナ禍中にしては、少し患者さんが多い。私の前に診察を受けた老夫婦。脳卒中の後遺症と思えるが、足を引きずったお爺さんを、かいがいしく世話するお婆さんを見ているとせつないが、仲が良さそうで羨ましくもある。

炎天下を帰ってきて、自宅に入ると、エアコンが効いていて汗がひく。血液検査のため絶食で行ってきたので、おそい朝食をとる。気分がよくなった。やや熱中症気味だったようだ。外が明るく暑いときに、涼しく薄暗い室内で感じる至福感。


***


『太陽王ルイ14世』を100頁まで読む。鹿島茂さんの筆は縦横に、達者に進む。講談を聞いているような感覚で、つまりあまり抵抗なく、なじみがない歴史物語をこちらの頭に押し込んでくれる。すごい。

今月末の鹿島さんの、オンラインの『ヴェルサイユ講義』(三回シリーズ)を、やはり申し込もうかと大蔵大臣に相談。OKが出た。当分、飲みには出かけないだろうという読みなのだろう。ともかく、ラッキーである。

***

『共同幻想論』印象記のnote記事に、見出しをつけた。そろそろ完成させねば。


***

こんな漢詩があるのに気づいた。「ルートヴィッヒ二世」


路易二世

 森鷗外

當年向背駭羣臣,

末路悽愴泣鬼神。

功業千秋且休問,

多情偏是愛詩人。

2020年8月6日木曜日

中村真一郎『江戸漢詩』(岩波書店)は「楽しく」読めて面白い

『共同幻想論』対談の感想note記事を、今朝も読み直し、いろいろと手を加えてみた。この記事をなぜ書くかと言う部分を直す。文字起こしの経緯を書いた部分は、不要なのでほぼなくしても良さそうだが、まだ残っている。見出しを工夫しないと途中でだれる。など、読み直すたびに不備がみつかる。ただし、続けて直してすぎると、支離滅裂になる。毎日、読み直して、よく考えてから直すべきだ。あと数日は直しを続けて、その後識者の意見を聞きたい。

***



中村真一郎『江戸漢詩』を少し読みすすめる。「散文の世界」の章がたぶん読者トレーニング(漢文の)としてあり、その後に「詩の世界」がはじまる。読み下し文がついているので、とりあえず辞書など引かなくても、楽しめる。短い詩なら、漢字の字面だけで理解できるだろうと思っていたが、そうでもない。中村真一郎「先生」の解説が、うまい、というかご本人が「楽しんで」書いたことが伝わるので、詩の世界にうまく入っていけるようだ。



自前本なので、表紙の裏に漢詩(文)作者の名前を書き出して、自分用の索引を作りながら読む。なんでもないことだが、こうすると、この本を読む楽しさが倍加するように思う。あとで、これらの作者の著書を国会図書館(デジタル)で捜して、眺めるのも面白いだろう。

ちょっと熱が上がってきたようだ。『頼山陽とその時代』をもう一回借りることにした。『四季』も読みたいが、少し後回しにする。

『木村兼葭堂のサロン』を引っ張り出してきて、「序章」を読む。中村真一郎がどのように、死に至るような孤独を癒やしたかが書かれていて、何度読んでも感動的。吉本隆明がなぜ現代に意味があるか、という問題の答えにも通じそうだ。

今、思い出したが、note記事の末尾の「参考書」に『遠野物語』も追加しておかなくてはならない。中村真一郎も、追加してもいいかも。

2020年8月5日水曜日

「歴史が一直線に進歩するという信念は、十九世紀の迷信」と中村真一郎さんがおっしゃっています

中村真一郎の『全ての人は過ぎて行く』(新潮社)を読了。
「文学の衰退」という文章が161頁から載っていた。1997年から98年にかけて「新潮45」に掲載された随筆のうつのひとつ。文学者の社会的地位が半世紀前の志賀直哉などに比べて低下しているという話。社会への影響力、たとえば言葉の表記法はいうに及ばず、端的には原稿料が下がっているのだという。志賀直哉の原稿料は97年当時に換算すると400字詰め一枚あたり30万だったが、今は1万円、劇的に低下している。出版社が倒産してしまうからだという。
私は終戦直後の日本の出版界は、「バブル期」ではなかったかと思う。
中村真一郎によると、プルーストは株で儲けていたし、その他のフランス作家も銀行利子や株でもうける、要するにブルジョワ子弟だったと。日本はそれに比べて「筆一本」の生活を送った作家が多いのだと。永井荷風や正宗白鳥は例外だそうな。教師をやっておられる作家の方も多いのだと。

214頁。50歳台半ばの、病気の後、療養も兼ねて軽井沢の別荘地に落ち着く。交友も楽しむが、平岡昇は連日フランス哲学の講義付きで、ケーキを持って訪ねてくれた。おかげで、ゆっくりと「脳の若返り」を楽しめたとある。ここだけを読むと非常に羨ましい。



やはり中村真一郎の『江戸漢詩』(岩波書店)を読み始めた。漢文学がいまの日本文学史では無視されているという。昔から漢文学が公式の文学であり、たとえば奈良朝では『懐風藻』や『日本書紀』がそうであり、『万葉集』や『古事記』は地方文学だそうである。同様に平安期を代表する文学者は空海であり道真であり、清少納言や紫式部ではない。
江戸後期の漢詩人たちに比べると、明治の詩の建設者たとえば島崎藤村は、はなはだしくプラトニックかつ健全。悪く言うと遅れている。

「歴史が一直線に進歩するという信念は、十九世紀の迷信に過ぎない。」という名言が14頁に、(まえがきに、)ある。面白い。

2020年8月4日火曜日

「週刊ALL REVIEWS」の購読登録者数がついに1000となりました。うれしい😂

無料メルマガ「週刊ALL REVIEWS」の巻頭言を月一回程度書かせてもらっている。このメルマガの発行部数(要するに購読登録者数)が、本日1000を超えた。昨年6月に開始してから約14ヶ月での大台突破。続けてきてよかったと思い、ちょっと涙目になった(*^^*)
これからもがんばろう。

***

『共同幻想論』対談の文字起こしを終えた。2週間ちかく、このブログで関連したことを書いてきたが、それをまとめてnote記事(とりあえずプライベート)にしてみた。8000文字。読み直し、手を加えて、仲間の意見も聞き、うまく出来たら、公開したい。
今日は、見出しをつけ、参考書のリストを付け加えた。

***

中村真一郎の『江戸漢詩』を読み始める前に、今まで読んだ著書を並べて、関連部分を拾い読みする。『四季』を読んでないので、(なんたることか)、手に入れて読みたい。
ついでに、加藤周一の『高原好日』も読む。やっぱり『堀辰雄全集』がほしいなあ。

***

昨日の夕刊に中村不折の記事が載っており、その写真で目にした彼の有名な書が気に入った。隷書体を不折流にしたような文字。森鷗外や會津八一の字にも似ているが、不折のほうが垢抜けている。これを手本にして手習いをしてみよう。

(中村不折作「龍眠帳」 From Wikimedia Commons, the free media repository)

中村不折作「龍眠帳」 From Wikimedia Commons, the free media repository Jump to navigationJump to search

国会図書館に行ってみた。これがあった。



そして、ここには、行ってみたい。落ち着いたら。

2020年8月3日月曜日

『共同幻想論』と『江戸漢詩』(中村真一郎)を並行して読む意味は……ある

『共同幻想論』対談のビデオ書き起こし(私家版)はようやく、ビデオの最後までたどり着いた。もちろん、読み直すとあらが目立つ。しかし、この作業の目的、対談で先崎さんと鹿島さんが何を言っていたのかをざっくりと把握すること、は達成できた。このあと、自分なりの感想を考えたい。それを書くことにより、吉本隆明は、『共同幻想論』を通じて何を言いたかったのかを考えはじめることができるだろう。

対談の最後に取り上げられた二つの質問は、非常に重要だ。対談の司会者がいくつかの質問から、これらを取り上げたその慧眼におどろく。

(1)『共同幻想論』にはなぜ「結論」が省かれているのか。
(2)家族と社会の関わりが薄い今の状況を、『共同幻想論』的にどう考えていくべきか。

(1)に関して言うと、吉本は読者に、安易な結論を与えることを拒否したのだろう。そして、『共同幻想論』を難しく思う私のようなものにも、自分の頭で考えるという自由を与えてくれる。吉本の「結論」は、鹿島さんと先崎さんの答えを読むと見えてくるのだろうが、そこにすぐ飛びついてはいけないと思う。『共同幻想論』は教科書ではないので、正解を探すのは無意味だ。吉本は「科学的」に、仮説検証のプロセスを辿らせようとしているのかも。

(2)を考えることは、『共同幻想論』を今読む意味を考えるという、大きな命題を考えることになる。これは、大問題でさすがの鹿島さんも、先崎さんも回答に苦しんでおられた。答えは、ないと言うのが簡単だが、それでは身も蓋もないので、ゆっくり考えてかつ行動して行かなければならないのだろう。

***

昨日、Twitterでやり取りしたあることがあって、そのことから大学でフランス語を教えてくださった原二郎先生をまた思い出した。ご著書や、訳書、編集された本などを眺め、過去にこのブログに書いた記事を眺め、国会図書館で入手したいくつかの論文や雑誌記事などを見直してみた。ばらばらの資料類を筋の通った目で見るために、自分用の『原二郎覚書』のようなものを、まとめてみたくなった。書くことで、次になにを調べるべきかがわかってくるだろう。

***

井波律子さんの書評に触発されて読み始めた中村真一郎の『全ての人は過ぎてゆく』は、もう少しで読み終えそうだ。出版文化の衰退の証拠(たとえば原稿料の驚くべき低下)など、興味深いいや憂うべきことがたくさん書いてある。


中村真一郎は病後の安らぎを得るために漢詩を読みふけったそうだが、その際に書いた本『江戸漢詩』(岩波書店)の中古本を注文しておいたが、今日届いた。これにもなるべく早く目を通したい。いそいで読む本ではないのだが。

とりあえず読んだまえがきで見つけてしびれた一節。

「歴史が一直線に進歩するという信念は、十九世紀の迷信に過ぎない。」

そして、江戸期の漢詩の文化を忘れ去った明治以後の日本、これは現代の混迷の原因の一つではないのか……と思いながら、このさきを読むつもりだ。 


2020年8月2日日曜日

世の中は変わらないというのは年寄りの妄想か

『共同幻想論』対談ビデオの書き起こし。今日で終るかと思ったら、作業中また腰が痛くなり、あと8分だけを残してやめてしまった。椅子の選択は大切だ。
ともかく、今回心に残ったところは……(文責 私)

***

若い視聴者の「家族と社会が分断されているように感じています。むしろ社会というものの実感が自分にあるだろうかとさえ考えてしまうが?」という質問の答え。

「鹿島:
……個と国家っていうのは個を意識していれば国家を意識せざるを得ない。緊張関係にあるのですね。欧米の思想というのはすべてその緊張関係をたたえているわけですね。これは例外がないです。ところが日本的なものと言うのは、その緊張関係というものがない。ない核家族が、世界の端っこの方で、実際的には超便利社会、超文明的社会というものの中で、この核家族というものが、残存というか、それの先祖返りというか、それが僕は、結構問題なんじゃないかなあ、というのが私の答えです。

先崎:
……現代の日本社会というのは砂粒化(すなつぶか)と書いて砂粒化(さりゅうか)というのですが、個々がバラバラになっていった時代なのですね。戦後一貫してそうなのですが、加速度的になるのが90年代以降の、グローバル化、新自由主義化、規制緩和をやったことによって、加速度的になるのです……
そういった日本の社会の中で家族を超えた、天下国家にまで興味を抱いて行くというか、肌触りを感じるというのは、かなり難しい社会になっている。……」

***

この質問は切実だし、回答もそのとおりだと思う。東日本大震災やコロナ禍の後の日本人がどのように変わるのか、変われるのかもこの問題を避けて通れない。多少悲観的にならざるを得ないのだが。




***

大関から、序二段まで転落し、その原因の怪我と病気を克服して、再入幕した照ノ富士関が、千秋楽で勝って、33場所ぶりの復活優勝。療養中の人や挫折を経験した人には、嬉しいニュース。

2020年8月1日土曜日

中村真一郎『全ての人は過ぎて行く』(新潮社)を読んで堀辰雄の優しさに気づく

『共同幻想論』対談ビデオの書き起こし。ほぼ最後まで来た。残りは質疑応答。と昨日も書いたのだが、もう一日くらいかかりそうだ。最後、マイクの調子が悪くて、話が聞き取りづらく、書き起こしに苦労した。ボリュームをあげてなんとか凌ぐ。

これに関して、内容理解のための参考書として、鈴木三重吉の『古事記物語』(青空文庫)を読んだ。参考になるほど理解したとは言えないが、読み物として非常に面白い。昔観た娯楽映画も思い出す。

***



午後は、中村真一郎の『全ての人は過ぎて行く』(新潮社)を読む。前半の「私の履歴書」の部分を読み終えた。

25頁。開成中学に入る。中村真一郎はここで非常な知的刺激を受けた。当時の開成中は、(今の開成を知っているわけではないが、)非常に優秀な教師たちのもとで、先進的な教育をやっていたようだ。生徒の自主性にを伸ばしながら、教師は専門的な研究をしながら、その一端を生徒に講義する。秀才加藤周一は後に府立一中の教育は「空虚」だったと中村真一郎に言って煙に巻く。

53頁。中村真一郎が大学を出て自活の道を探していた時に、阿佐ヶ谷の堀辰雄邸に住んでいたと書いてある。これは知らなかった。そこまで親しかったとは。堀辰雄が中村真一郎の才能を認め、育てようとしていたからだろうか。

94頁。堀辰雄との関係は大学生時代に遡る。本(マンスフィールド)の貸し借りで知り合い、本についての話で急速に親しくなる。堀辰雄は英独仏のの新文学の動向にくわしく、中村真一郎の読書指南役をつとめたという。羨ましいことだ。堀辰雄はもちろん、芥川龍之介に私淑していたが、芥川は師の漱石よりも森鷗外に散文の手本を求めていたので、中村真一郎は鷗外スクールに連なることになるとしてある。

102頁。軽井沢に亡命。これは比喩でなく、室生犀星などは本気で考えていたらしい。日高パーティーという楽しいこともあった。

112頁。芥川は香港から亡命してしまえば、死ななくて済んだのではないかという説。

戦後の話はこの文章にはあまり書かれていない。さしさわりがあったからだろう。中村真一郎の研ぎ澄まされた才能が良い環境で活かされず、生活のために苦労したのが惜しまれる。
そのなかで、中村真一郎の病気からの回復手段として使った「漢詩」の読書に興味を持った。なぜ漢詩だったのか。そこで、『江戸漢詩』(岩波書店)の中古本を注文してしまった。届くまで、中村真一郎が一時憧れたという、吉川幸次郎の『漱石詩注』(岩波新書)を読んで予習しておこう。

***

コロナ禍や 真っ只中に 梅雨明ける。