2019年11月30日土曜日

『パリ左岸』は言論が自由なユートピアだったか?

『パリ左岸』を読み続ける。戦後の動きはますます混沌としてくる。


236頁。カミュは社会民主主義を擁護。
238頁〜239頁。共産党員モランは、当時スターリン主義者でカミュを非難したが、後にはカミュの行動がやむを得ないものだったと「理解」する。
242頁。ケストナー、イギリスでは、カフェの活発な会話もないし、そもそも作家が集まらない、と嘆く。
244頁。前タイム紙中国特派員のホワイトは、1300万人のアメリカ兵が帰郷し、戦前の生活を取り戻したいと望んだことが、共和党勝利につながったという。
245頁。スターリンを批判し、共産化を恐れながら、自らも腐敗していく米国社会に見切りをつけ、パリに戻りたいとリチャード・ライトは考えた。
246頁。ノーマン・メイラーはフィリピン戦の経験をもとに、『裸者と死者』を書く。小説家としてパリに行きたいとメイラーも考えた。
248頁。ボーヴォワールは米国訪問用に、初めてドレスを買った。18万円、泣きながら。おかげで、以前のサルトルのように米国についた瞬間に洋服屋に連れ込まれずに済んだ。
249頁。ボーヴォワールは米国人の上辺だけの明るさに辟易した。


ここまで読んでくると、パリは言論自由な天国のような気もしてくる。本当だろうか、この先を読めばわかるかも知れない。

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他に調べたことども。

中谷宇吉郎は1929年にキャベンディシュ研究所に行ってる。でもデイラックに会ったとは書いてない。専門違うし。
『英国の物理学会と物理学者』(青空文庫で読んだ。)

ここはスゴイ。源氏物語の画像とテキストと現代語訳を一画面で対照しながら見ることが出来る。
https://genji.dl.itc.u-tokyo.ac.jp/app/#/


2019年11月29日金曜日

『量子の海』、ディラックは恋に目覚めつつあるが、大戦前の世間はそれどころではない。

『量子の海』読み続ける。

318頁。ナチスがボルンを帰国させようとハイゼンベルクを通じて働きかける。ボルンは拒否。一方、ガモフ夫妻は1933年のソルベー会議を好機として亡命。1934年にはディラックはガモフの妻ローにロシア語を習う。
320頁。別のロシア語教師に恋心をいだく。だんだん、ディラックもさばけてきたわけか。
322頁。プリンストンでウィグナー(1963年のノーベル物理学賞受賞者)の妹マンシーと出会う。
324頁。『量子力学(第二版)』を出版。
332頁。このころ、プリンストンにはルメートル神父(宇宙論)がおり、食事をともにした。そのころフリードマンが宇宙論の重要な論文を出したが、ロシア語だったのでほとんど誰も気づかなかった。
マンシーは『くまのプーさん』をディラックに勧めたが、なんとディラックはすぐ読んだ。音楽会にも行きだした。大した進歩。
330頁。プリンストンでの、「研究漬けでない」サバティカルが終わる。まわりは、風雲急。



寺田寅彦はディラックを知っていたのか、少し調べた。
生没年は、
ディラック 1902-1984
寺田寅彦  1878-1935
なので、当然面識はないだろうし、会ったらディラックは敬遠されただろう。
寺田寅彦の「ルクレチウスと科学」という有名な随筆の後記に、ディラックの評価が書いてある。純粋な理論家と見ていたらしい。『物理学序説』(未完)には何も書いてない。
寺田寅彦より、ディラックと同世代の人がいる。
中谷宇吉郎 1900-1962
朝永振一郎 1906-1979
この二人、特に朝永振一郎は、専門も同じだし、ディラックを知っていた。会ったことはあるのかそしてどんな印象を持ったのか、これは宿題。

(注 『物理学序説』は「科学図書館」という素晴らしいサイト中の記事です。ありがとうございます。 「ルクレティウスと科学」は青空文庫。こちらにも感謝です。

そして、寺田寅彦全集の目次も見つけました。
http://kenkyuyoroku.blog84.fc2.com/blog-entry-706.html
このサイトには他にも有用なデーターがぎっしり。これにも頭が下がります。)

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夜、買い物に行こうとすると、月と金星と木星がならんだ光景が見えた。浮世の辛さを忘れる瞬間。
左から月、金星、木星。三役揃い踏み!


気分が良くなったので、一枚200円の宮崎黒豚肉を購入。フライパンであぶって醤油と味醂で味付けしたが、美味しかった。久しぶりの動物性タンパク質だと、Jが喜ぶ。

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そろそろ、今年の三冊を選び始めるべきだ。ブログの過去を眺めてみた。
今日の候補は、
『三体』
『歩道橋の魔術師』
『まいぼこ』
『吉田健一ふたたび』

2019年11月28日木曜日

『パリ左岸』の面白さには哀しさが潜む

『パリ左岸』を読み続ける。ますます興味深くなってきた。先日の鹿島先生との対談で、ポワリエさんは「書評や評論は、フランスと違って、英国や米国では面白くないと受けない」とおっしゃっていた。それだからか、原著が英語で書かれているこの本は、結構重たい政治的話題を取り扱うときも、どこかに笑うところを、提供している。ポワリエさんがフランス語でなく、英語で書いたのには理由があったわけだ。





212頁。カトリック教会は抽象美術を受け入れたが、共産党は拒絶する。しかし、ピカソや、マティス、レジェらの入党は宣伝材料に利用した。
215頁。「レ・タン・モデルヌ」では1946年にイタリア特集号を出すことにした。ボーヴォワールやサルトルは、イタリア共産党の多様性を探りに、つてを頼ってイタリアに赴く。
216頁。ボーヴォワールは早速、「フランスの挙国一致は外国の占領軍に対する戦いを通じて達成されたため、平和が回復されると弱体化し、右翼と左翼はそれぞれの道を進み始めた」と分析した。イタリアの場合、「ファシズムと戦った誰もが民主主義と自由を求めた……その目標は状況ではなく原則に基づいたから、終戦後も存続できた」のだという。
217頁。独ソ不可侵条約の突然の締結はフランス共産党を傷つけたのだった。
224頁。カミュは貨客船オレゴン号でニューヨークへ。アメリカの文化にはあまり関心を示さなかった。
225頁。1946年5月5日。国民投票。共産党提案の改革案は52%の反対票で否決された。『真昼の暗黒』がその前にベストセラーとなっており、その影響だったかもしれない。

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夜は、節約料理。ニラ玉を作ってみた。この料理のために新たに購入したのはニラのみ、90円。このレシピを参考にしたが、割と美味しく出来た。
https://delishkitchen.tv/recipes/176151634785599846

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このところ、毎晩『空間と時間の数学』を9頁読んでは寝ているが、よく眠れる。睡眠薬(ってあまり飲まないがそれ)よりよく効く。あくまでも個人の感想なり。

2019年11月27日水曜日

『DUNE』につき調べたあと、『パリ左岸』と『岩手における転形期の群像』の1946年の描写の対応を考える

毎朝やっているTwitterタイムラインのパトロール(?)、今日は『ホドロフスキーのDUNE』というビデオが、Amazonプライム・ビデオで公開されているというTweetに惹きつけられた。

そもそもホドロフスキーって、誰なのというレベルだが、『DUNE』という作品は好きなので、とりあえず、ビデオを観た。1975年(!)に『DUNE』を作ろうとしたという。壮大な計画すぎて(たとえば上演時間が10時間前後)、ハリウッドが二の足を踏んだので、出来なかった顛末をドキュメンタリーにしてある。彼は1929年生まれだが、まだ夢は捨てていない。これはすごい。絵コンテの大部の本を手に持っていたが、この本だけでも見てみたい。市販はされてないのか。

『DUNE』は日本語訳の原作はたしか1から3まで読んだ記憶がある。ビデオ(YouTube)で、1985年版の映画も観た。デヴィッド・リンチ監督。ラウレンティス制作。2時間16分。『DUNE:The alternative edition redux』なるビデオ映画もYouTubeにあって、ざっと観た。他に『DUNE(2000)-Complete』とかいうのも今朝見つけたが、これはテレビシリーズか?来年封切りの新作『DUNE』もあるらしい。ヴィルヌーヴ監督。

ともかく、ホドロフスキーのを観てみたいが、実現はしないだろうなあ。異次元に行かないと。
参考サイト
https://www.uplink.co.jp/dune/

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『パリ左岸』も読み続ける。
178頁。ボーヴォワールは先駆的フェミニストの妹たちを従えている。グレコ、サガン、バルドー。
カミュは新作戯曲『カリギュラ』で、美貌の新人ジェラール・フィリップを登用。
188頁。サルトル、ボーヴォワール、カミュ夫妻、ケストラーとその恋人、計6人で飲んだくれる。帰りに、それぞれのカップルは、別の橋の上で、早朝の光を反映する美しいセーヌの水面を眺める。翌日は二日酔いだが、サルトルはユネスコで講演。原稿は朝用意したらしい。ボーヴォワールが青い顔で傍聴する。
196頁。サルトルは人が良すぎる。誰にでも夕食をおごっている。酔うとピアノも弾く。
200頁。サルトルのヒントで『第二の性』をボーヴォワールがかきあげた。
204頁。メルロ=ポンティは20歳若いグレコと恋仲。グレコは「レ・タン・モデルヌ2月号」を買う。メルロ=ポンティの「誠実と不誠実」という文章が載っているから。1946年。
206頁。この章の題名は「第三の道」。カミュはコンバ紙で、非共産の社会主義政策への加担を呼びかける。「人道的社会主義」。
207頁。マクミランの『中道』は1938年の出版。すなわち第三の道は決して新しい考え方ではない。カミュ、サルトル、ボーヴォワールは第三勢力台頭への支援に全力をあげる。
208頁。1946年1月20日。ド・ゴール辞任。ド・ゴール派、共産党、社会党の意見はまったく一致しない。


このころ、日本でも保守主義者と、共産主義者、労農派は覇権争いをしていた。そのなかで、なんとか労働者がまとまってゼネストを打とうとしたが、マッカーサーの干渉により、改革への道は遠ざかった。

ご参考(義父の書いた本の紹介の一部です)
https://hfukuchi.blogspot.com/2016/12/blog-post_18.html

2019年11月26日火曜日

『パリ左岸』が佳境に近づくと苦くて楽しい自分の思い出が蘇る

『パリ左岸』だんだん佳境に近づく。どこをもって佳境というのかは読み終わらないと判断できないが、とにかく盛り上がってきた。


115頁。1946年8月26日。ド・ゴールのパレード中もナチスの狙撃兵の銃弾が飛んでくる。パレードを済ませた将軍は断固排除を命令する。
116頁。対独協力者へのリンチ多発。
119頁。「パリの無傷の美貌は、精神の敗北によって贖われた。」ポワリエさんの名文。政治的なことを随分言っているという印象。
120頁。共産党系新聞は復讐をあおる。ココ・シャネルはスイスへ逃れた。コレットやコクトーは目こぼしを受ける。
121頁。かえって、レジスタンスに携わった人々のほうが寛容。日和見だった連中は不寛容、よくあることか?
123頁。共産党は粛清に向け強硬な姿勢をとる。
124頁。カミュ(コンバ紙編集長)はサルトルを米国に派遣する、ボーヴォワールもポルトガルやスペインに向かう。
125頁。ユマニテ紙(共産党系)のアラゴンはカミュらを批判。
126頁。カミュはマルクス主義を拒絶する。集産主義的経済とリベラルな政策を支持。
127頁。ボーヴォワールはカミュから渡されたケストラーの『真昼の暗黒』を一気に読み終える。1945年1月1日。
135頁。ヒトラー死亡。1945年4月30日。ドイツは降伏へ。
140頁。ピカソは1944年10月5日に共産党に入党していた。ジュリエット・グレコやデュラスも。
144頁。ヴァレリーの葬儀。
164頁。サロートの小説をサルトルが「アンチ・ロマン」と名付ける。10年後の「ヌーヴォー・ロマン」との関係性?
170頁。米国駐在の大使館関係者、レヴィ・ストロースはパリに憧れていたリチャード・ライトをフランスに招待する。実際には米国当局者の監視がついた。


この辺(1945年前後)を読んでいると、自分の青春時代の流行やそのなかでの読書経験(乏しいが)が蘇ってくる。20年以上経ってから、遠い東の島国で、実存主義とはなにか理解しようとしたり、サルトルやメルロー=ポンティをわからないまま読もうとしていた。カミュも。

良い機会なので、このあたりの本を読み返してみたい。書棚をあさると、サルトルは7冊見つかった。カミュも2,3冊あるだろう。メルロー=ポンティの『知覚の現象学』は売り飛ばしたけど仕方ない。

1960年代後半の日本では『パリ左岸』で描写されているような政治的対立が小規模に起きていたと思うし、その中に自分も居たような気がしてならない。情けない日和見だったが。

この時にやり残した宿題があるので、それに始末をつけたいとも考える。完全に始末できるとは思えないが、自分の中の気持ちの整理はつけたい。

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昨夜は目が冴えて眠れなくなるのを防ぐため、わざと『空間と時間の数学』を読んだ。よく効く。わずか9頁目で寝落ちした。今夜もこれを読もう。


2019年11月25日月曜日

霧は晴れたりまた立ち込めたりする

夜中に目覚めて、外を見ると、深い霧が立ち込めている。この地域では珍しい。まったく違う街にいるような気がした。



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『量子の海』、少しだが読み続ける。
311頁まで。ノーベル賞受賞に伴い、いろいろなパーティーに出ざるを得ない。母親がいつも付きそう。他との会話はほぼすべて母親がこなす。本人は受賞スピーチと受賞講演をやっただけ。一方的にしゃべるのは得意だったようだ。なお、当然かも知れないが、父親はまったく蚊帳の外だ。
312頁。後にわかった受賞に至る裏話。強力に推薦したのはブラッグだった。(ブラッグと言えば、学生のとき習ったX線の回折・反射のブラッグの法則がなつかしい。1915年ノーベル物理学賞受賞者。)
アインシュタインは無視したそうだ。

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ローマ教皇が核兵器反対の談話を発表してくれた。香港では区議選挙で、民主派が大勝利。

少しでも世界の霧を晴らしていきたい。

2019年11月24日日曜日

『パリ左岸』、解放の喜びの中に資本主義と共産主義の間の不協和音が聞こえる

外猫のAmちゃんが珍しく機嫌良い顔の写真を取らせてくれた。


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『パリの日本人』(鹿島茂 2009年 新潮社)のうち、「日本美術の大恩人・林忠正」を読む。最後は「今こそ、二重の意味での日本美術の大恩人、林忠正の復権を叫ばなければならない。」で結ばれる。「二重」とは、日本の伝統美術を海外に知らしめたということと、日本の美術界の行末を考えて発展するように手を打ったということだろう。


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『パリ左岸』の続きを少し読む。パリ解放の興奮が伝わってくる。
103頁。カミュは「コンパ紙」の社説で、市民の蜂起を呼びかける。
106頁。進軍してきたヘミングウェイはパリを遠望して涙を流す。パリじゅうの鐘がなりひびく。
108頁。ヘミングウェイはシルヴィアとアドリエンヌに再会。小柄なシルヴィアを抱き上げて振り回す。
110頁。ナチスの狙撃兵はまだ隠れて、銃撃を繰り返す。アーウィン・ショーは、まだ頬に口紅の跡が残ったまま、銃弾に倒れた年少の兵士を目撃した。その劇場(コメディー・フランセーズ)にはサルトルやカミュもいたが、ショーは気づかない。
113頁。ド・ゴール将軍はすでに共産主義者たちとの戦いを意識していた。

2019年11月23日土曜日

『パリ左岸』を読むとヘラーの文学青年ぶりがいとおしくなる

朝の林檎はシナノゴールド。大きい。それなのに味が繊細。大当たりだ。


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読みかけの本を読みすすめる。

『パリ左岸』100頁まで。順調だ。
57頁。1940年11月8日。ゲルハルト・ヘラー(31歳)がナチの宣伝部隊文学部門に着任。彼のおかげで、占領下にも関わらず、ある程度自由な出版が許されることになる。これは、ナチス中央の意志に基づくのか、まだわからない。
59頁。そうは言ってもガリマール社の「我慢」の出版が続く。ファシストの執筆者も抱えながら。
60頁。ハンナ・アーレントなどは米国に亡命していく。
62頁。シモーヌ・シニョレ(まだ無名)は勤めをやめ、カフェ・ド・フロールで一日を過ごす。サルトルは収容所を脱走し、パリに戻ってきた。ボーヴォワールやメルロ=ポンティと「社会主義と自由」グループを結成。ものにならないが。
64頁。『海の沈黙』、ヴェルコール。この本には書いていないが後に加藤周一と河野与一が訳したものだ。
66頁。シルヴィア・ビーチ拘束される。
67頁。1941年12月。米国が参戦。
76頁。『存在と無』爆撃化でも売れる。不思議に思って調べたら、徴発された一キログラムの分銅の代わりとして主婦が買っていたのだ。『招かれざる女』も出た。
80頁。ラ・ルイジアーヌ(ホテル)に、サルトルとボーヴォワールが住み始める。ボーヴォワールは例の丸い部屋で、住心地に満足した。
87頁。ヘラー、『異邦人』を徹夜で読み、すぐさま出版を許可する。
96頁。アンリ・カルティエ・ブレッソン戻る。1943年。1944年になり、6月6日の「オーバーロード作戦」を知る。
100頁。ヘラー、日記をアンバリッド近くの地中に埋める。掘り出せるのだろうか?
101頁。1944年8月19日。パリ解放。

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『量子の海』
291頁。バナールはジョイス、ピカソ、エリオット、ディラックを「犯罪者」とする。貴族的な夢の世界に浸りがちだからと。
299頁。研究最盛期の終わりに近づく。1933年のノーベル賞をシュレジンガーとともに受賞。史上最年少。31歳。

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また、図書館に行き、6冊借りてきた。

林忠正の資料を今日も探す。「翻訳 林忠正著「日本」(『パリ・イリュストレ』誌1886年5月号)掲載誌 日本女子大学大学院人間社会研究科紀要 (16) 2010.3 p.257~284,373~374」が国会図書館にあるので、今度見に行くつもり。
永井荷風の『江戸芸術論』は青空文庫で(一部林とゴンクールに関連するところを)読んだ。(Keepで黄色にしておいた。)

夏目漱石の文学論の関係も。いくつか資料を見つけた。(水色)


2019年11月22日金曜日

『パリ左岸』、林忠正、矢崎源九郎を読み、自分の次の10年の修業を思う

『パリ左岸 1940−50年』(アニエス・ポワリエ 木下哲夫訳 2019年 白水社)を読み始める。

ALL REVIEWS友の会のイベントでポワリエさんの話を聞いたあと、地元図書館にリクエストし、一ヶ月たって、やっと買ってもらった本。

ポワリエさんは若くてソフトな人当たりだったが、この本を読むと、筋金入りのジャーナリストだと感じた。英語で書かれたのだが、戦中戦後のパリの状況を客観的に(つまりエトランゼならこう見るだろうという書き方で)、しかし迫真力を持って書いてある。一気に50頁まで読んだ。普通50頁くらいまで読むと、この本は最後まで気合を入れて(あるいは入れられて)読み続けるのか、否かが判断できる。この本は気合を入れられる本らしい。ルーブルの美術品疎開の話がオモシロイ。

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今朝の林檎は、ジョナゴールド。紅い色が美しいが、気をつけないと、熟れすぎの実に遭遇する。今日のはまずまず。
林檎を食べたあと、兄から花梨がとどく。今後、ジャムを作って食べるのが楽しみだ。

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国会図書館で林忠正の資料を探した。見つけたのは、
「明治期の万国博覧会日本館に関する研究」という博士論文。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3092500

「肖像写真」(高岡市民読本)

パンフレット。この「パリ・イリュストレ」に日本文化を紹介している。


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青空文庫、一昨日の新着は、『ニルスのふしぎな旅』。訳者は矢崎源九郎で、この人は俳優の矢崎滋さんの父君。
https://www.aozora.gr.jp/cards/001892/card58052.html
それはともかくとして、この本は子供の頃ワクワクしながら読んだ記憶がある。翻訳文は今読んでも全く古さを感じない。この文章術は真似してみたい。

そう考えながら、朝風呂で気づいた。60を超えて、フリーランスになったあたりから、第2の人生が始まったと考えるとまだ、10歳になったばかりだ。これからまだ10年は修行が続きそうだ。あせらず頑張りたい。20歳(実は80歳)くらいになれば、第2の人生で何をすべきか見えてくるだろうと。

2019年11月21日木曜日

『たゆたえども沈まず』を読んで林忠正を知る



『たゆたえども沈まず』(原田マハ 2017年 幻冬舎)を昨夜から今日の夕方までで読了。久しぶりの一気読み。

パリ市の紋章に「たゆたえども沈まず(Fluctuat nec mergitur)」と書いてあるのだそうだ。歴史の波に翻弄されるが、しぶとく存続するパリのことらしい。

小説に出てくる、ゴッホとその弟テオも、そしてゴッホの理解者林忠正も懸命に、パリで生きようとするが、結局は倒れていく。しかし、彼らの携わった芸術活動は、生き延びる。「移動祝祭日」であるパリは、訪れた人々(私もその仲間に入れて欲しいが)の心のなかで、永遠に生きる。

この小説の本当の主人公は、パリなのだろう。物理的に存在するパリと言うよりも、人々の心のなかに存在する巴里。

偉大だがちょっと複雑な人物、林忠正のことは、これから時間をかけて調べる必要がある。手始めには、国会図書館デジタルにも、森鷗外の林忠正への批判的な文章がある。芸術至上主義の鷗外にとっては、林の俗物性に我慢がならなかったのだろう。
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/978769/285


『ゴンクールの日記』(岩波文庫)は、図書館で予約した。
そして鹿島先生の『パリの日本人』も。

***

予約と言えば、年末の人間ドックを予約した。正しくは人間ドックつき忘年会。

2019年11月20日水曜日

「週刊ALL REVIEWS」にここまで書かせていただいた巻頭言をまとめてみた

「週刊ALL REVIEWS」に巻頭言を時々書いているが、いままでの分をまとめてみた。改めて、読み直すと、未熟なことがよくわかる。一方、これから何をどう書くかの参考になる。
(実際には、ALL REVIEWSの書評記事への埋め込みリンクもあるが、ここでは省略した。)

(メールマガジンの冒頭部分)



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週刊ALL REVIEWS Vol.22 (2019/11/4-2019/11/10)

通常、「月刊ALL REVIEWS」は友の会会員なら、YouTubeビデオで視聴できるし、その気になれば豪華な書斎兼用のノエマ・イマージュ・スタジオ(西麻布)などでの収録を観覧できる。11月9日に、高遠弘美・鹿島茂両先生の対談「『失われた時を求めて』を読む」を観覧させていただいた。直接両先生の貴重なお話を聞けるまたとない機会だった。

当日収録したビデオは、今回特別に一般にも開放されている。ご覧になることを強くオススメする。 (この文章の下にビデオへのリンクがある。)
(注:リンクはこれ
https://www.youtube.com/watch?v=VbWiJOTfnRs


光文社古典新訳文庫版で『失われた時を求めて』の完訳を目指しておられる、高遠弘美先生のお話はすべて、「完読」を目指す私の胸に突き刺さってきた。私としては、現在第6巻まで出ている、この本との貴重な出会いを大切にしながら、楽しみながら今後も読み続けたいと強く思った。

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一方、収容所の中という極限の状況で、手元に本がないままに、記憶のみで『失われた時を求めて』の連続講義を行ったという話が、書籍化されている。『収容所のプルースト』(著者:ジョゼフ・チャプスキ 翻訳:岩津 航)だが、この本について、高遠弘美先生の書評が二つ、ALL REVIEWSに収録されている。リンクはこの二つ。

https://allreviews.jp/review/2104
https://allreviews.jp/review/2045

どちらの書評も素晴らしい。これらの書評を読むと、『収容所のプルースト』を読みたくなる。それだけでなく、『失われた時を求めて』をも猛烈に読みたくなることは間違いない。実践した私が保証する。

実際にどう読むかについては鹿島茂先生の『「失われた時を求めて」の完読を求めて』を参考にするのが良い。(hiro)




週刊ALL REVIEWS Vol.21 (2019/10/28-2019/11/3)

濫読家hiroこと私の今朝の様子です。
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起床する前に、Twitterのタイムラインをチェックし、読書に関する情報を得るのが日課。今朝見つけたのは、青空文庫で新規リリースされた文章で島村抱月の「今の写生文」。そこに『セルボーンの博物學』という手紙形態の自然誌の本が紹介されている。著者は単に「ホワイト」とある。
読みたくなった。明治40年頃の文章なので、国会図書館デジタルライブラリーに相談してみる。寝床なので「帝國圖書館」という手軽な検索・読書アプリを使った。「セルボーンの博物學」で検索したがヒットしない。「博物誌」でもだめ。一般公開していないのだろう。念の為、「ホワイト」で検索したら100冊以上の本が検索できた。目的の本はなかったが、網にかかった本たちはどれも面白そうだ。ホイットマンの『自選日記』、とか『世界飛行機構造図解』とか…ホイットマンのは「ホワイトハウス」が、飛行機の本は「グラハム・ホワイト複葉機」が書誌に含まれているのでヒットしたらしい。
かくて、まったく関係ないが面白そうな別の本の読書にいそしむことになる。あいまいな語「ホワイト」でなく、正確な「ギルバート・ホワイト」で検索していたら、この寄り道は楽しめない。
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起きたあと、Amazonさんで調べたら、『セルボーンの博物誌』はいろいろな翻訳本が今でも出ている。近所の図書館で調べたらそのうちの一冊があったので借用することにした。そしてInternet Archiveで調べたら、『The essential Gilbert White of Selborne』という本の中に、『セルボーンの博物學』らしきものを発見。島村抱月は、きっと原書で読んだのだろう。(hiro)




週刊ALL REVIEWS Vol.17 (2019/9/30-2019/10/6)

私事になるが、『失われた時を求めて』を本格的に読み始めて約一年になる。もちろん翻訳で。何回か挫折しているが、今回は高遠弘美先生の訳で、光文社古典新訳文庫のKindle版を5巻まで入手して読んだ。
今回、挫折せずにマドレーヌどころかずっと先まで読めたのは高遠先生の流麗な訳文と、読者に親切な巻頭・巻末解説と、脚注のおかげだ。脚注はKindle版の特徴で、本文との行き来が楽で、読みやすい。実は、途中で感想をつぶやいたら、高遠先生からゆっくり読むようにと助言をいただくというハプニングもあった。6巻以降の翻訳もゆっくりと、でも首を大いに長くして待っている。
集英社版の鈴木道彦抄訳『失われた時を求めて』の書評が今週の新着でALL REVIEWSに掲載された。それには、
「むしろ不惑の年齢を過ぎ、《失われた時》が多くなった中年以上の人間にこそふさわしい書物であろう。それはきっとプチット・マドレーヌのように《失われた時》を喚起する役割を果たすにちがいない。」
とあって、かなり感動した。
人生の良い伴侶のような読書経験をナビゲートしてくれるのも、書評の役割だろう。
なお、今週末10月12日の月刊ALL REVIEWSは高遠・鹿島両先生の対談。もちろん話題は新刊の『「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読』。これも首を長くして待っている。(hiro)




週刊ALL REVIEWS Vol.14 (2019/9/9-2019/9/15)

『植草さんについて知っていることを話そう』(高平哲郎 2005年 晶文社)を読んだ。「お弟子」の高平さんがいろいろな人に取材して書いたもの。
担当編集者だった来生えつこさんが述べている日常生活の植草さんが可笑しい。原稿を受け取りに行くと股引(ももひき)をはいたまま応対する。原稿は書き上がった分、2、3枚だけを彼女に渡して残りをまた書き始める。複写機などもちろんないので渡した原稿は読み返せない、だから続きは「話は変わるが…」で書きはじめる。
平野甲賀さんは、植草さん宅でご馳走になった昼飯がコロッケ一個だったことがあると回想する。大皿にぽつんと乗っていて、すべり止めに刻んだキャベツが少々。
片岡義男さんが述べておられるように、植草さんの未発表の手書きの原稿(出版社の倉庫に大量にあるそうだ…まだ残っているのかやや心配…)を写真版で出版する件は、夢のような良い話だが、ぜひぜひ実現してほしい。できるならお手伝いをしたいくらいだ。声かけてください。
植草さんのことを書いた本には、『植草甚一の勉強』(本の雑誌社)もあり、ALL REVIEWSでその書評を読める。(hiro)


週刊ALL REVIEWS Vol.7 (2019/7/22-2019/7/28)

最近出版されたばかりの『三体』を読んで、長らく忘れていたSFへの情熱がまた燃え上がった。

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ALL REVIEWS 友の会限定YouTube番組「月刊ALL REVIEWS」で、2月のビデオ収録終了後に、ゲストの牧眞司さんと雑談をさせていただき、最近のおすすめSF作家を伺った。回答は、テッド・チャン、ケン・リュウ、そして、超ベストセラー『三体』の著者、劉慈欣など。

『三体』の日本語訳が出るのを心待ちにしていたが、7月になって、訳者のお一人である大森望さんのサイン本を八重洲ブックセンターで入手できた。帰りの電車で100ページを読み、翌日には全部読み終えて、なるほどこれは素晴らしいと思った。壮大なスケールの話だし、奔放なストーリーの設定においては過去の多くのSF名作への敬意にあふれている。訳文も読みやすい。

今回の『三体』日本語版は、原作のほぼ25%のみで、来年以降、続きの日本語版が出版される。ああ、『三体』ロス。渇きを癒すため、ケン・リュウやテッド・チャンの作品を読み漁りはじめた。こうして、いままで途絶えていたSF読書熱が完全にぶり返した。

『三体』の解説(大森望さんによる)は、以下から参照できる。『三体』ロスが怖くなければ、本を購入するのがもちろんおすすめだ。(hiro)




週刊ALL REVIEWS Vol.6 (2019/7/15-2019/7/21)

いま旅行中の「シャーロキアン」が、今回この文章を書く予定でしたが、日程変更のため執筆時間がとれず、私(hiro)が急きょ代理をつとめます。よろしく。
個人的なALL REVIEWSとの関わりと楽しみ方を紹介します。

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ごく平凡な読書好き老人の私が、ALL REVIEWSに出会ったのは、2017年。鹿島茂さん @_kashimashigeruのツイートを読んで、ALL REVIEWSの存在を知り書評を読みはじめた。自ら求めて書評を読むのは初めてだった。有名書評家の書いた書評記事がたくさんある。存在すら知らなかった本を発見して、手に入れて読むのがこよなく楽しい。

2018年夏に、やはり鹿島茂さん @_kashimashigeruのツイートで、書評記事の校正を手伝う「サポートスタッフ」の募集を知り、大胆にも応募。たぶんなにかの間違いで採用された。ともかくいまも老骨に鞭打って頑張っている、いや楽しんでいる。サポートスタッフって、実際何をやるのか…は別の機会に。

2019年初め。ALL REVIEWS友の会が発足。早速会員になる。多くの読書好きの人たちと知り合って好きな本の話をすることは最高に楽しい。サラリーマンおよび隠居人生には味わえなかった楽しさだ。
そして、多くの書評家・作家の方々の話をビデオでも直接にでも聞くことが出来る。これは嬉しい。

読書とは受動的な娯楽と考えられていそうだが、私はそれ以上のものと考え始めている。
本の感想などの情報を、積極的に発信すると、それが数倍数十倍になって戻ってくる。
以前から読書記録ブログ(「りんかん老人読書日記」)は書いていた。これだけでも十分楽しい。が、友の会やサポートスタッフの仲間とオンライン・オフラインで読書についてあれこれ話し合ったり、イベントを企画して一緒に実行したりすると、至福の極みということになる。なんだか寿命も延びそうだ。(hiro)




vol2(2019/06/25配信)

「古稀の素人読者目線ながら、読書の喜びをぜひ伝えたいです。ALL REVIEWS友の会会員・同サポートスタッフでもあります。」と創刊号で自己紹介したhiroです。5週間に1回登場します。それでは…

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私のような素人読書老人にとって、ALL REVIEWSの書評ってどういう意味があるのだろうか。と、考えてみる梅雨の朝。

きのう、偶然入った下北沢の有名本屋さんで以前から欲しかった本を手に取った後に、そのまわりの本棚の本もたくさん読みたくなって驚いた。

ALL REVIEWSの書評はよりどりみどり。有名書評家さんの数千の書評がおさめられており、自分の気に入りそうな本を、リアル本屋内感覚で楽しく選べる。本屋さんには多くのあたらしい本が並んでいる。その中に突然飛び込むと、どれを選んでいいのか大いに迷う。老眼のせいもある。ALL REVIEWSを読んで選んでおいた本は有力な「水先案内本」となる。

昨日入手した本は『戦地の図書館』。数週間前に読んだ書評記事はこちら、『戦地の図書館――海を越えた一億四千万冊』、本を「読むこと」の意味を深く考えさせる一冊だろうと思う。雨降りなので、今日はこの本をじっくり読んでやろう。(hiro)

2019年11月19日火曜日

『プルウスト研究』、欲しいが、贅沢言わないで、国会図書館に行くべし

『プルウスト研究』という雑誌があったらしい。Twitterで情報が流れてきた。国会図書館(デジタル)で探してみたら、確かに存在していた。1934年頃。ただし、インターネット公開にはなっていない。書誌情報は読めるので眺める。目次には杉捷夫さんはじめ、そうそうたるメンバーが……。
みたいが、国会図書館にいくか、相模大野の図書館に行くしかない。ラーメン(覆麺)をからめて出かけるべきだろう。


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Amazonプライム・ビデオで「ザ・ヘラクレス」をみた。この手の、古代の、ローマ兵士的な、奴隷にもなり、闘技場の試練も通り抜ける映画が、昔(55年以上前)好きだった。いまでも好きなのだろう、かなりたわいないこの「ザ・ヘラクレス」も面白かった。似たような映画をもっと、探して観ることにする。

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大先輩たちとの飲み会が、三軒茶屋くまちゃんで、あったので、出席。ついでなので、ALL REVIEWSのチラシも配る。関心度いまいち、なにより、年寄りには、字が小さくて読めないらしい。要改善。

2019年11月18日月曜日

ハンバーグ作りは人を思索的にする……わけないか

今夜作ったハンバーグステーキトマト風味煮込み。レシピはあさイチのを参考にした。赤ワインはなかったけれど。


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今回の古本フリーマーケット、初めて出店者側に立ってみて、いろいろ勉強になることが多かった。いい年をしながら世間知らずであるとも言える。

グループで一つの出店としたので、値付けが難しかった。極端に言えば失敗。出納の簡素化のため一律200円とし、午後2時に売れ残ったものを100円とした。この値段の具体的根拠に基づいた合意がどこにもない。本の入手価格や、古本としての市場価格、各人の経済的要求、顧客がいくらぐらい払えるのかなど。もちろん、テストケースの出店であり、楽しみ半分の商売であるので、固いことを言ってもしょうがないのではあるが。

個人で出店すれば、自分の判断で自由な値付けが出来たはずだ。会社に勤務していた時に、同じようなことで悩んだのを思い出した。個人と、企業の価格設定への考え方は違って当然なのだが、自分の考えはたいてい修正されるので、オモシロクない。フリーランスになってからも、価格は自由に決められないことが多かった。

そもそも、古本のフリーマッケトは、純粋な商売と考えるのが間違っているとしておいたほうが精神衛生上は良い。今回はまだフリマのコミュニティに慣れていなかったが、わずかながら出店者と本の話をするのが、非常にためになり、なにより楽しかった。そこには商売を超えたものがある。同じ趣味を持つ知らぬ同士が、俗を離れた会話をすることが可能。これは、この世知辛い世の中での楽園のようなものだ。そう考えると、交通費を払い、出店料も払い、本はあまり売れず、昼食も外食で、赤字なのに他の本を買ってしまうのも悪くない。

右のはほぼ新品。三巻だけだがこれには総索引がついている、そうだ。

どこに価値を見出すか、によって同じ物事なのに辛かったり楽しかったりする。こんなことを考えさせてくれる、古本フリーマーケットだった。

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「高い城の男」(シーズン4)、10話のうち、9話まで観てしまった。このシーズンは完全に主役交代で、スミス元帥がパラレルワールドを股にかけて大活躍。しかもさっき観た第9話で、大どんでん返しがやってきた。これから、最終10話を観る。シーズン5もきっとあるだろう。こちらも楽しみだ。さて10話を……。

2019年11月17日日曜日

古本フリーマーケットは一度経験すると癖になりそうだ

雑司が谷・鬼子母神通りのイベント「みちくさ市」の古本フリーマーケットにALL REVIEWSサポートスタッフ有志(4人)の一員として参加した。

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私は30冊出品することにした。小さめのリュックに収まるようにしたが、背負ってみると重い。手には展示用のダンボール二つを折りたたんだものを持つ。割にコンパクトなので、電車(座れた)や、駅のトイレ(!)に持ち込んでも大丈夫だった。

10時に雑司が谷駅着。本部に行ってみた。一人で行くのは初めてで、案の定一回道に迷った。本部で参加料2000円を払い、出店者証をもらう。出店場所は本部(ある古本屋さんの出店するガレージ)のなか、机半分と椅子一脚が用意されていて、他の店(道端でなにもない)より、優遇されていた。早くに申し込んでくれたNさんのおかげ。ガレージのそばにお住まいの猫も挨拶に出てきた。如才ない……。
ブログ掲載の許可は本人(本猫)に直接得ました。


自分の本を並べ始めたら、Nさん、Sさん、Kさんもやってくる。全部で本は100冊。価格は相談して一律に200円とした。(実は私の駄本は200円では高いし、他の方の本は200円ではちと安い。)

売ると同時に、ALL REVIEWSのチラシも配布する。外を歩く人や、第2本部や他の出店者にも配る。出店者のかたは、ALL REVIEWSを知ってます、サイトを見ています、Twitterもフォローしてます、という方が半数くらい。

本の売れ行きはあまり良くない。特に私の本。昼前に『テルマエ・ロマエ』(6冊セット)を買い上げてくれた方がいて、助かった。もっとも、後でとりに来ると、預けて買い物にいらっしゃって、なかなか戻らないので、値引きしようと考えた時に困った。幸い、値引き時間の5分前にいらっしゃったので胸をなでおろす。我ながら、気が小さい。

昼食は二人ずつ行く。Nさんと2軒先のレトロな中華料理屋へ。昭和時代のようなワンタン麺を食べたが、懐かしく旨い。

結局、30冊のうち、11冊売れて、売上は1700円。交通費と昼食代でとんとん。でも、他の出店者の本も2冊400円で買ったので少し赤字。でも一日楽しんだので良かった。この古本市に来ている人は、お客さんも出店者もみな本を愛する人ばかり、その証拠に本の背中を見る目尻がみな下がっている。たくさん買おうとする人は、嬉しさで興奮している。

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昼間は姿をくらましたが(多分寝ていたのだろう)、夕方また挨拶に来た猫どのと別れて、帰途につく。売れ残った本は池袋駅前の古本屋さんで買い上げてもらった。Nさんは高額だったが、私のは310円。身軽になったので良しとする。
(追記。古本屋さんの名前は「古書往来座」。入り口にタイプライターと黒電話が置いてあって思わず買いそうになったが思いとどまった。余分な金を持っていたら危なかった。)

喫茶店で反省会のあと、地下鉄で帰路につく。捨てる機会のなかったダンボールが邪魔。Nさんのように靴箱にすれば良かった(ToT)

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足腰は疲れたが、オモシロイ一日だった。また、出店してみたい。どんな本が売れるかはまだわからないが、推理し、そして売れたときのワクワク感がたまらない。アドレナリンだかドーパミンだかが出るようだ。

2019年11月16日土曜日

『時間』(吉田健一)も『高い城の男』も、キーワードは時間。

『時間』(吉田健一 1976年 新潮社)を読んで見る。Twitterである方に教わったように、「プルウスト」の影響を受けている。数カ所に、言及がある。

たとえば、187頁。「併しプルウストは過去と現在の區別を固執して現在の前にあつたことは過去と見做してゐるから同じ五官の反應が過去と現在に共通であることで過去でも現在でもない時間が得られるという風に考えてゐる。そしてその區別だけ餘計であるがかうして忘却の後にそのうちから再現した狀況がまだ進行中の狀況では意識の働きが決定してゐなくて不確かであるのに對してさうした條件の下での夾雑物が全くないその狀況であるとすることは間違つてゐない。そこにはただ一つの時間の經過、持續があるだけである。」

時間は失われるのでなく、経過し、持続する。失われないので、時間は行きつ戻りつする。と考えて良いのだろう。そこは最新の時間論と同じなのかも知れない。

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こんなことをぼんやり考えながら、今朝までに届いたメールをチェックしていたら、『高い城の男』のシーズン4の視聴が可能になった旨の知らせが目に止まった。ここしばらく、待ちわびていたので、すべてを(大げさ!)捨てて、Amazonプライム・ビデオで観ることにした。



明日の(みちくさ古本市)の準備や、訪ねてきた息子の応対をそこそこにして、なんとか3話まで観た。

ますます、話は混沌としてきた。P. K. ディックもびっくりするだろう。

ナチス・ドイツ、日本帝国、占領された米国内のレジスタンス、ついに黒人共産主義勢力も登場し、過去と未来もいりまじり、パラレルワールドの描写もある。シーズン3まで観ていた私でも、ときどき混乱する。そこがオモシロイというべきなのだろう。10話まであるが、数日で観てしまいそう。

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明日出品する本のリストを作った。


2019年11月15日金曜日

『失われた時を求めて』と『夢の操縦法』、そして『パリ左岸』は無関係ではない。

『夢の操縦法』(エルヴェ・ド・サン=ドニ侯爵 立木鷹志訳 2012年 国書刊行会)を昨夜、下読み、つまり目次・冒頭・訳者の解説を読んでから、寝た。この本の主題は「夢の心理学」、明晰夢をいかに見るか、あるいは著者が見たか。

感化されやすい私は、すぐ明晰夢を見た。米国出張でゴルフを顧客とやるが、あまりにも下手なので皆に辟易され、自分でゴルフなどやりたくないと思い切って言い出す。

これだけで、この本を読む目的は達したと行ってもいい。でももっと読んで見る、もちろん。

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朝食の林檎は「北斗」。青森産。とにかく大きいのを買ってきたが、ミツがたっぷり。甘い。


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『パリ左岸』(アニエス・ポワリエ 木下哲夫訳 2019年 白水社)。ALL REVIEWS友の会のイベントで、著者の話を聞く機会があった。当然のように、この本を読みたくなったが、図書館には蔵書がなかった。そこで、一ヶ月前にリクエストを出した。タイミングが良い、つまり本が出たばかりで、どこの図書館にもなかったので、購入してもらえた。

ワクワクしながら、読み始めた。例によって、「訳者あとがき」から読み始めた。情報満載。とくに、参考のビデオが紹介されていて、それも少し見た。

ポワリエさんがパリのシェークスピア書店でやった、『Left Bank』の読書イベント。視聴回数は879回、それほど多くない……。
https://www.youtube.com/watch?v=msdjuu4BXZY&t=164s

比較のため、ALL REVIEWSのnote記事「【特別対談】アニエス・ポワリエ×鹿島茂 『パリ左岸 1940-50年』を語る」は、ここ。(ビデオではない。)
https://note.mu/allreviewsjp/n/n0bbfbe453f69

ジャック・ジョジャール(ナチスからルーブルの美術品を守った人物。)のドキュメンタリー映画の予告編
https://www.youtube.com/watch?v=MHtrGGH65Lc
(本に書かれたアドレスは今無効になっている。)

ホテル・ルイジアーヌの映画の予告編。
https://www.youtube.com/watch?v=n1LNaxjtcho

これらを見ているうちに、なぜか「去年マリエンバードで」のビデオも見てしまった。今年、4Kで作り直して、いま公開中らしい。
https://www.youtube.com/watch?v=ZuLUttPCfXQ

明晰夢のような映画。

1960年代の後半は、フランス映画が好きで、いろいろ見ていた。『パリ左岸』はこの時代以前を描いているが、「第3の道」と言う若者の絶対的な自由の末路がこんな映画にも現れていた。それを無意識ながら感じ取っていて、この手の映画が好きになったのだろうと思う。

同じ自由を夢見た学生運動も1970年後半には、フランスでも日本でも衰えていった。ただし、衰え方には相違がある。

2019年11月14日木曜日

世間を無視したい研究者にも時代(1933年)の荒波は押し寄せる(『量子の海 ディラックの深淵』)

11月9日の高遠弘美・鹿島茂両先生の対談「『失われた時を求めて』を読む」のYouTubeビデオ(ALL REVIEWS友の会会員以外にも一般公開中)は、今日も視聴数を伸ばし、800回を超えた。一時間半のビデオだが、内容が濃いので飽きずに観られるからだろう。

ビデオへのリンク。

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夕方、また図書館に行き、新たに三冊借りた。
『夢の操縦法』は上記ビデオで紹介があったから。
『パリ左岸』は前回の月刊ALL REVIEWSの課題本。リクエストして新たに図書館で買ってもらった。一ヶ月かかったが。
『たゆたえども沈まず』は以前から読みたかった本。
これで今夜も眠れない。

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『量子の海 ディラックの深淵』をまた、続けて読む。やっと半分を超えた。
263頁。1932年。コッククロフトとウィルトンによる原子核破壊実験。E = mc^2が実証されてアインシュタインは喜んだ。
ディラックはこのころルーカス教授職へ推薦された。ニュートンに次ぐ年少の抜擢。
266頁。このあとのディラックの年収は、現在に直すと25万6千ポンド。レート130円とすると3000万円を超える。妹の大学の学費を4年分出してやってくれとの、母親の願いもかなえてあげた。ちょっと優しくなったわけだ。
7月末。パサデナでアンダーソンが霧箱で宇宙線由来の陽電子を発見したようだ、サイエンス誌に記事がのる。
274頁。キャベンディッシュ研でブラケットが宇宙線の霧箱撮影を「自動化」する。感に頼らなくても観測ができる。
でも、ディラックは実験にはあまり興味がない。このころの関心の対象は「ラグランジュ力学」。やはり、古典力学手法を量子力学に対応させたい。
276頁。ヒトラーの台頭、F. D. ルーズベルトの当選。にはさすがに関心を示す。
278頁。1933年1月。陽電子の存在は確実になった。一方ヒトラーが首相になり、アインシュタインは亡命する。
280頁。ディラックはフランス語とドイツ語ができた。フランス語を父親の専制への反発で喋らなくなり、今度はヒトラーへの反感でドイツ語会話をも捨てた。

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庶民の魚、98円のサンマを図書館の帰りに買い、焼き立てを食べる。旨い。

2019年11月13日水曜日

『書架記』に限って言えば吉田健一はプルーストを評価していると思う

高遠・鹿島両先生対談ビデオの余韻はまだ続く。



(1)図書館で、『神曲 地獄編』(寿岳文章訳)を借りてきた。どこが高遠先生のお気にいったのかを推測するのが楽しみ。

(2)『七世竹本住大夫 限りなき藝の道』も借りてきた。本当は購入したいところだが、手元不如意に付き。

(3)『書架記』(吉田健一 1982年 中公文庫)のうち、「プルウストの小説」を読む。最後から、三番目の文章、「本は繰り返して読めるように書くものであり、兎に角プルウストはそれが出来る…」を読むと、吉田健一はプルーストを評価していたと思える。鹿島先生のおっしゃった、吉田健一はプルーストを評価していなかった、というご意見の裏付けも探してみたいので、もっと吉田健一を読み込まないと…。

(4)最後のほうで、スティーブンソンが少しだけ言及されたが、これはこの本を読まないといけなさそうだ。『乳いろの花の庭から』(ふらんす堂)。

(4)ビデオ視聴回数は700回を超えた。昨日のメールレターやTweetの効果があったと信じたい。

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『量子の海…』は、貸し出し期限がせまったので、もう一度借り直した。
234頁。C. P. スノーの自伝小説『探求(The Search)』にディラックが登場する。ラザフォード研究所の内幕の暴露とともに。
236頁。父母の離婚の危機に、困惑。何も手を打たないが。
237頁。磁気単極子の理論。
246頁。1931年7月。父母は離婚に踏み切ろうとした。こんな愛のない家庭に育ったディラックが可愛そうだ。
248頁。サバティカルで、プリンストンに向かう。リヴァプールを7月31日に発つ。家族をほっておいて?プリンストンでの生活は優雅だった。
252頁。アンダーソンが宇宙線の霧箱実験で、陽電子らしきものを捉えた。

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寒い一日。本来なら閉じこもって読書するところだが、Jの仰せ付けにより花の苗の買い出しのドラーバーを務める。ホームセンターを二箇所回った。

2019年11月12日火曜日

『失われた時を求めて』の周りのことを調べるのは楽しすぎる、やめられない!おわらない!

高遠・鹿島両先生対談ビデオをとりあえず、観おわった。

今日の気付き事項。
(1)高遠先生の好きな文学者の一人が、寿岳文章。なかでもダンテの『神曲』の序文がお気に入り、とのことなので、興味がわき、『神曲:地獄編』(集英社)を図書館で予約した。
ここは、参考サイト。
https://koujitsuan.kyoto/%E2%80%8Efamily/bunshou

(2)(よく聞き取れなかったのだが、少し探して、)ジュール・バルベー・ドールヴィイの『悪魔のような女たち』が鹿島先生により参考書として紹介されていた。書評はここ。
https://allreviews.jp/review/1654

(3)夢と現実がないまぜのプルースト文学に関する参考書。『夢の操縦法』(エルヴェ・ド・サン=ドニ)。
https://allreviews.jp/review/748
図書館で予約。

(4)ビデオ内容とは無関係ながら、トーマス・マンは『失われた時を求めて』を読んでいたのか、が気になり、日記にあたってみた。
1937年年末(12月31日)、1938年年始(1月11日)の日記に「Swann's Way」を寝床で読んだと言う記述がある。面白かったのか、具合が悪かったのか、睡眠薬を服用して寝る合間だ。スイスに半分亡命した状態で滞在していただろうから、疲れているのは無理ない。むしろ、『ワイマルのロッテ』を書きながら、息抜きで読んでいたのだろう。「Swann’s Way」は英訳本なのだろうか、まだしらべがつかない。

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週刊ALL REVIEWSメールレター最新版がさっき出た。今回の巻頭言は私担当で、当然ながら、上記対談ビデオの話題で書いた。

ビデオは一般公開してあるが、現在視聴回数は666回。ALL REVIEWSとしては記録破りではないか。このメールレターで、もっと増えることを望みたい。


2019年11月11日月曜日

50年前からプルーストは読みたくて読めなかった、しかし失われた50年ではない

高遠先生と鹿島先生の『失われた時を求めて』対談の衝撃はすごい。今日も続いている。
(YouTubeビデオの人気は衰えず、500回以上観られている。)

手持ちの関連資料を漁ってみた。『増補決定版 現代日本文學全集 梶井基次郎・三好達治・堀辰雄集』(1973年 筑摩書房)には、「プルウスト雜記」(1932年)と神西清の解説文が載っている。前者を読んで、プルウストという人がいて、すごい小説を書いたのだなと学生の私は初めて知った。神西清は堀辰雄は「フローラ型」の作家だと言っているのだが、なんのことかはよくわからなかった。後に、堀辰雄の「フローラとフォーナ」(1933年)という文章を読んで少し納得した。



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『世界文學体系52 プルースト』(1960年 筑摩書房)はその後に、古本で手に入れた。淀野隆三と井上究一郎訳の「スワン家のほうへ」を読み始めたが、途中でストップして以来40年ほど挫折状態。今回の高遠先生訳でやっと軌道に乗った。もう落ちたくない。閑話休題。

この本の月報に「(プルースト)研究書目・参考文献」(2頁)がついているのに初めて気づいた。一番目の項目に重徳泗水の[「彼女の眠り」(《明星》4月 大12)]が載っている。高遠先生に教えていただいたことが、実際に載っていたのでわけもなくうれしい。




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週刊ALL REVIEWS、メールレターの巻頭言を書いた。『収容所のプルースト』の話題にも触れた。明日の夜9時に発刊。まだの方は、無料購読の手続きをしてください。購読手続きはこの(PC)画面の右上にあります。


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追記
夜9時のNHKニュースで、「AIでくずし字を解読」という報道をみた。素晴らしい。体験してみたい。未発掘の資料がぞくぞくと出て、そして誰でも読めるようになるといい。

追記その2
ビデオに出てくる、『プルウスト随筆』(堀田周一 訳 1930年 森彩雲堂)も国会図書館デジタルコレクションにあるがインターネット非公開(ToT)

2019年11月10日日曜日

『失われた時を求めて』の「完読」を目指すのは楽しみ…

昨夜の、ビデオを見直している。

「月刊ALL REVIEWS」ノンフィクション部門第11回|ゲスト:高遠弘美さんhttps://www.youtube.com/watch?v=VbWiJOTfnRs&feature=em-lbcastemail

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当日聞き流したことがたくさんあるのに気づいた。それらをとりあげて調べれば、昨日のお話をより深く理解できて、『失われた時を求めて』の完読にも役に立ちそうだ。以下はそのひとつ。


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高遠先生のお話に出てきた、「しげのりしすい」、巴里で特派員をしていたとおっしゃていた。この名前にかすかに記憶があった。

今年5月19日に、南青山の「本の場所」という会場で、高遠弘美先生の「『失われた時を求めて』を読む、語る」というイベントがあった。そのとき配られた資料の一つに、重徳泗水の訳した「彼女の眠」なる、雑誌明星の1923年の記事の抜き刷りがあった。出して読んでみると、冒頭に「プルウスト」の死が伝えられている。記事内容はプルーストの『失われた時を求めて』の一部分の(前身)翻訳稿だ。

少し、「重徳泗水」でインターネットを検索してみると、これに関する、高遠先生の書かれた新聞記事を。
https://www.kotensinyaku.jp/column/2011/06/005032/

この記事に導かれ、国会図書館デジタル・コレクションで『仏蘭西文化の最新知識』という、重徳の著書を発見。
プルーストに関する記述を見つけた。(88頁(コマ番号53))

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/970163




これは、プルースト愛好家には、喜ばれるものだろうと考えた。このブログに時々掲載する、「OLD REVIEWS」の一つとしたい。少し長いが、今週後半に、分割して掲載したいと思う。

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今回のビデオを見ていると、他にもたくさん、気になる事柄があるのに気づく。ほとんど、初耳のことばかり。
全部調べるにはかなり時間がかかりそうだが、暇に任せて、楽しみながらやりたい。

2019年11月9日土曜日

「高遠 弘美 × 鹿島 茂 スペシャルトーク―『失われた時を求めて』を読む―」と、そのビデオ中継は大成功!!!

昼食後、いつもの昼寝は省略して、日比谷図書文化館へ。要するに昔の日比谷図書館なのか。都立でなく千代田区立になってこの名称になったらしい。


ともかく、そこでやっていた、「鹿島茂コレクション アール・デコの造本芸術」展に、まず行った。20世紀初頭の高級挿絵本がたくさん。50点くらい並んでいたが、全部鹿島先生の個人コレクション、実際にはもっとあるのだろう。素人には考えられない。

美しい本が並んでいたが、ジョルジュ・バルビエの絵が一番気に入った。照明がもう少し明るければ、細かい文字も見えたかなと思った。アンケートにその旨書いておいた。貴重な絵を傷めないためには仕方ないのかも知れない。

観ているうちに空腹になった。外に出て、鶴の噴水のある池のそばで、おやつとして持っていったふかし芋(!)を食べる。

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西麻布のノエマスタジオに向かう。月刊ALL REVIEWS友の会のイベント、「高遠 弘美 × 鹿島 茂 スペシャルトーク―『失われた時を求めて』を読む―」の収録に立ち会わせてもらうため。

少し早くついたが、高遠先生もかなり早くおいでになった。理由がある。重そうなかばんを開くと、『失われた時を求めて』の初版本(グラッセ社からの自費出版本)をはじめ、今年出版された雑誌や文庫類まで、貴重な20冊くらいを、机にお並べになった。初版本は許可を得て手にとって見た。意外に質素な本だったが、まだ売れるかどうかわからなかったので致し方ないのだろう。



対談の中で高遠先生がおっしゃっていたが、プルーストはフランスではまだ「新刊」作家なのだ。今年だけでも30冊以上著書や関連本が出版されているそうだ。

お二人が異口同音におっしゃたのが、世界の中で日本は(フランスを除けば)、プルースト研究では第一の国だということ。翻訳もたくさん出ている。そのなかで、なぜ高遠訳が好まれるのか。基本は、超綿密なプルースト研究と、翻訳文の文体研究なのだろう。その成果は、高遠先生が紹介された、読者からのはがきの内容に典型的に現れている。その中学女子生徒は、高遠訳の本は、まえがきと本文注と後書き(読書ガイドと年譜)の丁寧さによって、素晴らしく読みやすいと書いている。6巻までは読み終えてしまったので、次の7巻を待っているが、そのあいだ6巻までをもう4回読み直した…とも書いてあったそうだ。

私より50歳以上若い方が、私とまったく同じ感想を述べておられる。高遠先生の読者へのサービスの品質の高さがこれでわかる。

そして、読書の「挫折」を恐れてはイケナイ。人によって読みかたの相違があって然るべきだし、中断してもいつかはまた読み出す。さらに、「挫折」しても、それも一つの読み方だと、心強いことをおっしゃていた。

もう一つの特徴、訳文の流麗さは、もともと国文学者になりたかったこともあり、新古今、古今を始めとする日本文学などが好きだったことがあるせいだろうとのこと。最近の文学者では、中村真一郎、吉田健一、寿岳文章(とくに神曲の訳文)などもよく読まれたとのこと。

雑談では、鹿島先生が、プルースト雑記の堀辰雄や三笠書房のクローニンなども愛読されたと伺い、懐かしくなった。やはり、同世代、話がわかる。

もっと、たくさんの話がされたが、思い出せなくなった。(昼寝してないので眠い…)

対談終了後は、参会者のお一人(かごともさん)が提供してくれた、「マドレーヌ」(*^^*)を食べながら、全員でおしゃべり。私は持っていった本にサインをしていただいた。これも家宝!



今回はYoutube中継は特別で、誰でも見ることができたそうだ。おかげで視聴者もいつもより多かったらしい。

(後記: 翌日のいまお昼です。Youtubeでまだ見ることができます。昨日は舞い上がっていてよく話の内容を覚えていないので、見直すことにします。アドレスはここ。友の会会員でなくても観ることはできそうです。

https://www.youtube.com/watch?v=VbWiJOTfnRs&feature=em-lbcastemail

2019年11月8日金曜日

11月9日(土) 「高遠 弘美 × 鹿島 茂 スペシャルトーク―『失われた時を求めて』を読む―」の予習をした



今朝の林檎は「名月」。名前から分かる通り群馬原産。今は他でも作られているらしい。詳しくは…

https://foodslink.jp/syokuzaihyakka/syun/fruit/apple-Meigetsu.htm

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明日の月刊ALL REVIEWSのイベント、ビデオ収録(『失われた時を求めて』に関する高遠先生と鹿島先生の対談)に備えて、いろいろ読み散らす。
  (イベントの詳細はこちら。https://allreviews.jp/news/3822 )

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まずはALL REVIEWSにある書評のうち、理解できるもの。

『失われた時を求めて』(集英社)
https://allreviews.jp/review/3141

『「失われた時を求めて」の完読を求めて 「スワン家の方へ」精読』(PHP研究所)
https://allreviews.jp/review/3785

『収容所のプルースト』(共和国)
https://allreviews.jp/review/2104

『『失われた時を求めて』と女性たち: サロン・芸術・セクシュアリティ』(彩流社)
https://allreviews.jp/review/205

『プルーストと過ごす夏』(光文社)
https://allreviews.jp/review/13


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そのうち、C. K. Scott Moncrieff [1889-1930]による英訳版があると知り、探してみた。読みやすそうなeBookのサイトを見つけた。
https://web.archive.org/web/20140529110339/http://ebooks.adelaide.edu.au/p/proust/marcel/

やさしい英文で訳してある、と思う。最初の一節しか読んでいないけれど。

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iPadのKindleに原文、英訳、高遠訳を入れて持っていくつもり。あと、サインしてもらえる場合に備えて、高遠先生の光文社文庫版(6巻)と、鹿島先生の『「失われた時を求めて」の完読を求めて』も持っていく。念の為、サイン用の万年筆も。

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疲れたが、『量子の海…』も少し読み進めた。

ディラックは周囲で流行っていた、「2」を4つ使って演算して1以上の整数を作るゲームを見て、すぐ解を作る方程式を書いてしまう。今で言う「空気の読めないやつ」。
1930年、王立協会のフェローに最年少でなった。このころからカネに余裕ができたらしく、高級車を買った。でも不器用なのですぐ事故を起こし、車を壊す。223頁。
余裕ができたのに、着ているのは以前からの、着たきりスズメの三つ揃い。アメリカにも着ていったやつだろう。
228頁。有名な教科書を書いた、『Principles of Quantum Mechanics』。アインシュタインもこの本を愛読した。索引もなく、ディラックの考えを述べただけの本なのだが。pdfファイルはここ。

https://www.equipes.lps.u-psud.fr/Montambaux/histoire-physique/Dirac-Principles%20of%20Quantum%20Mechanics%20.pdf


230頁。チャンドラセカールが留学しに来て、この教科書内容と同じ講義を三回続けて聴いたという。
同じ年に、ジーンズは『神秘の宇宙』という通俗解説書を書いた。これも評判になった。

( トーマス・マンすら手に入れて読んでいる。これはこの本には書いていない。参考:私のブログ。

https://hfukuchi.blogspot.com/2017/05/blog-post_13.html )


2019年11月7日木曜日

塙保己一先生はすごくエライとしか言いようがない

『人物叢書 塙保己一』(太田善麿 1966年 吉川弘文館)を読み終える。昨日借りてきた本。50年以上前の本だが、文章に古さは感じられない。自分も古いからか。
病弱な幼年期を母の愛情で乗り越え、若くして国文学の道を志す。鍼灸の修行はしたが、自分で不器用なのでダメと判断した。違うのぞみがあったから。目が不自由なので、書物は他の人に読んでもらって暗記してしまう。このあたりに尋常でないものがあったのだろうが、この本ではあまりその部分のことは書いてない。他の本にあたるべきか。参考書は巻末と序文に紹介されている。探して読んでみるべきだ。



92頁。水戸藩の「大日本史」の校正を委嘱され、見事にやり遂げたのを始めとして、彼の綿密な設計通りと思える堅実な生涯が続く。財政が逼迫している幕府からもうまく予算を獲得している。本人には私的な蓄財の意志がまったくなく、すべて典籍を集めて読みやすい形で出版したいという目的だけで動いている。
結局、660冊を超える『群書類従』を、和学講談所で編纂刊行する。このときの版木は今でも渋谷の往古館に保存されている。これを元にして『史料』(年月日で史的事実を並べて典拠を群書類従のなかの本をもとめる)を作り続ける。この『史料』は、今でも東京大学史料編纂所で『大日本史料』として延々と作り続けられている。200年以上続きいつ終わるかも判然としない壮大なシゴト。世界に誇れるものだろう。

http://www.hi.u-tokyo.ac.jp/index-j.html

『群書類従』は国会図書館で読める。『大日本史料』は作成元で読める。索引もある。

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まったくのついでに、「国立映画アーカイブ」にも興味を持った。京橋にある。

https://www.nfaj.go.jp/

ここも気になる。国立公文書館。

https://www.digital.archives.go.jp/

東京大学史料編纂所にせよ国立映画アーカイブにせよ、シニアなら安い金額で入場できる。ぜひ訪ねたいが、交通費がネックとなる。香港のようにシニアの交通費も安くしてほしい。もっと、出かける老人が増えて経済は活性化するだろう。

2019年11月6日水曜日

音楽や料理の世界には国境がない

『神は詳細に宿る』を読み終える。19世紀生物学の機械論では「情報」に関することが欠落し、現代の科学では「意識」が欠落する、という議論は大変面白い。パスツール研究所が(フランスに)あるなら、なぜファーブル研究所はないのか、という議論も。
養老先生のお話はほとんど、ごもっともなので、かえって敬遠したくなるところはある。口やかましい博学のお年寄り。(少なくとも私より一回り上。)酒もタバコもやらないので、もっと長生きするはずというお話も、最も過ぎて参る。

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『量子の海…』も佳境に入ってきた、と思う。1928年頃の束の間の平和の英国で、
(1)空孔理論(批判多い)。
(2)有名な教科書を書く。
(3)古典力学と量子力学を融合させる洒落た論文。フォン・ノイマンの数学知識の助けも借りて。(206頁)
といった、生産的な時を過ごす。
1929年には初めて、渡米。アキタニア号で。講演をいくつかこなしながら米国横断。講演後の聴衆のつまらない質問は無視した。日本の蒸気船で横浜へ。ハイゼンベルグも一緒だった。陽気なハイゼンベルグと、陰気なディラックの凸凹コンビ。でも日本での講演は、喜ばれ、詳細な講演録をすぐに作ってもらったという。ソ連に渡り、シベリア鉄道で帰路につく。レニングラードからベルリンまでは飛行機に乗った。
この年の10月。バブルが弾けた。世界大恐慌へ。(214頁)

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昨年のFacebookには「The Glass Effect (The Music of Philip Glass & Others)」を聴いたという記述がある。素晴らしい音色のハープ演奏者のLavinia Meijerが妙に気になったので、少しひととなりを調べてみた。韓国出身だが、貧しい両親がオランダに養女に出す。成長した彼女は尋ねてきた、実の父親を許す。このCDの写真の通り、深みのある笑顔で。でも、二人は通訳を介さないと話せなかった。

https://music.apple.com/jp/album/the-glass-effect-the-music-of-philip-glass-others/1159685479?l=en

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夕食に、久しぶりの餃子を作った。美味しい。一応9時方向の羽は焦げてない。で、今気づいたが羽つきにするには小麦粉を使うべきで、これは片栗粉だったので焦げた?


2019年11月5日火曜日

読むべき本は毎日増える。孫悟空の分身の術を使って毎日100冊くらい読みたい。

朝飯前の読書の話を、週刊ALL REVIEWSメールレターの「巻頭言」に書かせていただいた。



ここで、三冊ほど面白そうな本を見つけてしまった。
(1)ギルバート・ホワイト(18世紀の英国の牧師・博物学者)の『セルボーンの博物誌』。これは図書館で予約。この本は完全に趣味として読みたい。

(2)ホイットマンの『自選日記』、高村光太郎訳。これは国会図書館デジタルライブラリで読む。序文はOLD REVIEWSの候補としたい。

(3)『世界飛行機構造図解』。大正9年の本。これも国会図書館デジタルライブラリで読める。ベランカと言う飛行機がとり上げられている。リンドバーグが単独大西洋横断に使おうとしたが価格が高くてやめたものの、前身の複葉機だ。

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2019年11月4日月曜日

「Internet Archive」、「国会図書館デジタルコレクション」、自分のブログを検索して遊ぶ

今朝の林檎、シナノゴールド。お尻の部分が凸凹になっているのが美味しいようだ。そういうのを選ぶようにしている。


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朝一番に見る、TwitterのTLや新聞の記事から、発想の種を得ることが多い。
今朝見つけたのは、Internet Archiveからのツイート。WikipediaのCitation(典拠)で引用している書籍のリンク先としてInternet Archiveの書籍のページアドレスをあてる試みが、なされている。

試しにやってみると、TwitterでWiredの記事で引用されているキング牧師のWikipedia記事のCitationがたしかにそうなっている。J.F.ケネディの記事もそうなっているか調べたら、有名な本『PT 109』のInternet Archive書籍にリンク付されている。
いままでも、一部GoogleBookの書籍にリンクが張ってあったが、Internet Archiveのほうが読みやすい。
https://en.wikipedia.org/wiki/John_F._Kennedy

https://archive.org/details/pt109johnfkenned00dono_0


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検索好きなので、国会図書館デジタルコレクションに行って、なにかないか探した。所蔵(公開)している全雑誌記事への索引が公開されているとの、記事を見つけた。



試しに「ユリアヌス」で引いてみたら、辻邦生さんの『背教者ユリアヌス』が『海』に連載された号や、連載前後の執筆記事の掲載された号などが見つかった。
おもしろく使えそうな機能だ。



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そのあと、このブログを検索して遊ぶ。あるキーワードで検索してみて、こんな記事を書いていたのかと、我ながらオドロキ、その後、検索ワードと同じ日に考えていた、別の事項を見つけて、それを考え直してみる。これも楽しい。紙の辞書を読む感覚。今日はユダヤ系の(だから迫害を受けた)旧ソ連のピアニスト、「マリア・グリンベルグ」を再発見。でも、相変わらず情報は少ない。

https://hfukuchi.blogspot.com/2018/01/blog-post_11.html

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『神は詳細に宿る』(養老孟司 水戸部功装幀 2019年 青土社)を88頁読む。49頁からの、「「意識」は解けない問題」という文章がオモシロイ。「意識」は科学の前提だが、科学では説明できないモノであるという。「我思う、ゆえに、我あり」は、意識が存在すると言っているのだが…でも、という部分。

「意識」のなかに飛び込む手段としての「検索」などと考えてみた。

2019年11月3日日曜日

『開高健のパリ』は彼の『移動祝祭日』か?

『開高健のパリ』(2019年 集英社)を読む。



異国への逃亡の「経験」と、「小説」、遠心力と求心力をベトナム戦争体験の小説化で奇跡的に融合させたと、角田光代さんが、冒頭の「解説にかえて」で書いておられる。(これを読んであわてて、『夏の闇』を、図書館システムで予約した。開高健は文庫本や単行本を10冊くらい持っており、一時は愛読していた。『全集』を古本で買おうかとも思うが、ネットでは3万円くらいなので様子見。)
「解説にかえて」はALL REVIEWSでも読める。
https://allreviews.jp/review/3839

ユトリロの絵が数多く挿入されている。開高健が好きだった時代のユトリロの絵は、われわれの目に慣れた、晩年の枯れた味わいではなく、色彩豊かなパリの街の絵だ。開高健とユトリロは似合わないと、この本を読むまでは思っていたが、このユトリロなら、なるほどと思わせる。この絵を描いた時代のユトリロにとっても、この本を書いた時代の開高健にとっても、パリは豊穣な街だった。

46頁、壮大な石の森、パリの街を夜通し歩き回る、という開高健のまだ若い、そして痩せた姿が目に浮かんでくる。

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開高健さんの本はすぐ読み終えたが、『量子の海…』はなかなか読み終えられない。豊崎社長のおっしゃる「ゆっくり読む本」なのだろう。
175頁。傲慢とボルンに言われたオッペンハイマーだが、なぜかディラックには神妙な態度をとる。業績に敬服していたのだろう。
176頁。父チャールズのシゴト最優先の生活はにはディラックは反発を覚えていたのだろうが、彼自身もそうなっているのは皮肉だ。たまに帰省しても自分の部屋に引きこもって研究を続ける。(177頁)
181頁。「宗教」は大嫌いだと仲間に語る。自分のことを語るのは珍しいことだ。

2019年11月2日土曜日

読んでいるとディラックの「変わり者」ぶりが愛おしくなってくる(『量子の海…』)

『量子の海 ディラックの深淵』を読み進む。
ゼネストには興味を持たなかったが、仲間の影響でマルクス主義には関心があったようだ。彼の境遇からすると無理もない。ただし、研究オンリーの生活は変わらない。1926年に学位(博士号)を得たが、おかげで取れた長期休暇も彼にとってはゆっくり研究するためのものだった。(136頁)
古典力学に固執するのは得策でないと気づく。黒体輻射のスペクトルの説明がかれの量子論でうまく行った。でもフェルミが少し先に論文を発表していた。(137頁)
コペンハーゲンに半年留学。ボーアの人格にうたれた、がボーアはなんて寡黙なやつだと周囲にぼやいていたらしい。
マクスウェルの電磁統一理論を量子論で書き換えることが出来た。アインシュタインの光量子論よりも良いと自賛したが、スレイターは批判していた。(156頁)
エーレンフェストと知り合う。
ゲッチンゲンに留学。オッペンハイマーと同じ下宿に住む。(155頁)ここの親玉のボルンも優しい。やはり打ち解けないのだが。(161頁)
ゲッチンゲンはディラックの好きな散歩(ただ歩くだけ)が存分にできるところだった。

まだ、四分の一しか読んでないが、ディラックが変人と呼ばれたわけがだんだんわかってきたような気がする。要するに、研究すること自体がものすごく好きだった。周りの、「普通の」研究者は、業績を認めてもらいたいと上司や先輩に自分を売り込む。ディラックはそんなことは無意味とおもっており、超然たる態度をとっている。今で言う空気を読まないタイプの人間だったのだろう。
とりあえず、この仮説を頭に入れて、読み進むことにする。仮説の修正が必要なことが、判明すればなおオモシロイ。

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ラグビー、ワールドカップ終了。決勝戦は南アフリカがイングランドに圧勝。私見だが、南アフリカは日本戦では、「お手柔らかに」戦っていたかも知れない。

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ハワイ島の息子殿から、お土産に植物の写真集を買ったと連絡あり。嬉しい。


2019年11月1日金曜日

『群書類従』全文検索と頭脳の中の連想記憶検索のカンレン、ほぼ妄想

息子が送ってきたハワイ島の今夜の星空。カシオペア?



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こちらは、昨夜のギモン。全文検索は今どうなっているのか、を考えたり、ちょっと調べたりした。
国会図書館では、
「【今後の改良予定】
検索対象となる目次情報を充実させていきます。
本文全文の検索の対象を順次拡大していきます。」
ということらしい。


愚直に、手に入る多くの文献全てをテキスト化し、索引をつけるというアプローチは、昔からあるようだ。『群書類従』を作ろうとした塙保己一先生。『群書類従』は国会図書館デジタルコレクションでも書影を読めるし、一部はKindle化もされている。しかし、これを実用的に使うのはかなり困難。でもこの壮挙は大とすべきだ。渋谷に版木を展示しているところがあるので、今度見学もしたい。

ところで、『群書類従』はジャパンナレッジで、テキスト化され、これは全文検索もできるらしい。法人契約が必要でしかも個別契約年間3万円も必要。一応、近所の図書館で利用できるか調べてみる。

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塙保己一先生の事跡は、伝記本を借りる手続きをしたので、後で調べる。しかし、彼の頭の中には巨大な高性能データベースが出来ていたと考えられる。南方熊楠もきっとそうだろう。これをなんとか、凡人(私)の頭の中で実現できないのか。ある主題に関しての本を探している時に、ときどき、あの本棚のあの場所に関連本があると「ひらめく」のはこのデータベースの働きだろう。かなり粗雑なデータしか浮かび上がらないが。

クラークのマザーコンピュータ(連想記憶機)に、閉ざされた都市からの脱出方法を聞くと、何年か後に教えてくれる。この仕組については、クラーク先生は教えてくれないのだが、「塙保己一」的データベースと多くの雑多な記憶バンクを横断サーチする力任せのエンジンがあったと考えてもよいだろう。

計算時間という資源が活用できれば、いまでもこれは実現しそうな気がする。(地球だけでなく宇宙の)人類あるいは生物が数万年かかってやるべきシゴトではあるのだが。

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『量子の海』も少しだけ読んだ。1926年5月の英国内のゼネストにも、彼は関心を持たない。

ディラックの教科書、『量子力学』よりも、朝永先生の『量子力学 第2版』(みすず書房)のほうが読みやすい、とのことなので、学生時代に買ったものを取り出してみた。50年経っているのにまだ、綺麗なのではずかしい。とにかく、目を通してみる。


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夕方、図書館に行き、新たに6冊仕入れてきた。また、眠れなくなりそうだ。