2017年10月31日火曜日

順風満帆なコルトーだが、ナチス占領という落とし穴がせまる

 1902年にはロマン・ロランの前妻、才女クロチルドと結婚。クロチルドは碩学(意味論)ミッシェル・ブレアルの娘でもある。ブレアルはテーヌやルナンの親友。学問にしか興味がない。コルトー家の仲良し家族はこの結婚には疑問をいだいていた。(114ページ)

 コルトーは伴奏者としても名を馳せる。そして、当時かろうじて残っていたサロンにも出入りする。(120ページ)

 1905年。古今最高のトリオ結成。コルトー=ティボー=カザルストリオは大成功。(123ページ)
 カザルスも研究に値する人物だ。

 ついにコルトーの「天職」が。エコール・ノルマル・ド・ミュジックを設立。女性の学生にも大人気。(138ページ)

 第一次世界大戦までは全世界を股にかけて演奏旅行。年に100回以上の公演はざらだった。プレイエル社は調律師つきで演奏地にピアノを送ってくれた。(150ページ)
 これはすごい贅沢な環境と言えよう。ピアニストの「天国」。

 戦後は米国での大成功が続く。もちろんドイツでの評価も高い。

 クロチルド夫人との間にはますます冷たい風がふき、別の女性がコルトーのそばにあらわれる。

 平和は短く、ナチスドイツの暗い影が迫ってくる。政治的には無色のコルトーは、音楽的にはワグナーも含めたドイツの音楽に深く関わっている。危険信号。しかしコルトーは何も気づかない。さあどうなる。



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 今日で十月が終わり、明日からは十一月。息子殿の引っ越しがある。本は読めそうもない。

 明日のブログは引っ越しの観点で「天国」を語りたい。

2017年10月30日月曜日

「アルフレッド・コルトー」(伝記)を読むと波乱万丈(*^^*)

 昨日から読んでいる「アルフレッド・コルトー」(ガヴォティ)は面白い。その前に読んだリヒテルの聞き書き伝記は、作者のリヒテルに対する敬意があふれすぎて、一寸マジメすぎた。それに比べるとコルトーのこの伝記は歯に衣着せずに書いてある。ロシアとフランスの国民性の違いもありそう。コルトーがロマン主義の音楽を好んだことも原因か。

 音楽院を優秀な成績で卒業したコルトーは、音楽の道に突き進む。ピアニストに飽き足らず作曲や指揮への思いもあったようだ。

 ピアノメーカー、プレイエルの支配人の好意で当時話題になっていたワーグナーの音楽に触れることになる。1896年にバイロイト(音楽祭)に出向く。(67ページ)

 ワグナーの音楽に魅せられたコルトーはバイロイトで音楽祭の出し物に携わるだけでなく、パリに戻って、ワグナーの楽劇をみずから上演するという壮挙に出る。指揮もやってのける。しかし、この公演は結局赤字となる。(81ページ)

 借金に追われるコルトーはフランス国内にピアノ演奏旅行に出る。作曲も試みるがラロなどに酷評され、作曲の道は諦める。(82ページ)

 ワグナーへの熱狂も醒めて、ピアニストとして再出発をはかる…続きは次回。

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 リヒテルが「弟子」のボリソフに教えたとおりに、プルーストの「失われたときを求めて」を1ページずつ読むことにした。なかなか具合が良い。

 ヒマは掛かりそうだが、おかげさまで、ずっと宿題になっていたプルーストを楽しむことができそうだ\(^o^)/

2017年10月29日日曜日

コルトーの伝記本を読む時のBGMにコルトーを聴けるのはまずは幸せ

 リヒテルの本はほぼ読み終えた。最後はレパートリーの曲名の連続なので読まなかった。この本は本当は座右に置いておきたいが、無理なので、図書館に置いておきます。



 「アルフレッド・コルトー」(ガヴォティ 遠山訳 2012年 白水社)を読み始めた。典型的伝記本なので、読みやすい。

 25ページ。コルトーが学生のときに先生(ショパンの弟子)が、ショパンは怒ると意外に荒っぽかった。病的な側面と力強い側面があったと言って聞かせる。コルトーはかえってショパンのことを身近に感じる。

 42ページ。ピアニストは作曲家のそばにいる霊媒である。機械的に弾くのでなく芸術的に弾かなくてはいけない。

 44ページ。コルトーと学友は音楽院のきびしい授業の合間の休憩時間に大家の楽譜を読むなどの「音楽をしながら」休憩する。
 なお、優等で卒業するときには「やっと(真の)音楽ができる」と言ったらしい。家が狭いのでプレイエルのピアノ以外にももらえることになったエラールは辞退したらしい。プレイエルにしたのはショパン愛用のピアノだから…

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先週に続き台風サンデー。




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 よる10時半。もう夜空は晴れ上がっている。

2017年10月28日土曜日

「デルフトの眺望」を見るとなぜ芸術家は感興を呼び起こされるのか

 これがその絵だ。
https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a2/Vermeer-view-of-delft.jpg


 辻邦生先生も日記でショーウインドウに掲げられた複製画を見に行っていた話を書いていた。

 リヒテルも「リヒテルは語る」を読むと、この絵が好きだったようだ。この絵をみながら以下の曲たちを弾きたいと言っている。
 以下は今日早朝のツイートたち。











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 これらの曲を聴いてみても、「なぜか」は解明できない。ご本人たちの裡の「なにか」に共鳴しているのだろう。もっと修行しないとわからない…

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 今日は昭和酒場研究会、日暮里いづみや。ビールと梅割りと常温の日本酒に気持ちよく酔った。おやすみなさい。

2017年10月27日金曜日

大山の右肩に見えるはずの富士山は老いた目では判別できず

 富士山は昨日雪化粧したという。

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 今日はリヒテル本を読み終えるはずだったが、予定は変わる。家族の一員の転出届をもらいに市役所に行く。その後、ホームセンターに必要品を買いに行き、夕食(おでん!)の支度をして、ハイボールを飲んで食事し、TVドラマまで観たので、もう十一時。

 リヒテル自身が勧める曲目を昨日ブログに書いたが、そのうちのいくつかをYouTubeで捜した。パゾリーニの映画「テオレマ」と、フェルメールの「デルフトの眺望」も捜した。

 わかったアドレスは昨日のブログに反映した。もう寝よう。

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 市役所の窓口のおじさんは、提出書類の記述ミスを丁寧に直してから、「寂しくなりますね」と言って、ニッコリした。

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 ホームセンターの屋上から夕暮れの西空の富士山を捜したが、それでなくてもごく一部しか見えない富士の山容は、ほとんど確認できなかった。三角形に尖った大山のシルエットの右肩に少しだけ見える台形の頂上がそれのはずだ。

 「見た」ことにした。


2017年10月26日木曜日

リヒテルは「伝記は嫌い、音楽が全てだ」と、なるほどね

 「リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢」を読み続ける。

 108ページ。レコードで残したいのはリストの協奏曲一番二番(1961年)、リストのソナタ(1965年 カーネギーホールライブ?)、ショパンの協奏曲二番(1966年)、フランクの交響詩「魔神たち」(1953年)、ショパン前奏曲日本のライブ(1979年)、シューマン「幻想小曲集」(1956年)、グリーグの協奏曲(1974年)。録音年データは112ページのボリソフの注による。

 これらは、さがして聴かないといけない。

 118ページ。映画「テオレマ」がおもしろい。パゾリーニ。

 156ページ。日本のわらのマットレス=畳が好きだそうだ。「前世はサムライだった」とも。

 176ページ。日本の飲み屋のボトルキープを褒めている(*^^*)

 190ページ。プルーストを読む意味。「実体を感じさせない流れ」、がたとえばフランクのソナタ一楽章に通じる。

 210ページ。ここはマストドンの投稿で記述を代用します。



 あと、三分の一。明日には読み終えるだろう。


2017年10月25日水曜日

リヒテルの人となりや、ギレリスとの違いを本やビデオで学習中

 「リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢」(ボリソフ 宮澤訳 2003年 音楽之友社)を読み始める。軽い気持ちで図書館から借りてきたが、なかなかオモシロイ。リヒテルの言動を若い友人がまとめたものだ。
 


 リヒテルさんの住居の話が最初に出てくる。若きボリソフ氏が高名なピアニストを訪ねるところから始まる。グランドピアノ2台が片隅にあるような大きな部屋を持つ住居で、高層ビル(まだ未調査)の16階にある。住所はボリシャヤ・ブロンナヤ通りと11ページにある。

 部屋の手書きの見取り図が18ページにある。

 聞き手が若いのでリヒテル氏はちょっと指導者風なところを見せる。

 22ページ。チェーホフの短編「恐怖」の田舎屋敷のような別荘にも招待される。リヒテルはチェーホフ好きだったとボリソフは書いている。

 52ページ。白いピアノもあるが、私は黒い色のがすきだ。黒は静寂の色だ。そして、勉強は夜にするのが好きだよ…。バルコニーに出るとモスクワの夜景が一望できる。
 #これはアパートの方ですね。

 64ページ。誰もがグールドに感激するがフランス組曲は(速すぎる)…

 89ページ。トーマス・マンは全部好きだ。「ブッデンブローク」は天才的…でも「ファウスト」は不満。音楽学は文学に変換すべきでない…

 90ページ。プルーストはもっと偉大だ。これはゆっくり読まなくてはいけない。(このあと、「スワン家」の露訳本をボリソフに与え、1ページずつ読むようにと注意書きを最後の見開きに書いてやる。

 さて、恐れ入りました。トーマス・マンはいいとして、チェーホフは全集を掘り出してこなければならない。そして、逃げ回ってきたが、ついにプルーストを読む羽目になりそうだ。1ページずつなので、何年かかることか(*^^*)

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 ギレリスももう少し研究したいので、例によってビデオを観る。まだギレリスのほうが汗かきだぐらいしかわからない。ギレリスが大汗をかいて弾いているのに、同じビデオでリヒテルは涼しい顔で弾いている。ピアノの音色もこれに応じた違いがありそうだ。でも意外に(失礼かしら)ギレリスの高音は綺麗で繊細だ。

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 渡辺一夫先生の本も借りてきた。「寛容は自らを守るために不寛容に対して不寛容になるべきか」を読む。この問の答えはもちろん決まっているのだが、そう読者を説得する語り口自体が「寛容」。



2017年10月24日火曜日

リヒテルを楽しむには座禅修行が必要だったが、「雑念キャンセラー」で手軽になった(嘘)

 「プロジェクトX ヤマハ 執念のピアノ・天才リヒテルに挑む」というビデオをYouTubeで観た。一寸如何なものかと思える題名だが、内容は参考になった。あのリヒテルが何を思ったのか、YAMAHAのピアノを多用してくれていた。ありがたいことである。

 「Sviatoslav Richter - Debussy - Preludes」というのも観た。日本での収録。ドビュッシーの前奏曲。この演奏ビデオはスバラシイし、禅、無、色即是空…といったコトバが浮かんでくる。リヒテルの言うように音楽にのめり込むには、無念無想になる必要がある。なので彼はよく、電気スタンド・プレイをするわけだ。リヒテル本人と聴衆ができるだけ直接音楽と向かい合うように。

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 「天国」には無念無想マシンがあると考えた。スイッチを入れると雑念キャンセラーがはたらく。

 このアイディア(雑念キャンセラー)は自由に使っていいですよ。GoogleさんとかAppleさんが数年後には実現しそうな気がする(嘘)

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 リヒテルを調べると同じソ連のライバル(?)ギレリスも調べたくなる。ビデオをあさっていたら、こんなビデオが出てきました。

 やや若い(が太り気味の)ピアニスト。飛行場で兵隊さんを前に勇壮な曲を弾いている。途中で、戦闘機(偵察機か?)が爆音とともに戻ってくるが、めげずに弾き終える。このピアニストは誰で、曲はなんだろうとしばらくギモンだった。

 別のビデオを観て、疑問が氷解。ギレリスがラフマニノフのGマイナー前奏曲を弾いていたのでした。飛行場ビデオでキャプション入りのも出てきた。(一分30秒付近の画面キャプチャーが下)



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 図書館に行き、「リヒテルは語る 人とピアノ、芸術と夢」を借りてきた。読み始めたら、チェーホフが引用されていて読みたくなって困った。なにしろ物置から掘り出さなくてはならない。リヒテルはなにしろ話題豊富でオモシロイ人物だったらしい。プルーストの話も出てくるし困った困った(*^^*)

2017年10月23日月曜日

「パフォーマンス」でなくて「音」だと、グールドがリヒテルについて述べる

 ビデオの中でグールドは述べる。

 二つのタイプの音楽家がいる。
 自分の解釈の演奏を聴衆に聞かせるタイプの音楽家と、聴衆が自ら音楽にインボルブすることを促す音楽家だ。
 リヒテルは後者に属するのだ。と。

 グールド自身は聴衆へのパフォーマンスを捨象してしまったので、演奏している自分が音楽にインボルブされるだけで済むことになろう。

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 リヒテルの有名な電気スタンド下の演奏。これは聴衆が音楽に集中できるようにしていると、このビデオでリヒテル自身が述べている。

 YAMAHAのピアノも使ってくれたリヒテル。(NHK プロジェクトX)

 チャイコフスキーコンクールで審査員をしたとき、クライバーンにだけ満点をつけ他の参加者は零点だったという逸話がある。クライバーンは音楽にのめり込んでおり、他の参加者はコンクールにのめり込んでいたのではないのか。

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 リヒテル語り下ろしという本も図書館で予約してみた(*^^*)


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 選挙の結果をもう少し冷静に受け止めるために渡辺一夫先生の「寛容」のお話をもう一度読む。それも予約した。

2017年10月22日日曜日

「The Art Of Piano Great Pianists Of The 20Th Century」後半のピアニストたち

 大雨の中、衆議院選挙の投票に行く前に、ビデオを観終えた。1時間7分あたりから。

 エドヴィン・フィッシャー 彼はレコード好きだったらしい。録音のチェックもきちんと行っている。レコード・プレーヤーも身近において喜んで曲を聴いている。すごい名手ではないと言われたが、後進も育て、同僚にも愛された。良い意味での「子供」だったとのコメント(*^^*) バレンボイムさん、あんたの先生でしょうが。

 ギレリス スタインウェイを大汗をかきながら弾いている。彼は「音」を大切にしたと、キーシンがコメント。キーシンが若い。

 リヒテル スタインウェイを今度は電気スタンド無しで、オーケストラがいるのであたりまえ、弾いている。彼の演奏は「予測不能」。のったときにはものすごい名演をする。

 ミケランジェリ 伊達男。そろそろ次世代のピアニストが出てきた。スタインウェイを弾いているが、このピアノの鍵盤が手垢で汚れている。伊達男なのに気にしないのか不思議。

 グールド 宇宙人登場。聴衆へのパフォーマンスは無意味=アナクロニズムと考えた。姿勢が悪いからでなないだろうか(嘘) すごい変な音のスタインウェイ(?)を自宅で弾いている。
 グールドが聴衆の前に姿を表さなくなったのと、サリンジャーの隠遁は関係あるだろうか、多分無い。庄司薫先生に意見を訊きたいものである。

 アラウ 最後のヴィルトゥオーソ。大切なのは音符でなく音であると、なかなか当たり前なことをおっしゃっていた。なんとなく植草甚一先生を思わせる。ちょび髭と小太りな体型のせいかしら。この人のグリーグのコンチェルトはLPでもCDでも繰り返して聴いた。ある意味での恩人の一人。

 今日のメンバーの中では、リヒテルとグールドに興味を持ったのでもっと調べたい。

 ラフマニノフの2016年BBC製作ドキュメンタリービデオも観た。まあ、オモシロイがもの悲しさが残った。ロシアに魂をおいてきたのだろう。

大雨警報。


2017年10月21日土曜日

「The Art Of Piano Great Pianists Of The 20Th Century」前半のピアニストたち

YouTubeで「The Art Of Piano Great Pianists Of The 20Th Century」を見直した。以下観ながら書いたメモ。

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 マイラ・ヘス 1945年 スタインウェイを弾いている。彼女あとでも出てくる。

 リヒテル 1992年 有名な電気スタンド照明の演奏。

 ルビンシュタイン 1975年 音はスタインウェイだが、銘板が見えない。

 パデレフスキー 歴史が戻る。第一次世界大戦後ハリウッドへ。音もテクニックも凄さを見せつけて政治家からスターになる。

 ホフマン 上手いけど、一寸地味。

 ラフマニノフ うむむ。

 モイセービッチ ラフマニノフより上手い(比較するな(*^^*) )。重厚。

 ホロビッツ スタインウェイ 天馬翔けるが如き指使いがスバラシイ。鼻もでかい。しかし気は小さい(*^^*)

 シフラ ハンガリー出身の超絶技巧ピアニスト(早すぎる!)
 
 ヘス 再度登場。戦時下のイギリスを慰める。 スタインウェイ。

 ルービンシュタインのコメント。会場の聴衆の何人かの感情を探るアンテナを持っている。それで感情を探知してもっと盛り上がるように弾く。ここまで来るとすごいの一言。

 レコードが発明され、そのあとにどうなったか。(個人的には録音されたものと演奏会の音楽は別物と思う。でも贅沢はできないので、ビデオの価値があがると思う。)

 コルトー ピアニストというより詩人。今回始めてわかった、YouTubeでよく見る彼の演奏しているピアノはプレイエル。ショパンも愛用していたピアノメーカー。

 そしてバックハウス。ジャズピアノで言うとモンクみたいな存在かしらん。

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 ここまででビデオの1時間46分のうち1時間7分まで経過。

 あとは明日観よう。

 パデレフスキーの伝記か自伝が読みたい。ルービンシュタインは回顧録が読みたい(あれば)。ホロビッツの音はもう少し聴いてみよう。

 でもやはり、コルトーはすごい。もっと追いかけるぞ。

 下のは、スタインウェイとプレイエル。ビデオとは関係なし。Wikimediaから。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/a/a5/Steinway_%C3%A0_Leipzig_-_cropped.jpg

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/3/3e/Chopin_Museum_in_Warsaw_03.JPG

2017年10月20日金曜日

中村紘子さんにもピアニストを「紹介」していただいた

 Maria João Piresのモーツァルトに魅せられて、昨日からピアノの音色の秘密を探りたいと考えている。手始めにいろいろな演奏家とピアノを調べている。

 リパッティが凄かったのだとか。




 



 






 でもやっぱり、ラフマニノフ大先生。




 中村紘子さん(T_T)に紹介いただいた。つぎのパデレフスキーも。




 極めつけは、この人。




 古いピアニストを聴くのには、まずYouTubeを使うが、Classic Managerというサイトもいいですね。

 中村紘子さんの伝記はまだ出ないのか? 旦那様が書かないのかしら。


2017年10月19日木曜日

今日のオシゴトのメモ

(1)重力波研究 

 以下を見る、つもりだったが果たせず。明日まわし。
 京大のサイト。

(2)ピアノの音色研究 



 YouTubeが非常に有効。 中村紘子さまの本も掘り出した。新作も買おうかしら。

 ピアノの辞典というサイトがスバラシイ

 身近なピアノというサイトもいい。

 ここで紹介されている主なピアノメーカー。

スタインウェイ (独・米)
ベヒシュタイン (独)
ブリュートナー (独)
グロトリアン (独)
ベーゼンドルファー (墺)
プレイエル (仏)
エラール (仏)
ファツィオリ (伊)  
ペトロフ (チェコ)
ヤマハ (日本)

 リシッツァはベーゼンドルファー

 ベーゼンドルファーのカタログ

 グールド(Wikipedia)
 グールドは、自身の指向に合う音楽を作り出すために自身のスタインウェイ製のピアノに対してそのタッチを軽くするなどの改造をしていた…、晩年にはヤマハのピアノも使用していた。

ベヒシュタインのカタログ

スタインウェイのカタログ


ヤマハのカタログ

 上原ひろみさんはヤマハだな。


 最近好みのMaria João Piresは、Fazioli  だったり

 YAMAHAだったりする。


 スタインウェイも弾いている

 もちろん、ピアノは持ち歩けないので、会場にあるのをたいていのピアニストは使うだろう。持ち歩いた、ワガママさんもいるのかしら?

 ピアノの音色は、ピアニストの癖や、楽器の種類や、調律に良し悪しや、気候や、その他多数の要因によるのだろう。脳科学とピアノのタッチの関係も調べたい項目だ。図書館の本を少し当たろう。


(3)ビーグル号航海記を読む

 まず50ページほど読んだ。ダーウィンの感性も若くて瑞々しい!

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 九州のセンパイが定年後の趣味の俳優業でNHKBSのドラマ出演。スゴイナ。

2017年10月18日水曜日

「はじめてのシエラの夏」(ジョン・ミューア)は可憐な書きぶり



 米国の国立公園の父と呼ばれる、ジョン・ミューアの処女作。1993年に宝島社から邦訳が発売されたが、ミューアが書いたのは1869年夏に羊飼いに同行してヨセミテで野宿した時の体験だ。昨夜から今日にかけて読んだ。

 1838年にスコットランドに生まれ、米国に移住したミューアはまだ31歳そこそこ。若い感性で、それまで誰も目を向けていなかった米国の豊かできびしい自然に目を向けた。羊飼いですら、自然の美しさには盲目だった。(131ページ)

 虫の生態にも目を向けて、あるところの記述はファーブルを思わせる。(150ページ)

 チップマンクやウッドチャックの楽しそうな、そして面白い様子に目を見張る。(152ページ)

 ともかく、ヨセミテ付近の山や川や樹木などの自然に抱かれて、陶酔している様子を素直に書いている。スケッチも幾つか収録されている。ヨセミテの美しい写真はずっと後のアダムスが撮ることになる。

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 2ヶ月ぶりで床屋に行く。色々話して、大河ドラマのことも話題になったが、帰りにこんなプリントをくれた。



 次回の大河ドラマがこれで面白くなるだろう。それにしても勉強家の床屋さんだこと(*^^*)

2017年10月17日火曜日

記者発表『重力波天体が放つ光を初観測』をYouTube Liveでみた

 8月に検出された中性子星合体に伴う重力波。その際に発生した光も検出でき、これにより、重元素の生成のメカニズムがより深くわかったという。




 この発表のビデオ中継をみたが、分かりやすかった。田中雅臣さんの解説は特に明快。

 「重力波天文学」も勉強する気になった(*^^*)

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 その後は「マーク・トウェイン 完全なる自伝」の続きを読む。1906年の米国軍のフィリピンモロ族の虐殺の話が書いてある。「虐殺」と見抜いた彼の態度に共感。しかし翌日は普段の何気ない話題に戻っているのですが。

 この本も飽きてきたので、同時に借りてきた「はじめてのシェラの夏」(ジョン・ミューア 岡島訳 1993年 宝島社)を半分読む。原著は1911年の出版。若きミューアがヨセミテに行ったのは1869年。その後、彼は国立公園の父と呼ばれる。



 1997年に会社の出張の休日を使ってヨセミテにドライブ旅行したのをおもいだした。楽しかった。その時の旅行記はこれ

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 夜に食事しながら、観たNHKBSPの「世界街歩き」から、いくつか勉強用キーワードを貰う。
 「 トゥルーズ
  ラテコエール
  飛行機 偵察機
  エアバス
  サン=テグジュペリ
  オクシタン語 →オック語
 テレビを観るのも悪くない(*^^*)

2017年10月16日月曜日

円城塔さん「金字」まだ良くわからないがまず100回読む



 読書百遍、義自ずから通ず。わからなくても面白い。もとい、わからないから面白いのかもしれません。「浄土三部経」は幸い、本棚で見つけたのでこれも読み返すつもりです。

 「天国」の条件には、「わからないことがあると、それを勉強できるので喜ぶ心性を持つ」、を入れよう。

 「わかるとは何か」(長尾真 2001年 岩波新書)をもう一度読んでおく必要がある。



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 「マーク・トウェイン 完全なる自伝 1」は750ページまできた。当時(19世紀末から20世紀初め)の時事問題に関する意見の部分は、「わからない」、一方早世した娘への慟哭の部分は「わかる」。しかし、マーク・トウェインがこの自伝の中でいっているとおり、人間が何を考えて生きているかを、なるべく多く記述しようとすると、他人には「わからない」ことも書かなくてはならない。

 われわれの出来ることは、自伝を虚心坦懐に読み、部分ごとに「わかったり」、「わからなかったり」しながら、ひたすら読んで、全体として著者を捉える努力だけだ。

 他人だけでなく、自分自身に関しても「わからない」ことは多数存在する。ここでは、「分析」は役に立たない。「直感」や「経験」が働く部分であろう。

2017年10月15日日曜日

自作の栞にコメントも書く読書法と、ピレシュのピアノが、気に入っている

 「マーク・トウェイン 完全なる自伝」を、マリア・ジョアン・ピレシュの清冽なピアノをBGMにして読みふける。






 読みふけった割にはまだ、500ページしか進んでいない。図書館で借りた本なので、気に入ったところに手製の栞を挟んでおく。時々、その栞にコメントも書く。あとでそこを読み返すと、本の良いところが頭に入ったような気になる。あくまでも私見。

 今回の150ページほど、で挟んだ栞は、三枚。

 一枚目。384ページ。スタンダード石油の社長の有能な有能な秘書のお話。社長によるとこの秘書は社長の業務の百科事典的存在で十分自分の代わりが務まるとのこと。

 感心した。最近考えている「天国」に欲しいものとして、有能な秘書を挙げたい。自分も有能じゃないと駄目ですが。

 二枚目。436ページ。「日記と自伝を合わせた叙述にする。」 そして、頭脳の石臼は絶え間なく回転しそれは行為と言葉ではとても表しきれない。実はこれを本当に記述しようとすると毎日二万語の本ができる。一年では365冊。

 三枚目。400ページ。自伝原稿の束に新聞の切り抜き記事をたくさん挟んである。何年かあとで見直すとその記事も自伝の材料になりうる。

 参考になるなあ。

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 感心したので、近所のとんかつ屋さんに、息子様と昼食を食べに行った。「ヒレカツ定食」1100円。うまかった。

 この店は息子の友だちのご両親がやっている。10年以上前に行ったきりだったが、店の清潔な佇まいや食器や料理の食べさせ方がまったく同じ。味は少し良くなっている。値段はあまり上がっていない。スバラシイ店だ。99点。マイナス一点は煙草をすっている客の存在。


2017年10月14日土曜日

マーク・トウェインの自伝は面白い断片の集まり、つまりブログ

 「完全なる自伝」を読み続ける。なんで「完全なる」なのだろう。まだギモン。

 いま読んでいる、第一巻の250ページ付近から、しばらくホーネット号という帆船が火事をおこし、乗組員や乗客が船長の指揮のもと小さなボートで漂流した話が収録されている。

 マーク・トウェインが1866年にハワイに居て、漂流者の取材をして、記事を書き、これが物書きとしての登竜門となった。と本人が書いている。この断片はしかし、ずっと後に1898年ごろウィーンで書いたもの。

 かれの持論は、自伝は年代にとらわれず、書きたい時に書きたいものを書く、というものだった。それが如実に現れている。

 マーク・トウェインはそれで気持ちよく書けるのだが、読者は神経を使う。常にいつのことをいつ書いているのか意識しなければ、意味がわからなくなる。

 この断片では、最初にマーク・トウェインの注釈があるので、この点ではわかりやすい。ストーリーもはっきりしているので読者としては楽である。

 ただし、これが自伝なの?というギモンは生じる。昔書いたこんな記事があるけどすごいだろう、こういう話だとえんえんと続くからだ。

 他の断片も自分の経歴とは一見関係ないことが、多いようだ。よく考えると、彼の人生に少し影響を与えているといったお話など。

 こんな自伝ははじめてだが、マーク・トウェインが現代に居たらきっとブログにこれを書いただろう。公開性が問題になるが。

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 アシモフの年代記でない自伝「I, Asimov」はテーマ別の記述になっているが、マーク・トウェインの(公開はされていないが、内容をしっていた可能性はある)自伝を真似したのだろうか。面白い宿題を見つけてしまった(^o^)

 ここまで書いて、もう一つ連想した。司馬遼太郎の「空海の風景」。司馬遼太郎は小説にはなにを書いてもいいと言って、取材の内幕などを小説に書き込む。達人は何をしても上手く出来るということ。

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 「完全なる」の意味はまだわかりません。

2017年10月13日金曜日

マーク・トウェインが自動植字機に投資した結果の損失額がすごい

 「マーク・トウェイン 完全なる自伝」を読み進める。200ページまで来たが、1000ページの本なのでまだ2割。本来は三巻本なので、そうすると十五分の一しか読んでないことになる(T_T)



 ただし、邦訳は二巻までしかされていない。第二巻が出たのが一昨年なので、そろそろ三巻も出そうな気もする。第二巻も我が図書館にあるので、つぎに借りて読もう。せこい話だが、それぞれ1万7千円もするので、自分では買えない。場所も取るし図書館にあるほうがいい。地方税を払ったかいもあるというものだ…

 いままで読んだところに、グラント将軍に回想録を書くことを勧め、自分の関係する出版社に版権を買い取らせる、話が書いてある。グラント将軍の聖人君子ぶりに比べると、クレメンズ(マーク・トウェインの本名)のしたたかさが窺える。

 もっとも、クレメンズは商才はほとんどない。著書の(トムソーヤとハック)がよく売れて財産ができてからお金に興味を持ったのだろう。そして、当時(十九世紀末)の時代風潮もあり、新技術に目をつけた。

 ペイジという「天才」発明家が売り込んだ、自動植字機とやらに興味を示し、莫大な投資をしている。英語版Wikipediaでは30万ドル、現在だと600万ドルと書いてある。6億円以上!!!???

 ペイジが「天才的」すぎたので、自動植字機はビジネスにならず、投資は全部パーになったらしい。無一文になったクレメンズは、講演旅行を世界的に行い、当面の小遣いを稼ぐ。また、その旅行記を書くとそれも売れて、まずまずのお金持ち暮らしに戻れた。

 この経緯も文章に書いて儲けているわけで、さすがと言うべきか。売文をなりわいとする人の鑑みたいな人生だ。年を取っても、踏まれても、蹴られても。あっけらかんと文章をひたすら書き続けるのは偉い。

 自動植字機は、活字を拾うのを自動化しようとするキカイだったらしい。このあと間もなく写真植字機が発明されたはずだから、どっちみちマーク・トウェイン先生が儲かる目はなかったということになろう。

 ただし、今の作家達がワープロソフトやポストスクリプトに技術的興味を持つのと同じような、ある意味でけなげな雰囲気があるので、同情できる面はある。

2017年10月12日木曜日

「マーク・トウェイン 完全なる自伝」は1000ページあるが、実はまだ三分の一の訳だそうな

 数日前に図書館本館に予約注文していた本が、分館に届いたとメールが来たので、受け取ってきた。6冊。普通はなんでもないのだが、今日は重くて往生した。



 「マーク・トウェイン 完全なる自伝」(和栗了他訳 2013年 柏書房)が特に重い。1000ページ有る。試しに最初の方を読んでみた。「自伝」の書き方についてユニークな意見が書いてあった。読書専門マストドンBookwor.msに紹介の投稿をしてみた。



 もう少し読んでみたら、驚愕の記述発見。



 これなら、アシモフの自伝より長そうだ。読みでが有る(^o^)

 ともかく、自伝は構えて書くとうまく書けないようだ。別の言い方をすると、作家の書くものは全て「自伝」の一部なのだ、とマーク・トウェインは言いたいのだろう。ここでフィクションとノンフィクションの差はなくなる、無意味になる。

 今日は30度近くて、本の持ち運びで汗をかいたが、明日は17度くらいしか気温は上がらない。急に冬が来そうだ。読む本がたくさんあるので、閉じこもっても大丈夫\(^o^)/

2017年10月11日水曜日

「溶ける街透ける路」(多和田葉子)を読んだら、知らない街を歩いてみたくなるぞ

「溶ける街透ける路」(多和田葉子 2007年 日本経済新聞出版社)に登場する街。羨ましいので書いてみた。

 ブダペスト
 シュトットガルト
 ケルン
 フランクフルト
 グラーツ
 クックスハーフェン
 トゥール
 ロイカーバート
 カネット
 トゥーソン
 シアトル
 ベルリン
 デュイスブルグ
 イエテボリ
 ハンブルグ
 デュッセルドルフ
 チューリッヒ
 ボルドー
 チュービンゲン
 ヴュンスドルフ
 パリ
 トゥールーズ
 ペサック
 ナント
 サン・マロ
 サンテミリオン
 イサカ
 ハノーファー
 リューネブルグ 
 メットマン
 バーゼル
 ベルン
 バーデンバーデン
 マンハイム
 アウシュビッツ
 クラクフ
 ワルシャワ
 トロムセ
 ダルムシュタット
 ヴォルフスブルグ
 リガ
 タルトゥ
 タリン
 モントリオール
 ニューヨーク
 アマスト
 ボストン
 アンマン
 ニクマン(嘘)

 外国語は二ヶ国語以上やると、学習効率がいいらしい。つまり1.5倍位の手間で二ヶ国語出来るわけか。

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 こちらも悔しい=行きたいので、今年前半のドイツ語ラジオ講座で出てきたドイツ語圏の都市の絵の写真載せちゃう。4月号の11ページ借ります。申し訳ありませんm(_ _)m 宣伝になるとお許しくだされ。 一応、受信料は払ってます。



***

 昨夜は停電が1時間半続き、非常時の訓練になりよかった。ガスと水道は使えたのでラッキー。携帯は通じたが、WiFiが動かず動画のニュースは見れなかった。懐中電灯のありがたみを知った。USBで充電できる小さなスタンドが有ったので便利に使えた。ローソクは失火が怖くて使わず。

 下は窓からの停電風景。暗いと「見えないもの」と「見えるもの」がある。子供時代の頻繁な停電も思い出した。 


2017年10月10日火曜日

モンテーニュの訳者原二郎先生のかすかな思い出

 一浪して東北大学に入った。理学部に入ったが、もともとは文学への思いもあった。幸い、当時は(今でも?)2年間は教養部としていろいろな講義を受けることができた。

 外国語を2種とらなければならない。多くの級友は英語とドイツ語/フランス語をとった。私はあえて、フランス語とロシア語にした。見栄だったかもしれない。ともかく、森有正先生のようにパリで暮らすことを夢見たのだ。

 教養部で私がフランス語を習ったのが、原二郎先生だった。無学な私は原先生がモンテーニュを訳されていたのを知らなかった。

 もっともそのほうが良かったのかもしれない。先生は一見しては、田舎のオヤジさんといった顔をされていた。ご出身も宮城県で、多少コトバに訛りがあった。私も東北出身だったので親しみを感じたのかもしれない。

 最初の発音の練習の時、教科書にはカナをふりなさいと言われた。英語とはちがうのでカナのように発音すれば良いと。

 「発音は、東北訛りにするのがいいです。その方が通じます。」とおっしゃるので、おおいに勇気が出た。これは、東北出身でおとなしい者が多い学生を励ますための方便だったのだろう。

 春学期で文法の教科書をやり、秋学期で「フランス風物読本」を並行して読み、2年の時には「タイース」(アナトール・フランス)を読んだ記憶がある。



 どの試験か忘れたが、多分2年の試験で、私用(実は兄の結婚)で受験しなかったことがある。それまで、点数は悪くなかったのでたぶん頼めば、再試験を受けさせてくれるだろうとの気持ちがあった。確信犯だ。

 試験の翌週に恐る恐る教授室を訪ね、事情を話して、再試験を申し出た。

 先生は、最初恐い顔をされたが、しばらくして、「わかりました」とおっしゃり、部屋の片隅に私を座らせ、試験問題を手渡して下さった。中身は忘れたがそれほど難しくはなかった。

 後日、全体の試験結果を事務室に取りに行ったが、フランス語は合格していた。そのかわり他の科目で落第し、教養部脱出はならず、学部への進学はもう一年お預けとなってしまった。

***

 はじめてパリに行ったのは、定年後だった。観光を終えて帰国する前にギャラリー・ラファイエットの書籍売り場で、モンテーニュの「Les Essais」を買った。1800ページ以上有る分厚い本だ。



 原先生の訳本は何種か買って読んだが、まだ原文で読んでない。時々先生の顔を思い出しては、「Les Essais」をめくってみる。いつもそろそろ読んでみようかと想う。

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 「溶ける街透ける路」(多和田葉子さん 2007年日本経済新聞出版)に、モンテーニュの城館を訪ねる話が書いてある。
 
 こんどこそ読みます! え? 「無理するなよ」。はい。

2017年10月9日月曜日

「百年の散歩」(多和田葉子)を読んでベルリンの街を想う、そしてオーイ応為

 「百年の散歩」(多和田葉子 2017年 新潮社)を読んだ。

 私ごときが言うと生意気なのだが、彼女の筆力はすごい。文章の向こうにベルリンの街角がありありと立ち上がる。



 ベルリンの街は東西ドイツの壁が崩壊して以来、相当に魅力的な街になったようだ。2002年にドイツ観光旅行(印象記のページ)をしてベルリンに一泊したことがあるが、街歩きはほとんどできなかった。また行って喫茶店に入ってぼんやりしたい。

 「百年の散歩」は図書館で借りた本だが、身近に置きたくなる。価格(1700円)とスペースを考えると、読みたくなったら図書館で借りることにしよう。

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 そのあと、ボルヘスの「バベルの図書館」をやはり図書館本(ボルヘス「伝奇集」)で読む…

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 祝日なので朝のテレビで「教養番組」をやっている、最近ブームの葛飾応為の話が出てきた。彼女の吉原の夜景の絵の光の表現がすばらしい。Wikimediaでダウンロードして眺める。



  (By Katsushika Ōi, Japanese Ukiyo-e artist of the 19th century - Ōta Memorial Museum, パブリック・ドメイン, Link



2017年10月8日日曜日

「フンボルトの冒険」(アンドレア・ウルフ 鍛原訳)はすごい

 480ページを超えるが、断続的に読んでも畳み掛けてくる魅力がある。時間が許せば一気読みも可能だろう。



 この本で紹介された人々の本を図書館で捜した。次回このなかから借りてくるつもり。



 そして、ジョン・ミューアのサイトはここ。昔、ヨセミテで記念館に行ったのもおぼろげに思い出した。


 フンボルト本人の本は去年Kindle(0円)で入手済み。

 読みたい本がドンドン増える。こまった。

***

 「天国」への要求事項、両目で2冊並行して読めるようにしてほしい。でなければ、ぱらぱらめくって画像として認識したものをあとで、高速に文字認識できる機能を植え付けて欲しいな。
 
 いまでも訓練すればできるかしら。

2017年10月7日土曜日

天国文献をさがす、フンボルト君は年甲斐もなくシベリア旅行へ行った

 まず「天国」の定義を読んでみた。日本大百科全書より、世界大百科事典の記述のほうがしっくり来たので、印刷してじっくり読む。

 色々捜した結果、ダンテ「神曲(の天獄篇)」を読もうと決める。聖書も少し渉猟する。青空文庫にあり。

 「コロボックル物語」がなかなかいいかもしれない。うちには2冊有るのであと2冊入手するか借りよう。

 プロジェクト・グーテンベルグには「Extract from
Captain Stormfield’s
Visit to Heaven」(Mark Twain)がある。

 「浄土三部経」の「阿弥陀経」を読んでみたが、金ピカすぎて気に入らない。



***

 「フンボルトの冒険 自然という<生命の網>の発明」は、終わりに近づいた。老いてなお盛んで、インドに行こうと画策するが、彼の自由思想をおそれた東インド会社が邪魔をした。かわりにロシアに行き、シベリアを通って中国国境にまで行く。ともかく、地球規模の踏査は行えた。

 ダーウィンがフンボルトの影響を受けて、ビーグル号で飛び出すが、最初は船酔いでフラフラしている。

 フンボルトは、ベルリンに戻され、兄貴の大学で講義をして大人気。「コスモス」などの著述も本格的に行う。ダーウィンが会いに行ったが、3時間も連続して喋るフンボルトに、ほとんど話しかけることができない。かわいそう。

2017年10月6日金曜日

「天国設計」を考えるといくらでもアイディアが湧く、凄いテーマを思いついたものだ(^o^)

天国には「アルマス」と「一周する冒険世界」が必要。(昨日)
その続き。

 天国に必要なものを追加する。

 ・気候を調節できる装置。

 ・パリ、ロンドン、ミュンヘン、フィレンツェ、香港、マカオ、サンフランシスコ、ヨセミテも必要。ボストンも追加。

 ・持ち運び可能で半永久的に使える電池(エネルギー源)。天国(省エネ)だから簡単。たぶん高性能「太陽」発電。

 ・いつまでも面白い小説を書き続ける「作家」。

 ・私の書いたものを読んでくれる読者。建設的コメント。

 ・良い家庭教師。アリストテレスとプラトンとゼテムブリーニとナフタと漱石。

 ・馬鹿なことを時々やるが基本的には愛すべき政治家ロボット。

 ・ノーベル賞? いらないな。

 ・習い事の良いお師匠さん。


 こう書くと頭のなかで声が聞こえた。…「これくらいならAIシステムで…」、「黙れ…」

 #あなたの天国を設計せよ、という課題の万能さに留意しておく。

 正気に戻って、ところで西方からのお使いはだれにしようか。

 阿弥陀さまとすべきか、私の家は浄土宗なので適当か。

 簡単のためAIを使ったプログラムにするという手もある。ただし、御存知の通り、進歩したUIを持ったプログラムは阿弥陀さまと区別はつかない。



 A.C.クラークの「幼年期のおわり」の、地球に使いに来た上帝カレルレンたちは、悪魔または鬼の姿をしている、これでもいいが剽窃はしたくない。
 
 この「幼年期の終わり」は「天国」のイメージを作るには良いモデルとなろう。子供たちつまり次世代の人類ではなく、鬼と今の人類がたどるのが天国への道だ。子供たちはまだ天国にははいれず、その能力を伸長させながら、個人の区別なく永遠の煉獄に暮らす道を選ぶ。

 今の人類は天国的な暮らしを手に入れるが、その天国は次世代の人類に破壊される。私はここはいただかない。

***

 「フンボルトの冒険」、フンボルト君は新大陸からヨーロッパに戻るが、冒険譚により大人気になっても、どうも居心地は悪そうだ。また、天国に出かけたいらしい。元気すぎだ。本はやっと半分読み終えた。注解はWebにあるという面白い本の構成。

***

 寒いので、昨日ご近所から頂いた冬瓜を煮て「鶏そぼろあんかけ」を作る。うまい。

2017年10月5日木曜日

天国の設計を「博物学の巨人アンリ・ファーブル」(奥本大三郎)に学ぶ

 本日は家人のお供で車で一時間の園芸センターへ。花の苗を買っている奥様たちを店において、近くの草むらへ散歩に行った。

 久しぶりに昆虫たちの写真などを撮る。以下、何枚かアップロードしてみた。iPhoneでもなかなかよく撮れる。




 最後のは、土手の巣穴から蟻が土を一粒づつくわえてきて外に持ち出している所。蟻が数匹土の上の方に映っている。この根気にはアタマが下がる。

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 昨日から「天国」の設計に凝っているが、もっとアイディアが欲しくて、参考にしようと、「博物学の巨人アンリ・ファーブル」(奥本大三郎 1999年 集英社新書)を持参したので、駐車場で少し読んだ。
 
 1979年に55歳のファーブルは南仏アルマスに土地を買い、昆虫記の執筆に本格的に取り組んだ。誰にも邪魔されずに、終日虫の生態を観察し、執筆ができるようになった。

 これはやはり「天国」に生きながら到達したと言えよう。

 このような要素も私の「天国設計図」に入れるように、西方浄土のお使いに示唆して貰うことにしよう(^o^)

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 帰ってきて、寝転びながら、昨日に続き「フンボルトの冒険」を読み続けた。フンボルトは念願の世界旅行に出かけた。南米に行き、現地で苦労しながらも全ての自然の事物の観察や発見をおこなって、楽しさに舞い上がっている。このような生活がフンボルトの「天国」。

 はるか後のファーブルにもこのフンボルトの「楽しさ」は伝わっていそうだ。

 昔の昆虫写真も眺めてみた。そもそもこれらのあざやかな緑色の世界が「天国」そのものだなあ。

2017年10月4日水曜日

寒い月見ですが、「フンボルトの冒険」の書きっぷりは熱い!

 図書館本館にインターネット予約注文して分館に届いた本を取りに行った。往復3500歩なので50分ほどで戻ってきた。曇っていて風が冷たい。歩くにはちょうどよい気候かもしれない。

 帰りに創作テーマを思いついた。「読書好きの終活」。素案を考えた。

 西方浄土から使いが来たので、まだ早いでしょうというと、事前に準備しておくと天国に早く入れるという。準備とは、自分に合った天国生活の設計すること。助言はするがなるべく自由に生活を設計してほしい。なるほど。

 当然ながら、図書館の至近距離に住みたい。図書館は国会図書館と国内外大学図書館なみの蔵書をそなえ、検索システムはAIを使った極上なもので司書天使はベテラン。図書館の先には古本街があって、ルーブルと大英博物館もある。

 食事は合成機で短時間にできるか、食べなくても済むようになって欲しい。良い視力と良い照明。ジムも家に完備。春夏秋冬がはっきりした気候もいる。…

 西方浄土の使いは黙ってメモしていたが、本だけでなくビデオライブラリーや音楽ソフトも入りますよね、と言う。もちろんだがVRシステムにしてね…

***



 借りてきた本の中に「フンボルトの冒険」(アンドレア・ウルフ 鍛原多惠子訳 2017年 NHKに出版)がある。

 6冊借りたので、とりあえず、それぞれ最初の部分だけ読んでみた。

 この「フンボルト」だけは、読むのをやめられなくなった。面白すぎ。いまは、フンボルト君はゲーテと酒を飲んで騒いでいる。世界旅行にはまだ出発していない。

 というわけで、昨日読み始めた自腹本の「中動態」は中途でお預けです。

 想像(創造)力がないので、天国の設計もぱっとしないというか、今にそっくりかもしれない。頑張らないと。

***

 月見なので、栗ご飯とシューマイ(?)。デザートは葡萄。雲の切れ目から月が顔を出す。あいかわらず寒いな。

2017年10月3日火曜日

「羊の歌」から「中動態の世界へ」と読み進む

 一昨日久しぶりに手にした「続 羊の歌」を本格的に読み直した。以下マストドンに書いた感想。



 書き物には知的すぎてついていけないところもあるが、加藤周一先生の生き方には随分憧れた。その後、辻邦生先生にも同じような憧れを持ったが…



昨日飲み会のついでに思い切って買った新本。「中動態の世界」の冒頭を読んだ。(國分功一郎 2007年 医学書院 #本屋さんで見つけるのに苦労したのは出版社の性格のせいか? )

 能動態と受動態でなく古代ギリシャ語は能動態とその他があり、その他が中動態などと呼ばれ、受動態もそこから出てくる。人間の意志と行動は必ずしも一方通行の関係だけではない、ということに関連するらしい。

 アナウンサーの読む原稿や、インターネットのニュースサイトでの記事の見出しで、不可解な受動態があって気持ちが悪く、この本にとびついたが、これでギモンが解消するかもしれない。明日までこれを読むことに専念する。

2017年10月2日月曜日

「カジョリ 初等数学史」(小倉金之助訳)は拾い読みが楽しいけど涙もでる

 「カジョリ 初等数学史 復刻版」(小倉金之助補訳 1997年 共立出版)は拾い読みが楽しいけど涙もでる。

 図書館本。昨夜から少しずつ読んでいる。



 最初の「原著者の略歴」に、1859年スイス生まれでコロラドカレッジの工学部長として忙しい思いをしていたカジョリを、1918年カリフォルニア大学が数学史の教授として招き11年間教育と研究発表のみをさせ、1929年からは名誉教授として研究発表のみにさせたが、カジョリは翌年肺炎でなくなった、とある。

 小倉金之助はこれを書きながら何を考えていただろうか。

 1917年の原著に、小倉金之助は多数の挿絵や写真を加え、訳注も大量に付け加えた。本文を理解しながら読むのも数学好きには楽しかろうが、絵をながめ、注釈で多数の科学者たちの来歴を読むのも楽しい。

 体の弱い小倉、表面的学歴の乏しさにより不遇の生活を強いられた小倉が、拠り所にしたのは学問への情熱であり、それを「書く」ことにより少しでも「健康」な生き方を確保しようとしたと思われる。

 こういう本は、図書館で借りて読み流すのでなく、身近において折に触れて拾い読みをするのに適している。3300円もするのでおいそれとは買えない。最近覚えたインターネット予約で図書館本を読む方法が次善の策か。

 なお、チェット・ベイカーがBGMとして向いている。今はYouTubeで聴きながらこれを書いております。

2017年10月1日日曜日

「懐旧録 サンスクリット事始め」(東洋文庫)はサンスクリットの参考書ではもちろんない

「懐旧録 サンスクリット事始め」(南条文雄 1979年 東洋文庫)を読了。



 前半はPCで読んだのだが(ジャパンナレッジ)、途中挫折。後半、明治9年からの九年間の英国留学以降を、図書館で借りてきて一気に読み終えた。最近のサンスクリット熱の影響もある。

 晩年に病を養いながら毎朝一時間、三年間かけて書いたもの。これだけでも凄い。書くことで命を繋いだ節も有る。

 サンスクリット語の具体的な話はないので、それを期待すると(私のこと)すこしがっかりする。しかしオックスフォードの梵語学の泰斗ミュラー博士など知りたい人物も登場する。森有礼の「豪傑」ぶりも愉快。

 日記や旅行記が好きなので全体としては非常に面白かった。

***

 夜はNHK-TVで「人体」を観る。面白いが、人体の精巧さに驚嘆しつつその不調時の影響に怖さも覚える。