2016年11月30日水曜日

社会主義はどうなるのか考えたり、連句の読めるサイトをさがしたり


 フィデル・カストロさんが亡くなった。90歳。遺体は火葬された、つまり、他の幾つかの国のようには偶像化されないということか。彼の生涯を調べるとともに、社会主義の行末を考える切っ掛けにしたい。資本主義諸国では指導者の右傾化が心配されているが、これからはどのように情勢が変わるのかも。

 カラオケを唄いながら、連句に興味がわき、久しぶりに読んでみたいと思った。家で本棚のうち目で確認できるところを捜したが、昔の蕪村や去来どころか芭蕉の本さえ見つからない。そもそも何を持っていたかすら忘れている。

 仕方がないので、Kindleにあたってみたが、読み放題サービスでは適当な本が見つからない。というのは嘘で、「連句雑俎」(寺田寅彦著 青空文庫版)が、あった。早速読むことにした。
 すでにiBooksでちらほら読み続けている寺田寅彦全集にも「連句雑俎」は収録されている。ところで俎(そ)とはまな板の意味らしい。雑俎はいろいろ書くので批判していいよという意味か(^O^)

 寺田先生は正岡子規にも面会しているくらいなので、俳句に関するエキスパートといえる。したがって「連句雑俎」は、実例無しでどんどん議論が進んでしまう。
 先に、連句とはこんなもんだという観念が欲しくなったので、連句、特に一番有名そうな「猿蓑」くらい目を通そうと捜した。

 インターネット上に、「芭蕉七部集(連句の訳・釈)」という格好のページを発見。しばらくはここをじっくり読むことにした。ちなみにここは「俳諧」という素晴らしいサイトの一部です。Google様教えてくれてありがとう。


 連句についてはこれで勉強ができそうだが、「連歌はどうなんだ、カラオケの連想的曲選びなら、句じゃなくて歌だろうが。」という内野の声も聞こえたので、連歌も一応調べますよ。

 連句と社会主義の関連性も考えよう。

2016年11月29日火曜日

原子説を少し調べたり、カラオケで連想力を磨いたり

 体調が悪くて、しばらく外出を控えていたが、昨夜は昔の若者3名でカラオケにいき、2時間ほど唄ってきた。一人あたり10曲くらいか。先にアルコールを服用しているので、それぞれ上手く唄っていると美しい誤解をしながら楽しく大声を出してきた。

 3人が交互に選ぶ曲は、ランダムのようだが、だんだんその場の流れができ、ある種の関連性を持ったものが選ばれていく。連句というのは自らやったことがないが、先人の連句集を覗いてみると、どうもこのカラオケの曲の選ばれ方に似た感じがする。阿吽の呼吸、付かず離れず、空気を読みながら選んでいく。陽気な歌のあとに、ものがなしい歌を選んだり、同じ時代の歌を選んだり、主題が似た歌を続けたり。これらの連想の発想のパターンを整理すると役に立つかもしれません。

 人間が自分の頭で考えて行動する場合、この連想力は大きな力を発揮していそうである。連想力に乏しければ、次の行動のヒントが限られ、つまらない行動パターンに陥らないともかぎらない。他とのコミュニケーションにも連想力は重要であろう。貧困な応答はコミュニケーションを断ち切ってしまう。

 「カラオケで学ぶコミュニケーションの基礎」というテキストがあってもいい。

 昨日、原子仮説の嚆矢は、寺田寅彦先生が紹介したルクレチウス、と書いた。カラオケの前に書店に立ち寄って、理学関係の本を立ち読みしたら、ルクレチウス以前にもっと大切な人がいるのを忘れていたのに気づいた。

 ギリシャ哲学史などでは、レウキッポスやデモクリトスが原子説を唱えたとある。アトモスという言葉はデモクリトスが使った。アトムの語源である。後にエピクロスが受け継ぎ、詩人ルクレティウスが「事物の本性について」で紹介した。彼らの書き残したものはほとんど失われたが、「事物の本性について」は残ったので、我々はこれにより、ギリシャ人たちの原子論を知ることができる。



 (この記述はアシモフ先生の『化学の歴史』1967年、河出書房、によっています。いまはちくま学芸文庫で出ているらしい。高校生や大学一年生にはピッタリの本だと思ってます。)



 寺田寅彦先生とともにエライと私が思っている、ファイマン先生は『ファインマン物理学』(1967年、岩波書店。英語ならオンラインでただで読めます。)の冒頭に次のように書きました。いちばん大事な知識は物質がすべてある種の性質を持った原子から成り立っている、ということだ。なるほど、と私は思い、それだけは覚えました(^O^)

 さて、このあと、連句の本も発掘しよう(^O^)

2016年11月28日月曜日

ルクレチウスと、ラウエと、興味の対象ははてしなく増える

 寺田寅彦先生の「ルクレチウスと科学」を斜め読みする。ここでは原子論(物質の基本単位は原子。寺田は現代の原子と区別するため元子と表記している)の、嚆矢としてのルクレチウスを紹介するとともに、広く自然哲学者としてのルクレチウスを紹介している。
 途中に「しかし無限の空虚の中にいかにしてある「中心」が存在し、かつ支持されうるかという論難は、ニウトン以前の当時の学者には答えられなかったであろうのみならず、現在においても実は決して徹底的には明瞭に答え難いものである。」という一句がある。(iBooks版、寺田寅彦全集)

 この文章が発表されたのは昭和4年(1929年)であるらしいから、ハッブルが島宇宙の光の赤方偏移から、宇宙の大きさとその拡大を唱える以前に書かれた。寺田寅彦はこのへんの論争をもちろん知っていたので、「徹底的には明瞭に答え難い」と表現したのだと思う。

 ルクレチウスの言説は自然一般に渡っているが、寺田寅彦は現在の学者の専門に閉じこもりがちな傾向をやんわりと批判しようとして、この随筆を描いたと思われる。
 このあたりのことを、科学論文ではどう書いているか知りたい。寺田寅彦全集科学編を買うのもいいが、高いのでまずは現物を見てから。とりあえずは、インターネットで論文をあさる。



 寺田寅彦先生がベルリンでであったはずの、X線回折のラウエ先生。実際の生涯のことは知らなかったが、少しだけググってみたら、波乱万丈(もちろんナチスへの反抗)であることに驚いた。これも調べてみます。うーん。ドイツ語をもっとしっかりやっておけばよかったなあ。ドイツ語通訳をやっている友人に相談しようかしら。

2016年11月27日日曜日

寺田寅彦の勉強をつづけよう。大池昭二先生のことも。

 初冬の薄ら寒い曇り日。読書に最適。
 最近ハマっている寺田寅彦先生の周囲を調べる。

 リーゼ・マイトナーを主題に、核兵器開発にのめり込む科学者群像を描いた『二億電子ボルト』は読み終えた。リーゼは核兵器開発には手を染めなかったが、彼女の周囲の科学者の多くは、ナチスやソビエトへの対抗手段という名目に騙されて、結果として熱・冷戦の戦争協力をしてしまう。科学者の戦争協力についてはもっと調べる必要がある。
 一方、寺田先生の学問的な業績についての知識が少ないので、これに関しても調べを始めたいと思った。

 まずは弟子の中谷宇吉郎さんや坪井忠二さんのご意見を伺おうと彼らの著作をあたる。(もちろん、KindleやiBooksで無料本を手始めにする。)
 iBooksで多分青空文庫をベースとした、中谷さんの随筆があったので読んでみる。そのなかに「指導者としての寺田先生」という文章がある。1935年になくなった直後に寺田寅彦を悼む文章だ。寺田寅彦がいかに辛抱強く弟子を育成したかを繰り返し記述している。

 このなかに、「形の物理学」というコトバが出てくる。火花放電の形状をじっくり見ることにより、まだ良くわからない放電現象への知見が出てくるだろうというお話。これはもう少し突き詰めて勉強してみたいことである。分析第一主義に陥りやすい「科学」者への戒めなのだが、科学者でなく一般の現代の人々にも、ためになる話となるだろう。森有正先生の「体験」にたいする「経験」の重要性の話にも通じる(と思う)。寺田先生の「ルクレチウス」に関する文章も関連しそうなので、調べよう。すると、ルクレチウスの本も発掘しないといけない。うーん。辛い(つまり楽しい)!

 そういえば、ベルリンで会ったと思われるラウエの業績(結晶のX線回折)を紹介し、発展させようとしたのも寺田先生であった。X線回折像には学生時代魅了されていたし、卒業実験でも回折現象を取り扱ったのだが、その後はご無沙汰していた。これを機会にまた勉強し直すのも一興であろう。

 坪井忠ニさんについてだが、岩波全書の『地球物理学』の序文に、この本の前身の『地球物理学』の著者の寺田先生の回想が載っている。



 『地球物理学』を読んでいたら、突然、高校時代の地学の恩師でクラス担任をしていただいた、大池昭二先生のことを思い出した。ニックネームは「皇太子」、これは先生の人柄の良さを表していた。地学のていねいな講義はいまでもありありと目に浮かぶ。若くしてお亡くなりになられたと聞いていたが、詳しいことは知らなかった。

 思い立って、調べたら、訃報記事がすぐ見つかった。やはり、われわれが思っていたとおりの、優しいそして学問への情熱を背中で生徒に教えてくれる先生だった。

2016年11月26日土曜日

やはり推測は的中。しかもど真ん中でした。

 昨日に引き続き、プリングスハイム教授の素性を調べる。まったく偶然に先日購入した『Man of the World』を、家人の買い物のおつきあいで、ホームセンター駐車中の車のなかで拾い読みする。この自伝の著者はトーマス・マン夫人の甥のKlaus H. Pringsheimである。



 索引をみると、当然、何人かのPringsheim家の人々がリストされている。その中に「Pringdheim, Prof. Peter」という方がいる。Prof.がキーワードだ!
 118ページに、トーマス・マン亡命先のカリフォルニアで、Peter, Katja(トーマス・マン夫人), Klaus(自伝の著者の父)の三兄弟が25年ぶりに集まったと書いてある。そしてPeterおじさんはシカゴ大学の物理学の教授であるとも書いてある。

 このひとがプリングスハイム教授にちがいない。トーマス・マン夫妻と同様に、ナチスの手を逃れて米国に亡命したのであろう。

 名前が「Peter Pringsheim」とわかったので、あとはググるだけで幾つかのページが出てきた。これとかこれ。坊主頭は寺田寅彦の記述通り。若いとき(寺田寅彦があったのは1909年)からこうだったのですね。

 おまけだが、クラウス(父)プリングスハイムは日本で戦中まで高名な指揮者として活躍。戦争末期に米国へ出国。その息子の一人(ハンス・プリングスハイム)が戦後日本で外人タレントとして「連想ゲーム」などで活躍したという。
 
 一方で、『二億電子ボルト』も読み進める。ナチスは1933年に選挙で勝つ。ドイツ国民はヒトラーが選挙中におこなった極端に過激な暴言は、責任ある立場に付けば和らげられるだろうと期待したのだ。しかし、その甘い期待は完全に裏切られる。約束された経済的発展はもたらされないまま、ユダヤ系の人々への迫害がきびしくなるばかりとなった。

 このあたりは、現在の世界の指導者の今後の行動をうらなう上で、見逃せない歴史事実と思う。


 外国籍でその迫害を逃れていたリーゼ・マイトナーも、その母国オーストリアがドイツに併合されてしまい、亡命を余儀なくされる。しかし亡命生活の中で、中性子による核分裂反応の論文を書く。それは原爆の製造と使用に結果として利用されてしまう。

2016年11月25日金曜日

読んで調べて読んでまた読んで〜♫

 電子版全集本の編集の仕方を批評するのは本意ではありません。やはり、読書の世界にとびこんでもがくのが面白い。もがくとは以下のような狂態をいう。

 寺田寅彦先生の1909年のベルリン大学への留学記を読む。途中に「“若くて禿頭の大坊主で、いつも大きな葉巻を銜えて呑気そうに反りかえって黙っていたのはプリングスハイムであった。」とある。トーマス・マンのファンとしては、これはカーチャ夫人(旧姓プリングスハイム)の親戚ではないのかと思いたい。いろいろ調べたがなかなか証明はできない。ドイツ語が読めればベルリン大学の資料を調べるという手があるが…

 調べているうちに、このプリングスハイム教授は、『二億電子ボルト』なる自費出版本(著者は重山康祐氏)の55ページにちらっと登場されることを発見。リーゼ・マイトナーの先生だったらしい。(『二億電子ボルト』はGoogleプレイブックスで無料で入手可能。)

 これで、リーゼ・マイトナーと原爆のことなど調べたくなる。まず、この『二億電子ボルト』を読まなくてはいけない。

 ついでに寺田先生が留学するときの客船を調べた。日記(岩波四六版全集第一三巻)にルドウィッヒ号となっているが、これでしょうね。
1万トンの堂々とした船。第一次大戦後、英国籍になったようで、名前は変わっています。



 ここで妄想がムラムラ湧く。この船に、作中人物だが世界漫遊帰りのフェーリクス・クルルがのっていたらどうだろうか?時代は少し違うが、妄想なのでいいだろう。ついでに、寺田寅彦がヨーロッパで卒業旅行中のリービットさんにあっても、面白い。すくなくともブログ記事のネタにはなる。

 このように読んだり、調べたり、関連するものを読んだり、それらから得たトリビアを組み合わせて空想にふけったりするのが、私の読書法で、この泥沼にはまると、特定の一冊の読書スピードはおちるけれど構わない。楽しいから\(^o^)/

 昨夜はNHKBSでハッブルをとりあげていた。一応全部見た。今朝のTwitterで、ハッブルはアスペルガー症候群だと決めつける発言があり、反論されていた。人間にある種類のラベルをはるのは慎重であるべきだ。人間は多種多様な側面をもち、多種多様な場面で、予測できない行動をとる。ともかく人類の宇宙への認識を飛躍的に拡大させたハッブルの業績は大きい。ノーベル賞のレベルを超えている。

 もっとも、ハッブルの業績を支える礎は当時も今もめだたないリービットさんの仕事である。これを番組でも取り上げてほしかった😢

2016年11月24日木曜日

読書のやり方に光をあて、改善するのはお年寄りの仕事

全集本の一部。これを読むのは楽しみです。

寺田寅彦全集は1960年ころ、岩波書店からでた四六版十七巻クロース装版を持っている。非常に瀟洒な造りで、読むときに手に取る楽しみもある。寺田先生のエレガントな文章にピッタリの造本といえる。随筆は400くらい掲載され、他に日記(抜粋)や手紙や雑纂も収められている。普通に楽しむには十分な内容。

 青空文庫ではかなり(三百点くらい)の寺田寅彦の文章が電子化されている。それを個別にダウンロードして読んでも良い。「寺田寅彦全集」と称してこれらの電子テキストをまとめたものも何種かある。Kindle版もあるが、安いけれど有償。編集料ということか。目次が本文最初にあり、それから各文章に飛べるようになっている。目次は50音順。安易。Kindleの目次機能をなんで使わないのかわからない。

 出処はおなじだろうが、「寺田寅彦全集」はiBooksでも読める。こちらは無料である。内容はほとんどKindle版と同じ。これは目次はきちんとしている。ただし作品掲載の順序は不明。大雑把には年代順?ハイライト機能やしおり、メモ機能などはKindle版と大差ない。

 寺田寅彦の電子版全集としては、iBooks版に軍配が上がる。ただし、掲載順については改善の余地あり、ただだからいいでしょうと言われそうだが、それはちがう。

 どうすればもっと読みやすいのか朝風呂に入って考えた。目次と作品の配列がフレキシブルであって欲しい。つまり読者の好きな序に読めるようにして欲しい。いまのプラットフォームの上でもこれは簡単にできそうだ。電子図書の編集料をとるならこのあたりを充実させて欲しい。多少高くなっても払います(^O^)

 風呂であたたまりながらもっと考えた。書棚の整理は読書家にとって永遠の課題だ。本の配列も固定化されていてはだめで、読者の状況によって自由に配列が変わるのが望ましい。物理的本棚でも多少は行えるが、多数の本を入れ替えるのは肉体的に辛くなってきた。

 電子本ならここは自由自在にできる、はずである。しかし、まだ未開拓の分野なので、実際にはうまく出来ていない。Amazonのオススメ機能はほんの少しこの理想へ近づいたといえるだろう。ここはAIの助けが必要だし、従来の司書やそれ以上に読書のエキスパートのノウハウを活用したシステムを創るべき場所と思う。個人の嗜好や状況は時々刻々かわるので対応できるシステムにする必要がある。
 
 松岡正剛先生の『知の編集工学』という本がある。文明とは編集であるという、大風呂敷を拡げている本。松岡先生の活動の原点みたいな本。

 読者の立場からすると、どのように読書を進めるかのノウハウも編集技術の範疇に入ってくる。この読書のノウハウは経験を積んだ老人でないとうまく発揮できないし、発揮の仕方を社会に還元するべきと思います。

 夢中で力任せに読む若者のやりかたではなく、抑制されたやりかたで、読書を粛々とすすめる。そのためには経験から来るノウハウとそのノウハウを助けるツールの活用が大切になる。

2016年11月23日水曜日

落ち葉の季節だが、古いラジオは復活させますよ


葉をお菓子の箱にのせてみた。
京都旅行したヒトから、紅葉の葉をおみやげにもらった。これもきれいだが、実際の紅葉は目を奪うような色だったようだ。うらやましい。来年はいってみたい。


 最近は寒くて外出はしたくないので、しばらくほったらかしてあったラジオを3台「発掘」して、鳴らして見た。雑音で聞くに耐えなかったり、まったく聞こえなかったり。


ICF-5900 BCL時代のベストセラー
比較的新しいのは、ICF-5900。会社に入って2年目に三鷹の電気店で買ったので41年目。10年位は聴かなかった。聞こえるが雑音が多い。音量調節つまみを回すと出る雑音は、しばらく使っているうちに少なくなった。ボリュームの接点が自然に磨かれたのだろう。
 しかし、聴いているうちに、音が途切れる。電源の問題かと電源アダプタと本体の接点をみがく。効果なし(T_T)
 数時間、いろいろいじっていると、受信バンド切り替えスイッチに触ると、音が途切れることに気づく。ここも接触不良らしい。箱を開けて磨ければいいのだが、壊す可能性が大きいのでやめる。そのかわりに、これもスイッチを動かすことで接点の回復を狙う。うごかすこと数十回。だいぶ良くなった。スイッチの動かし方、特にFM放送を受信するときにスイッチをいっぱいに動かすのでなく、微妙な中間位置に止めると、音が途切れないことを発見(^O^)

 あとは、慣らし運転をして、自然に状態が回復することを祈る。ということで、ICF-5900で最近地元のFM大和をよく聴いてます。2日間ほど聴いてますが、快調。あとは、短波放送もうまく聞こえるようになればいいのですが。暇を見つけてトライしてみます。

もっと古い。パナソニックとSONYのラジオ。

 他にもっと古い、学生時代に入手したラジオたちがいます。やはり、受信が安定しなかったり、まったく聞こえなかったりするが、手入れして復活させたい。暇つぶしには最適な作業になる。引っ越しのたびに捨てようと考えたが、捨てないでよかった。

 ほったらかしにしないで、定期的に聴き続ければ、こんな事にはならなかったと思います。何事でも、継続するって大事ですね。むつかしいけど。
 

2016年11月22日火曜日

葛飾北斎の絵(北斎漫画)をみたりセシリアの自伝をよんだり

 地震や津波で直接・間接に被害を受けた方々にお見舞いを申し上げます。

 
 今朝は福島沖の地震で起こされ、その後津波の心配をしているうちに午前中の時間が3時間たった。

 地震の前にKindle Unlimitedで『北斎漫画』をみた。漫画という単語の来歴とここでの使われ方を調べる必要があるが、あとで。

 ともかく『北斎漫画』は、百科事典を絵で描いたようなモノである。4000と歌ってあるが、多数の事物をスバラシイ筆致でかきあらわしている。絵の一つ一つがすべて力強く、みる人の感動を呼ぶ。あらためて、北斎の凄さに感心した。

 90歳になろうとしても仕事を続け、あと5年生きられればオレは大物になると思っていたようだ。おそるべきエネルギー。どこまでできるかは分からないが、見習いたい。

 やっと、津波騒ぎもおちついたようなので、またセシリアの自伝を拾い読みする。


 227ページ。「On being woman」という章の最後にこのような記述がある。(私のつたない訳)

 「若い人々、特に若い女性に、よくアドバイスをもとめられます。私はvaleat quantumといいます。つまり、研究生活を名誉やお金のために送ってはいけません。名誉とお金が欲しいならもっと楽チンでやさしい道があります。研究生活をおくるなら、研究以外の何物も自分を満足させないとたしかめてください。他の何モノも手にははいりません。研究の高みに登ったときに視野が広がっていく。これが実感できるようになれば、他の何者も欲しくはなくなります。」

 すばらしく本質的で、しかも現状を痛烈に皮肉ることばとおもいます。

 (ラテン語は不得意😢。valeat quantumがわからんが物の本質的な価値といった意味合いがあるかも。出典もありそうですが、今後の宿題です。)

2016年11月21日月曜日

机上の模様替えや、タグいじりは精神衛生のため

私の昼寝用寝袋のタグ
午後のTVトーク番組に女優のT.K.さんが出演。毛布やタオルについている「タグ」をいじるのが子供の頃から好きで、切り取ったタグを常にゴムバンドを使って持ち歩いているという話を披露。観客に感嘆されていた。安心するという。

 精神のバランスをとると言う意味では、タグいじりも悪くはないが、机上や身の回りの片付けをすることが私にとっては有効らしい。

 理由なく片付けるのは、それはそれでしんどいので、今回はPCオーディオ環境を改善するという理由をつけて作業することにした。そのため、わざわざUSBDAC一体型のデジタルアンプを買ってみた。約3,000円。電源はUSBから供給するので、机上においてあったUSBDAC兼プリアンプ、デジタルアンプの本体と電源アダプタを机上から一掃できる。これらは、枕元オーディオシステムチームにトレードしそちらで働いてもらう。

机上。当面読む本も並べられた
新購入のUSBDAC兼アンプ
結果。これが机上オーディオシステム。確かに小さい。机上が広くなった。音もなかなか良い。PSの電源オン・オフに連動するのでUSBDACの電源には手を触れる必要がない。ただし、電源OFFのときに雑音が出るらしいので、なにかしら改善が必要。


 枕元システム。下にあるのはLPレコードのターンテーブル。黒いのはBluetooth。

 午前中いっぱいかかって、移設と結線と音出しテストをおこなった。さて、元気が出たので、仕事をするか。

2016年11月20日日曜日

セシリアの苦闘をしのんだり、『取材学』をひもといたり

 セシリアの自伝を引き続き拾い読みする。219ページ以降に「On being a woman」という章がある。ハーバードに行った直後の、他の(男性)研究者と夜のふけるまで時間を忘れて研究談義にふける生活の楽しさ。一方、地位も給与も低いままであったことも回想している。

 台長シャプレイが、欠員になった分の分光学者が必要だと言ったときに、セシリアは私も分光学者ですと申し出た。しかし、シャプレイは他から男性研究者(Otto Struve!)を受け入れようとした、セシリアには測光の仕事を押し付けた。シャプレイはStruveに向かって、セシリアには分光学をあきらめさせる、と言った。

 Struveは義憤を感じてこの話をことわったと後にセシリアにうちあけた。それほどの年ではなかったはずだが自己保身欲と名誉欲にかられた老害台長。業績は十分に上げているはずだが、かれの業績は、自分の名誉のためにあったのか。

 セシリアに名誉や地位が訪れるのはずっとあとになる。でも自分の時間はたっぷりあって研究についやすことができたと負け惜しみ(?)

 英国の友人は、セシリアが米国で大金持ちになっていると誤解していたという。

 このような正直な話が、リービットさんについても見つけられるといい。やはり、日記や手紙を直接漁るしかないな。


昨日発掘した本。義父の蔵書印が押してある。『取材学』(加藤秀俊、昭和50年、中公新書)17ページ。

 「取材の立場というのは人間が情報を主体的にえらびかつ使う立場のことにほかならない…」


 約40年前の本だが、いわゆる「情報社会」を予測し、かつその安易性を警告したコトバと思う。汲むところの多い本。老いて亡くなる直前まで、貧しい中でこのような本を買って読んでいた義父は尊敬にあたいする。

2016年11月19日土曜日

Twitterアカウントの乗っ取りに対処したり、新聞紙面で「小売物価統計調査」の存在を教わったり

 昨夜、就寝直前にメールをチェックした。Twitterからペテルブルグであなたのアカウントにログインがあった。自分でやったならいいけど、そうでなければパスワードを替えろとのメールが来ていた。

 ペテルブルグには行きたいと思っていたが、まだ行っていないので、パスワードを変更することにした。メール中にパスワード変更用のURLがあり、それをクリックしてみた。プロフィールの画像が美女に変更されている。名前も知らない英語名に。

 気持ち悪いし、操作性も悪いので、iPadでなくMacbookを立ち上げて対処することにした。

 乗っ取りの場合の対処策がTwitterのヘルプページにあるので、それを参考にした。
(1)パスワード変更 推測されにくいものに変更。
(2)プロフィールを戻す。最近翻訳ソフトにはまり、英語も少し記入してみたのだが、これは呼び水になりそうなので日本語オンリーにした。でも将来的には英語は使いたい。安全が確保されたらまた検討することにする。
(3)連携アプリで昔使っていたが今は全く使用していないものについてはすべて連携をはずす。
(4)ログイン認証を携帯をつかって実施するようにした。面倒だがしかたない。
(5)スマホのTwitterアプリは、ぐずったので、再インストール。
 なんとかこれで大丈夫だろう。小一時間かかりました。これは個人用アカウントだったが、仕事用のアカウントだったらあせってもっと時間がかかったかもしれないなあ(遠い目)。

 おかげさまで今日も寝不足気味。朝刊(朝日新聞)の別刷りをみていたら、サザエさんの漫画の中のラーメンの価格が1966年にしては高い、「総理府統計局の小売物価統計調査」によれば64円だ。と書いてあった。

2016年11月19日 朝日新聞朝刊別刷り3ページより
 これは、と思いググってみました。こんなページがありました。すごく価値のある情報がみられることに感心。以前、リービットさんの時給30セントは1902年のアメリカでは高いのか安いのか調べたときには、アメリカのページを調べた。結局安すぎるわけではないとわかったが、日本での事例を調べたいときには使えますね\(^o^)/

  新聞や雑誌で新しい情報や仕事のヒントを得ることがよくある。このあたりを認識すれば売上高向上への手は見つかるかもしれませんね。

2016年11月18日金曜日

セシリアの自伝をよく読むと、「悪い人」ではないとわかった

 一昨日に紹介したセシリア・ペイン=ガポシュキンの自伝を更に読み進める。ただし、索引にたよりリービットさんに関する記述の部分を読む。


 170ページ。ミス・リービットの業績(変光星の変更周期と光度の規則的関係)は、このあとの、ヘルツシュプルングやソロン・ベイリーやシャプレイの仕事の偉大な基礎となったと、正しい評価をしています。

 そして、171ページ。シャプレイが、また、星の乾板写真の目視光度測定の仕事をたのむと、やはり台長の命令は断れないと、リービットさんの仕事を、セシリアは引き継ぎます。「でもスペクトルの研究は続けたいんだけどな、ぶつぶつ」と口に出して言ったかどうかは別として。
 やはり、彼女も組織人やないか(^^)

 しかし、幸いなことに、光電効果を応用することができるようになって、いやいややっていた目視測定というやり方はすたれてしまう。セシリアはしてやったりですね。「ばんざーい」と口に出して言ったかどうかは別として。
 やはり、彼女もフツーのヒトでした(^^)

 198ページ。リービットさんの時代には、変光星の観測はアマチュア向けの仕事とみなされていた。しかし、今ではそれは天文学の中心的課題となっている。と書いています。「私が理論的に星の構造論と関連付けて研究したからよ」と口に出して言ったかどうかは別として。
 やはり、彼女も自慢好きのオバサマになっていった(^^)

 ということで、ちきりん様が書いておられたように、良い本は、それをネタにしていくらでもブログ記事が書けるということがわかりました。

 そして、こういった本には、索引が必要だともわかった。索引がないと、本から情報が引き出せません。ブログのラベルも大事ですね。

2016年11月17日木曜日

基本は「好きなこと」をやること!

 Kindle Unlimitedで『「Chikirinの日記」の育て方』を読みました。私のこのブログも、日記です。他の方がどのような思いで書いているのかを知りたかったのです。

 読者のためではなく自分のために、自分が楽しむために書いている、という筆者の思いに共感しました。書くことそのもの、自分の考えを言語化し構造化することが喜びであるという点にも。

 ブログのマネタイズ(?、儲けることか!)には興味がないと言う点にも。なるほど、”やたらと忙しい日々”には戻りたくないという筆者にとっては、金を儲けるために書くのは苦痛なのだろうと思います。(でもこの電子書籍を書く直前にはかなり収益があったらしいが(^^))

 良い本を一冊読んだら、何本も記事が書けるというところも参考になりました。

 総じて、この本はブログを書き続けたいと思っているが、意味付けに悩んでいる私にとって、非常に参考になりました。ちきりん様、ありがとうございましたm(_ _)m

2016年11月16日水曜日

良い性格、悪い性格。

 セシリア・ペイン=ガポシュキンの自伝を再度読み始めた。


 私のは1984年版。明倫館さんから昨年入手。

 1923年、英国から米国に新しい研究場所を求めて客船Caronia号で渡航したことは、以前メモしておいた


 146ページに「ピッカリング台長が、(星の)乾板写真測定法を有能なリービットさんに任せたのは、賢明だった。しかし、これにより変光星の研究の発展を数十年遅れさせるという厳しい決断でもあった。のちの天文台長シャプレイは、リービットさんの後釜として写真測定の仕事を私にやらせようとしたが、私は断った。星のスペクトルの研究をしたかったからである。」とある。(意訳 福地)


 リービットさんは、人に頼まれると、イヤとはいえない良い性格だったようです。セシリアはこれには批判的。こういう悪い(いや強い)性格でないとどこの世界でも偉くなれないのか。でもリービットさんの業績そのものはすごい。

 ま、どこにもある話ではある(^^)

2016年11月15日火曜日

そろそろ本業(?)にもどろう

 「Leavittさんの小伝」をたたき台にして、彼女のことを調べていこうと2010年に思いついた。しばらくは不定期ながらブログを書いていた。天文学会にも入った。年会費8000円の準会員だけど。

Leavittの伝記とその邦訳版

彼女のことを知るための文献は極端に少ない。伝記が一冊だけ。とくに、日記や手紙がない。手紙はハーバード大に行けば、見せてもらえるだろうが、そこまで踏み切る勇気はない。個人的なことよりも、論文を読み込んで、学術的なことを調べるべきとも思った。

 そこで『現代天文学史』(小暮智一著、2015年、京都大学学術出版会)をよんで、背景知識を得ることにした。今年前半はこれにかかりきり。それなりに、星のスペクトルの知識や、天文アマチュアを含めた天文学者たちの業績はわかった。

 これからLeavittの論文で手にはいるものはすべて目を通す予定。今後報告します。

 個人的なことはやはり知りたい。なぜ彼女が金銭的には報われないにもかかわらず、情熱をたやさずに研究できたかをしりたいからである。彼女自身は、自分を語る資料を残していない。つまり宇宙の中の暗黒星雲。しかし、暗黒星雲の彼方に明るい星や星雲や宇宙があれば、影絵のように暗黒星雲は浮かび上がる。このような手法があると、中村真一郎先生が書いておられたような希ガス。

 このため、彼女をめぐるひとびとを調べて、5名ほどメモを作った。これを再開継続する。セシリア・ペイン=ガポシュキンのことを調べようと、彼女の自伝を買って読み始めたところで中断していた。これも再開いたします。

 頭が正常なうちに、なんとか目鼻をつけたい仕事である。

2016年11月14日月曜日

有限なわれわれにできること

 宮崎駿さんを取り上げた番組 NHKドキュメンタリー - NHKスペシャル「終わらない人 宮崎駿」を昨日みました。
 手書きにこだわっていた宮崎さんが、CGを製作に取り入れることを検討し始めた。彼は完全に引退したいと思っていたが、3年(80歳になる前にか、忙しい!)かけて長編アニメをもう一度作りたい、それにはCGの助けが必要であるらしい。
 彼の乗用車は相変わらず2CV(^^)

 旅行時に撮ったデジタル写真から、パリの風景を絵にしてみたことがあります。絵の素人なので、デッサンがまったくできない。その補助になると思いましたし、たしかに歪んだ絵にはなりません。しかし街角の風景のうち、商店のウインドウの様子など、細かいところはまったくかけません。写真はいくら拡大しても実物とは違います。自分の目で見て、覚えていることしかかけません。そして覚えていることは絶望的に少ない。したがって、しょぼい絵しかかけません。

赤木こうじろう先生は街角風景一枚を描くのに30日間は同じ場所に通うとおっしゃていました。そんな絵を何百枚も描いておられるので、脱帽です。

 しかし、一人の人間に与えられた時間は有限です。芸術家に限らず、この問題を克服するのは、人すべての課題です。

 今朝、立花さんのビデオをYoutubeでみました。猫ビルのなかに膨大な数の書籍があり、その書籍たちの究極のインデックス・ネットワークが立花さんの頭のなかにある。これは立花さんという生命体が失われたとき消え失せるのか。なんとかこれを、後世に受け継ぐ技術はないのか。松岡正剛さんは試みをやっておられる。師弟カンケイで。

 宮﨑駿さんや立花さんの頭の中の知恵を、何らかのカタチで、保存し進化させるハードウェアとソフトウェアをつくるのが、IT屋のひとつの目標かと思います。

 こういうのはやはりSFで数多く予言されているので、将来きっと実現するでしょう。その一端を早いとこ味わいたいものです。

2016年11月13日日曜日

「英語で執筆」の夢をかなえる翻訳サイト、道は遠いが


 Google翻訳がTwitterでも話題になっています。
 早速やってみた。



 昨日のこのブログの記事の冒頭の文。
「今日はスケッチに近い記事です。」
を英訳すると
「Today is an article close to sketches.」
おかしい。

 そこで
「今日はスケッチに近い記事を書きます。」
と変えると
「I will write an article close to sketches today.」
とすこしは良くなる。

 要するに、わかりにくい日本語の文を最初は書いていたのに、気づかなかった。英訳してみてそれに気づいたので、まともな日本語に直したら、英語の文も意味が通るようになった。

 作文の時間や、論文を書くときは、日本語の構文に気をつけるが、Twitterやブログの執筆時には、いそいで書きなぐるので、意味不明の日本語を書いてしまっていた。

 これは、非常に恥ずかしいことをしていたと思います。これからは、面倒でも一度翻訳してみて、意味の通らないところを直してから、ひとめに触れるところに掲載したい。

 最近、村上春樹さんに関する記事を書いたばかりですが、彼の行っていたことが少し理解できましたm(_ _)m


 その後、試しに英語でTweetしてみたら、早速インドの方から反応がありました。これも楽しいな\(^o^)/

 このブログも将来英語化したいです。他の翻訳エンジンも試してみたい。

2016年11月12日土曜日

ゲゲル先生の影響で古い本を発掘しました 『ゲーテとの対話』

今日はスケッチに近い記事です。
一昨日見たTV番組で水木しげる先生は戦争に行くとき、『ゲーテとの対話』を持っていったと聞いた。(前から知っていましたが)そこでまた読みたくなり、例によって、部屋の片隅に押し込んであった本を30分かけて発掘。

ゲートとの対話 意外ときれい


本からはがしたパラフィン紙

なお、2枚めの写真はカバーとしてかかっていたパラフィン紙。あまりにもいたんでいたので、これを機会に剥がして処分することにしました。最近はパラフィン紙が本にかかっていることはすくないですね。手間がかかりすぎるからでしょうか。本を包むパラフィン紙の歴史について調べてみると面白そうだ。明日あたりやってみよう。

 ところで私の『ゲーテとの対話』は山下肇訳で、昭和43年発行。岩波文庫、全3巻です。ということは、水木先生のは違う方の訳? 
 亀尾英四郎という方の訳が見つかりました。これはKindle版ですが、原本も探そうと思っています。ついでに『ゲゲゲのゲーテ』という水木先生の著書もあるらしいので、これも入手しないと(汗)
 水木先生は、『対話』の著者エッカーマンに惹かれたのだという説も確かめないといけません。最近読むべき本が多すぎて時間が足りない[ぶつぶつ]。
 
 トランプさんの著書もKindleで無料で読めましたが、超典型的ビジネスマン。超の意味はすごいやり手という意味とすごく金儲けがうまい、と両方です。「理想」という言葉は彼の中にはない、いや封印されている。
 ゲーテもワイマールのえらいさんだったのですが、トランプさんとは大違いだ。

 ともかく、今日はパラフィン紙とエッカーマンという課題が2個みつかって、嬉しいというべき日です。

2016年11月11日金曜日

お好みの仕事場を創る

ファーブルが昔から好きだった。最近見た(見直した)動画、「アルマス」は彼の終焉の地であり、『昆虫記』を書き上げた仕事場である。庭(というより邸内の野原)は彼の重要なフィールドであり、かつ愛すべき小さな机を含む書斎部屋もある。ファーブルは野外観察を愛した、その観察なくしては名作『昆虫記』はありえない。

 これが理想的仕事場であろう。単に書斎というと欠けるものが多すぎる。

 作家にせよ学者にせよ書斎の机や本棚や資料棚のバックグラウンドに広大な「フィールド」が広がっていなければならない。

 『書斎の王様』(岩波新書、1985年)という好著がある。話題が書斎のみにかぎられるが、面白く「参考」になる。参考をかっこでくくったのは、ここで紹介されている莫大な蔵書数を誇る書斎は、昭和の遺物なので現代の老年には実現不可能ということがワカルという意味。不可能なだけではなく、逆にこれを目指してはいけない、インターネットで我々に必要なうちのかなりな部分は、もっと手際よく実現できる。

 アシモフが父親から百科事典を譲り受け、屋根裏の窓なし豪華書斎に設置して、科学読み物執筆に利用できると大喜びしたことが、『アシモフ自伝』に書いてある。私も平凡社の世界大百科を揃えたいと、ごく最近まで思っていた。しかし、価格の高さと設置場所のないことで、二の足を踏んでいた。この悩みは、昨年ジャパンナレッジ(有償)に加入することで解消された。世界百科を買う30分の1程度の年間価格で、最新版の世界大百科も日本百科も歴史事典も東洋文庫も文庫クセジュ他多数が全文検索できる\(^o^)/

 考えてみると、他のインターネット上の無料有料サービスを活用すると、過去現在の書籍や論文や資料、絵画、音源などが無数に手に入る。四庫全書や康煕字典などを作らせていた皇帝よりも、庶民であるわれわれのほうが条件がよい。なんともスバラシイことではあるまいか?

 ただし、条件がいいだけで、ここからうまく情報を検索して、理解して、活用できるかどうかは、個人の資質による。必死で研鑽をつまないといけない。


 昨夜、衛星放送TVで水木しげる先生のお話を視聴した。彼の晩年の仕事場の写真はiPadのロック画面にしてある。しかし、彼の場合もフィールドが問題。ニューギニアの「楽園」にあこがれ、世界のおばけグッズを収集していたかれのフィールドは人間や他の生き物のココロを含む広大な宇宙であったのだろう。

 自分のフィールドに自由に行き来できる書斎(仕事場)を創るのが、夢ということになる。さてどうしたもんじゃろう。そもそも私のフィールドはどこにあるのか?

2016年11月10日木曜日

蔵書を読み直したりKindleでまた読んだり、AIについて考えたり

読書を中心として、読むことをいかにITで楽にするかを考えた。次の写真を見て欲しい。


左側は、少し黄ばんだページに小さい活字で印刷された『羊の歌』(加藤周一、1968年、岩波新書)の冒頭部分である。この本は学生時代に読み、すごく気に入って、捨てないで40年以上保存してある。クールな文体もスバラシイ。時々出して読むので絶対にすてない。

 最近Kindle電子図書化された。800円くらいなので高くはないが、内容は同じなので買わない。でも見本を読んでみた。右側に写っている。フォントサイズやタイプを調整してみると、非常に読みやすい。そして文章のシャープさもましてくる。読み落としたことも発見できる。単なる再読ではない魅力がある。

 これは新しい楽しみである。でも、思い出のある古本も捨てられない(^^)

 夜中に目がさめ、iPadでニュースまとめサイトをみる。面白い記事を発見した。「Webライターはもう不要? 国内初、人工知能による自動ライターが本格始動へ」という記事である。このなかで、Articooloという自動ライターが紹介されている。早速試してみた。キーワードを2,3入力し、記事の長さと読みやすいのがいいかユニークなのがいいかを指定すると数分で文章を書いてくれる。ただし、出来た記事を全部見るのは有料である。
 
 出来栄えがわからないので、まだ金は払っていない(^^) どこから情報を得て書いているのか不明なので怪しいところもある。情報検索と、内容チェックをしてくれるだけにして、文章そのものは自分で書きたいなという気持ちもある。それでないと「書く」楽しみがなくなってしまう。

 今後はこのようなソフトやサービスが普及するだろう。キーワードに関する論文を捜して、内容を読んで理解したり引用したりしながら論文作成をサポートしてくれるツールも2,3年前に見たことがある。研究者の方には常識的な話かもしれない。

 この件については、もっとリサーチしたい。リサーチのツールそのものも見つけていきたい。まずはアシモフ先生に話を伺いに行くか。そういう小説があったが名前をわすれてしまった。

2016年11月9日水曜日

安上がりに、書籍やディスプレイ表示内容の読みやすさをもとめる

世の中で言う老眼、単にピントが合わなくなるだけではない。なんとなくかすむ、一部がぼやける、疲れる、眩しい、暗い、などなどが体調にもあわせて、私を襲う。

 昔は楽に読めた文庫本も、ページが黄ばみ、文字は薄れて見える。PCの画面も、細かい字はよく見えない。近視と乱視のまじったメガネを、PC向けに調整し直したが、ヤハリみづらい。

 対策1.MacBookにつなげる外部ディスプレイを購入。24インチにした。そして拡大率を120%から150%とする。またはフォントを大きくする。コントラストや明度も高めにする。
 これは非常に有効である。ぜひ老年のミナサマにおすすめしたい。PCをアップグレードするより抜群に安い。画面を至近距離から覗き込まず、普通の姿勢で仕事ができる。読んだり書いたりが楽である。最近はコードを書いたり読んだりをほとんどしないのでほぼ拡大表示画面のまま、過ごしている。27インチ化や4Kディスプレイも検討していきたい。



対策2.iPad(Retina)の導入。精細な表示ができるので、iPadのように近くから見るものでは、仕事が楽になる。
夜の電子書籍読書やインターネット閲覧はほぼすべてiPadでおこなう。画面の明るさ調節はこまめに行う。最近iOS10の使えるiPadAirを手に入れたのででNightShift機能も使う。これも実はフォントサイズをできるだけ大きくしている。フォントそのものも読みやすいものを選ぶ。
 従来紙の本で読んでいた書籍も、iPadで読むと、新しい気分で読める。ハイライトやメモ機能、辞書引き機能もベンリである。新しい発見をしながら読める。
 iPadProやSurfaceも検討はしていきたい。でも資金が必要ですね。

 視覚的なことを中心に述べたが、情報検索や、分析、総合に、創造に、ITを十分に活用することが、必要と思っている。これらについては別記事でのべていこう。

2016年11月8日火曜日

手や目の自由が奪われたらどうするか、とりあえずの対策

以下はしばらく前の私のツイート。


 通常文章を書くときにはこのWriterを使っている。二本指でタイプしているのでヒトには見せられないと思っていたが、最近ダルトン・トランボの伝記映画「トランボ」の予告編をみたら、主人公は堂々と二本指でタイプしていた。でも今でも研修などで人前でタイプする時は少し躊躇する。
 Siriとメモ帳の組み合わせもできるが、タイピストとしてSiriさんを使うのはなぜか気恥ずかしい。ただし、将来指が自由に動かなくなったら、使わざるを得ないだろう。

 音声によるインターフェースを考え始めたら、朗読のコンテンツを捜したくなった。読書中に目が疲れたら、朗読を聞くのがいい。Macにお願いするとやっていただけるが、面倒だしやはり下手くそ。日本語はもっと下手。文学作品には向いてない。実用文書なら許せるか。

 無料のものはYoutubeやニコニコ動画で捜すことになる。漱石の「草枕」が好きなので、いくつか聴いてみた。ニコニコ動画(NicoboxというiOSアプリで音声のみバックグラウンドで聞ける)の草野大悟さんの朗読が抜群。ポイントはやはりプロチームの作った朗読ということ。声がはっきりしているし、読み間違いもほとんどない。活字本をつくるよりずっとカネがかかりそう。

 そのせいか、日本のコンテンツは高い。数も限られている。英語のコンテンツは名作ならYoutubeに大量にある。アクセス数も多いからYoutubeから金がでて、消費者はカネを払わなくてもいいのだろう。
 この状況はしばらく続きそうだが、目をやられるような状況になる前には改善されていて欲しい。読書好きの立場で、なにかできることがないか検討してみたい。英語に慣れちゃうというのは一つの手だが。

 「「老い」をITでカバーする。」というテーマはこれからがんばって追求したいです。[きっぱり!]

2016年11月7日月曜日

マンダラ(曼荼羅)と鼠の日々、体を大切にするためよく寝てますよ > 鈴木長十先生

鹿島茂先生の『モンフォーコンの鼠』と中沢新一先生の『森のバロック』を交互に読み進める。
 十九世紀前半のパリでは、バルザック先生が活躍していたが、それ以上に「ゴミ」捨て場界隈の臭気の中の鼠が大活躍。暗躍する鼠たちも気持ち悪いが、それ以上に利己的な人間たちも気持ち悪い。なのに面白い話なのはなんでか?それを解明するためにどんどん読む。

挿絵を真似して描いてみた。下手だ。
 南方熊楠論である『森のバロック』もどんどん読める本である。しかし2章の「南方マンダラ」がさっぱりわからない。曼荼羅そのものについては知っているつもりだったが、これは頭の中の知識で、曼荼羅という思考形式(?)を使って、考えるということが実感できない。とりあえず、次の章の民俗学に関する話はワカルような気がしたのでこれもどんどん読み進める。熊楠関連の本はもっと探さなくてはいけん。と思っていたら、買おうと思っていた『南方熊楠を知る事典』の内容がかなり掲載されたページを見つけた。これは儲けもの。でも事典は買うけれど。

ときどきは現世に戻る。TwitterのTLをながめると内閣府のホームページの「首相謹話」などの言葉遣いにかんするお小言が目についた。内閣府ページのレベルが低くて話にならない。辞書を引くということを習わないで公的な文章を書かされている人たちがいるようだ。今日は立冬だが、お寒いのは、そのせいだけではない。

 昨日再発見した駿台予備校の名物英語教師、鈴木長十先生のお言葉の切れ端を思い出した。「体は大切にしなければいかん。私のように忙しくて金があるヒトはうまいものを食べるべし。キミたちのように金が無いヒトは十分睡眠をとりなさい。」当時、肺炎から回復したばかりだったので、ありがたくこのお言葉を聞いたし、実際その後はよく寝て、翌年の受験にはみごと成功\(^o^)/

 鈴木先生のテキストはまだ売られている。『基本英文700選』これはさっぱり覚えてないので、買おうかしらん?

 鈴木先生のようによく喋るには、脳のブローカ野を鍛えると良いという説を昨日TVで聞いた。鍛える一方法は逆さ言葉を素早く言う訓練。「マンダラ」は「ラダンマ」。文字数が多くなると大変だがTVに出た古舘さんは上手だった。ボケ防止にもよさそうだ。

2016年11月6日日曜日

iPadは気が散るのでKindleより読書に不向き?

Kindle無印とKindle for iPadの英単語の辞書検索の差

夜中に暗いねどこで読むには、Kindle無印よりiPadだ。なぜなら画面を照らさないとKindle無印では何も読めないから。そこで、昨夜もiPadで読書した。クラーク先生の『Against the Fall of Night』の主人公が決死の旅をして他のまちにつく。自然豊かな場所で自然の臭いや音や光が主人公に「smote」したとある。


 「smote」?と辞書を引いてみる。つまり単語を長押しする。「smiteの過去形」とそっけない表示、smiteもわからない。ここで諦めず辞書の「全文表示」を行う。そして、全文表示の中で「smite」を長押し。これで、「襲う」などの意味が検索できる。つでに、辞書を英英辞書Webster?に切り替えてみる。最後は戻るをタップすると元の文章に戻る。
 ここのポイントは辞書全文表示が簡単にできることだが、私のKindle無印ではこれができない。smiteの意味を知らないとお手上げ。超使いにくいブラウザに切り替えることはできるが操作性が悪いので普通やらない。
 
 Kindle無印(を含む)のほうが、読書に専念できるという説がある。iPadだとつい、メールを読んだりTweetしたりという「浮気」をするので、気が散るというわけ。Kindleだと面倒なのでそれはやらない。したがってKindleで読書がはかどる。(#ここ韻をふんでいるので注意ね)
 
 先程の辞書引きの例を考えると、今の説には反対したくなる。必要な「浮気」ができないと読書の目的が達成できない。辞書引きだけでなく、地名を検索したり、書籍名から検索をして購入しちゃう場合もある。
 ま実際には、両方を併用して、都合の良い方を使うわけだが、無人島に(Wifiがあるとして)どちらか一つだけもってこいと言われたら、iPadですね。

 ところで、やはりiPadで鹿島茂先生の『「悪知恵」のすすめ』を読んでいたら、駿台予備校で昔英語を教わった鈴木長十先生のお名前が出てきて、懐かしかった。面白い先生だったなあ。

2016年11月5日土曜日

どれから読めばいいか「悩む」楽しみ(^O^)

 少し体調の悪い朝。日常家事は必要最小限にすませて、もう一度ねどこに潜り込む。


 幸いなことに、読むべき本はこんなにある。一昨日新規オープンの図書館から借りてきた本4冊も含む。これ以外に、Kindleの中には数十冊読みたい本が登録されている。

 精神的には、この状況が一番いい。具合が悪いと称して、自分および家族および社会から仕事免除期間をあたえてもらい、時間を自由に過ごせる。読書するのもいいし、iPadでビデオを見ても良い。最近は過去一週間のラジオ(民放、放送大学を含む)番組を後追いで聞ける無料サービスもある。もちろんストリーミングで音楽を聞くこともできる。

 でも、やはりメインは読書。なにから読むかはその時の気分次第。数冊を並行して読むのがいいかもしれない。気分は刻々と変わっていくから。

 ある本を読んでいると、その中の記述に触発されて関連する情報を得たくなることが多い。その関連情報をインターネットで検索をしたり、新たに本(定評のある古本が多い)を注文してしまったりする。枕元とKindle中の本の山は、増加することが多い。要注意。(そうなるように要注意ってことです。)

 本当に気分が悪いときには、なにも読みたくない、聞きたくない。今日ぐらいの(中ぐらい?)気分のときは、なるべく疲れないように、少しづつ読書をし、時々他のメディアで気分転換をするよう、こころがける。

 では、行ってきます! まずは『モンフォーコンの鼠』と『森のバロック』です(^O^)

2016年11月4日金曜日

書かれなかった作品を想像し鑑賞する楽しみ

 ある作家と付き合う(作品をたくさん読む)と、構想だけで終わったらしいが、この作品をおなくなりになる前に書いていただいていたら良かったなあと思うことがいくつかあります。

 たとえばトーマス・マンの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の続き。
 たとえば、植草甚一の『ニューヨークの夏目漱石』。
 たとえば、辻邦生の『浮舟(実朝の幻の船)』など。


 自分の著作へのコメントが大好きなトーマス・マンは「『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の一章への注解」でこう述べています。(新潮社版全集 七巻 561ページ)
 「この章をエピソードの一つとして含む本をわたくしはもう四十年以上も前に書きはじめた...執筆を中断し...
ようやく最近になって、その続きの執筆に取りかかった次第で、時間と力が及ぶならば、たぶん完成するだろう。...
(主人公は)リスボンへ向う列車中にあって、その旅を始めるところである。話はそこからさらに南アメリカへ、アルゼンチンへ、ブエノス・アイレスへと彼とともに進捗することになる。」

 結局、リスボンから豪華客船に乗船する直前で、公刊された物語は終わっている。私はこのさきを読みたくてたまらない。貴族の替え玉で旅行をするのだが、パリでの貴族との打ち合わせでは、北アメリカにも行くし、日本を含むアジアも予定されていた。実はクルルのモデルは実在するが、彼は実際に日本にも来たという話がある。
 スイスに行って、マンの未完原稿や資料をチェックすれば概要くらいは掴めそうだ。調べにいきたいがその前にドイツ語を勉強しないといけない。

 仕方なく想像や現在手に入る資料などで、後半の物語を推測しなければならない。どこかで、ばれて投獄もされてそこでこの『告白』を執筆しているという設定なので、当時の獄中生活までも資料をさがして推測する必要がある。ある意味では楽しい作業(お遊び?)だが、いつの日にこれができるかはわからない。でも始めないと話にならない。

 同じように、植草甚一先生の著書を読み漁っていると、(『植草甚一読本』)先生は晩年に行ったニューヨークがえらく気に入って、漱石が倫敦に行って神経衰弱になったと言われたが、紐育に行っていれば、楽しく留学生活を送れたろう、その当時の紐育の資料(例えば、雑貨屋のカタログ!?)を集めたので、ぜひこのテーマで書きたいとお書きになっている。(実際にはニューヨーク行きは当時の文部省が許さなかっただろう。)
 これも、書いていただきたかった。明治・大正期の東京の下町の雰囲気も知り、ニューヨークもわかった植草甚一センセイなら絶対面白かっただろう。

 辻邦生夫人の『辻邦生のために』には「「浮舟」の構想をめぐって」という一章がある。実朝を主人公としたお話らしい。他に藤原定家や後鳥羽院の物語も考えていたとか。

 非力な私が、こういった物語を書くわけにはいかない。AIを使って作品を書かせる試みはできないだろうか?
 ともかく、これらをテーマとして考え、調べ、駄文を書くことも読書にまつわる楽しみの一つである。

 ところで、新しい市立図書館、建物は実に立派で設備もいいのだが、蔵書の質が私にはまだ向いていない。『トーマス・マン全集』や『トーマス・マン日記』は揃っていないので、どんどんリクエストしてあわよくば購入して貰うつもりです(^^)

2016年11月3日木曜日

やっと新しい図書館がオープンしたヽ(^o^)丿

 秋のというより初冬の晴れ渡った空。新しく建設中だった市立図書館がオープンするので。でかけてみることにしました。しばらく休館していたので図書館飢餓状態となっていました。


 二駅ほど先の大和駅から歩いて5分、「シリウス」という新設の地域文化センターの中にあります。


 12時過ぎについたが、オープンは13時とのこと。知らなかった😂 並んでいる方はいたが、一度駅ビルに戻ってようたし。空はあくまでも青い。阿波踊りやジャズコンサートなど途中でやっていて、お祭り気分です。

 13時に「シリウス」に戻り、カウントダウンイベント後に列になって入場。一階で及川さんのイラスト展をやっていた。無料。ご本人(うちの近所にお住まい)もいらしたが、声はおかけせず記帳のみして、ざっと見て、混んでいるエスカレーターを使わず階段で上階の図書館へ。


 家人の図書貸出券をチェックしてもらったら、長期間使用してなかったので、新規発行が必要とのこと。今日は混んでいるので、別室の特設カウンターに案内される。運転免許証を持っていたので、すぐ発行してくれた。私の従来型貸出券よりデザインが良い。くやしい。でも機能は同じだ!


 あまりにも広い図書室(たぶん40万冊くらい並んでいる)のなかを、迷いながら、いくつか本を選び、借りてみました。鹿島茂先生の『モンフォーコンの鼠』も借りました。


 自動貸出機でセルフで借り出しできるが、仕組みがわからず少し戸惑った。ICタグが本についているので、貸出機の側に近づけるとすぐ反応してしまう。なんとか。借り出すことができた。

 駅ビルに戻り、寿司とみかんを買い帰る。なれないところに行き、つかれました。

 開架の図書スペースもそうだが、座って読む場所も十分に取ってある。軽食がとれるスペース(有料2時間100円 LAN設備と電源もある)もあり、ゆっくり本を選んで、あそべそうな感じ。きょうは小手調べだったが、しばらく通って慣れることにしよう。

 いただいたパンフレットには電子図書の貸出の項目もあった。次回は調査し報告します。

2016年11月2日水曜日

ぜいたくな脚本家生活か清貧の作家業か

昨日ご紹介した、
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ブルース・クック, 手嶋 由美子 著)
の後半を読み終えました。面白い、そして今年夏に翻訳出版された本が、Unlimitedで読めるのは、年金生活者には喜ばしい\(^o^)/

前半は貧しい生い立ちと出世への苦闘、脚本家としての成功と、共産党員となり赤狩りにより投獄されるまでを描いていました。

後半は、出所後の闇の脚本家仕事の成功、そして戦いの末の名誉の回復、作家生活へのあこがれと挫折を書いています。

 彼の強烈な性格により、敵も多かったが、なにしろ脚本を書く腕が確かで仕事が早く、友情に厚いので味方もおり、本名は出せないにしても他人名義で多くのヒット作脚本を書き、いっときは田舎に大きな牧場付きの家を買い取って、家族のみで隠れるように仲良く暮らします。

徐々に彼の名誉も回復されていきます。私の手元にたまたま『ローマの休日』の1988年製のVHSビデオと2003年製のDVDがあります。
 1988年のテープのパッケージの表示は、
ScreenPlay by IAN McLELLAN and JOHN DIGHTON Story by IAN McLELLAN

 2003年製のDVDでの表示は、
ScreenPlay by IAN McLELLAN and JOHN DIGHTON
Story by DALTON TRUMBO
 となっており、彼の名前がでてきます。

 『トランボ』によると、IAN McLELLANは彼の友人でやはり脚本家、代理人となって4万ドルのギャラもパラマウントから受け取ってくれたそうです。

 そして、トランボは後の自らの監督作『ジョニーは戦場に行った』の原作である名作小説を書きますが、小説の完成は久しぶり。修行時代からいろいろなものを書いてきたが、彼は本来作家として心ゆくまで書きたかったのであろうが、豪奢な生活を家族とともにするには、そして、共産党員として迫害を受けながら家族を守るには、脚本を書き飛ばすしか方法がない。そのジレンマが大いにあったとしてあります。

 『トランボ』の著者は、その書きぶりからすると、トランボに純粋なでも清貧な作家生活を送ってもらい、名作をもっと書いて欲しかったと思っているようです。脚本家よりは作家のほうがステータスが高いと思い込んでいるふしがある。

 ここは難しいところですね。他人はなんとでも言える。
 トランボのような有能な人物は、映画界でも政治の世界でも皆が必要とし頼りにしただろうし、彼の男気からすると、人に頼まれたらイヤとは言わず、頼まれたことの倍を実行してしまったようなので...

 頼りにされない私は、寂しいけど、トランボ(70歳で1976年に死亡)よりは長生きできそうです。

 トランボに関する一人プロジェクト、今後の展開はどうするか?メモ。
 ・一緒に赤狩りにあった人々や、支援した人々(有名人ではトーマス・マンやチャップリンやアインシュタインなど)のその後を調べる。
 ・ハリウッドでの脚本家と、そのなかの元作家・将来の作家の生きざま(『追憶』参考)。
 ・脚本の書き方、米国と日本。
 ・米国での非寛容の歴史。
 ・映画のタイトル。クレジットや、エンドロールの研究。マニアック過ぎ?
 ・エトセトラ、エトセトラ。


2016年11月1日火曜日

またまた一人プロジェクトの課題ができた\(^o^)/

 Kindleで「ブックサーフィン」をしていたら、
トランボ ハリウッドに最も嫌われた男』(ブルース・クック, 手嶋 由美子 著)
という本が目にとまった。

 ちょっとおもしろそうなので、Unlimited対象でもあるし、読み始めた。訳者あとがきなどを見ると、昨年作られ今年夏に日本でも封切られた『トランボ』という映画の原作だそうな。翻訳で450ページくらいあるので、昨夜は一気読みとはいかず、50%まで読んだ。

 これがなんとも言えず面白い。通常は読み終えてから紹介するのだが、この本のことは皆に知ってもらいたいので、フライングします。

 訳文はこなれていて読みやすい。原文はまだチェック(読んでとはいわない(^^))してません。あとで見本を手に入れて眺めてみます。

 トランボは、あの『ジョニーは戦場へ行った』の原作・監督であった。それは知っていたし、反戦思想の塊のような映画も観た。
 しかし、『ローマの休日』の脚本が実はトランボとは知らなかった。手元のVHSビデオテープの表にはIan Mclellan Hunterなどと書かれている。他の人の名前を借りている。

 ハリウッドの10人のひとりであったため、本名が使えなかったのだという。共産党員であった。このへんの経緯は『追憶』という映画で観た。その時はトランボに注意を払っていなかった。
 植草甚一先生の全集(スクラップブック)を数冊ひっくり返してみた。トランボには触れられていないようだ。猪俣勝人先生の「教科書」、『世界映画名作全史』には『ジョニーは戦場へ行った』が掲載され、トランボの評価は低い。映画に共感できないというややわがままな理由が書いてある。

 このお二人の「弟子」なので、いままで私もトランボをよく知らなかったわけだ。
 これから、トランボについて調べるというプロジェクトを開始することにした。開始時はいつもワクワクする。プロジェクトの情報資源としてKindleとYoutubeは重要な役割を占める。

 ビデオを観てばかりだとプロジェクトの仕事が進まないが(^^)