2020年11月9日月曜日

『麥秋』(1951年公開)の撮影と山内義雄訳『チボー家の人々』が読まれていたのは同時代

『麥秋』(1951年公開)。北鎌倉駅ホームの朝のシーン。丸の内に通う原節子と戦死したその兄の親友で医師の二本柳寛が会話する。二本柳寛は手に持っていた本のことを聞かれて、『チボー家の人々』の4巻目の半分まで読んだと答える。

これは新版の書影

確かに当時、『チボー家の人々』は流行っていて兄や姉は読んでいたようだ。少しあとになるが、子供向け版の『チボー家のジャック』を買い与えられて読んだ経験が私にもある。

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000788229-00

https://ndlonline.ndl.go.jp/#!/detail/R300000001-I000000815020-00

小津安二郎は1903年生まれ。私の父は1906年。似たような年格好だ。

2020年11月8日日曜日

小津安二郎監督の『晩春』(1949年)と『麥秋』(1951年)を観て「引き戸ベル」の存在を思い出した

昨夜、小津安二郎作品を2本観た。『晩春』(1949年)と『麥秋』(1951年)、2本とも主演は原節子。


三部作なので、『東京物語』(1953年)も今夜観る。Amazonさまさま。

***

本筋には関係ない話だが、『晩春』も、『麥秋』も主人公紀子の家は北鎌倉。原節子演じる紀子が「元気よく」玄関の引き戸を開け締めするたびに、自転車のベルのような音が連続的にする。この音に聞き覚えがあったので、インターネットでサーチしてみた。「引き戸ベル」とか、「来客報知器」とかいう名前の器具らしい。引き戸を動かすと、小さな車輪が回転し、それに連動してベルが鳴る。昭和三十年代に住んでいた我が家の戸にこれがついていた記憶がある。小津安二郎は1903年生まれ、私の父も似たような年格好だった。

派手な音をさせて、原節子が帰ってくると、父親役はたいてい机に向かっている。浴衣を着て座って横文字の本を読んでいたりする。

映画自体は面白いし、原節子は評判通りきれいだ。小津安二郎監督は原節子に思慕を抱いていたと言われる。おそらく事実だろう。

小津には戦時中、中国で戦っていた。人にはあまり言えないような作戦もあっただろう。

小津映画を観るときに、ノスタルジーを感じる人は多いだろう。われわれはノスタルジーを、単なるセンチメンタルな回顧としてではなく、当時持っていた理想への再挑戦ととらえなくてはならない。

2020年11月7日土曜日

はるか昔に観た『晩春』(小津安二郎監督)はすごい名作だ

米国大統領選挙の開票は続き4日目。ほとんどの開票中の州が民主党の青色で染まった。面白い図解ページがあった。各州それぞれの人口に比例した大きさの丸が、合衆国地図の上に書いてあり、その丸は共和党の赤と民主党の青に塗ってある。すると、直感的に支持者の多さがわかる。データ表現に工夫が要るということだ。

『殉愛 原節子と小津安二郎』の続きを読む。

52頁から。
吉村公三郎『安城家の舞踏会』(1947)にフリーで出演。「戦後民主主義の希望の星」。

木下恵介『お嬢さん乾杯』(1949)で新時代を生きる旧華族令嬢を演じる。

今井正『青い山脈 前後編』(1949)で東宝作品にも出演。島崎先生役。

ここで、やっと小津安二郎が登場する。女優として本気になってきたと思える原節子の演技に、「熱い生きた血が注入される」。名作『晩春』の監督小津安二郎により。(58頁。)

ということで、夕方、Amazonプライムビデオで『晩春』を観ることにした。

映画『晩春』(1949年)のオリジナルポスター
出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)


その前に、鎌倉から1980年の成城へワープする。

『成城だより』の続き。

3月6日。
71歳の誕生日。戦争に行ったのが35歳で、戦後35年生きた。核、人工衛星、人類が月面を歩くなどのことがあった。「資本家が軍備拡張し、兵器を輸出して利潤を確保しようとするさまに、拍手を送る手合いの発生には驚くほかなし。」

ボルヘスの言うがごとく亡却が得策、ならばこちらもぼけて、近いことから忘れつつあるのは良いことだと。

悪く言うと、大岡昇平の老いの繰り言だが、同い年として考えれば、うなづける。

3月9日。
朝日新聞は学識ある評者を採用し、文芸誌作品でなく単行本を文学として扱っている。一理ありと。文芸時評でなく「文化時評」だと。いろいろ意見はある。

2020年11月6日金曜日

西村雄一郎『殉愛 原節子と小津安二郎』(新潮社)を読んでます

曇り空の朝。

CNNJをつけてみる。まだ米大統領選の開票は続いている。

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『成城だより』を読み続ける。

1980年1月16日。
順天堂大学病院へ。心臓肥大去る。病院裏スナックで食事。寒い。予定を切り上げてタクシーで帰る。

1月21日。
未明、読書中に寒気。39度の熱で寝込む。

2月6日。
日記再開。1月16日に見舞わなかった編集者の葬儀には家人代参。

2月8日。
寝床から出ず読書三味。

文学、美術、音楽、推理小説、週刊誌。書評や時評めいた記述。

2月9日。
読書、読書。鬼の話も。

2月10日。
富永太郎詩稿整理。

2月12日。
田付(下山)たつ子『パリの甃(いしだたみ)』。古きよきパリの印象記。著者は富永文献に「村田美都子」として出てくる。

2月15日。
まだ寝床。新田次郎氏風邪からの心筋梗塞で急死。

「三年B組金八先生」を見る。

***


西村雄一郎『殉愛 原節子と小津安二郎』(新潮社)を、うっかり読みはじめ、ひきこまれる。先日の巻頭言に触発されたのでさっそく借りてきた本。

1920年生まれの原節子。その原節子への愛が爆発する書き出し。本文で引用される映画をすべて探して観たくなる。

山中貞雄『河内山宗俊』(1936) (AmazonPV)
内田吐夢『生命の冠』(1936)
ファンク、伊丹万作『新しき土』(1937)。ドイツヘ挨拶に訪れる。

パリ経由でニューヨークへ。クイーン・メアリー号。(28頁。)竜田号で横浜へ。

日活から東宝へ。
国策映画。

熊谷久虎『上海陸戦隊』(1939)
同『指導物語』(1941)

山本薩夫『母の曲』(1937)
『田園交響楽』(1938)
『美はしき出発』(1939)
『街』(1939)
『姉妹の約束』(1940)
『熱風』(1943)

今井正『女の街』(1940)
『結婚の生態』(1941)
『望楼の決死隊』(1943)
『怒りの海』(1944)

島津保次郎『兄の花嫁』(1941)

山本嘉次郎『ハワイ・マレー沖海戦』(1942)

渡辺邦男『決戦の大空へ』(1943)

しかしこれらはどれも原節子の代表作とは言えない。

伏水修『東京の女性』(1939)
『青春の気流』(1942)

戦争は終った。原節子の青春も……

渡辺邦男『麗人』(1946)。白蓮の役。

黒澤明『わが青春に悔なし』(1946)

芸研プロ(義兄熊谷久虎がプロデューサー)

倉田文人『殿様ホテル』(1949)

沢村勉『野性』(1950)

(つづく)

***

日本時間朝8時半、トランプ大統領の噴飯もののスピーチ公開、投票カウントの不正を訴えたが、事実に基づかないとされ、放送局側により映像放映を打ち切られた。

2020年11月5日木曜日

ファシズムと戦うトーマス・マンは1933年以降の詳細な日記を廃棄せず残した

 大岡昇平、『成城だより』の続きを読む。

1984年12月13日。
大江健三郎の『同時代ゲーム』を読了。『万延元年のフットボール』の続編か。谷間の村落共同体の一揆的反乱もの。

1月9日。
暖かい午後1時~3時に人と会い、孫と遊ぶ。他は寝て本を読む。天気が良くて暖かい日の、同じ時間帯にたまに机に向かう。正宗白鳥先生にならう。しかし先生より早く病弱になりぼけてしまった。風邪がこわい。心房細動が。

中島みゆきを聴く。(ドーナツ盤)

アバを聴く。(LP)

1月11日。
睡眠時間計10時間以上。

ピーター・カヴニー『子供のイメージ』読了。

# 何か読むと、以前読んだ関連本をたくさん思い出す。

1月12日。
寒いが、「富永太郎全集」の仕事をする。

#このあと風邪をひくことになる。

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昨日借り出した『トーマス・マン日記 1951-1952』を読みはじめる。

「編者序文」を読んでいると、マンが1933年以降の日記は焼かないで保存させた意味が少しわかる。行く先々での複数のファシズムへの抗議の意味が確かにある。

そして詐欺師フェーリクス・クルルの物語を書く場所としてカリフォルニアは適当な場所でない、やはり欧州にいないと、と考えはじめた。

1951年1月3日。
国連軍はソウルを撤退。李は釜山にまで逃げた。

『詐欺師』の第2巻4章の改訂を完了。

1月8日。
『クルル』の第6章を書きはじめる。

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夜、ALL REVIEWSのオンライン「定例会」。テーマは「マンガ」なのだが、『鬼滅の刃』のアニメを少し観て臨んだが、やはり皆の会話にはついていけない。でも、知らないことを教えてもらえて、面白かった。とりあえず、『凪のお暇』のビデオ化されたもの(黒木華主演なので)を観ることにきめた。

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米大統領選開票状況は接戦でかつ混沌としていたが、どうやら民主党候補が一歩リード。明日にはきまるだろうか?

2020年11月4日水曜日

アシモフ先生の収入は1950年一年で5割増し

朝から好天。初孫に会う日にふさわしい。


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大岡昇平『成城だより』(文藝春秋)を読み始める。1909年生まれ、75歳の生活はどんな様子だったか。

1984年11月13日。
大江健三郎が武満徹の新作レコード持参、「イデーン2」、「ウォーター、ウェイ」「ウェィヴズ」。大江の新作は生地の孵大洲舞台の至福千年をモデルとしたもの。ボルヘスが来日中で会ったという。

立ちくらみでコンサートに行けぬので、音楽が来てくれるのを喜ぶ。

12月5日。
病院へ。心臓が大きくなっているので利尿剤をふやさねばならぬが、だるくなるので仕事にならない、困る。

雑誌新年号への対応は大変だった、この日記以外は今後断る。「富永太郎全集」(角川書店)の完成にも力をそそぐ。

出版社のくれる当用日記に日々の出来事をメモし、それをふくらませるので、手間はかからないはず。

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『アシモフ自伝』の続きも読む。

1949年12月31日。
恒例の年末決算。文筆活動の収入は1695ドル。化学者としての収入は4800ドル。総計6500ドル弱。喜んでいる。

1950年1月15日。
契約条件が決まったので、『暗黒星雲のかなたに』を改めて書きはじめる。梗概は作ったが、それにはよらないで書く。

1950年になると、キャンベル一強の時代が終った。アスタウンディング以外にもF&SFのような雑誌があらわれた。雑誌の価格は20セントから25、35セントと上がって行く。

『宇宙の小石』の評判は良い。

2月7日。
大学で「単純脂質」に関する初めての講義。「なんとかきりぬけた。」

2月14日。
ぶっつけ本番の講演も上手くできた。つまり「大受け、拍手、笑声」。

2月5日。
ガートルードと共にゲイ・ナイト・クラブに行くが気にいらない。

5月14日。
『暗黒星雲のかなたに』は三度目の書き直しで認められ、前渡金は750ドル。

6月19日。
1650ドルで新車のプリマスを買った。

6月25日。
北朝鮮軍が南朝鮮に侵入し、アメリカが朝鮮に派兵して、朝鮮戦争が始まった。弟、スタンリーは21歳だが視力が悪く徴兵は免れそうだ。

7月7日。
運転免許試験に合格。買った新車はまだ来ない。

8月8日。
車の所有者となる。30歳にして。翌日、車で出勤。

8月31日。
2台目のスミス・コロナ・ポータブルを入手。

9月12日。
共著で、化学の教科書を書くことにした。

11月21日。
腎臓結石の発作。救急車に乗る。モルヒネでおさまったが、常習者になるのが怖い。

年末。
年毎に単行本のリストを作ることにした。

    1 『宇宙の小石』(ダブルデイ)

    2 『われはロボット』(ノウム)

文筆収入4700ドル。大学の棒給約5000ドルとほぼ同額だ。

***

午後はやっと会えたHALくんと過ごす。




2020年11月3日火曜日

トーマス・マンはようやく『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の続きを書き始めた


『トーマス・マン日記』、1949年-1950年の巻を読み終えた。

1950年11月6日。
「マカーサー」と中国の非難の応酬。

11月8日。
選挙で共和党が勝利。ぞっとするような風が吹いてきた。(アメリカを)立ち去るべきか。

11月9日。
娘エーリカの45歳の誕生日。

11月20日。
シカゴのボルジェーゼから電話、娘メーディと別れたいと。

11月25日。
『選ばれし人』は最終的に完成。

正午にエーリカと計画と構想としての『クルル』について話し合う。素材に含まれるファウストゥス的性格。舞台をアメリカにまで拡大するか。

11月26日。
『詐欺師』の原稿に取り組む。(注)1912年『ヴェニスに死す』を優先するため、第二巻第四章で途絶していた。

11月28日。
『クルル』の原稿に取り組む。

11月30日。
『クルル』の原稿に取り組む。

12月3日。
現実のファシズム革命の可能性。この国を離れるのがいよいよ得策となった。エーリカに準備させたい。

12月5日。
左腰に「リューマチ」の痛み。

12月7日。
昨晩は薬入りの温水浴と電気毛布。ぐっすり眠る。

12月11日。
「ショウ」講演の録音。

12月20日。
『詐欺師』の材料に取り組む。年代史風のもの。

12月24日。
『詐欺師』の原稿と印刷された文章に取り組む。プレゼントは、シューマン歌曲集、『オランダ人』、『ローエングリン』、『こうもり』。

12月25日。
『クルル』の最後の、まだ印刷されていないいくつかの部分を吟味。書き直しが必要。

12月26日。
不思議なことだが40年たってまたようやく『詐欺師』の稿を書きつぐ。すなわち、中断していた第二部、第四章の末尾。徴兵検査の前の部分を書き進める。

12月27日。
原稿、構成変更を手がける。

12月29日。
日本は永久に占領下におかれるとアメリカはロシアに覚書。

最大のものと最小のもの、広く散らばっている銀河の数、分裂した原子核の粒子、これらについて感覚を混乱させるような天文学情報。

(注)1950年12月28日から30日までペンシルバヴァニア州ハヴォフォドで「アメリカ天文学会」が開かれたがその年次総会報告書を読んだのであろう。(?)

マンが読んだのはこれではなく、新聞記事だと思うが、読みやすそうなもの見つけた。

http://articles.adsabs.harvard.edu/pdf/1951PA.....59...57G

12月30日。
改稿をすすめる。この対象が私を支えているのだろうか。

長編の改稿を進める。

12月31日。
バルコニーの兄弟姉妹を細部まで仕上げた。

1年の回顧。
『オランダ人』、ロッシーニ、セザール・フランクを聴く。でもあまり楽しめない。

『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』をまた書き継ぎ始めたところで、1950年が終わった。相変わらずの産みの苦しみとアメリカを離れるべきかの悩みとで、75歳のマンは体調が悪そうだ。

『詐欺師』のファンとしては、次の巻を早く読みたい。世田谷区立図書館に予約を昨日入れたが、今日通知が来た。明日は孫の顔を初めて見るという「大イベント」があるので、ついでに受け取ってくる。内緒だがどちらも猛烈に楽しみだ。

2020年11月2日月曜日

トーマス・マンの『ファウストゥス博士』の完全な和訳ってあるのだろうか?

11月2日、朝は晴れている。昨日の疲れで、朝から眠い。

昨日、組み立てたベビーベッド。親のベッドに隣接させて使うタイプ。(こんなの初めてだったので、組み立てに手間取った。)


ここに、明後日からこんな感じで寝せる予定。


***

『アシモフ自伝』、タイム・ワープする。

アシモフは1949年5月10日、一般聴衆の前で初めて講演した。主として中年婦人30名で、上手にできたという印象しか残っていないと。この前にライナス・ポーリングの講演を聞き、感銘を受けてその影響をうけたらしい。

6月1日。
ボストンのメディカル・スクールに助教授として初出勤。正教授のビル・ボイド(友人)は年棒6,000ドル。

6月25日。
手がけていた『私と共に年を取れ』という名の作品を『宇宙の小石』に変える。

最初はニューヨークを離れるのがイヤだったが、住み始めたボストンも次第に好きになった。一時住んだフィラデルフィアよりは活気があり、自由主義的でアカデミック。

10月25日。
『宇宙の小石』のゲラ刷りを受けとり、念入りに眼を通す。翌年1月19日に出版される予定だ。

11月9日。
翌年のメディカル・スクールでの棒給が決まる。同じ日に、『宇宙の小石』の前渡金450ドルが入ることが決まる。家賃半年分だ、やった。

11月15日。
『暗黒星雲のかなたに』の梗概を書く。5日後に書き初める。


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『トーマス・マン日記』の続き。

1950年9月30日。
悪名高い李がソウルに復帰した際に「マカーサー」が驚くべき演説。

10月15日。
昨日まで暑かったが、気温が正常になる。ひげを剃る。最後から2つ目の30章を書く。午後、とても疲れていたのに休息しなかった。

10月17日。
クラウス・プリングスハイムは日本でいい職が見つかりそうだ。

10月21日。
エーリカの胃は心因性だろう。

10月26日。
『選ばれし人』の最後の数行を書いた。
映画『サンセット大通り』を観た。見事な撮影と演技。
脱稿のお祝いをする。

10月27日。
散髪。午後、長時間眠る。

『選ばれし人』のタイトル・ページ、後記、索引を作成。

11月2日。
トルーマンに対する殺害未遂事件。
バーナード・ショウ死去。94歳。

11月4日。
BBCのためのバーナード・ショウについての30分間の講演をすることになった。4週間猶予がある。

良いページ見つけた。トーマス・マンの『ファウストゥス博士』を含む英訳本あり。


https://www.fadedpage.com/csearch.php?author=Mann,%20Thomas

2020年11月1日日曜日

『情報環世界』、インターネットの世界にうまく閉じこもろう

新しい本。『情報環世界』(NTT出版)を読んだ。

18頁。
フィルターバブル問題。身体がそこに閉じこもる。チョウもハチも。人間も、だが人間は別のフィルターバブルに移動が可能。e.g. 天文学
バブルの中の身体。
西島さんの見えないメモ。(22頁。)地図すらかく。
毎日が「はとバスツァー」。
知覚と作用の機能環。ユクスキュル。
作業道具と知覚補助道具。
フィルターバブルは防護壁。

91頁。
ドミニク・チェンさん、情報環世界を〈うつす〉=写す、移す、映す。
考えていることや感じていることを情報として外部化する。
複雑なことを単純化して受け止める。e.g. 二項化。
生物学的アーキテクチャの問題がある。主観を客観化する(数値化など)のでなく、主観のままの情報を共有化できぬか。
言語的相対論「サピア=ウォーフ仮説」。言語の多様性は言語を通して世界を見る方法の多様性だ。ラカンも。日本語とフランス語では異なる環世界が立ち上がる。旅は文化的環世界を「移す」こと。
意訳の良さ。
クリエイティブ・コモンズ運動。権利のある状態とない状態の中間。共有。リミックス。翻案。
オートポイエイシス。ヴァレラ。「縁起」。同時生起。
フィルターバブル。今のアメリカ。
デジタル・ウェルビーイング。
共話。協動して会話をすすめる。synlogue
共話は、論理的建設でなくてグルーミングに近い。日本語の共話性。モシ族の共話。

152頁。
意識の辞書。「単語のベクトル化」周辺文脈を元にベクトルを獲得する。
辞書は人それぞれにちがった言葉の流れを生む。人の辞書で日記を書いてみると…
浦川通(とおる)さん

***

自分なりの感想。

ワンフロアであまり大きくない書店や図書館の棚を頻繁に見てあるけ。ときどきは目についた本を聞いてみながら。するとそれらの棚の本たちが自分の情報環境となる。

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ナチス・ドイツ下のホテルの従業員になっていて、アメリカ風のユニフォームを着ていて怒られる夢を今朝みた。

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午後から、三軒茶屋へ。ベビーベッドを組み立てた。かなりしっかりして大きいタイプだったので、三時間かかり、疲れた。組み立てながらテレビをみていたが大阪都構想の可否を決める投票の開票が行われ、僅差であぶなかったがなんとか否決された。

2020年10月31日土曜日

『トーマス・マン日記』と『アシモフ自伝』を読み比べると面白いだろう

『アシモフ自伝 1下』をもう一度読み返すことにする。1950年前後のアメリカ内部のことが少しわかるだろう。兵役をおえたところから始めよう。

1946年9月23日。
兵役を予定の3分の1の8ヶ月でなんとか終わらせ、コロンビア大学に戻る、またはもぐりこむ。研究をすることができそう。

有機化学はポーリングの共鳴理論を取り込んで様変りしていたので、勉強し直す必要がある。

ところで、アシモフの著作一覧はこれでいいのかな。http://www.asimovonline.com/oldsite/asimov_big_list.html

たとえば、朝日新聞金曜夕刊の「ガリバー旅行記」を読むたびに、Internet Archiveで参照している本はこれ。

222  H  The Annotated "Gulliver's Travels"                   Clarkson N. Potter        1980        298  PR3724.G7       823.5   0-517-53949-7  80-15032 

***

『トーマス・マン日記』の続き。

1950年9月14日。
フィッシャー書店のベルマンから手紙。マンの政治的態度によりドイツで著書が売行き不振であると。

9月15日。
来春にスイスへ引っ越すことについてKと話し合う。アメリカにはうんざりしてきた。

チューリヒから送った旅行カバンにフランツの手紙が入っているのを見つける。ヴィリラム・ティンペ(『魔の山』のヒッぺのモデル)のちびた鉛筆のように大切。

この日記帳はいずれ焼却処分にすることを考えている。

9月16日。
チェコの出版社から4,000ドルの支払。「向こう側から」だ。

9月18日。
パリから『ファウストゥス』の印税1,000ドル。

9月19日。

エーリカの異常なほどの喫煙と拒食が心配。

9月20日。
『選ばれし人』の第28章の執筆をどうにか完了。

9月26日。
アメリカを去りたいという願望がしだいに高じてくるが、まず長篇を仕上げるのが先決だ。

9月27日。
昨晩日本論を聴かせてくれたクラウス・プリングスハイムと朝食。イギリスは統一自由朝鮮を強硬に主張。