2020年10月31日土曜日

『トーマス・マン日記』と『アシモフ自伝』を読み比べると面白いだろう

『アシモフ自伝 1下』をもう一度読み返すことにする。1950年前後のアメリカ内部のことが少しわかるだろう。兵役をおえたところから始めよう。

1946年9月23日。
兵役を予定の3分の1の8ヶ月でなんとか終わらせ、コロンビア大学に戻る、またはもぐりこむ。研究をすることができそう。

有機化学はポーリングの共鳴理論を取り込んで様変りしていたので、勉強し直す必要がある。

ところで、アシモフの著作一覧はこれでいいのかな。http://www.asimovonline.com/oldsite/asimov_big_list.html

たとえば、朝日新聞金曜夕刊の「ガリバー旅行記」を読むたびに、Internet Archiveで参照している本はこれ。

222  H  The Annotated "Gulliver's Travels"                   Clarkson N. Potter        1980        298  PR3724.G7       823.5   0-517-53949-7  80-15032 

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『トーマス・マン日記』の続き。

1950年9月14日。
フィッシャー書店のベルマンから手紙。マンの政治的態度によりドイツで著書が売行き不振であると。

9月15日。
来春にスイスへ引っ越すことについてKと話し合う。アメリカにはうんざりしてきた。

チューリヒから送った旅行カバンにフランツの手紙が入っているのを見つける。ヴィリラム・ティンペ(『魔の山』のヒッぺのモデル)のちびた鉛筆のように大切。

この日記帳はいずれ焼却処分にすることを考えている。

9月16日。
チェコの出版社から4,000ドルの支払。「向こう側から」だ。

9月18日。
パリから『ファウストゥス』の印税1,000ドル。

9月19日。

エーリカの異常なほどの喫煙と拒食が心配。

9月20日。
『選ばれし人』の第28章の執筆をどうにか完了。

9月26日。
アメリカを去りたいという願望がしだいに高じてくるが、まず長篇を仕上げるのが先決だ。

9月27日。
昨晩日本論を聴かせてくれたクラウス・プリングスハイムと朝食。イギリスは統一自由朝鮮を強硬に主張。

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