2020年6月30日火曜日

『三体 II 黒暗森林』(早川書房)をいよいよ読み始めたが付録の「登場人物表」はすごく便利

『三体 II 黒暗森林 上』(早川書房)を読み始める。さすがに面白い。一気に100頁まで読む。



以下、ほとんどネタバレはありません。

前作より登場人物が多く、複数のストーリーが並行に進むので、混乱しそうになった。登場人物表が別紙でついているので、これをチェックしながら読み進める。人物の初登場頁も書き添える。Kindle版も買うと検索もできて便利だろうなと思いながら……

最初のシーンに蟻が登場するが、これは何を意味しているのか。無力な人類を象徴しているのか。

「量子もつれネットワーク』とか、「宇宙社会学」の公理とか、面白い小道具も満載。アシモフやクラークを彷彿させるところもある。

下巻も含め4日間くらいで読み終えそうだ。

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息子がBD(とDVD)環境を持って行ってしまったので、BDややDVDはお古のPS3を使って観ていた。それも、TVが壊れて以来半年ほど使えなかったが、今回のTV購入を機会に、また環境を復活した。HDMIケーブルを専用にすべく新調。レイアウトが変わったのでPS3を縦置きにしたらディスクを読み取らず故障かとあせった。ビデオテープレコーダーをどかすことで、場所を都合して、横置きにして事なきを得る。これを機会に古いオードリー・ヘップバーン様のDVDを全部見直すつもりだ。

2020年6月29日月曜日

『プロット・アゲンスト・アメリカ』ビデオの第一話を観る



『プロット・アゲンスト・アメリカ(字幕版)』がamazon prime videoに降りてきた。まだ第三話までだ。第一話は無料なので(*^^*)、観てみた。

原作(翻訳だが)は昨年読んで、面白かった。原作の、そして時代の雰囲気をうまく映像化していると思う。主人公(フィリップ・ロスの分身)のおばさんと兄が全体主義側に、そして父親やいとこがユダヤ系市民であるがゆえに差別されていく筋書きだったことを、観ながら思い出した。

思い出したところで、第一話は終わった、その先を観るかどうか微妙なところ。とりあえず、しばらく様子を見て、無料化されたら(amazonプライム料金は払っているわけだがその範囲で)、観ることにする。原作を読み返すほうがいいのかもしれない。

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ウルフの『ある作家の日記』(みすず書房)を今日も拾い読み。やはりこの本は自分のものとして欲しいが。とりあえずは、借用再々延長を図書館に申し込む。

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夕方、コロナ自粛後はじめての理事会。出席者の都合で平日18時からの会合となった。細かい問題は多いが、難しいことは起きていないので理事長としては助かる。来週、自主管理公園の管理上の問題を相談するため、何人かで市役所に助言を求めに行くことにした。スーパーに行く以外では久しぶりの外出になる。

2020年6月28日日曜日

The Complete Works of Virginia Woolf(Kindle版)を買いました

『心の青あざ』を読み終えた。
ご本人が、(75頁)、「ハッピー・エンドで終る偉大な小説はありません。」と書いている通り、余韻を残す終わり方だ。もっとも、大抵の小説はそうであると思う。『モンテ・クリスト伯』もほぼハッピーエンドなのだが、ダンテスとエデの船出のその先はよくわからない。

128頁。やっと本来の小説の主人公(の一人)、エレオノールの内面が書かれる。
夢想家である彼女は想像力に欠けていた。このことがちょうど、彼女の本に対する愛情と恋人に対する冷淡さを説明している。彼女は犬よりも猫に好かれていた。猫は自分らのもつ無限のもの、消滅した温かさ、燃えると同時に鈍い生命力を彼女の中に見つけたのだった。

132頁。
エレオノールは俗物である恋人から一時避難し、恋人が追ってくると、自宅のベッドでのんびりと『ピクウィック・ペーパーズ』を読んでいるところを見せつける。

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今日の、収穫。

その一。
『The Complete Works of Virginia Woolf (Illustrated, Inline Footnotes) (Classics Book 3) (English Edition) Kindle版』を実質150円で入手できた。完全版の日記を捜していたのだが、もっといい。Kindle版なので、本文検索もできる。



その二。
『プロット・アゲンスト・アメリカ(字幕版)』がamazon prime videoに降りてきた。まだ第一話のみだが、無料。第二話以降は今の所有料(T_T)

これから、観る。



2020年6月27日土曜日

サガン『心の青あざ』を本人は「エッセー的小説」という、読んでいると量子力学が勉強したくなる(^^)



『心の青あざ』を読み続ける。サガンの筆は、天馬空を行くがごとくだが、ときどきは鬱っぽくなる。123頁にこれは「エッセー的小説」なのだと自身で書いている。1971年に書いたので、「五月革命」の挫折がもたらす鬱もあるだろう。本人は否定しているが……
Judith Gravesのサガン評伝によると、Autobiographical Textsの仲間になっているが。


ともかく……

79頁。
この世の中で最も多く共感をよぶのは常識ではない、感情なのだ。

91頁。
黒い木立のうしろに二月の赤い太陽が沈んだ。ノルマンディの自分の家の窓から、不幸な女流三文文士は一日が暮れるのを眺めていた。四十八時間彼女は一語も書けないでいた。……彼女は十八歳の時、きれいなフランス語作文を書き、それが出版され。彼女を有名にした。

112頁。
私は自分の人生が、長い古典のフランス語作文であってほしかった。常時プルーストの引用、バカンスにはシャトーブリアン、十八歳の時にランボー、二十五歳の時にスコット・フィツジェラルドを。

121頁。
ダショ――そのブルドーザーとその死体の山。

125頁。
モデスティ・ブレイズの《クローズ・コンバ》

この作品の魅力、私だけかも知れない、は当時の映画に関する言及が多いこと。「モデスティ・ブレイズ」は人気漫画で映画化(『唇からナイフ』)された女ルパンのような主人公。サガンも映画ファンだったのだろう。同時代の映画ファンとして親しみを感じるのだ。

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なんとなく、新しい量子力学を勉強したくなったので、インターネットでテキストを捜した。この二つが良さそう。

http://www2.yukawa.kyoto-u.ac.jp/~yuichiro.sekiguchi/lecture_QM.pdf
http://kurasawa.c.ooco.jp/qm_a.pdf


ドライブをかけるために、YouTubeも援用したい。

https://youtu.be/wkaLqFOCGjk?t=35


2020年6月26日金曜日

作家自身のことを直接、小説中に書き込むのは、大作家でないとできない



『心の青あざ』(新潮文庫)を読み始めた。小説自体は戯曲『スウェーデンの城』の続編なのだが、途中に多く書き込まれている著者サガン自身の日記的な独白がオモシロイ。

10頁。
私は詩だけが好きだった、自分では絶対につくれなかったけれど……。

18頁。
怠惰は仕事と同じくらい激しい麻薬なのだ。非常な働き者に突然仕事をやめさせると、衰弱し、意気消沈し、痩せ、等々、となるそうだ。だが、怠け者、ほんとの怠け者も、数週間の仕事のあとで、やはり《不足》状態におちいる。

19頁。
陽気さにご用心。苦しい書き出しのあとで、二、三章書くと作家を捕えるこの優しい幸福感に用心する。《おや、おや、機械(メカニック)が再び動き出したぞ!》などというようなことをつぶやかせることになる。
25頁。
文学生活十八年間でメニューを提供したことは今回が初めてである。真正のメニューである。牡蠣、魚、等々。それからぶどう酒。その上大体の値段まで示してある。 

43頁。
やれやれ!

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このような作家のモノログ入りの書き方は、『空海の風景』をはじめて読んだとき知って、感心した。小説とはどのように書いてもいいのだ自由なのだと思い、あこがれた。

トーマス・マンは小説には直接書き込まないが、自作を語るような文章を作品と一緒に(または直後に)書いている。たとえば『ファウストゥス博士』に関するものは、亡命生活の苦しさを描いており、作品そのものより感動を呼ぶ。『ドン・キホーテと海を渡る』を書きながらヴォランダム号で初めて米国に行くが、船酔いで大変だったようだ。常人には無理だが、体調が悪くても、読んで(『ドン・キホーテ』を)、書くことはやめない。それで肉体と精神を鼓舞していたのだが、体には負担がかかっていた。亡命生活中の種々の病気の遠因のひとつとなっただろう。彼の日記を読むと体調の悪さを具体的につぶさに書いてあるが、それを分析して作品の執筆状況と比べると、気の毒ではあるが、面白いだろう。翻訳版の日記残り5冊をぜひ手に入れたい。

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【無料生放送】「月刊ALL REVIEWS」フィクション部門第18回|ゲスト:徳永京子さんを視聴。取り上げられた戯曲はぶっ飛びすぎていて、ちょっとついていけなかった。戯曲作家の窮状は問題だなと思った。アーカイブは友の会会員のみ視聴できる。

2020年6月25日木曜日

ランボーの詩がやっと一つ心に響いてきた



『愛と同じくらい孤独』(サガン 朝吹由紀子訳 新潮文庫)を読み直す。

63頁。
小説を書き始めるときはまず一挙におもうままに書きます。プランは絶対に作りません。とにかく即興的に書いて、まるで物語の糸をあやつって好きなように動かしている感じが何よりも好きです。文章はそのあとで練るのです。文章にバランスを持たせたり、副詞を減らしたり、リズムを整えます。

64頁。
題名は重要だと思います。本に服を着せるようなものです。

75頁。
ハッピー・エンドで終る偉大な小説はありません。

74頁には、詩はいくつか書いたがあまりよくない。と書いてある。ランボーを若い時読んだのなら、それ以上のものを目指そうとし、無理と気づいたのだろう。そして彼女は自分は詩でなく小説で世界を見つめようとする。

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ランボーの詩を青空文庫などを主として、いくつか読んでみた。なかなかピンと来ない。Project Gutenbergで詩集を読むというより、眺めたりした。インターネットでもっと探っていると、虫の世界でお世話になっている(と勝手にこちらで思っている)奥本大三郎先生が、ファーブルだけではなく、ランボーも研究されているのを知った。

こんな論文がすぐ見つかった。
https://ynu.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=1145&item_no=1&page_id=59&block_id=74


そして、奥本先生のことを取り上げたブログに、ランボーのある詩(奥本先生の訳)が紹介されており、それは気に入った。老後の自由な境遇とランボーの「見者」の思想が結びつくような気がするからだ。
https://www.1101.com/n/s/gakkou_contents_newlifestyle/2020-05-26.html


もう一度、青空文庫の中原中也訳で読み、国会図書館デジタルで永井荷風訳でも読んで見る。
Project Gutenbergの『ŒUVRES DE ARTHUR RIMBAUD』ではこうなっている。

https://www.gutenberg.org/files/56708/56708-h/56708-h.htm



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注文しておいた、『職業別 パリ風俗』(鹿島茂さん 白水社)と、『心の青あざ』(サガン 朝吹登水子訳 新潮文庫)が一緒に届いた。後者は思ったとおり、自伝的部分がフィクションに混ぜられており、すぐにも読んでみたい。

2020年6月24日水曜日

サガンとランボーの生き方の共通点

二ヶ月ぶりに床屋に行く。心配だったので聞いてみると、売上は3割減なので、持続化補助金はもらえないとのこと。家賃の補助は申請するそうだ。老人ホームでのボランティアができるようになったので、先週行ってきたという。頭が下がる。

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サガンが『私自身のための優しい回想』のなかの「愛読書」で、16歳のとき浜辺で『イリュミナシオン』を読んで衝撃を受けたことが書いてある。
文学と……言葉とつかみ合いをする以外は。彼女(ぶんがく)と一緒に走り、彼女の方へ自分を高めなければならない。

金子光晴や小林秀雄の訳した『ランボー詩集』や『地獄の季節』をひもといてみても、若いサガンの受けた感動はうかがい知ることはできない。当たり前だが。

それでは、と辻邦生さんの『辻邦生作品 全六巻 3』(河出書房新社)をあけて、『献身』を読んで見る。病に倒れたランボーと最後を看取った妹との独白で書かれた緊迫感あふれる短編。これから読み取れるランボーの生への強烈な意欲。克己心。凶暴なまでの自己実現は、サガンの生き方にかなり影響を与えたと思える。大金を手に入れるが、結局失敗して借金を抱えて死ぬところも似通っている。「生きる」ためには才能も金も使い切る必要があった。


2020年6月23日火曜日

読書という意味からは実り多い一日



『サガンという生き方』(新人物文庫 Kindle版)を、Unlimitedで入手して読んでみた。120頁の本なので、明け方に2時間ほどで読めた。なかなか面白かった。ただし、そこで気づいたのは、自分はサガンの著書をほとんど読んでいないということだ。
『悲しみよこんにちは』 、『ある微笑』、『一年ののち』、『ブラームスはお好き』までは翻訳ではあるがマジメに読んだ。その後の小説は読んでいない。どうも学生時代に新潮社の世界文学全集(黄色い箱の)で、読んだだけらしい。割と最近になって、『私自身のための優しい回想』などを読んだが、それ以外は読んだ記憶がない。

これではいけないと、とりあえず『心の青あざ』(新潮文庫)を注文した。図書館で評伝、『サガン 疾走する生』を借りる手配もした。若くして有名になってしまったサガンが、その後の作家人生をどう生きたのかにも興味がある。もちろん、その前に昔熱中した作家のその後の作品を読んでみたいというのが主なる目的だ。彼女の日記的なものがないのか捜してみたい。

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(極限状態での)読書会というテーマを考えていて、日本の昔の状況がもっと知りたくなる。そもそも読書会ってあったのかという素朴過ぎる疑問を持って、調べていたら、「会読」という日本風の読書会があるらしいことに気づいた。福沢諭吉たちが洪庵塾でやっていたのは、厳しい形での会読ということになるらしい。『江戸の読書会 会読の思想史』(平凡社選書)というのを借りてみることにした。


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昼過ぎにしばらくぶりで青葉台に行き、『三体 2 上下』を買ってきた。


2020年6月22日月曜日

メルヴィルとサガンどちらも飛んでいる



『書記バートルビー/漂流船』 (光文社古典新訳文庫) をKindle版そしてUnlimited扱いで入手し、『書記バートルビー』を読む。短いのですぐ読める。味わいはポール・オースターを連想させる。メルヴィルの面白さにあらためて脱帽する。するとかなり前に読んだ『白鯨』を読み返したくなったが、文庫本だし、どこに紛れ込んでいるか、すぐには思い出せないのでとりあえずやめておく。『書記バートルビー』は昨日読んだ『刑務所の読書クラブ』(原書房)のなかで、読書会の題材となりメンバーであるオジサマたちには不評だったもの。不条理な物語はお気に召さなかったのだろう。頷けるところもある。

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昨日はサガンの誕生日だった。1935年生まれ。自分よりは14歳年長。年長の姉より1歳だけ年上。もっと言うと辻邦生より10歳若い。少し背伸びすれば同時代の人と言ってもよかろう。スター性はあるのだが、翻訳を通じてながらものの考え方や文章の語り口をみると、親しみを覚える。わかる。『私自身のための優しい回想』(新潮文庫)を出してみた。「愛読書」が紹介されていて、『地上の糧』、『反抗的人間』、『イリュミナシオン』がまずあげられ、プルーストの『消え去ったアルベルチーヌ』もあげられている。『失われた時を求めて』は『アルベルチーヌ』から読むのが良いとのこと。
子供の頃に田舎での夏休みに本を読むくだりがあり、その様子には自分も同感する。よい本と出会ったときは、その読書環境が記憶に残り、本の内容と読書環境の記憶は切り離せないのだと。
サルトルも、誕生日は6月21日。サルトル最晩年にサガンが何度も夕食に付き合い、目の見えないサルトルの介助をしていた話には驚くと同時に涙を禁じえない。

2020年6月21日日曜日

吉田松陰も野山獄で読書会というより勉強会をやった

昨日の続きを考えている。

『刑務所の読書クラブ』のエピローグを読むと、かなり考えさせられることが書いてある。刑務所内の読書会では積極的に参加したくさんの本を読んでいた受刑者が、釈放されるとさっぱり本を読まず、スマホでインターネットに夢中になるのだ。単純に考えると、他にやることのない刑務所内でのほうが集中して本を読めた、ということだが……

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日本ではどうなのか。少し古いが、吉田松陰の「野山獄」での様子も、国会図書館デジタルコレクションで少し読んでみた。
吉田松陰言行録』や『講孟余話. 上』。







松蔭は他の受刑者に『孟子』をわかりやすく講義、説明には天下国家のことを使ったとあるが、刑吏がよく許したものだ。制止するどころか自分たちも感心して聞いていたという。他の受刑者も得意なこと、習字や作句を教えた。松蔭もこれらには熱中していたという。深くはまだわからないが、おおらかなものだ。
松蔭は『花燃ゆ』を観たときもそう思ったが、根っからの教育者だったのだろう。野山獄のことはその小さな表れにすぎない。思想家松蔭については『吉田松陰: 「日本」を発見した思想家』(筑摩書房)を読んでみたい。ARでの書評は、
https://allreviews.jp/review/1859