2020年6月26日金曜日

作家自身のことを直接、小説中に書き込むのは、大作家でないとできない



『心の青あざ』(新潮文庫)を読み始めた。小説自体は戯曲『スウェーデンの城』の続編なのだが、途中に多く書き込まれている著者サガン自身の日記的な独白がオモシロイ。

10頁。
私は詩だけが好きだった、自分では絶対につくれなかったけれど……。

18頁。
怠惰は仕事と同じくらい激しい麻薬なのだ。非常な働き者に突然仕事をやめさせると、衰弱し、意気消沈し、痩せ、等々、となるそうだ。だが、怠け者、ほんとの怠け者も、数週間の仕事のあとで、やはり《不足》状態におちいる。

19頁。
陽気さにご用心。苦しい書き出しのあとで、二、三章書くと作家を捕えるこの優しい幸福感に用心する。《おや、おや、機械(メカニック)が再び動き出したぞ!》などというようなことをつぶやかせることになる。
25頁。
文学生活十八年間でメニューを提供したことは今回が初めてである。真正のメニューである。牡蠣、魚、等々。それからぶどう酒。その上大体の値段まで示してある。 

43頁。
やれやれ!

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このような作家のモノログ入りの書き方は、『空海の風景』をはじめて読んだとき知って、感心した。小説とはどのように書いてもいいのだ自由なのだと思い、あこがれた。

トーマス・マンは小説には直接書き込まないが、自作を語るような文章を作品と一緒に(または直後に)書いている。たとえば『ファウストゥス博士』に関するものは、亡命生活の苦しさを描いており、作品そのものより感動を呼ぶ。『ドン・キホーテと海を渡る』を書きながらヴォランダム号で初めて米国に行くが、船酔いで大変だったようだ。常人には無理だが、体調が悪くても、読んで(『ドン・キホーテ』を)、書くことはやめない。それで肉体と精神を鼓舞していたのだが、体には負担がかかっていた。亡命生活中の種々の病気の遠因のひとつとなっただろう。彼の日記を読むと体調の悪さを具体的につぶさに書いてあるが、それを分析して作品の執筆状況と比べると、気の毒ではあるが、面白いだろう。翻訳版の日記残り5冊をぜひ手に入れたい。

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【無料生放送】「月刊ALL REVIEWS」フィクション部門第18回|ゲスト:徳永京子さんを視聴。取り上げられた戯曲はぶっ飛びすぎていて、ちょっとついていけなかった。戯曲作家の窮状は問題だなと思った。アーカイブは友の会会員のみ視聴できる。

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