2020年11月30日月曜日

iOSでの手書き入力派には良いタッチペンが必須

『トーマス・マン日記』をなおも読む。

1952年7月1日、チューリヒ、ボル・オ・ラク
(承前)ゴーロ達と、エーリカについて、私たちの将来計画についていろいろと話し合う。テシーンかそれともチューリヒ近郊にするか?

7月3日、チューリヒ。
宿は見つからない、なにしろ、(体調のせいで)トイレット付きの部屋に固執せざるを得ないからだ。

7月4日、金曜日。。
カトヤが山間保養地各所と電話。いずれも断られる。結局、ホテル・レギーナ・ヴァルトラントに火曜日を予約する。

7月5日。
車でノイマン邸へ。

7月6日。
落ちつかぬ夜。じくじくする耳。アルコール洗浄。セコナールのあとイプラール。それから数時間快眠。

カフカの『ミレナヘの手紙』を読む。(捨て鉢な恋文)

7月8日、火曜日。
車でエーリカの保養所へ、エーリカとともにカンダーシュテークヘ。

(#ここでタッチペン破損、買い直さないと!、とりあえず中指で。)

7月9日、カンダーシュテーク。
上等の浴室付きの簡素な部屋。(#これは皮肉らしい)

7月11日、カンダーシュテーク。
きのうは病気の一日。腸カタル。ホテルの部屋が小さすぎる。

7月13日。
シカゴの党大会、アイゼンハウアーを指名。これで悪質なカリフォルニア出身の副大統領(ニクソン)が誕生することになろう。

7月15日。

パシフィク・パリセーズの甥から純真な手紙。レコード・コレクションを整理してくれた。

7月16日、ホテル・ヴィクトーリア。
きのうこのホテルに移った。オーストリア的。部屋を読み書きできるようにどうにか整える。

7月19日。
このところ午前中短編小説に少し苦労して取り組む。

7月20日。
Kとエーリカに短編小説の書き上げた30枚以上をほとんどすべて朗読した。エーリカは誉めたが、生理学的なものは抑えるよう助言。高地では朗読は大変。

7月21日。
原稿に手を入れる。

エーリカは病気。

7月22日。
あまり食欲がない。

書き進める。

エーリカ回復。

7月24日。
Kの69歳の誕生日。人生の来し方について語り合った。

数行しか書き進まなかった。難しい地点。

8月1日、ルガーノ、ヴィラ・カスタニョーラ。
1933年以来のこの記録(日記)はそう必要でなかったという感じ。

きのうミンクスでエーリカと、ルツェルンヘ走行。我々のみ列車でこちらへ5時到着。3階の窮屈なバス付きの小綺麗な二人部屋。朝食後少し原稿と取り組む。10時にバルベンゴの家の持主の車で家を見に行く。

8月2日、ルガーノ。
Kがアニョの物件は問題にならないとの結論を得て戻る。バルベンゴの可能性。しかしまだチューリヒ近辺を見て回る必要がある。

8月4日、チューリヒ、ヴァルトハウス・ドルダー。
放送局で、『社会の中の芸術家』の収録。400フランの中間報酬。

8月8日、ミュンヒェン、フィーア・ヤーレスツァイテン。
きのうヴァルトハウスを出発、長い走行。ミュンヒェンに入る。食堂の移築の他はホテルは変わらぬ姿。朝食後、講演に目を通す。南ドイツ放送の出迎えを受け、局で集中して講演を朗読。

8月9日。
ザルツブルグへ。

8月10日、ザルツブルグ、マリーア・テレージア=シュレーセル。
きのうここに4時に到着。さしあたり浴室なし。モーツァルトの夕べに、ビービが登場。

***


『精選女性随筆集5 武田百合子』で「富士日記」の抜粋を読む。川上弘美さんが「まえがき」(?)で書いているように、文章も内容もいい。楽しい部分も哀しい部分もいい。こんな生き生きした日記は初めてだ。抜粋でなく、全文を読んでみたくなった。

***

上記のメモを手書き変換ソフトで書いていたら、ディスクタイプのタッチペンのディスクがとれてしまった。夕方の買物ついでに100円ショップで買い直した。書き心地は良いのだがディスク部分は良くこわれる。



2020年11月29日日曜日

トーマス・マンにせよ、西脇順三郎にせよエライ人はどの分野でも飛び抜けている

『トーマス・マン日記』を読み進む。

77歳の誕生日のお祝い。ローマ賞受賞の知らせなどで忙しく暮らす。が、移住の件が頭にあり、真に楽しむことはできない。もろもろをふりすてて、スイスへ向け旅立つ。その間も「短編」『あざむかれた女』と、『クルル』の執筆は欠かさない、作家魂。

1952年6月11日。
1933年からの日記の包みに、「死後20年、何人も開封すべからず」という上書きを書いた。体調悪い。横行結腸痙攣、胃弱。

6月12日。
若きプリングスハイムがこの家に入ることが確定。すでにこちらに向かっている。きのう日記の包みを封印する。

書き進める。

6月14日。
短編小説を書き進める。(恋人ケン・キートンの導入。)

6月17日。
短編小説を急ぎ書き進める。

6月18日。
晩、封印した日記と他の原稿を銀行保管のためトランクに収める。

6月19日。
書き進める。注文したタクシーでウェストウッドへ散髪に。老ジムに別れを告げる。午後、カーン女史。浄書してもらうため『クルル』第3部第6章を渡す。

夕食後、短編小説『欺かれた女』をケンが登場するところまで朗読。うまくいった。母娘の生理にかかわる対話に対して異論。

6月20日。
この家に住まうことになる甥がニューヨークから到着。

6月21日。
周旋人に連れられて、この家の買い手、あるいは購入希望者が今突然現れたのにびっくりする。ほかならぬ今、有利な売却が迫ってくるとなると、どうしたらよいのか。明け渡しまで4週間の時間しかない。

旅行の準備。書類を集める、『クルル』資料も集める。書類鞄に詰め込む。

6月22日。
短編小説を少し書き進める。

6月23日。
衣服や手提げ鞄に入れるものの整理。興奮。

飛行場への出発はあす早朝。

6月26日木曜日、シカゴ、ショアランド。
火曜日に甥に飛行場へ送ってもらう。5時間の飛行。メーディが迎えにきていた。きのう午前、博物館を再訪。

6月27日、ニューヨーク、セイント・リージス。
きのう正午近くメーディに飛行場へ送ってもらう。飛行時間3時間。ランチ。

ラ・グァーディア飛行場にはベルマンが迎えに来ていた。快適にエアコンの効いたホテル。

エーリカの再入国許可願いが拒否されたとの知らせ。

7月1日、チューリヒ、ボル・オ・ラク。
目的地に到達。

おととい、KLMの係員が迎えに来て新しいニューヨーク空港へ運んでくれる。特別待遇の手荷物処理。丁寧なサーヴィス。速い飛行。座席では休めない。脚がつる。カナダ、アムステルダム経由でチューリヒへ。クローテンに正午ちょうどに到着。ホテルで休息。

8時過ぎ起床。文房具等の買い物。エーリカが、ベルン近郊の施設からランチにやってくる。快方に向かっているらしい。ゴーロもランチに来た。

***

午前中はマンション管理組合理事会。

午後、月刊ALL REVIEWSフィクション回の放映。テーマは「西脇順三郎」。詩人としての西脇も知りたくなり、岩波文庫の『西脇順三郎詩集』を図書館で予約。実は以前、西脇の『評伝』を買ったときに、この文庫も借りたが、よく読まなかった。



2020年11月28日土曜日

赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう)先生がTBSテレビの『世界ふしぎ発見!』に出演


『トーマス・マン日記』を読み進める。

生活習慣(たとえば朝の入浴や、午前中の仕事)は、私が真似している事が多い。

1952年5月1日。
澄んだ天候、でも風邪気味。

5月2日。
アドルノから長文の手紙、『クルル』を完成するよう主張している。

5月3日。
昨夜睡魔と戦いながら『悪霊』を読了。スタヴローギンはレーヴァキューンを思い起こさせる。子宮と月経について抄録。欺かれた女の物語のための形式を見出す試み。そのあとリスボン近郊について抄録。

5月4日。
クックック一家との交際を語り進める気持ちが失せる。

5月10日。
考えていたよりも早く今月の終わりに当地を発って、スイス航空でチューリヒに飛び、先ずはスイスに滞在したいという意図が(当局に?)認められる。

(この日、私は3歳)

5月13日。
『芸術家と社会』講演を何とか録音した。

5月14日。
(『欺かれた女』)物語の冒頭を数行書く。

5月19日。
短編小説を少し書き進める。

5月20日。
ハインリヒとともに過ごした若きローマの日々を思い、この市に再会する日々の状況を思う。短編小説を少し書き進める。

5月21日。
短編小説を少し書き進める。

5月23日。
チェーホフの『死の影』、優れている。

5月24日。
私たちの出発は6月23日に確定。エーリカは今月末。短編小説を苦吟しながら書き進める。

5月25日。
短編小説を少し生き生きと書き進める。

6月1日。
六時ごろエーリカは、ニューヨークへ飛ぶ。

6月4日。
夕食後、旅行に持っていく本の選択。これは前もって送られることになる。

6月5日。
7時半に起床、コーヒーのあと入浴。ここで、いつものように、すでに課題を熟考する。

短編小説を書き進める。

カーン女史に1933年から51年までの日記を銀行に預けるべく荷造りさせる。「文学的価値なし、しかし私の死後20年経たないうちは何人も開封すべからず」と書くことにする。

6月6日。
マンの77歳の誕生日。

***

赤木 曠児郎(あかぎ こうじろう)先生が、夜9時からのTBSテレビの番組『世界ふしぎ発見!』に少し出演された。短いインタビューで、内容は乏しかったけれど、週5日も街角で絵を書くなど、お元気な姿を見ることができて嬉しかった。コロナ禍のパリ、気をつけていただきたいものだ。

2020年11月27日金曜日

コトバそのものがタイム・マシンなのだろう


昨夜、『ゲイルズバーグの春を愛す』(ジャック・フィニイ 福島正美訳 早川FT文庫)の末尾にある「愛の手紙」を読む。80年前の女性と文通するファンタジー。これを読んで寝たら、似通った夢をみた、ような気がする。インフルエンザの予防接種を受けたからかも知れない。

テレビ映画化されたものを見つけた。面白そうだ。

https://youtu.be/ggmiyof04nY

***

今朝も『トーマス・マン日記』の続きを読む。

1952年4月1日。
穏やかな春の天候。第7章を少し書き進める。

4月2日。
数行書き進める。

4月3日。
昨晩遅くまで『悪霊』を読む。第7章にかかるが、進まなかった。疑念と嫌悪による抑制が強すぎる。……

夕食の際、仕事の危機、生涯の最後の年月を実際にこの対象に振り向けるべきかという疑念を論じ合う。この作品を拡大したところで断片として放っておこうか、とつおいつ考える。場合によってはあとはリスボンとアルゼンチンの冒険を書きあげることにするか。(注)によるとこれについては『トーマス・マン研究Ⅴ』に指摘された諸計画と予備作業に参照すべきものがあるという。読みたい!

4月4日。
回想録は、老年の最後の力を[振り向ける]「ファウスト」ではない。終始私は、その完成の見通しの立つ、相応しい対象を願い求めている。中断を決意するほうが、無理やり完成させるよりもおそらく尊敬すべきことであろう。……

非常に疲労。私の危機的な創作状況で頭が重い。[クルル回想録]を諦めれば――私は、諦めなければならないと信じている。――その代わりに何を取り上げるか。

4月5日。
Kは、今年の収入が十分な場合には、とにかくヨーロッパ旅行にでかけ、とくにガスタインの保養を繰り返すべきだと考えている。

4月6日。
Kが、息子の若い家庭教師を愛したある年配のミュンヒェン貴族女性の話をする。(注 これは1953年の『欺かれた女』の物語の骨子となる。)

第3部第5章に必要な変更。

4月7日。
第3部第5章の変更。

4月8日。
もう一度第3部第5章に戻る。それから、第6章を試みに書き進める。

4月9日。
博物館見学のくだり、変更。

4月10日。
第7章の書き直しを進める。

4月11日。
第7章の改訂を進める。

4月12日。
第7章を少し書き進める。……

第5章の愚かな鯨の箇所の出来に納得がいかない。

4月15日。
朝食でメーディと、私たちはこのままアメリカに止まるか、移住するかの問題について。

4月16日。
第6章を書き進める。

4月17日。
第7章を書き進める。……自筆の通信。――カフカの『変身』と『流刑地にて』。後者の印象的な幻想。

4月18日。
ビヴァリ・ヒルズの映画館で、日本の成功作。これにはいささかも感心できなかった。(注 によると『羅生門』のこと。)

4月19日。
第7章を書き進める。

4月22日。
今年はヨーロッパと当地で収入が非常に良好。それでいて奇妙なことに移住に係わる憂慮が小説に係わる憂慮と対応している。

博物館の章を書き進める。

4月23日。
第7章の結末部分を書き進める。

4月24日。
メーディの34歳の誕生日。

第7章の結末部分を滞りながら書き進める。

4月25日。
私の「アメリカとの訣別」について、新聞や通信社からひっきりなしの電話。

博物館の章の終止カデンツァ。

4月26日。
博物館の章の締めくくりと前章のズーズーの肖像の改変。

メーディにクックックの章を朗読。感激の態だった。「私の書いた最も美しいものなのだよ!」この本にとってのこの部分の危険性。これによってこの本はあまりにも高みに祭り上げられてしまう。それにもかかわらず、全てでありたいとする欲求がやはりすでに感じられる。冒頭の部分との関連。

4月27日。
ズーズーの肖像。第3部の第6、第7章は脇に置く。

***

すごいサイト、「オーウェルの日記」をみつけた。正しくは『ジョージ・オーウェル日記』(白水社)の「序」を読んでいて発見。

https://orwelldiaries.wordpress.com/about/

2020年11月26日木曜日

私もトーマス・マンも年寄り特有のヒガミやすさに注意すべきだ

『トーマス・マン日記』の続きを読む。なんとか、今月中に1952年分を読み上げたい。

1952年3月

『クルル』の筆が止まっている。この月の後半になると再開するが、小説そのものに関する疑念が生じ、はかばかしくは進まない様子。心配しても役に立たないが、心配だ。

3月10日。
カフカの『アメリカ』を読了。

3月11日。
キューバで軍事革命。全ドイツとの講和。

晩、音楽を聴く。フランチェスカティは当代随一のヴァイオリニスト。

3月14日。
エーリカはカール(『アメリカ』の主人公)は同性愛を暗示していると言う。私はむしろユダヤ的純潔だと思う。

3月19日。
ここに止まることは、エーリカのことを考えればとうてい考えられないし、私自身、この国には言いようもなく疲れている。……ミュンヒェンの場所に私たちの新居を建てようという考えにいろいろ思いを馳せる。

3月20日。
「スイス」でランチ。

3月22日。
日本との安全保障条約。

夕食後、客の前で『クルル』の朗読。

3月23日。
長篇小説原稿と取り組む、きのう朗読した分に訂正。ウプレの章。

3月24日。
小説原稿と取り組む。第3部第5章のある箇所が気になって仕方なく、書き換えたが、決定とまではいかない。

3月25日。
長篇小説にかかる。最後の章(6章)の変更。ズーズーの新しい肖像。博物館の[描写]のために写真の観察。
(#マンの小説の書き方が知れて面白い。)

3月28日。
ズーズーの肖像の修正に苦心。「クックック」の章の訂正部分を浄書のために手渡す。雑誌「南アメリカ」の動物園関係記事や旅行写真などを見る。

3月29日。
きのう第3部第7章を書き始める。(注 クルルの博物館訪問。)新しい義歯に手こずる。ものを読むのにあまり役立たない目も私には気がかりだ。エーリカが、クックックの章の、巨大な鯨が無視されている誤った箇所に注意をしてくれる。

3月30日。
新しい章を少し書き進める。

3月31日。
きのう、私たちがスイスヘ移ろうと計画しているというニュースが新聞に出ていたことを知る。

第7章をわずか書き進める。この仕事の将来に関して重大な懸念。

***

午後、昼寝のあと、K内科クリニックに行き、インフルエンザのワクチン接種。会社を辞めてからはずっと接種していなかった。そのせいか、終わったのに待合室で15分間待たされた。幸い具合は悪くならなかった。

***

夕方、買い物ついでに図書館で本を4冊借り出した。図書館員さんが全部持てますかと真顔で尋ねた。大丈夫と答えて、買い物もたくさんして、一緒に持ち帰ったが、確かに重かった。本の重さを量ってみたら、2.8キロあった。夕食材料などと合わせたら5キロくらい。孫と同じくらいだ、大丈夫。皆が年寄り扱いをするのは気になる。



2020年11月25日水曜日

米国を離れる寸前のトーマス・マンの気持ちを推し量る鍵はカフカの『アメリカ』かも知れない

昨日から再び使い始めた古いiPhoneで読書メモを取る。しばらく読んでは、要所のメモをとるが、自動画面OFF機能は使わない設定にしておくと良いことを発見。毎回立ち上げ直すというストレスが減る。

***

『トーマス・マン日記』をさらに読み進める。

1952年2月2日。
カリフォルニア州の15人の共産党指導者に対する裁判の始まり。

『クルル』の第3部第6章を書き進める。

2月3日。
夢。それと気づき、快く迎え、一緒に逍遙、非常に幸せというわけでもない。手首を掴み、組んだ腕の記憶が残る。

夜、モントゥ演奏会(ラジオ?)を楽しむ。『魔笛』序曲、『悲愴』のスケルツォ(第3楽章)、『牧神の午後』。(注 『魔の山』の最後の方の章「溢れる妙音」参照)

2月6日。
「小説を書き進める。」

イギリスではジョージ六世が死去。エリザベス二世がアフリカからロンドンヘ帰国の途に。

2月8日。
小説を書き進める。

2月10日。
小説を書き進める。晩、ヴィオラ奏者ウィリアム・プリムローズのチャイコフスキーを聴いて楽しむ。(注 『イタリアのハロルド』の吹き込みを高評価していた。 #私も聴いてみた。)

ポルトガルでは婦人は母娘であっても男性のエスコートなしには喫茶店に入れないとエーリカが文句をつけた小説の場面について話し合い。付き添い人を組み込む必要を認める。直ぐに老学者を考え出す。最終的には違う人物になったが。

2月11日。
庭の入り口に(売り家の)「標識」が取り付けられる。複雑な気分。

2月12日。
直腸の疾患と調子の狂った胃に悩まされる。

小説を少し書き進める。

2月13日。
第6章を書き進める。

2月14日。
朝食の際にベーコン片が食道上部に引っかかって不安になる。

小説を書き進める。

2月16日。
小説を書き進める。

午後、『没後十年の命日にあたりシュテファン・ツヴァイクについて』

2月17日。
『ツヴァイク』書き終わる。小説を書き進める。

2月19日。
小説第3部第5章終わりに向かう。

2月20日。新聞に『クルル』の恋人ズーズーのモデルに相応しい綺麗な写真を発見する。(注 アメリカのマヌカンの写真。文書館に保存されている。)

2月22日。
第3部第6章を書き終え、母と娘の肖像を書き直す。(注 母親の肖像にトーマス・マンは以前の直観資料、アンナ・パブロヴァとアントニア・デ・リーザイス男爵夫人の新聞写真にさらにもう一つの資料、アンナ・マニャーニの肖像を利用した。)

2月23日。
部屋の取り片づけ。

晩、Kとエーリカのために、完成した第6章を朗読。生き生きした表現を楽しむ。マダム・クックックは本物。……まず冒険を先に進めることにならないのは残念。

(#私も非常に残念。ヨーロッパ移住とのトレード・オフとなってしまったのか。)

2月25日。
『芸術家と社会』のための準備。

2月29日。
講演を書き進める。

カフカの『アメリカ』を読む。

(#この年に入ってからトーマス・マンはカフカの『アメリカ』を読み続けている。どんな気持ちで読んでいたのか? 前年の欧州旅行ではカフカの日記を読んでいたと思う。)

***

『絶倫の人』も読む。ウェルズは絶倫を夢見る純真な人とも言える。

***

夕方のAmちゃん。


夕方のHALくん。



2020年11月24日火曜日

「なつ子☆です!」さんのメルマガ『天文雑学』はなんと4200号が出た!前人未到かも。

HALくんの超音波検査の朝。良い結果を祈っている。

***


『トーマス・マン日記』を読み進める。米国居住最後の年がはじまる。マン本人はすっかりその気になっているようだ。

1952年1月1日。
昨夜のパーティーでのマダム・ウプレの章の朗読は気分が良かった。始まったこの年は決定的な変化をもたらすかも知れない。

改稿の章を書き進める。

1月2日。
第5章を書き進める。

1月3日。
ロサンゼルスの新聞によると緊急時に破壊分子を収容するための強制収容所が用意されるという。

第5章を書き進める。

1月8日。
構成上の化け物というべき章に苦労を続ける。

『カフカとの対話』、『ドゥイノーの悲歌』を読む、サーカスの章との平行性。カミュのニーチェ論(「モーナト」誌)。

アイゼンハウアーが大統領になる。ドゴール派政府がみこまれる。「西」ドイツは「人民」軍の編成を決定。

1月10日。
胃のレントゲン検査。

1月14日。
可能な限り、少し書き進める。

1月17日。
とまどいながら、芸術的にはおそらくはまったく許されない第5章の結末直前まで書き進める。

1月18日。
第5章の新稿をKとエーリカのために朗読。壮大という印象。もっとも独創的なのは三度の原生殖の理念。人間主義的な自然科学。汎生愛として全体の背景そして心理学的基盤。

1月20日。
『クルル』資料を検当。

随想集『古きと新しきと』の選択と配列の検討。

1月21日。
検討を続ける。

1月22日。
さしあたり、小説に戻ることにする。

1月24日。
第3部第6章を書き始める。

1月25日。
第6章を1ページ書き進める。

***

数年前から購読している「天文雑学」メルマガは4200号!「なつ子☆です!」さんが毎日出しておられるが、2009年から10年以上続いているわけだ。頭が下がる。

もちろん、天文ファンには有用な記事が毎日満載だが、今日の記事のなかでは、全体説明の部分が参考になる。ブログにも。

ここ👇(「なつ子☆です!」さんのページ、このページも素晴らしい)から、購読登録できる。

http://natsukoplanet.world.coocan.jp/n/index1.html

***

夕方、孫のHALくんの脊髄下部の超音波検査の結果は問題なしと、知らせがあった。良かったとジジババが胸をなでおろす。夕食時、レモンの香りの炭酸水で乾杯!



2020年11月23日月曜日

世界は孫を中心に回っている

『トーマス・マン日記』を読み進める。

そろそろ米国を離れて、慣れ親しんだヨーロッパに戻りたいという思いが強くなってきた。本当はミュンヒェンに戻りたいのだろうが、状況が許しそうもなく、スイスに骨を埋める覚悟が固まりつつある。

1951年11月30日。
濃霧。このアメリカの雰囲気に苦しめられる問題について、他方もはや逃れる余地のない世界の矮小さと等質性によって与えられる苦痛についてKと意見交換。いずれにせよヨーロッパの大気のほうが、そこに憩うに適しているし、大地は肌に合っている。

『クルル』、第5章を書き進める。

12月3日。
出来る限り機嫌良く、生物学的対話を書き進める。

12月6日。
「スイス・シャレ」で食事。料理の出し方が早過ぎ、せわしない。

12月12日。
さらに試みを続けなければならない。身体は私のみるところ衰えかけているが、精神力は七十六歳にしては若い。しかも私はスイスへ行くことを考えている、そこで生活するためではなく、そこで死ぬためだ。

Kとエーリカに朗読。二人の反応によって一応慰められる。…この小説の基本理念は感覚的な超感覚性の中の愛以下のものではない。それと対照をなす非道徳性。

12月14日。
ブルクハルトについて、その創造力は体力より先に消えていったと読んだことで、深く衝撃を受ける。

12月16日。
別の家屋周旋人が来て、この家の建築上の難点を指摘し、70,000ドルにしか評価しなかった。

12月20日。
リンカーン・バーネットの『宇宙とアインシュタイン博士』を読む。『クルル』の最後に書き上げた章を技術的にも思想的にも書き直そうと絶えず心中で試みる。

12月24日。
朝食の際に激しく噎せる。

***

孫が将来遊びに来るのを見越して、部屋の片付けをぼちぼちとしている。一日に出来ることは限られているが、少しずつやっている。本だけでなく、CDもかなりある。CDケースは捨ててしまうという案を考え付き、少しやってみた。両面収納袋に、CDとジャケットの紙の部分を入れておく。CDケースをバラさないと裏面のジャケット紙は出せない。CD一枚を処理するのに数分かかる。数百枚のCDを処理するにはかなり時間がかかるだろう。しかも、こんなCDがあったのか!と聴いてしまうので、なかなか終わらないだろう。孫がいたずらを始める前に部屋を広くしておきたいものだ。


昨日の孫との半日で、かなり疲れた。可愛がりすぎた。一方、体力が落ちたのを感じる。午後はたっぷり昼寝して回復をはかる。




2020年11月22日日曜日

『絶倫の人』の訳者、高儀進さんは8月4日に84歳で亡くなっていた

『トーマスマン日記』の続き。

1951年10月9日。
オスカル・ザイドリーン(1911-1984)のピカレスク論に再度(日記1946-1948 261頁)目を通す。『クルル』を書き進めるつもりならば、私に必要となる視点の数々。(# オスカル・ザイドリーンて誰だっけ?)

10月10日。
ザイドリーンに手紙を出す。ブルーノ・ヴァルターに向かってシカゴの博物館を称賛する。

10月11日。
ホテルのテラスでのフェーリクスとヴェノスタの対話を少し書き進める。(第3部 第4章)

10月15日。
9時半から1時まで第4章を書き進める。

10月17日。
このところ毎日、7時半起床。1時まで第4章を書き進める。

10月19日。
スエズ運河をめぐるエジプト=イギリス間の戦争。第4章を書き進める。思いつきが生き生きと飛来する。

10月24日。
2人のFBIの紳士による1時間半にわたるエーリカ尋問。

10月31日。
第4章を書き進め、いまや終わりに近付く。

『クルル』、『掟』、『マリオ』、『すげかえられた首』の日本語版。それぞれ、1951年、1948年、1951年、1946年。

11月2日。
第3部の第3章と第4章を包括する部分を、かなり不満を残したまま書き終える。

(この間、ビービが問題を起こし、ヨーロッパへ去る。)

11月8日。
スペイン語とポルトガル語の辞書を注文。資料を読み、試みに書き進める。パウル・カメラーの『一般生物学』をまた引っ張りだし、一日中貪り読む。

(注)によれば、クックック談話の準備。

11月9日。
1時頃まで生物学的モティーフに焦点をあてて書き物机に座りつづける。

11月13日。
あてずっぽうに第3部第5章(リスボン行きの列車の食堂車でのクックック教授とクルルの対話)を書きはじめる。

11月30日。
クックックとの対話が先行の対話同様、食卓で行われるという失策。

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昨夜の夕刊、朝日の「惜別」欄で、『絶倫の人』の訳者、高儀進さんが8月4日に84歳で亡くなったと書いてある。最後のお仕事はウェルズの『ポリー氏の人生』の訳。白水社。当然読みたくなった。

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午後は、三茶にでかけて、孫と遊び、夕食の支度をしてやって、戻ってきた。



顔を見て笑ってくれ、抱いて少し歩き回ると眠ってしまう。別れるときは泣き出す。こんな可愛い存在が世の中にあるとは…



2020年11月21日土曜日

デイヴィッド・ロッジの『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』(白水社)はとても面白い伝記小説

『トーマス・マン日記』をなおも読み進める。

1951年9月29日、チューリヒ。
出発の日。

10月1日、ニューヨーク、セイント・リージス。
9月29日チューリヒからスイス航空機で出発。座席は大きな機体の後部。見事な客扱いのスチュワーデスは有名なヨーデル歌手。ジュネーブを経由。晩にアイルランドのシャノン。ビールとコーヒー付きの上等なディナー。ニューファウンドランドまで8時間。ガンダー(カナダ)で朝食9時。機内で二度目の朝食後、ニューヨーク着。

10月2日、シカゴ、ショアランド。
昨日4時半旅立ってグラン・セントラル駅からヴァンダービルト提督号に乗る、特別室。

晩、カフカ(全集)の旅行記録を読む。

10月4日。
小説原稿と取り組む。ヴェノスタの章を書き進める。シカゴの自然史博物館を熱心に見学。

10月6日、列車シティ・オヴ・ロサンゼルス号。
昨日、もう一度自然史博物館へ。夕方シカゴ駅へ。朝、7時起床。ニューヨーカー紙に『罪人』の書評。面白くない。

10月7日、車中。
7時前に起床。カリフォルニア、青い空。9時到着。ゴーロが車で迎える。

やっと自分のソファに戻れた。一番の旅の思い出は、チューリヒのシャウシュピールハウスにおける朗読の夕べ。

10月8日、パシフィック・パリセーズ。
『ヨゼフ』を映画にという話が持ってこられた。

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昨日、図書館で借りてきた『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』は、コミックのようで面白い。読み始めたら止まらなくなりそうなので、そっとしておく。ただし、うっかりと、ウェルズのことをまた調べ始めた。Youtubeでインタビューを聞いてみる、奇声だ。コンプレックスがあったと思う。彼に関しては著作をのみ読むべきか。でもWikipediaを読むと、著作が多すぎる。私が読んだのはわずかだ。『Experiment in Autobiography』をダウンロードしてみた。Macの「ブック」アプリへ。

『絶倫の人 小説H・G・ウェルズ』の著者、ロッジも面白い本を出している。最近だと『小説の技巧』。ご本人のことを書いた『Quite a Good Time to Be Born: A Memoir: 1935-1975』の方が面白そうだ。

午後、『絶倫の人』を読み始めた。二段組だがあっという間に60ページ。月刊ARの視聴がなければ100ページは行っただろう。

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私の日記。続きのノートを探し出した。だんだん読む本がふつーの給与生活者風になってきた。

1976年8月28日(土)
『シャガール展』 竹橋、東京国立近代美術館
『翔ぶが如く 5』 司馬遼太郎 文藝春秋社 980円
『毎日が日曜日』 城山三郎 新潮社 850円 第九書房

8月29日(日)
『総会屋錦城』 城山三郎 新潮社
『ある倒産』 城山三郎 新潮社
『当社別状なし』 城山三郎 徳間書店

9月2日(木)
『不毛地帯』 山本薩夫 新宿ビレッジ1 1200円

9月3日(金)
『真昼のワンマン・オフィス』 城山三郎 新潮社 750円 第九書房

9月7日(火)
『1974年弾劾の夏』 ジミー・ブレズリン 新潮社 1300円
『小説日本銀行』 城山三郎 角川書店 460円
『月と太陽諸国の滑稽譚』 シラノ・ド・ベルジュラック 講談社 340円 第九書房

9月9日(木)
『宝島 10月号』 JICC出版局 480円
『(企業の権力)パワー』 マイケル・コーダ 徳間書店 980円 第九書房

9月10日(金)
毛沢東主席、昨日死去。

9月11日(土)
『棟方志功展』 日本橋東急デパート 400円
『COBOLによるモジュラー・プログラミング』 アームストロング 産学社 3200円
『秋の朝 光のなかで』 辻邦生 筑摩書房 750円 丸善

9月12日(日)
『コンピュータ白書 1975』 日本情報開発協会編 コンピュータエージ社 3800円
『ドキュメント昭和史 6 占領時代』 平凡社 1000円
『ウォーターゲートの遺産』 みすず書房 1400円 吉祥寺東急紀伊国屋書店

9月15日(水)
『JISハンドブック 情報処理』 日本規格協会 3400円 吉祥寺東急紀伊国屋書店

9月19日(日)
『タクシー・ドライバー』 マーティン・スコセッシ 渋谷東急 1200円
『1979年の大破局』 ポール・アードマン ごま書房 850円 吉祥寺東急紀伊国屋書店

9月21日(火)
『bit 10月号』 530円
『スーパー・ウェポン』 ジェームス・キャナン ダイヤモンド・タイム社 1700円 吉祥寺東急紀伊国屋書店

9月28日(火)
『翔ぶが如く 6』 司馬遼太郎 文藝春秋社 980円
『石油業界』 岡本隆三 教育社 600円
『情報経済学』 増田米二 産業能率短大出版部 2800円
『60年代日本SF ベスト集成』 筒井康隆編 徳間書店 700円 虎ノ門書房田町店