2020年11月27日金曜日

コトバそのものがタイム・マシンなのだろう


昨夜、『ゲイルズバーグの春を愛す』(ジャック・フィニイ 福島正美訳 早川FT文庫)の末尾にある「愛の手紙」を読む。80年前の女性と文通するファンタジー。これを読んで寝たら、似通った夢をみた、ような気がする。インフルエンザの予防接種を受けたからかも知れない。

テレビ映画化されたものを見つけた。面白そうだ。

https://youtu.be/ggmiyof04nY

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今朝も『トーマス・マン日記』の続きを読む。

1952年4月1日。
穏やかな春の天候。第7章を少し書き進める。

4月2日。
数行書き進める。

4月3日。
昨晩遅くまで『悪霊』を読む。第7章にかかるが、進まなかった。疑念と嫌悪による抑制が強すぎる。……

夕食の際、仕事の危機、生涯の最後の年月を実際にこの対象に振り向けるべきかという疑念を論じ合う。この作品を拡大したところで断片として放っておこうか、とつおいつ考える。場合によってはあとはリスボンとアルゼンチンの冒険を書きあげることにするか。(注)によるとこれについては『トーマス・マン研究Ⅴ』に指摘された諸計画と予備作業に参照すべきものがあるという。読みたい!

4月4日。
回想録は、老年の最後の力を[振り向ける]「ファウスト」ではない。終始私は、その完成の見通しの立つ、相応しい対象を願い求めている。中断を決意するほうが、無理やり完成させるよりもおそらく尊敬すべきことであろう。……

非常に疲労。私の危機的な創作状況で頭が重い。[クルル回想録]を諦めれば――私は、諦めなければならないと信じている。――その代わりに何を取り上げるか。

4月5日。
Kは、今年の収入が十分な場合には、とにかくヨーロッパ旅行にでかけ、とくにガスタインの保養を繰り返すべきだと考えている。

4月6日。
Kが、息子の若い家庭教師を愛したある年配のミュンヒェン貴族女性の話をする。(注 これは1953年の『欺かれた女』の物語の骨子となる。)

第3部第5章に必要な変更。

4月7日。
第3部第5章の変更。

4月8日。
もう一度第3部第5章に戻る。それから、第6章を試みに書き進める。

4月9日。
博物館見学のくだり、変更。

4月10日。
第7章の書き直しを進める。

4月11日。
第7章の改訂を進める。

4月12日。
第7章を少し書き進める。……

第5章の愚かな鯨の箇所の出来に納得がいかない。

4月15日。
朝食でメーディと、私たちはこのままアメリカに止まるか、移住するかの問題について。

4月16日。
第6章を書き進める。

4月17日。
第7章を書き進める。……自筆の通信。――カフカの『変身』と『流刑地にて』。後者の印象的な幻想。

4月18日。
ビヴァリ・ヒルズの映画館で、日本の成功作。これにはいささかも感心できなかった。(注 によると『羅生門』のこと。)

4月19日。
第7章を書き進める。

4月22日。
今年はヨーロッパと当地で収入が非常に良好。それでいて奇妙なことに移住に係わる憂慮が小説に係わる憂慮と対応している。

博物館の章を書き進める。

4月23日。
第7章の結末部分を書き進める。

4月24日。
メーディの34歳の誕生日。

第7章の結末部分を滞りながら書き進める。

4月25日。
私の「アメリカとの訣別」について、新聞や通信社からひっきりなしの電話。

博物館の章の終止カデンツァ。

4月26日。
博物館の章の締めくくりと前章のズーズーの肖像の改変。

メーディにクックックの章を朗読。感激の態だった。「私の書いた最も美しいものなのだよ!」この本にとってのこの部分の危険性。これによってこの本はあまりにも高みに祭り上げられてしまう。それにもかかわらず、全てでありたいとする欲求がやはりすでに感じられる。冒頭の部分との関連。

4月27日。
ズーズーの肖像。第3部の第6、第7章は脇に置く。

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すごいサイト、「オーウェルの日記」をみつけた。正しくは『ジョージ・オーウェル日記』(白水社)の「序」を読んでいて発見。

https://orwelldiaries.wordpress.com/about/

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