2020年11月22日日曜日

『絶倫の人』の訳者、高儀進さんは8月4日に84歳で亡くなっていた

『トーマスマン日記』の続き。

1951年10月9日。
オスカル・ザイドリーン(1911-1984)のピカレスク論に再度(日記1946-1948 261頁)目を通す。『クルル』を書き進めるつもりならば、私に必要となる視点の数々。(# オスカル・ザイドリーンて誰だっけ?)

10月10日。
ザイドリーンに手紙を出す。ブルーノ・ヴァルターに向かってシカゴの博物館を称賛する。

10月11日。
ホテルのテラスでのフェーリクスとヴェノスタの対話を少し書き進める。(第3部 第4章)

10月15日。
9時半から1時まで第4章を書き進める。

10月17日。
このところ毎日、7時半起床。1時まで第4章を書き進める。

10月19日。
スエズ運河をめぐるエジプト=イギリス間の戦争。第4章を書き進める。思いつきが生き生きと飛来する。

10月24日。
2人のFBIの紳士による1時間半にわたるエーリカ尋問。

10月31日。
第4章を書き進め、いまや終わりに近付く。

『クルル』、『掟』、『マリオ』、『すげかえられた首』の日本語版。それぞれ、1951年、1948年、1951年、1946年。

11月2日。
第3部の第3章と第4章を包括する部分を、かなり不満を残したまま書き終える。

(この間、ビービが問題を起こし、ヨーロッパへ去る。)

11月8日。
スペイン語とポルトガル語の辞書を注文。資料を読み、試みに書き進める。パウル・カメラーの『一般生物学』をまた引っ張りだし、一日中貪り読む。

(注)によれば、クックック談話の準備。

11月9日。
1時頃まで生物学的モティーフに焦点をあてて書き物机に座りつづける。

11月13日。
あてずっぽうに第3部第5章(リスボン行きの列車の食堂車でのクックック教授とクルルの対話)を書きはじめる。

11月30日。
クックックとの対話が先行の対話同様、食卓で行われるという失策。

***

昨夜の夕刊、朝日の「惜別」欄で、『絶倫の人』の訳者、高儀進さんが8月4日に84歳で亡くなったと書いてある。最後のお仕事はウェルズの『ポリー氏の人生』の訳。白水社。当然読みたくなった。

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午後は、三茶にでかけて、孫と遊び、夕食の支度をしてやって、戻ってきた。



顔を見て笑ってくれ、抱いて少し歩き回ると眠ってしまう。別れるときは泣き出す。こんな可愛い存在が世の中にあるとは…



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