2020年5月11日月曜日

「動物的」な能力は、文字起こしにも推敲にも、必要不可欠

午前中はALL REVIEWS関連の文字起こしの仕事。昨日やった部分を見直して文章の修正。そして新たな部分の文字起こしを進める。今日の部分を見直して、おかしな表現を直すが、完全には出来ない。翌日見直すと、手直しすべき部分が容易に見つかる。このサイクルは何回か繰り返すのが良さそうだ。一回分はビデオの長さで3分、文字起こしは40分ぐらいかかる。修正を含めると一時間弱。

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『言葉と歩く日記』を拾い読みすると、こんな一節が見つかった。49頁、1月23日のところ。

推敲という作業は不思議なもので、同じ箇所を一日のうち何度も読み返して何度も推敲することがなかなかできない。一晩寝かせておいて(この場合、寝るのが原稿なのか自分なのかよく分からないが)翌朝、昨日書いたことは何もかも忘れた頭で読み返してみると、どこを直したらいいのかが明確に見えてくる。
深い眠りが良い推敲の条件である。眠りによって、全体をぱっと動物的にとらえる能力が脳の前面に出てくる。

この「動物的」というところが重要だと思う。そして、歳を取るということはこの能力が弱まることとも言える。口は達者になり理屈はいくらでもこねることが出来るが、獲物を逃さない「動物的」な感覚は消え失せていき、いつかは餓死する(T_T)

「動物的」感覚は、人とのコミュニケーションでも大切なのだろう。講師業で大切なのは聴衆の無言の反応を感じ取る能力と思っているが、これは歳を取ると急速に失われていく。そのかわりに、「お念仏」を流暢に唱えられるようになる。

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アシモフの『ファウンデーション』シリーズの読書は、続いている。本棚から何冊か、若き日(つまり50年前)に愛読した、アシモフの科学読物を出してみた。私にとってはいまでもその魅力は衰えていない。小説よりも、これらの科学読物の方が好きだった。アシモフ自身もこっちを書くほうが好きだったと言っていたような気がする。


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