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2021年6月11日金曜日

保苅瑞穂『モンテーニュの書斎 『エセー』を読む』(講談社)の読みやすさは天下一品だ

保苅瑞穂『モンテーニュの書斎 『エセー』を読む』(講談社)を読み進める。昨日も書いたが、この方の文章は実に読みやすい。読むと同時に、内容が自動的に頭にインプットされる感じがする。どうすれば、このようなわかり易い文章が書けるのか。その意味でもこの本を熟読したい。

そして、読んでいると、モンテーニュがどのような心構えで『エセー』を書いたのかが、簡単にわかる気になってしまった。モンテーニュの心構えそのものが、すとんとこちらの腑に落ちる。そうだ、私のブログ(日記)もこんなつもりで書いているのだった。同志が居て嬉しい。愛読している『トーマス・マン日記』はときどき、文学者の俺(マンのこと)って偉いだろうというところが鼻につくことがあるが、『エセー』にはそんなところはなさそうだ。少なくとも、保苅瑞穂さんの筋の通った解釈では、モンテーニュの等身大の姿が描かれているし、モンテーニュは『エセー』を書き、そして書き足しながら、生の自分の姿を写し取ろうとしていることがよく分かる。

31頁。
『エセー』はおよそ20年にわたる執筆の過程そのものが一つのドラマとなった本である。

46頁。

「IIの18章」を引用。読者におもねらないだけでなく、不誠実も許さない。
「言葉は魂の代弁者。」

原二郎先生訳『モンテーニュ 下巻』344頁。「死は生と同じく、われわれの存在の本質的な一部分なのだ。」

52頁。
6年前出版の『エセー』に盛んに加筆。プルーストが後に『失われた時を求めて』でやったように。

68頁。
「自分を貸すのはいいが、自分を与えてはならない。」意訳すると、組織に心を売るな。

73頁。
(自分の)理性の奴隷以外の奴隷にはならない。相手が国王でも。

82頁。
狂気の世間の中でのモンテーニュの態度。そしてそれを真似ようとして失敗したツヴァイク。

原二郎先生の『モンテーニュ 全2巻』(筑摩書房)をひっくり返しているうちに、「詳細目次」が巻末についていたのの気づく。高円寺の古本屋さんで買って以来数年経っているのに、うかつな話だ。要するによく読んでいない。反省する。索引もちゃんとしている。



2016年11月18日金曜日

セシリアの自伝をよく読むと、「悪い人」ではないとわかった

 一昨日に紹介したセシリア・ペイン=ガポシュキンの自伝を更に読み進める。ただし、索引にたよりリービットさんに関する記述の部分を読む。


 170ページ。ミス・リービットの業績(変光星の変更周期と光度の規則的関係)は、このあとの、ヘルツシュプルングやソロン・ベイリーやシャプレイの仕事の偉大な基礎となったと、正しい評価をしています。

 そして、171ページ。シャプレイが、また、星の乾板写真の目視光度測定の仕事をたのむと、やはり台長の命令は断れないと、リービットさんの仕事を、セシリアは引き継ぎます。「でもスペクトルの研究は続けたいんだけどな、ぶつぶつ」と口に出して言ったかどうかは別として。
 やはり、彼女も組織人やないか(^^)

 しかし、幸いなことに、光電効果を応用することができるようになって、いやいややっていた目視測定というやり方はすたれてしまう。セシリアはしてやったりですね。「ばんざーい」と口に出して言ったかどうかは別として。
 やはり、彼女もフツーのヒトでした(^^)

 198ページ。リービットさんの時代には、変光星の観測はアマチュア向けの仕事とみなされていた。しかし、今ではそれは天文学の中心的課題となっている。と書いています。「私が理論的に星の構造論と関連付けて研究したからよ」と口に出して言ったかどうかは別として。
 やはり、彼女も自慢好きのオバサマになっていった(^^)

 ということで、ちきりん様が書いておられたように、良い本は、それをネタにしていくらでもブログ記事が書けるということがわかりました。

 そして、こういった本には、索引が必要だともわかった。索引がないと、本から情報が引き出せません。ブログのラベルも大事ですね。