地震や津波で直接・間接に被害を受けた方々にお見舞いを申し上げます。
今朝は福島沖の地震で起こされ、その後津波の心配をしているうちに午前中の時間が3時間たった。
地震の前にKindle Unlimitedで『北斎漫画』をみた。漫画という単語の来歴とここでの使われ方を調べる必要があるが、あとで。
ともかく『北斎漫画』は、百科事典を絵で描いたようなモノである。4000と歌ってあるが、多数の事物をスバラシイ筆致でかきあらわしている。絵の一つ一つがすべて力強く、みる人の感動を呼ぶ。あらためて、北斎の凄さに感心した。
90歳になろうとしても仕事を続け、あと5年生きられればオレは大物になると思っていたようだ。おそるべきエネルギー。どこまでできるかは分からないが、見習いたい。
やっと、津波騒ぎもおちついたようなので、またセシリアの自伝を拾い読みする。
227ページ。「On being woman」という章の最後にこのような記述がある。(私のつたない訳)
「若い人々、特に若い女性に、よくアドバイスをもとめられます。私はvaleat quantumといいます。つまり、研究生活を名誉やお金のために送ってはいけません。名誉とお金が欲しいならもっと楽チンでやさしい道があります。研究生活をおくるなら、研究以外の何物も自分を満足させないとたしかめてください。他の何モノも手にははいりません。研究の高みに登ったときに視野が広がっていく。これが実感できるようになれば、他の何者も欲しくはなくなります。」
すばらしく本質的で、しかも現状を痛烈に皮肉ることばとおもいます。
(ラテン語は不得意😢。valeat quantumがわからんが物の本質的な価値といった意味合いがあるかも。出典もありそうですが、今後の宿題です。)
2016年11月22日火曜日
2016年11月20日日曜日
セシリアの苦闘をしのんだり、『取材学』をひもといたり
セシリアの自伝を引き続き拾い読みする。219ページ以降に「On being a woman」という章がある。ハーバードに行った直後の、他の(男性)研究者と夜のふけるまで時間を忘れて研究談義にふける生活の楽しさ。一方、地位も給与も低いままであったことも回想している。
台長シャプレイが、欠員になった分の分光学者が必要だと言ったときに、セシリアは私も分光学者ですと申し出た。しかし、シャプレイは他から男性研究者(Otto Struve!)を受け入れようとした、セシリアには測光の仕事を押し付けた。シャプレイはStruveに向かって、セシリアには分光学をあきらめさせる、と言った。
Struveは義憤を感じてこの話をことわったと後にセシリアにうちあけた。それほどの年ではなかったはずだが自己保身欲と名誉欲にかられた老害台長。業績は十分に上げているはずだが、かれの業績は、自分の名誉のためにあったのか。
セシリアに名誉や地位が訪れるのはずっとあとになる。でも自分の時間はたっぷりあって研究についやすことができたと負け惜しみ(?)
英国の友人は、セシリアが米国で大金持ちになっていると誤解していたという。
このような正直な話が、リービットさんについても見つけられるといい。やはり、日記や手紙を直接漁るしかないな。
昨日発掘した本。義父の蔵書印が押してある。『取材学』(加藤秀俊、昭和50年、中公新書)17ページ。
「取材の立場というのは人間が情報を主体的にえらびかつ使う立場のことにほかならない…」
約40年前の本だが、いわゆる「情報社会」を予測し、かつその安易性を警告したコトバと思う。汲むところの多い本。老いて亡くなる直前まで、貧しい中でこのような本を買って読んでいた義父は尊敬にあたいする。
台長シャプレイが、欠員になった分の分光学者が必要だと言ったときに、セシリアは私も分光学者ですと申し出た。しかし、シャプレイは他から男性研究者(Otto Struve!)を受け入れようとした、セシリアには測光の仕事を押し付けた。シャプレイはStruveに向かって、セシリアには分光学をあきらめさせる、と言った。
Struveは義憤を感じてこの話をことわったと後にセシリアにうちあけた。それほどの年ではなかったはずだが自己保身欲と名誉欲にかられた老害台長。業績は十分に上げているはずだが、かれの業績は、自分の名誉のためにあったのか。
セシリアに名誉や地位が訪れるのはずっとあとになる。でも自分の時間はたっぷりあって研究についやすことができたと負け惜しみ(?)
英国の友人は、セシリアが米国で大金持ちになっていると誤解していたという。
このような正直な話が、リービットさんについても見つけられるといい。やはり、日記や手紙を直接漁るしかないな。
昨日発掘した本。義父の蔵書印が押してある。『取材学』(加藤秀俊、昭和50年、中公新書)17ページ。
「取材の立場というのは人間が情報を主体的にえらびかつ使う立場のことにほかならない…」
約40年前の本だが、いわゆる「情報社会」を予測し、かつその安易性を警告したコトバと思う。汲むところの多い本。老いて亡くなる直前まで、貧しい中でこのような本を買って読んでいた義父は尊敬にあたいする。
2016年11月18日金曜日
セシリアの自伝をよく読むと、「悪い人」ではないとわかった
一昨日に紹介したセシリア・ペイン=ガポシュキンの自伝を更に読み進める。ただし、索引にたよりリービットさんに関する記述の部分を読む。
170ページ。ミス・リービットの業績(変光星の変更周期と光度の規則的関係)は、このあとの、ヘルツシュプルングやソロン・ベイリーやシャプレイの仕事の偉大な基礎となったと、正しい評価をしています。
そして、171ページ。シャプレイが、また、星の乾板写真の目視光度測定の仕事をたのむと、やはり台長の命令は断れないと、リービットさんの仕事を、セシリアは引き継ぎます。「でもスペクトルの研究は続けたいんだけどな、ぶつぶつ」と口に出して言ったかどうかは別として。
やはり、彼女も組織人やないか(^^)
しかし、幸いなことに、光電効果を応用することができるようになって、いやいややっていた目視測定というやり方はすたれてしまう。セシリアはしてやったりですね。「ばんざーい」と口に出して言ったかどうかは別として。
やはり、彼女もフツーのヒトでした(^^)
198ページ。リービットさんの時代には、変光星の観測はアマチュア向けの仕事とみなされていた。しかし、今ではそれは天文学の中心的課題となっている。と書いています。「私が理論的に星の構造論と関連付けて研究したからよ」と口に出して言ったかどうかは別として。
やはり、彼女も自慢好きのオバサマになっていった(^^)
ということで、ちきりん様が書いておられたように、良い本は、それをネタにしていくらでもブログ記事が書けるということがわかりました。
そして、こういった本には、索引が必要だともわかった。索引がないと、本から情報が引き出せません。ブログのラベルも大事ですね。
170ページ。ミス・リービットの業績(変光星の変更周期と光度の規則的関係)は、このあとの、ヘルツシュプルングやソロン・ベイリーやシャプレイの仕事の偉大な基礎となったと、正しい評価をしています。
そして、171ページ。シャプレイが、また、星の乾板写真の目視光度測定の仕事をたのむと、やはり台長の命令は断れないと、リービットさんの仕事を、セシリアは引き継ぎます。「でもスペクトルの研究は続けたいんだけどな、ぶつぶつ」と口に出して言ったかどうかは別として。
やはり、彼女も組織人やないか(^^)
しかし、幸いなことに、光電効果を応用することができるようになって、いやいややっていた目視測定というやり方はすたれてしまう。セシリアはしてやったりですね。「ばんざーい」と口に出して言ったかどうかは別として。
やはり、彼女もフツーのヒトでした(^^)
198ページ。リービットさんの時代には、変光星の観測はアマチュア向けの仕事とみなされていた。しかし、今ではそれは天文学の中心的課題となっている。と書いています。「私が理論的に星の構造論と関連付けて研究したからよ」と口に出して言ったかどうかは別として。
やはり、彼女も自慢好きのオバサマになっていった(^^)
ということで、ちきりん様が書いておられたように、良い本は、それをネタにしていくらでもブログ記事が書けるということがわかりました。
そして、こういった本には、索引が必要だともわかった。索引がないと、本から情報が引き出せません。ブログのラベルも大事ですね。
2016年11月16日水曜日
良い性格、悪い性格。
セシリア・ペイン=ガポシュキンの自伝を再度読み始めた。
私のは1984年版。明倫館さんから昨年入手。
1923年、英国から米国に新しい研究場所を求めて客船Caronia号で渡航したことは、以前メモしておいた。
146ページに「ピッカリング台長が、(星の)乾板写真測定法を有能なリービットさんに任せたのは、賢明だった。しかし、これにより変光星の研究の発展を数十年遅れさせるという厳しい決断でもあった。のちの天文台長シャプレイは、リービットさんの後釜として写真測定の仕事を私にやらせようとしたが、私は断った。星のスペクトルの研究をしたかったからである。」とある。(意訳 福地)
リービットさんは、人に頼まれると、イヤとはいえない良い性格だったようです。セシリアはこれには批判的。こういう悪い(いや強い)性格でないとどこの世界でも偉くなれないのか。でもリービットさんの業績そのものはすごい。
ま、どこにもある話ではある(^^)
私のは1984年版。明倫館さんから昨年入手。
1923年、英国から米国に新しい研究場所を求めて客船Caronia号で渡航したことは、以前メモしておいた。
146ページに「ピッカリング台長が、(星の)乾板写真測定法を有能なリービットさんに任せたのは、賢明だった。しかし、これにより変光星の研究の発展を数十年遅れさせるという厳しい決断でもあった。のちの天文台長シャプレイは、リービットさんの後釜として写真測定の仕事を私にやらせようとしたが、私は断った。星のスペクトルの研究をしたかったからである。」とある。(意訳 福地)
リービットさんは、人に頼まれると、イヤとはいえない良い性格だったようです。セシリアはこれには批判的。こういう悪い(いや強い)性格でないとどこの世界でも偉くなれないのか。でもリービットさんの業績そのものはすごい。
ま、どこにもある話ではある(^^)
登録:
投稿 (Atom)