商業高校時代の恩師で(坪内)散歩先生がでてくる。東野英治郎がこれまたスバラシイ演技をする。その散歩先生はもう隠居して、子供向けの英語塾をやっている。その娘が坪内夏子(佐藤オリエ)。寅さんは英語でなくて人生の師として、散歩先生を慕っている。
夜、布団を敷きながら、何の気なしに押し入れの横の書棚をみたら、文庫本の一冊が目に止まった。『笹舟日記』。同郷の先輩、三浦哲郎さんのエッセイ集だ(新潮文庫、1975年)。
(呼び水効果で見つけた本。手前は八高の綱領) |
日記には目がないので、久しぶりに読み返そうと、枕元でぱらぱらページを繰ってみた。158ページに三浦哲郎が旧制中学(八戸)時代に「漆山さんというユニークな先生に恵まれて、一年生の時から英語に興味を持つようになった。」とある。頭でっかちで、スケート(多分長根リンク?)をしたら転んで脳震盪を起こしたが、教室では歌うようななめらかな発音とウィットに富んだ講義で、生徒たちを魅了した、とも書いている。
散歩先生→引退した英語塾の先生→漆山先生という連想が無意識ではたらいて、この本を手に取らせたらしい。『笹舟日記』に漆山先生のことが書いて有ることは、読んだとき(1975年)には意識したが、その後40年近く忘れていた。これを思い出させてくれたのが「続・男はつらいよ」を観た感動だろう。
過去の記憶を蘇らせる「呼び水」効果について、最近考えているが、「呼び水」には、感動という「エッセンス」が含まれている必要がありそうだ。脳のベータ波だけでなく、感動で出たアルファ波が混ざると複雑な振動が起きて、深層から、記憶が浮かび上がる。
「漆山先生」は、その後新制の八戸高校の校長を経たあと、散歩先生のように、子供向けの英語塾を開いていた。私の教えていただいたのは、その時代になってからだ。フルネームは「漆山終吉」。珍しいので記憶している。
昨夜ここまで思い出し、なつかしい幾つかのことをTweetしてみた。少し加筆修正したが、ほぼ以下の通り。
(1)漆山先生の塾の名前は、たしか「アルビオン英学校」。事務担当の方は中島さん(こっちは自信なし)。当時全員が使っていたのは研究社の英和中辞典。引いた単語と語釈に赤鉛筆で線を引く。ほとんどの頁が赤くなった。50年以上経過して少しだけ英語がわかるような気がするが、漆山先生のおかげだ。
(2)漆山先生は私の習った時は相当ご高齢で、英語塾をやっておられた。細い文法は教えず、英文を何度も音読させるやり方。時々は英語の唄を先生も含め全員一緒に大声で歌う。授業の最後にいつも、長い英文を訳してわら半紙に書かせる。それには次回までに大雑把な赤入れをしてくれる。たまに誉められると嬉しかった。われわれはミスターウーと呼んでいた。
(3)塾が終わると、小学生だった我々には、ドロップスをご褒美にくれた。暗い坂道を漕いで登る先生の自転車を後ろから、交替で押して帰った。塾のまわりの田んぼのカエルの声が、あたりをつつむ。何の悩みもない幸せな時代だった。
「漆山終吉」でGoogleをひく。昭和9年頃の台灣総督府の資料がヒットし、教諭のなかに「漆山終吉」の名前が見える。先生から聞いたことはないが、年齢的にはありうる。他には何もヒットしない。先日発掘した、八中八高記念誌「大杉平の青春」を調べることにしよう。
4 件のコメント:
私もどういうわけか時々気になっていました。小生53歳。
おそらく貴殿の後輩と思います。
確かに私の時も相当なご高齢であったように思います。
先日何年かぶりに帰省しあのあたりを通りました。
建物の間からふとあの木造校舎が見えたような気がしました。
今度の帰省の折には確かめたいと思います。
しかしネット社会なのにほとんど何も検索してヒットしてこないのですね。
lynchnages さん
コメントありがとうございます。ますます懐かしくなりました。
なにかわかったことがあれば、よろしければお知らせください。おねがいいたします。
m(_ _)m
はじめまして
ミスターウー‼️
私はもう63歳です。
アルビオン英学校漆山先生の
ひたすら音読の特訓のおかげで、
英語を使う仕事につけました。
懐かしいです。
そして感謝です。
匿名 さん
コメントありがとうございます。
ミスターウーの教え方は本物だったのですね。
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