2020年9月30日水曜日

鷗外も今ならブログに読書日記を書くだろう

『鷗外全集 第三十五巻』の「観潮樓日記」(明治25年 1892年)を読む。新居に移って喜んでいる雰囲気が伝わる。幸田露伴なども訪れて文学談を交わしたのだろうが、いわゆる日常些事を記入した日記という感じがする。

「明治三十一年日記」(1898年)を読む。

文学者の日記らしくなった。おもしろいのは、7月1日の日記。「本草の書に魚食多し。糊紙もて繕完す。」紙魚にやられたのを自分で糊と和紙を使って補修したのだろう。器用な鷗外らしい記述。

トーマス・マンの日記と比べてみたくて読んだのだが、この年の鷗外の日記では旺盛に著述を続けながら、同時に勤務の傍ら書店を巡って多くの書物を買い求め、その書名を丹念に書き留めているところが、似ている。もちろん、著述の記録も日記の主力をなしている。

こころみに、買った書籍の数を日記の記述をもとに数えてみた。

1月は5、2月は7、3月は18、4月は43、5月は14、6月は94、7月は19、8月は10、9月は2、10月は4、11月は11、12月は16、計243。

書名を見ると、和本が多いようだ、一日にたくさん買い込む日もあるのだが、和本なら軽くて便利だっただろう。留学中やその後の仕事に必要な本は洋書が多かったと思うが、このころは暇を見つけてゆっくりと和書を紐解いていたのかも知れない。大正に入ると徳川時代の人物を題材としたものを書き始める。

243の書籍のなかに『蒹葭堂雜録』がある。全部読んでみたいが、『蒹葭堂雜録』だけ、国会図書館DCで検索してみた。




鷗外全集のこの巻の月報に、石黒忠悳(ただのり)の日記の話がでてくる。先輩軍医でドイツにも鷗外と同時期に行っていたらしいが、同一日の体験の日記を比べると、鷗外のがそっけないのに、石黒忠悳の日記は詳細を極める。鷗外日記を補完する資料なのだそうだ。考えてみると、このような日記は世の中にたくさん存在し、そのほとんどは公開されず埋もれたまま消えていくのだろう。残念だがしかたない。でも、今後は今皆が書いているブログなどが、消滅せずに残って、後世の利用に供されるだろう。好むと好まざるにかかわらず、デジタル社会とはそういうものになる。

2020年9月29日火曜日

なぜ私は読書するのか?……トーマス・マンを読んでいてわかってきた

朝の読書の後、風呂に入り朝食の支度と日課はいつもどおり進む。読書の余韻で、風呂に入りながら(あるいは風呂掃除をしながら)何かを考えていることがある。今朝は……

なぜ自分は読書を好むのか、というギモンに対する一つの答えを見いだした。それは、同好の士に会えるからである。同好の士は、時空を超えて存在する。毎日『トーマス・マン日記』を読み続けた今は、トーマス・マンが同好の士だ。自分と似たようなことで悩み、あるいは喜びを感じる人がいる。そこに、こよない嬉しさを覚え、孤独の哀しみが和らぐ気がする。

トーマス・マンが自分と同じ年齢で、頑張って著作にはげみ、その材料収集にとどまらない膨大な読書を、不自由な亡命先で続けている。肺の感染性膿瘍(たぶん結核が原因)で、危険な手術を受けながらもなんとか回復して、書き続け読み続ける。入院先では、看護人の優しさに魅せられたり、麻酔術を受け意識の遠のきと回復を興味深く体験し、はじめてベッドから立ち上がるときのときめきや虚脱感のなかで、生きていることを実感する。これらの感覚は3年前に自分もほとんど同様に感じた。なので、『日記』や『ファウストゥス博士の成立』に書かれた文章に、そうだそうだと一人で相槌をうつ。

大げさに言えば、この宇宙の中で自分は一人ではない、自分と同じ考えの人がいるのだと思うと、安らぎを感じるのだ。

朝と、午前中の読書で、『ファウストゥス博士の成立』はほぼ目を通し終えた。

午後には、『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』(新潮社版 全集第7巻)のうち、徴兵を逃れ、パリに出て大ホテルのボーイになるところを読む。実に面白い。そのわけは、フェーリクス・クルルに共感し、パリに行くことの恍惚をこのような形式でうまく表現しているトーマス・マンの技倆に感心するからだろう。

これは文庫本のほう、今はこちらが入手しやすい


2020年9月28日月曜日

デスクワーカーの職業病である腰痛には皆苦労している

『トーマス・マン日記 1946年-1948年』のあとがき(森川俊夫)を読む。

1946年4月1日から5月27日は、日記は空白。トーマス・マンは肺の感染性膿瘍でシカゴの病院で検査と手術を受けたからだ。シカゴにはこの病気の名医がいたし、娘夫婦や、Kの兄(物理学者のペーター)がいたからだと思う。それにしても、カリフォルニアからシカゴまで列車の移動は辛かっただろう。

自宅に戻った翌日から、5月28日から日記が再開されている。

『ファウストゥス博士』は1943年5月23日から執筆を開始しているという。物語の主人公は1885年に生まれ1940年に亡くなる設定だ。語り手が過ごす時間は、戦争中であるということにしてある。主人公の生きる時間と、ナチスの支配が進む時間の二重性をうまく演出してあるのだ。そして、主人公レーバーキューンの先駆者としてトニオ・クレーガーがいると指摘している。

1947年1月29日の日記には11時50分に『ファウストゥス博士』の最後の記述が終わったと書かれていることが、指摘されている。

日本語版の日記の註釈は各日付ごとに配置されており、私としては読むのに便利と感じた。たまたまこの巻だけ買ったドイツ語版の日記を見ると、註釈は巻末にまとまっている。註釈を読むのに毎回厚い本の頁をめくるのは大変だと思う。日記の文面を手早く読むだけならドイツ語版式が良いのかも知れない。

どちらにも、膨大で詳細な註釈がついているのには驚く。訳者も大変だったろうが、このあとがきに紹介されている、校正と索引を受け持った伊藤暢章氏の苦労が偲ばれる。

さきほど出てきた、トーマス・マンの義兄ペーター・プリングスハイムのことを少し調べたくなった。日本語Wikipediaには項目がない。ドイツ語Wikipediaにはある。Google翻訳で翻訳したら、日本語の翻訳はいまいち。英語に翻訳したら、読みやすい。1881年生まれ、1964年死去。当時は米国に亡命していた。トーマス・マンが金銭的に援助もしていたようだ。この人は、寺田寅彦がベルリン大学に留学したときに、教室で会ったプリングスハイムと同一人物かどうかよくわからない。寺田寅彦の「ベルリン大学」に登場している海坊主みたいな人。

ペーター・プリングスハイムの理学的著作はInternet Archiveで読める。


***

トーマス・マンの『ファウストゥス博士の成立』も少し読む。

日本語版全集第6巻の528頁付近。創作に脂が乗っている時には、肉体的に困難を抱えていることが多いという。要するに無理をしているわけだ。『ファウストゥス博士』の場合は上記の次第で死にかけた。そして『ワイマールのロッテ』を書いている時には、坐骨神経痛の激痛に悩まされていたらしい。こちらはかなり身近な病と思う。私もそうだし、知人でも腰が痛いという人は多い。問題解決にはG. M. ワインバーグの『文章読本』がおすすめ。


昨日のブログに書いた鹿島茂さんの『成功する読書日記』にも、腰痛対策は書いてある。


2020年9月27日日曜日

鹿島茂『成功する読書日記』を読んだので、このブログも成功間違いなし


鹿島茂さんの『成功する読書日記』(文藝春秋)を読んだ。題名通りのハウツーと、「読書日記」が掲載されている。私の、このブログも、読書日記を名乗っているが、この本は非常に参考になった。偉そうだが、我が意を得たり、という気もする。少し前に書評に関しての本も読んだが、まずはこのブログでは今回の本に書いてある方法でやっていこう。

最初に読書日記のあるべき姿が記されている。引用(コント・ランデュのほう)する。

・量を書いて、自然に質が伴うようにすべし。とにかくたくさん本を読み、たくさん記録を取る。量が質に転換するのを気長に追求する。

・本との「遭遇情報」を書き留めておく。端的には買った場所や金額など。

・批評や感想は最初は不要で、書きたければ星(☆)の数で良い。

・それより、気になる文章を「引用」する。

・慣れたら引用からなるレジュメを作ってみる。

・もっと慣れたら、引用を自分の言葉で言い換えてみる。(コント・ランデュ)

・ここまでを習熟したら、批評に進んでもよいが素人にはあまり勧めない。

このあとに、鹿島さんの「読書日記」実践例が続く。最後にはあとがきとして、「理想の書斎の作り方」が掲載されている。

***

今朝も6時から、『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続きを読んだ。日記に関する部分は今日で読み終えた。次の巻を借りる手続きをしなければならない。

1948年
10月13日。
ニュートリノの話を書いている。科学の話題が好きなのだろうが、たいてい作品にも取り入れている。

10月14日。
『ファウストゥス博士の成立』のなかの「エヒョー」を書いている。終わりに近い部分。

10月20日。
「小説の小説」つまり『成立』を書き終えた。181枚。16週間かけた。

10月24日。『選ばれし人』に再度取り組む。勤勉!まずは過去の原稿を拾い読みし、筋の細部を検討する。

10月25日。
「グレゴ―リウス」を読み、メモを取り、想い出す。

11月1日。
マルクス診療所に行き、診察を受け、老眼鏡はまだ替えなくて良いと言われる。目が悪くなったと自覚したのだろう。

11月2日。
大統領選。Kはトルーマンに、本人はウォリスに投票した。役割分担だと。デューイとトルーマンのマッチレースなのだが。

11月6日。
『フェーリクス・クルル』の続行に力が残っているか検討。再成功のチャンスなのだ。好きなことを追求するのと、生活の必要との調和ができるのか。

11月11日。
夜、かゆみに悩まされる。前日の考えすぎがたたったか。手当して良くなる。

11月15日。
英チャールス皇太子誕生。

11月24日。
中国で共産党が優勢。

12月16日。
『選ばれし人』各章の表題つけ。11章開始。

12月17日。
ローレンス・オリヴィエの『ハムレット』を観る。気に入る。

12月21日。
元執事のフェーリクスは60日の勾留。寛大な処置だと。

12月30日。
ルカーチの『トーマス・マン』1巻本出る。

12月31日。
仕事を休んだ。ということはここまでほとんど休みなし。

***

16時から、「月刊ALL REVIEWSノンフィクション回 ジェームズ・バーダマン(北米文化史家) × 鹿島 茂(仏文学者)、『地図で読むアメリカ』(朝日新聞出版)を読む」を観る。トランプがなぜ当選したかがわかった気がする。組織されていない多数の収入の低い層が、北東部の「金持ち」民主党候補を嫌うからという。

https://allreviews.jp/news/4974


こんなサイトを見つけました。
https://www.jmvardaman.com/10-american-regions

2020年9月26日土曜日

トーマス・マン『ファウストゥス博士』と、ヘッセ『ガラス玉演戯』の類似とはどんなことかしら


6時から、『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続きを読む。

1948年

7月5日。
セコナールでよく眠り、「多彩」な夢を見る。

7月9日。
「ファウストゥス博士の成立」を書き進める。執事のフェーリクス夫妻は喧嘩(またも夫の飲酒が原因)。翌日復帰。

7月10日。
イタリア語版の『ワイマールのロッテ』に挿絵がついていて立腹。ついでにエッカーマンを読む。

7月11日。
夜、息子のクラウスが自殺を図る。入院させる。

7月12日。
仕事が散漫になる。

7月13日。
クラウスを知人邸に見舞う。

7月14日。
ケレーニイ『原始人と秘儀』を読む。グレゴリウスの食べ物の記述の参考。

7月21日。
ベルリンでの対ロシア問題、ヨーロッパ、アメリカ。他イスラエル問題など心痛が絶えない。

7月27日。
ノーベル賞再授与が検討されているというニュース。結局同一人物同一部門ではダメ。平和賞あげればいいのにと素人考え。

8月2日から4日。
胃炎性感冒。ブラームスのハイドン変奏曲を聴く。(Op. 56a)

6日から10日。
Kも感冒にかかる。マンは仕事はやめない。

8月11日。
フェーリクス夫妻については終止符。

8月19日。
ワシントンでの聴聞会(の放送)を聴き、むかつく。

9月5日。
『ガラス玉演戯』に触れた部分を朗読。この日記の註は良くわからない。新潮社版全集の11巻569頁には『ガラス玉演戯』の事が出てくる。『トーマス・マン日記 1944年ー1946年』では、82頁。1944年3月9日に、「スイスから『ガラス玉演戯』が送られてきた。」とある。

9月6日から9日。
はげしい身体の痛み。

10月5日。
「サタディ・レヴュー・オブ・リテラチュア」のために、最愛特選レコードをメモする。(註によると、一位はフランクのニ短調シンフォニー(モントゥ指揮サンフランシスコ・シンフォニー・オーケストラ)。)

***

『文学こそ最高の教養である』を読み始める。最初に高遠弘美先生の「プルースト」を読む。また目からウロコが落ちた。なかで言及されている『プルーストによる人生改善法』を読みたくなる。近所の図書館にはない。古本でも高いので、世田谷区立図書館で借用を申し込む。

(後記:この本の英語版は「How Proust can change your life」で、Internet Archiveで読める。ただし、貸し出し時間は今の所1時間。)

***

孫の写真(とビデオ)を一箇所に集めてみた。日に日に表情が豊かになっていく。嬉しいことだが、本人はどう思っているのか……早いうちに聞いてみたい。

2020年9月25日金曜日

雨降りの日は読書がはかどる

朝、『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続きを読む。

1948年3月22日。
『ガラス玉演戯』と『ファウストゥス博士』の共通性とは?

1948年3月23日。
『掟(邦題 十誡)』の日本語訳があるのを知る。左手の治療を中止する。

1948年3月24日。
左手も使ってヒゲ剃り。

1948年3月31日。
手術後メーディ(娘)からプレゼントされた日記帳がいっぱいになった。22ヶ月使ったことになる。

1948年4月1日。
チューリヒで買った新しい日記帳を使い始める。『ミーメシス』を読む。『選ばれし人』の6章と7章の参考にした。ところで6章と7章とはどこのことだろう。要調査。

1948年4月7日。
エーリカ手術を受ける。

1948年4月8日。
同退院。

1948年4月22日。
このころ毎晩レコードを聴いている。この日は『ラインの黄金』のラスト。

1948年5月9日。
『ファウストゥス博士の成立』を書き始める。内面からの取り組み開始。一方、『選ばれし人』執筆は順調に進む。

1948年5月10日。
『失われた地平線』を観る。

1948年5月28日。
湿疹ができる。胸にも。

1948年6月6日。
73歳の誕生日。

1948年6月14日。
Kもエーリカも病気。トーマス・マンはマニキュアとヒゲ剃り。日記によく、足の手入れやマニキュアと書いてあり、そんな事するのかと思っていたが、自分も年をとってみると、必要性がわかる。そうしないとかなりみっともないことになる。

1948年6月18日。

執事フェーリクスは飲酒、奥さんが一人で仕事している。

1948年6月19日。

『ファウストゥス博士』時代の日記で仕事すると書いてある。『ファウストゥス博士の成立』を書いているのだろう。翌日の日記には、その頃の日記に赤インクでマークを付けながら読み直すとある。また、6月26日の日記には、当時の日記を抜粋して現代化するとある。

1948年6月28日。
フェーリクスが金を盗んだとある。もうかばいきれない。

***

午前中をかけて、読みかけの本を2冊、読み終えた。

森茉莉の『父の帽子』の138頁。映画を観て現実逃避している。そして人生も映画のようだと……

「夢」のなかの黒猫が印象的。

171頁。「おまりはイルミネエションが好きだなあ」と父鴎外。

194頁。「深く究めれば、その思想に偏することはない。」と思想の統制をいさめる鴎外。

森茉莉の文章は非常に気に入ったので、他の著書も読んでみる。

星新一『祖父・小金井良精の記』。

432頁。大正10年に現役退官後、余生を研究に捧げる。

434頁。昭和14年3月15日。めまいを覚える。大事を取って一週間休む。若いときから、このような「無理をしない」やり方で弱い体をいたわって、結局長生きする。

昭和19年9月16日。大往生。



2020年9月24日木曜日

70歳を過ぎても新しいものを書こうとする気力はどこからくるか

『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続きを読む。

1948年1月1日。
孫のフリードも一緒の楽しい元日。もちろん、翌日からは仕事再開。

1948年1月3日。
孫たちは早朝出発。落ち込む。『選ばれし人』の下調べはやめない。『ファウストゥス博士』の、一部からの不評原因は音楽(がわからない)からか、いろいろな意味で「不協和音」がやまない。

1948年1月7日。
新しいレコード棚を注文。

1948年1月15日。
『ファウストゥス博士』が売れ行き好調。嫉妬を覚える人もいた。

1948年1月30日。
ガンディー暗殺のニュース。

1948年2月10日。
寝室の書棚に新しい棚を付け加える。

1948年2月12日。
ロシアの作曲家は党中央よりブルジョワ音楽でなくリアリスティックなのを書くように警告された……

リルケも『ヴェニスに死す』を読んでいて、雑誌に評を書いており、最終的には芳しくない評価だった。時代が見えないリルケ。寓意がわからなかったか。

1948年2月20日。
フェーリクス夫妻を再雇用。

このころから、『選ばれし人』の草稿を書き始める。いろいろなアプローチを試みているようだ。

1948年2月26日。
リビングと玄関の間の段差で転倒。左肩の骨を折る。

1948年2月27日。
執筆は続ける。左肩でよかったかも。

1948年3月6日。
兄ハインリヒとは話が合わない。

1948年3月7日。
「グレゴーリウス」の導入部分を少し書き始める。

***

『文学こそ最高の教養である』(光文社新書)を借りてきた。


『鴎外全集 27巻(椋鳥通信)』を借りる手配。読んでみて、欲しくなったら、岩波文庫の中巻と下巻を買えば良い。

2020年9月23日水曜日

トーマス・マンの1947年は『ファウストゥス博士』と欧州不完全里帰りで暮れた

『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続きを読む。

今朝は早起きして、5時から6時まで。

1947年10月7日のマンの悩み。
1.ヨーロッパ旅行の疲労。
2.『ファウストゥス博士』発刊直後の緊張。
3.アメリカにおける出来事への心痛。
4.「ゲーテ選集」について出版社から通知が来ない。

1947年10月10日。
映画『わが生涯の最良の年』を偶然に観て感激する。

1947年10月20日。
非米活動委員会の聴聞会の報道がひどいと立腹。

1947年10月24日。
『ファウストゥス博士』の最初の四つ折り本(米国用複写版)が届く。

1947年10月28日。
この日に限らず、この頃フェーリクス・ヴァイル博士(芸術パトロン)とよく話している。

1947年10月29日。
『天国への階段』(映画)を観る。1946年英国。面白そうな映画だ。

1947年10月30日。
放送番組「ハリウッドは抵抗する」にて発言を行うので、その準備をする。

1947年10月31日。
同上録音。

1947年11月21日。
孫を可愛がる。

1947年12月2日。
日本語版全集の準備が始まった。

朝日新聞の新年号に「日本への新年の挨拶」を掲載するのでその原稿を書く。

1947年12月14日。
『ゴリオ爺さん』を読む。これに限らず、読書は毎日のようにしている。

1947年12月31日。
『ファウストゥス博士』の年が終わる。元日にはエーリカが途中の原稿を読み、「徹夜で読んだ」と言ってきたのだった。日記を読み直したのだろう。

***

早起きした理由は、朝食後すぐでかけたため。三軒茶屋に行き、出生届や健康保険、児童手当、保育所調査などをする、息子殿のサポートと、いつもの家政夫業務。今日は湖南省風中華料理ランチをごちそうになる。世田谷区役所のそばの松陰神社にも行ってみた。小雨。

世田谷線の電車で面白いのに乗り合わせた。







2020年9月22日火曜日

『霧の彼方 須賀敦子』を読む

若松英輔さんの『霧の彼方 須賀敦子』を読み始め、興に乗って夕方読み終えた。


第一章とあとがきをまず、読む。須賀敦子の精神のふるさとはアッシジだという。彼女の目的地は遠い。強く惹かれても読み終えられない本のようだ。あとがきの最後はまだやり残したことがあると、余韻を残す。上手い。冒頭に要約があり、本論でオリジナルな事柄を満載し、振り返りと残された課題を示す、この構成は学術論文ではおなじみだ。

7頁。
著者はそれほど深く須賀敦子を読んでいたわけではないが、これからは深くまじわるという予感があると。

8−9頁。
マルセル、三雲夏生、ムーニエ、モーリアック、ベルナス。

11頁。
ベッピーノとの結婚。

12頁。
ヨハネ23世の対話路線。

コルシア書店。ミラノの「シェークスピア書店」だろうか。どちらも書肆。

19頁。
生きることで祈る。聖職に就く必要は必ずしもない。

26頁。
和讃と「のらくろ」が原点。#本を読むには、「捨てる」勇気が必要だろう。

30頁。
空海とネストリウス派キリスト教は出会っていた。「どうせひとつ」。

42頁。
本に読まれるなと母に叱られる。

45頁。
父親から『即興詩人』を勧められる。鷗外好きの父親。15歳の彼女はキェルケゴールの『死にいたる病』も好き。原著(!?)にもあたる。

52頁。
宮沢賢治も好きだった。

56頁。
サン=テグジュペリも好きだった。

57頁。
リルケも。#このあたり読みながら、私の本棚を眺めて悦に入る。

102頁。
シャルトルへの「巡礼」旅。やっとたどり着いたが、聖堂に入れない。人生を象徴しているのか。

173頁。
「翻訳は批評である」

川端康成に小説を書くことを勧められる。

「神曲」を訳す。

須賀敦子の文筆人生は短い。晩年の7年間だけ。でも、豊饒。

後半は端折って読んだ。次の人に早く回したい本。

2020年9月21日月曜日

『父の帽子』の上手さに脱帽

『トーマス・マン日記 1946年-1948年』の続き。

1947年4月22日から9月14日までの、イギリス、スイス、オランダ旅行は、単に戦後初の旅行であるだけでなく、米国に居づらくなり、ドイツにも帰れない状況、戦前戦中よりかえって複雑な政治的状況下で、困難な亡命生活を続けるトーマス・マンの必死の動きと言えるのだろう。

やっと書き上げた『ファウストゥス博士』の大量のゲラの校正をしながら、講演や朗読を行い、ミュンヒェンからの誘いにも応対(結局行かなかった)し、その感に、次の執筆活動(ゲーテに関する本)の準備もする。読書量も多い、なかでも帰りの船ではホイジンガの『エラスムス』を精読している。往路の船(クイーン・エリザベス号)より、帰路のヴェスターダム号の方が乗り心地が良かったのだろうが、その精力には感嘆する。やはり老齢には勝てずに寝込むことも多かったのだが。

旅行中の気休め(?)としては、モンタニョーラにヘルマン・ヘッセを訪ねたり、映画『天井桟敷の人々』を観覧したり、預け先で行方不明になっていた愛犬ニーコが見つかったニュースを聞いたりしていた。下世話な話だが、各地での講演料がかなり高額だったことも、精神的には良かったのだろう。

カリフォルニアに戻ったが、このあと、米国の暗黒時代がやってくるので、読み進むのは気が重くなっていくだろう。

***

昨日、ご近所図書館で借りた2冊。『霧の彼方 須賀敦子』と『父の帽子』を少しずつ読む。前者を先に読み終えないといけないだろう……順番待ちキューに8件溜まっているので。であるにも関わらず、森茉莉の『父の帽子』(講談社文芸文庫)を読み始め、その文章の素晴らしさに魅せられて、半分まで一気に読んでしまった。66頁に、文学を読むのか、文学者の私生活を覗きたいのかという痛烈な読者批判があるが、これを重く受け止めたい。そして、森茉莉のテクニックに脱帽したい。テクニックの分析ができるといいのだが。