2020年9月29日火曜日

なぜ私は読書するのか?……トーマス・マンを読んでいてわかってきた

朝の読書の後、風呂に入り朝食の支度と日課はいつもどおり進む。読書の余韻で、風呂に入りながら(あるいは風呂掃除をしながら)何かを考えていることがある。今朝は……

なぜ自分は読書を好むのか、というギモンに対する一つの答えを見いだした。それは、同好の士に会えるからである。同好の士は、時空を超えて存在する。毎日『トーマス・マン日記』を読み続けた今は、トーマス・マンが同好の士だ。自分と似たようなことで悩み、あるいは喜びを感じる人がいる。そこに、こよない嬉しさを覚え、孤独の哀しみが和らぐ気がする。

トーマス・マンが自分と同じ年齢で、頑張って著作にはげみ、その材料収集にとどまらない膨大な読書を、不自由な亡命先で続けている。肺の感染性膿瘍(たぶん結核が原因)で、危険な手術を受けながらもなんとか回復して、書き続け読み続ける。入院先では、看護人の優しさに魅せられたり、麻酔術を受け意識の遠のきと回復を興味深く体験し、はじめてベッドから立ち上がるときのときめきや虚脱感のなかで、生きていることを実感する。これらの感覚は3年前に自分もほとんど同様に感じた。なので、『日記』や『ファウストゥス博士の成立』に書かれた文章に、そうだそうだと一人で相槌をうつ。

大げさに言えば、この宇宙の中で自分は一人ではない、自分と同じ考えの人がいるのだと思うと、安らぎを感じるのだ。

朝と、午前中の読書で、『ファウストゥス博士の成立』はほぼ目を通し終えた。

午後には、『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』(新潮社版 全集第7巻)のうち、徴兵を逃れ、パリに出て大ホテルのボーイになるところを読む。実に面白い。そのわけは、フェーリクス・クルルに共感し、パリに行くことの恍惚をこのような形式でうまく表現しているトーマス・マンの技倆に感心するからだろう。

これは文庫本のほう、今はこちらが入手しやすい


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