2017年11月3日金曜日

その後のコルトー、栄光と悲惨の残影

 1952年には日本で歓迎を受けた。世界講演旅行の途次、南米からロスに行き、船便でホノルルへ、その後「クリッパー・プレジデント」飛行便で東京へ。日本では朝日新聞社主催で多数のコンサートを実施。大喝采を受けた。

 ヨーロッパへ戻るに際してはフランス郵船「マルセイエーズ、18000トン」に乗船。

 1958年、カザルスとのコンサート。老いたコルトーにたいしてカザルスは優しかった。

 1962年、死去。フランスの国家礼は受けられなかった。最後まで冷たかったフランス政府(T_T)

 268ページに、ピアニスト霊媒説の根拠めいたことが書いてある。「演奏家の真の練習とは、仮説を打ち立てる練習なのです…理にかなった野心から、一時的にせよ作曲家の人格と一体化できるのです。まさにここで想像力と感受性が使われるのであり…」




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