2019年5月9日木曜日

OLD REVIEWS試作版第十二弾…漱石の「文学論 序」

漱石「文学論 序」を始める気になりました。
 iPhoneカメラで本(全集 第八巻)を直接撮り、OCRにかけました。
これの校正(約十箇所修正)にかかった時間は、30分で、私としてはかなり速い方です。

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余は此書を公にするにあたって、此書が如何なる動機のもとに萌芽し、如何なる機緣のもとに講義となり、今又如何なる事故の爲に出版せらるゝかを述󠄁ぶるの必要あるを信ず。

余が英國に留學を命ぜられたるは明治三十三年にて余が第五高等學校教授たるの時なり。當時余は特に洋行の希望を抱かず、且他に余よりも適當なる人あるべきを信じたれば、一應其旨を時の校長及び教頭に申し出でたり。校長及び教頭は云ふ、他に適當の人あるや否やは足下の議論すべき所にあらず、本校は只足下を文部省に推薦して、文部省は其推薦を容れて、足下を留學生に指定したるに過ぎず、足下にして異議あらば格別、左もなくば命の如くせらるゝを穩當とすと。余は特に洋行の希望を抱かずと云ふ迄にて、固より他に固辭すべき理由あるなきを以て、承諾の旨を答へて退けり。

余の命令せられたる研究の題目は英語にして英文學にあらず。余は此點に就いて其範圍及び細目を知るの必要ありしを以て時の專門學務局長上田萬年氏を文部省に訪うて委細を質したり。上田氏の答には、別段窮屈なる束縛を置くの必要を認めず、只歸朝後高等學校もしくは大學にて教授すべき課目を專修せられたき希望なりとありたり。是に於て命令せられたる題目に英語とあるは、多少自家の意見にて變更し得るの餘地ある事を認め得たり。かくして余は同年九月西征の途󠄁に上り、十一月目的地に着せり。

着後第一に定むべきは留學地なり。オクスフオード、ケムブリツヂは學問の府として遠く吾邦にも聞こえたれば、其のいづれにか赴かんと心を煩はすうち、幸いケムブリツヂに在る知人の許に招かるゝの機會を得たれば、觀光かたがた彼地へ下る。

こゝにて尋ねたる男の外、二三の日本人に逢へり。彼等は皆紳商の子弟にして所謂ゼントルマンたるの資格を作る爲、年々數千金を費やす事を確め得たり。余が政府より受くる學費は年に千八百圓に過ぎざれば、此金額にては、凡てが金力に支配せらるゝ地に在つて、彼等と同等に振舞はん事は思ひも寄らず。振舞はねば彼土の靑年に接觸して、所謂紳士の氣風を窺ふ事さへ叶はず、假令交際を謝して、唯適宜の講義を聞く丈にても給與の金額にては支ヘ難きを知る。よしや、萬事に意を用ゐて、此難關を切り拔けたりとて、余が目的の一たる書籍は歸期迄に一卷も購ひ得ざるべし。且思ふ。余が留學は紳商子弟の吞氣なる留學と異なり。英國の紳士は學ばざる可からざる程、結構な性格を具へたる模範人物の集合體なるやも知るべからず。去れど余の如き東洋流に靑年の時期を經過󠄁せるものが、余よりも年少なる英國紳士に就いて其一舉一動を學ぶ事は骨格の出來上がりたる大人が急に角兵衞獅子の巧妙なる技術を學ばんとあせるが如く、如何に感服し、如何に崇拜し、如何に欣慕して、三度の食事を二度に減ずるの苦痛を敢てするの覺悟を定むるも遂󠄂に不可能の事に屬す。之を聞く彼等は午前に一二時間の講義に出席し、晝食後は戸外の運動に二三時を消し、茶の刻限には相互を訪問し、夕食にはコレヂに行きて大衆と會食すと。余は費用の點に於て、又性格の點に於て到底此等紳士の擧動を學ぶ能はざるを知って彼地に留まるの念を永久に斷てり。

(續く)

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出典 
『漱石全集 第八巻』大正9年 漱石全集刊行会



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あとがき
涙ぐましい。年を取ってから行った日本人は、こういう思いだったかもしれません。辻邦生や原二郎先生を思い出す。また、南方熊楠や西脇順三郎の凄さにも思い至る。
「時の專門學務局長上田萬年氏」も調べると面白い方ですね。

どうでもいいあとがき
この漱石全集は昭和44年に仙台で買ったものです。50年前です。この巻が刊行された大正9年は1920年ですから、100年前です。そして、私は明日古稀を迎える(*^^*)

2019年5月8日水曜日

漱石「文学論 序」をアプリ「OCR」にかけてみる、その方法は…

「OCR」アプリの使い勝手をもっと試すことにした。

前々からやりたかった、漱石の「文学論」のデジタル化をやってみた。「序」を少しだけ直接手入力してみたが、面倒で挫折した経験がある。

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国会図書館デジタルコレクションを、「帝國圖書館」(これはiOS上の閲覧アプリ)を使って、iPadで表示しスクリーン・ショットを撮り、できた写真をトリミングしたもの。


これを「OCR」にかけると、こうなった。(結果をメモに貼り付けてある。)


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次は、iPadのカメラでほぼ同時代の(1920年)『漱石全集 八巻』の該当ページを撮った。そしてやはりトリミング。


これを「OCR」にかけたものは…

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比べてみると、iPadのカメラで直接撮ったものからの方が品質がよさそうだ。照明や、ページの開き具合の調整がうまくできればこちらがいいのかもしれない。ただし、大量ページの操作に耐えきれるかは、問題となろう。とりあえず、カメラを使う方法で、序文をデジタル化してみよう。じっくり読むのも兼ねて…

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日常読んでいる種々の文書の内容をメモに取る際に、「OCR」を使うのは、便利かもしれない。「OCR」から、直接カメラを起動できる。この場合はiPadを振り回すより、iPhoneを使うだろう。

2019年5月7日火曜日

OLD REVIEWS用に、「OCR」アプリを本格的に使い始めよう

昨日「発見」したOCRアプリの使い勝手をためした。

4月24日に途中までやっておいた、谷崎源氏の多分初版本の訳者序文の残り6ページほどをデジタル化してみた。結果は上々、つまり今までは校正特に、旧字の入力にかかっていた時間が大幅に短縮された。2時間以上かかり、途中で休憩もしていたのが、1時間連続でできた。ストレスも軽減できたのだろう。



改めて、校正をしてみた感想、
(1)「OCR」は旧字の認識率が良い。おかげで、校正時の文字変換そのものが殆ど不要になった。
(2)旧仮名の「ゐ」を認識してくれるので、これも校正時の作業効率を上げてくれる。

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OLD REVIEWSの記事作成手順は次の通り。

(1)対象記事を、主に国会図書館デジタルコレクションで探す。ここはMac上のブラウザでやるほうが効率が良い。

(2)記事にするページを、画像化する。今回はiPadのアプリ「帝國圖書館」で拡大表示してスナップショットを撮る。複数ページになることが多い。「写真」アプリで、スクリーンショット中の日付時刻など余分な情報をカットする。

(3)iPadのアプリ「OCR」でスナップショットを文字化する。

(4)文字化されたものを「メモ」に貼り付ける。

(5)MacにiCloudで「自動転送」された「メモ」を開き、「テキストエディット」に記事をコピー後、「半角スペース」を一括消去する。

(6)Webアプリ「Writer」に記事をコピー。(エディターなら何でもいいが、私はWriterが好み。)

(7)国会図書館デジタルコレクションの元画像を参照しながら、記事を校正する。

(8)校正が一旦終わったら「校閲君」のWebページを利用して、旧字に関して校正結果の確認をする。必要に応じて「Writer」上で修正。なるべく元の版面の字を尊重する。

(9)ブログ記事に仕立てる。

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この手順でいうと、(7)に最も時間がかかっていたが、そこが手早くできるようになった。

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OCRソフトの内部構造にも興味が出てきた。文字認識に関する学習機能が付けばいいと思ったからで、そんなソフトを今後も探していきたい。「OCR」アプリをもっと使いこなす工夫はもちろんやっていく。

2019年5月6日月曜日

旧字旧かなを認識できる、iOSアプリ「OCR」が気に入った

iPad上に「OCR」というアプリがある。数週間ほど前にダウンロードしておいた無償のもの。試していなかったので、今朝、やってみた。同じiPad上の「帝國圖書館」で後藤末雄の『日本・支那・西洋』と言う本を読んでいたので、その序文の前半をスクリーンショットで画像化し、「OCR」にかけてみた。結果は、思ったより、いや、素晴らしく良好。なにしろ、旧字旧かなをそのままほとんど認識してくれる。

飛び起きて、(寝どこでやっていたので、)Macで校正してみた。従来のOCRの結果よりも、三分の一くらいの時間でできた。このOCRは偶然見つけたが、良い拾いものだった。

OCRでよくある「半角スペース」ゴミが皆無な少ないのも助かる。PDFは認識しないが、jpgを使えば問題ない。PC用のソフトがないのが残念。有償版もあるが、違いは、広告が出ないだけ。

私の目指しているOLD REVIEWSは、ほとんどが旧字旧かなの原稿なので、このアプリが使えればすごく助かる。しばらく使って様子を見よう。継続使用したくなったら有償版に切り替える。

以下は今朝やってみた結果。短時間でストレスなく完成した。

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序言 (後藤末雄)

學者のうちには自分の研究した專門知識を神棚に祭り上げて、ひとりで隨喜の涙をこぼしてゐる者が少くない。私は斯ういふ態度に賛成できないのである。專門知識の社會化もしくは通俗化は學者に課された半面の義務だと信じてゐるからである。實際、學者が專門知識を一般人の教養寶庫に移管しなければ、一國の文化は勿論のこと、世界の文化が進歩し、昂揚する理由はない。併し文化富財を社會化するに當って、最も注意すべきは、知識を低下せずに、これを通俗化することである。そのためには「六づかしいことを、やさしく言ふ」技術が必要なのである。然らずんば、折角の意圖も、あたら目的を逸してしまふのである。

學者の末席に列する私は、大膽にも、かういふ心構へを以て「日本・支那・西洋」の一篇を書き上げたのである。この嘗試が成功したとは信じてゐない。

「日本・支那・西洋」とは、要するに此の三者の文化交流の跡をたづねて、その相互影響を摘要したものに他ならない。東西の文化が接觸すると、この兩文化が如何なる側面に於て、牽引し、或は反撥するに至つたか、言ひ換れば日本人、支那人、西洋人の考へ方、見方、感じ方の差異を指摘して、その特質を闡明しようと試みたのである。主題の內容が極めて廣汎に亙ってゐるから、多種多樣の知識を必要とし、從つて記述も亦多量にのぼる可きことは言ふまでもない。併し時局の關係上、著者には十分の紙幅が與へられてゐない。それ故、遺憾ながら割愛した事實が多いのである。ただ、重點主義を奉じて、日本文化の發達過󠄁程を一瞥しただけに止る。この點に就いては讀者諸君の御諒承を切望するものである。


日本人が海外文化を研究するのは、畢竟、よりよく日本の國情を知り、その文化の本質を知らんがために他ならない。決して我々、日本人は西洋文化その者を知らんがために、西洋文化を研究するものではない。また我々が探求に從事するのも、「物を識る樂しみ」のためにのみ研究を續けるものではない。學問研究の目的は人問を啓發し、啓導することにあると思ふ。まつたく文化科學の價值は「何物かを人間に敎へる」ことにあると私は確信してゐる。(以下略)

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出典 『日本・支那・西洋』 後藤末雄 昭和18年 生活社
国立国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)

あとがき この序言には、後藤末雄の考え方が良く現れていると思える。

2019年5月5日日曜日

後藤末雄のことを調べてみた

後藤末雄の略年譜。(慶應義塾大学学術情報リポジトリから抜粋)

明治19年 東京本所生まれ
明治43年 第一高等学校卒業 東京帝国大学文学部入学
     このころ小説家として出発
大正7年 『ジャン・クリストフ』飜訳
大正8年 永井荷風の推輓により
    慶應義塾大学文学部予科教員 フランス語担当
昭和6年 文学博士
昭和6年 フランス政府招聘による留学(翌年帰国)
昭和8年 『中国(支那)思想のフランス西漸』(博士論文を公刊)

昭和16年 ブーヴェ『康煕帝伝』訳
昭和26年 慶應義塾大学教授(語学研究所)
昭和37年 同辞任
昭和42年 心臓発作により死去 享年82歳

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国会図書館デジタルコレクションや、Google Scholarで見つけたものを読んでいると以下のことがわかってきた。
はじめ小説家として立ったが、飜訳に手を染め、フランス文学を研究することを追求するうちに、日本文学や中国文学を基盤として研究する必要を感じ、後に比較文学と呼ばれる分野を確立した。真摯な研究者としての立場を貫いた。教員としても、厳しい指導で知られた。
教員をしながら、東洋文庫に通いつめ、フランス留学でも国立図書館に日参して基礎文献を徹底的に読んだとされる。

2019年5月4日土曜日

OLD REVIEWS試作版第十一弾…『巴里の三十年』訳者序(後藤末雄)


此書はドーデェが十七歳の時、故郷から巴里に出てきた以來、三十年間の文士生活を記錄したものである。

この著作の證明する通り、ドーデェは纎細な享樂家であつた。アナトール・フランスはドーデェを批評して、「予はドーデェぐらゐ熱烈な愛情を以つて、自然と藝術とを愛した人を知らない。また彼以上、多くの歡びと、力と、優しさを以つて、萬象を享樂する事の出來た人を知らない。」と言つてゐる。蓋し知言であらう。ドーデェは田舍者らしい仰山な歡びを好み、また哄笑を愛して、絶えず饒舌を弄してゐた。ドーデェが闥を排して笑顏を現はすと、如何ほど陰氣なサロンでも、直ぐさま笑ひと歡びとに充ち渡つたさうである。實際、彼は子供のやうに生活を樂しんで、一生を終つた幸福人であつた。そして彼は歡びを樂しむと同時に、苦しみも樂しむことの出來た人であつた。其れが彼の幸福人たる特質であつた。彼は幻滅的な小說を作る時にすら、薔薇色の雲の中に坐してゐた、と言はれてゐる。まつたく彼は笑ひと共に、淚を持つてゐた。

「ドーデェは快活な善人が、常に勝利を博し、陰欝な惡人が、常に所罰される事を確信してゐた。隨つて彼は自己が幸福な人であると同時に、他人の不幸に對して無限の同情を持つてゐた。彼が常に快活であつた理由のーつは、此處に存在してゐた。」とランザムが言ってゐる。

「巴里の三十年」中の各篇は、書物になる以前、大抵、新聞雜誌に掲載されたものであつた。彼が「フイガロ新聞社」を書いたのは千八百七十九年の事で、最後の「ツルゲエネフ」は、此の書の出版された年、卽ち千八百八十年に書いたのであつた。此書の内容に就いては、此書をして語らしめよう。併し、たゞ、一言、書き添へて置きたいのは、著者が深い感謝の念を捧げて、「フロモンとリスレ」の中に描きだした、ドーデェ夫人のことである。ドーデェは此の夫人と、千八百六十七年に結婚した。その後、三十年間の結婚生活は、彼の一生を通じて、唯一の溫い慰籍であつた。

彼が「藝術家の妻」の中に力強く描いた、不幸な陰影に依つても、彼等夫妻の生活は曇らなかつた。ゴンクールの「日記」の千八百七十四年六月五日の條に、斯ういふ記事が見えてゐる。――昨日、アルフオンス・ドーデェが、細君と一緒に來て、我々と午餐を共にした。此の夫妻が共に勞作をする樣子は、兄と妹の仲に似てゐる。夫人も執筆する。そして私は文章上から言へば、夫人も亦立派な藝術家だと信ずる理由が存在してゐる。

要するにドーデェは佛人の銳敏な感覺と、纎細な魂を以つて、「自然」と「人」とを感得し、觀察して、考察した藝術家であつた。その爲に彼は同代人から愛され・今も尙、現代人から愛されてゐる。讀者は此の譯書中に、此の特質を發見するであらう。

予は此書を譯するに方つて、布施延雄氏の助力に俟つことの多かつた事を述べて、深く同氏の勞を謝するものである。

大正八年六月
譯者しるす

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出典 『巴里の三十年』 アルフォンス・ドオデエ 著 後藤末雄訳 大正八年 新潮社
国会図書館デジタルコレクション(下の画像も)

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あとがき
訳者の後藤末雄は、後に『中国思想のフランス西漸』を書いた。平凡社の東洋文庫に收められている。早速、図書館に予約を入れた。なお第2巻はAmazonで超安値のようだ。
後藤末雄の著作や訳本は国会図書館デジタルコレクションでいくつも読める。いろいろ読んでみたい。

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朝から爽やかな天候だったが、夕方雹をともなう雷雨。

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雨上り を待って、図書館に行き、2冊借りてきた。ジーヴスは美智子さまに教わった本。

2019年5月3日金曜日

年寄りの読書は、「失われた」読書時間を「求めて」いるのだろう

『巴里燃ゆ』を少し読み進める。ドーデの『巴里の三十年』のなかの、田舎出の少年が汽車に揺られて巴里に着き、兄に迎えられる話が引用されている。これも国会図書館デジタルコレクションで読んだことがあると気づいた。この本の訳者序もOLD REVIEWSの材料になりそうだ。


昨日気がついた『巴里籠城日誌』はかなり有名で、他の版でも出ているし、現代語訳も複数あるようだ。ここにも、OLD REVIEWSのネタが見つかりそうだ。

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コタツを片付けて、少し居間がスッキリした。片付けで疲れたので昼寝。私のは昼寝と言っても読書主体の昼寝だと強がりを言っていたが、ほとんど3時間も寝てしまった。寝入りばなに2冊ほど読むことは読んだ。

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『戦中派不戦日記』。山田風太郎は風呂好きだったのか、銭湯に関する記述が目立つ。3月近くなって、上がり湯が廃止されたと書いてある。燃料不足か。3月10日の東京大空襲の凄惨な話とともに、本人たちは医学部の進級試験を受けている話が書いてある。東京は広い。


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『失われた時を求めて(6)』は、昨年の出版だが、ずっともったいなくて取ってあった。18日に訳者の高遠先生の朗読・解説会があるので、この機会にと読み始めた。秀逸な訳者解説を読んでいるうちに、寝落ちした。


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昼寝の時ではなく、今朝、原二郎先生の夢を見てしまった。先生に私主催の研修をやっていただいた。夢の中だが、嬉しかった。

2019年5月2日木曜日

いい一日なのだが、じっくり本が読めないのがツライ(*^^*)

久々の夕焼け空。しかし、昼過ぎまでは何度もにわか雨が降る不安定な天候だった。


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その中を、朝、また神保町覆麺にでかけた。今日は息子殿に付き合ってもらった。今回も木曜日なので、例の冷やしだが、今回は牡蠣のジュレと蟹みそも追加されていて、これがまた絶品。三回目だが、まったく飽きない。どころか、これを食べると体中が幸福感にあふれる。素晴らしい。


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少し遅めに行ったので、小宮山書店は開いていた。ここで買うのはほとんど、三冊500円のガレージセールでだけだ。今回は、『パリ燃ゆ』(大佛次郎ノンフィクション全集)の3冊セットを購入。ガレージの本はクリーニングされていないのだが、これは美品、掘り出し物だ。

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帰って、早速昼寝しながら目を通す。挟まれた月報を読んでいると、渡(わたり)六之助のち正元という人の書いた『法普戰争誌畧』が一部引用されているらしい。当時としては珍しい、日本人留学生によるパリ・コミューンのレポートだ。のちに『巴里籠城日誌』という題名でも出版されている。どちらも、国会図書館デジタルオンラインで読むことができる。古めかしい文章だと敬遠する方には、現代語訳もあるらしい。


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面白そうなので『パリ燃ゆ』も含め、色々読んでみたい。

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そもそも『パリ燃ゆ』の古本に出会えたのは、覆麺のおかげだ。覆麺様様!

2019年5月1日水曜日

少し読書し、JKP(ジャパンナレッジ パーソナル)の契約継続するかを検討

『戦中派不戦日記』を読み進める。銭湯の混雑ぶりがすごい。そして、新しい履物や良いシャツなどは盗まれる。空襲の中、死を考える。そして医学生としての学問と病気。

令和元年となったらしい。午前中晴れ間が出たが、午後は昨日に続き雨。

上皇后となられた、美智子さまのお話が天声人語に載っており、その影響で本を一冊予約した。


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夕方借りてきた本。三冊。下のは『椿實 全作品集』。


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ジャパンナレッジ・パーソナルに加盟しているのだが、三年目の契約更新をうながすメールが来た。学士会割引があっても一万七千円(年額)なので、やめることを真剣に考える。やめた場合のカバー策を書き出してみた。

代替案
(1)コトバンクでの全文検索。


(2)近所の図書館でのJKL使用。近々テストしてみる。


決定は今月末までだが、やめても大丈夫そうだ。

2019年4月30日火曜日

渡邉傳次郎先生の「著作目録」を見つけ、また書評探しに復帰

「リサーチ・ナビ」を使う練習として、今日は大学学部時代の恩師、渡邊傳次郎先生の論文類を調べる。

「渡邊傳次郎 東北大学」だと、ヒットするものは少ない。ただし、結果を見ていると、先生の専門分野がわかってくる。というか、思い出してきた。「渡邊傳次郎 固体物理」とか、「渡邊傳次郎 金属」とかすると、かなり良い結果が出てくる。

そして「いわき明星大学理工学部研究紀要 (4)」にも論文があった。「オスロ大学の近況(談話室)」というのもあった。オスロにもいらっしゃったのか。どちらも私が卒業した後のことだ。

博士論文は「Au3Mn及びAu4Mn規則格子構造の電子回折による研究」であったこともわかった。ただし、これはまだ、国会図書館の関西分館に冊子体であるもの、しか見つけていない。すぐに読めるものがないか、リサーチが必要。

他の論文も、国会図書館のものはデジタル版が館内だけで読めると検索できるだけ。今度は論文の題名を、Googleでサーチしてみると、pdf版が幾つか見つかる。

そのうち、Googleで、東北大学が出した「著作目録」が見つかった。これは役に立つ。これが、「リサーチ・ナビ」ですぐ見つかるのが理想だが、まだ今日のところは、偶然というか力づくでサーチしている。まだリサーチャーとしては未熟だ。>自分。

あれ、「渡邉傳次郎」が正しいのか…?

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情報追加。KAKENの「渡辺傳次郎」のページ。https://nrid.nii.ac.jp/nrid/1000050004239/

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ここまで書いてから、青葉台にでかけた。S先輩とI先輩との月例飲み会。ただし、朝、S先輩の奥様から電話で体調がすぐれないので欠席の通知をもらっている。I先輩も以前から体調は優れないので、メールで開催可否を問い合わせたが返事がない。電車内で返信メールを受け取る。やはり出られないとのことなので、下車せずに引き返す。駅員に事情を話したら、電車賃は免除してくれた。ありがたい。

お二人とも、私とはそんなに年が違わない(でも後期高齢者に近いけど)ので、もっと元気でいてほしい。

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帰って、平成の終わりと騒いでいるテレビを見る。江戸時代には天皇即位の儀式を入場券を買った庶民にみせたという興味深い話もあった。

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国会図書館デジタルコレクションで書評さがし。中谷宇吉郎の『日本の科学』や、国会図書館で出した『良書百選』など、面白そう。