2020年10月10日土曜日

『プルーストによる人生改善法』を読み終えた、またプルーストを読み直すきっかけになりそう


『プルーストによる人生改善法』を読み終えた。私にとっては、この最後の部分がこの本の肝だと思った。

172頁。
貧しさが不満な青年のために、ルーブルのシャルダンを紹介するプルースト。

平凡なものを描いただけなのに何故シャルダンの絵は人を楽しませるのか。幸福感すら覚えさせるのか。

178頁。
いま一度よく見ることから出現するかもしれない幸せ・・・

179頁。
『失われた時を求めて』の語り手はマドレーヌを食べようとして、心の奥底の美しい記憶を見いだす。

プルースト的瞬間。

181頁。
凡庸だったのは人生でなく、記憶中のイメージ。

183頁。
意識的に思い出せるイメージでなく、無意識的に思い出せ。

ものの真価を認識する瞬間。

187頁。
古い本(や絵)にたよらず、自分自身のイメージを見いだせ。

188頁。
美は自分自身で発見するもの。

192頁。
貴族とリッツでつきあうより、自宅でのんびりする方が幸せとプルーストは気付いた。

196頁。
アルベルチーヌはフェルメールを知らないが純真だ。

230頁。
「本をやめる方法」は、以下の危険性を知ること。

「作家を神託と間違える」

「いい本を読むと、書けなくなる」
(プルーストを読んだヴァージニア・ウルフ。なんとか、プルーストをやめて「ダロウェイ夫人」を書き終える。)

「芸術を偶像視する者になってしまう」

「『見出された料理』に投資したくなる」

「イリエ=コンブレーを訪れてみたくなる」
(偶像崇拝はやめよう。)

この本は、ご近所の図書館にはなかったので、世田谷区立図書館で借りた。

***


午後は、『トーマス・マン日記』の1937年分に目を通し、『ワイマールのロッテ』を書きながら、坐骨神経痛に苦しむマンの姿を想像してみた。名作の産みの苦しみがもちろんあるし、ミュンヒェンを追われた後のスイスでの生活のストレスも原因としてあったのだろう。この年の前半は脚の痛みで苦しんだ。でもすごいのは眠れなくても執筆を続けたこと。睡眠薬の助けも借りた。

書かないと余計苦しんだことだろう。年の後半はビタミン剤投与でしのぐ。

2020年10月9日金曜日

出版は20世紀初頭のフランスでも、江戸時代の日本でも、なかなか儲からない

5時半起きで『プルーストによる人生改善法』を読む。

138頁。
プルーストは気前が良かった。友人にも、給仕にも。友人への好奇心。友人の話を聞く謙虚さ。そして話し上手。

140頁。
でも内心では友情の価値を認めてない。

142頁。
粗野な振る舞いのジョイスとはそりが合わない。

146頁。
非論理的な会話より執筆が好き。

147頁。
書き直しがすごい。しかも戦争の四年間という時間があり原稿をほとんど書き直してしまう。写真あり。

148頁。
書き直す(修正)とは複数のプルーストが書いたということと考えられる。文殊の知恵。

155頁。
おバカな若者と話している時には、デカルトを持ち出すべきでないと思っていた。

157頁。
「プルーストする」とは心よい気取り。

161頁。
モリエールも好き。本心は生身の劇作家よりも製本されている方がもっと好き。

164頁。
嘲りの手紙は書いても出さなかった。かわりに「賞賛」の手紙を。

165頁。
『失われた時を求めて』は、長い、出されなかった手紙。

***


続いて、『和本のすすめ』(岩波新書)を読む。リビングの肘掛け椅子で読む。

12頁。
レイアウトまで忠実に翻字したテキストで変体かなの読み方を勉強せよ。

「変体仮名ビューアー」
http://mojilabo.com/viewer/
で読み方を練習するという手がある。

16頁。
写本と刊本(板本)とがある。江戸期はその中間。

22頁。
近世出版史の沿革図。これはわかりやすい。

27頁。
『改訂増補近世書林版元総覧』には6569の板元が収録されている。多数。本の取引。市、店頭。

32頁。
本は高価だった。なぜかは後述。

34頁。
京都。出版教は年間200点。17世紀。

35頁。
こんな書肆があった。今でも残っている!

http://www.teramachi-senmontenkai.jp/shop/s06/s06btm.html

52頁の例。
出版にかかった費用現在の価値に直して、計68万円。固定費。

53頁。
500部で用紙代は100万円近くになる。他製本代を加えると総経費800匁、250万位。1冊6000円で全部売れても850匁。300万。もうからない(T_T)

『続和本入門』橋口候之介3章。

55頁。
版権・著作権。

2020年10月8日木曜日

創造する人は、病にも苦しむのかも


朝の読書。『プルーストによる人生改善法』の続きを読む。

92頁。
プルーストは医者を信じない。当時の医学も。

108頁。
プルーストは率直。『カラマーゾフの兄弟』を書いたのは誰かと質問するくらいに。

115頁。
物事にふさわしい言葉を探す。失敗だらけになるが、あきらめない。

116頁。
使い古された言い回しに異議を唱える。決まり文句だけじゃダメ。

120頁。
名文の下手な模倣を嫌う。

128頁。
1872年(プルースト生年の翌年)モネは『印象―日の出』を出品。

130頁。
「自分たちが感じることに、現実と大きく異なる表現形式を与えておいて、そのくせしばらくすると、それを現実そのものだと思ってしまうこと。」は万人共通と見なしていた。

131頁。
バルベックにも「印象派画家」を一人登場させた。エルスチール。

132頁。
私たちのなかに未知のまま眠るものに気付き、驚くべきだ!

***

昼の読書。

『日本人の知性 19 辰野隆』(学術出版会)を拾い読み。

167頁。
辰野隆も書斎で炬燵を愛用していた。眠気を誘う所が良い。発狂しないから。


同じく、昼。

夏樹静子『椅子がこわい 私の腰痛放浪記』(文藝春秋)を一気読み。

105頁。
河合隼雄の助言。あなたの「腰痛」は、新しい境地への生みの苦しみだ。

#これはトーマス・マンが、『ファウストゥス博士』を書いている間に大病したのと似ている。

最終的には、断食をもちいた入院心理療法で快癒。新境地に達したかはわからないが、一年間休筆し世界や日本を旅行した。めでたい。



2020年10月7日水曜日

「伯爵ロス」を癒やすには別の読書計画を考えるのが一番

『プルーストによる人生改善法』をもう少し読む。

33頁。
引用 『実際、あらゆる読者は本を読むあいだ、自分自身の読者なのだ。』

良い意味でも、悪い意味でもこれはあたっている。

43頁から44頁。
非常に長い文章の例。なんのために……

60頁。
引用 「これはプルースト的スローガンたりうる。『急がないで』。急がないことの利点のひとつは、世界がますますおもしろくなる可能性が生まれることだ。」

プルーストは、新聞や雑誌に載っている短信を好んだ。#簡潔な文章の裏に潜んだ、当事者たちの長い長い物語を想像して、楽しんでいたと思える。

鷗外の『椋鳥通信』を思い出した。まるで、Twitterの文章のような短い欧米の出来事を延々と、雑誌に発表した。これは楽しみというより、興味があったというのが正解だろう。留学中に垣間見てきた世界を、もっと理解したいという欲望。『椋鳥通信』は岩波文庫で3冊。まだ上巻しか読んでいない。索引があるかと『鴎外全集』の該当巻を借りようとしたが、まだ果たしていない。近いうちに借りたい。

『椋鳥通信』にはトーマス・マンも顔を出す。たとえば、岩波文庫版(上巻)の181頁。ベルリンでマンの「フィオレンツァ」が1909年12月9日に上演された。これを書きながら、鷗外は何を思っていたか。調べたい。日記と対照しよう。

などと考えた後、『文学こそ最高の教養である』をめくっていたら、フィッシャー書店でトーマス・マン全集の「批判的校訂版」を出しつつあると書いてあった。229頁。1974年のフィッシャー版の全集は新潮社版と同じく13巻だったそうだが、今回は大量の批判的校訂が一冊ずつ追加されて、しかも日記も追加されるので、三倍近くになるそうだ。作業量も膨大なので、2030年ごろまでかかりそうだという。すごい、欲しい。翻訳はまず出ないだろうし、出るとしても10年は余計にかかるだろう。2040年に出揃うという超楽観的憶測でも、私は90歳位になる。読めるかどうかかなり疑問。ドイツ語を習ってフィッシャーの「批判的校訂版」を読むほうが早道なのかもしれない。前向きに検討する。既刊の「フェーリクス・クルル」の現物をすぐ入手したい。


***

朝、ARのしごと絡みで早起き。窓を開けたら、金星が輝いていた。それで思い立って、SFアンソロジー『スターシップ』のなかのブラッドベリ、「すべての夏をこの一日に」を思い出して読んでみた。金星の輝きはそれを覆う雲のせいだが、その下はいつも大雨で、7年に一時間しか太陽を見ることが出来ない。そこで暮らす子どもたちは……という話。金星の雲の下は大雨という発想はよく使われるようだ。たとえば、『金星の謎』も。

2020年10月6日火曜日

『モスクワの伯爵』読了、いま伯爵ロス状態

『モスクワの伯爵』、早くも読了。本当なら「モスクワの伯爵」ロスを避けるために、もっとゆっくり読めばいいのだが、それを許さない面白さ。著者エイモア・トールズは、この本の最後を完全な結末にしていないので、続編を書く気はあるのだと思う。アメリカに亡命するかもしれない。全くの私見なので本気にしないで欲しい。

とりあえず……

340頁。
まかされた子供の世話に戸惑う伯爵に裁縫師マリーナが助言。

もし迷ったら、「大人と違って、子供は楽しくありたいんだってことを思い出して。」と。

347頁。
党幹部のオシプに、仏、英のことだけでなく、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』を教える、筈だったが子供の世話で準備できなかった。その後、アメリカ研究には映画を観るという手段が選ばれる。

370頁。
1946年ヘスキップ。このころまでに行列国家になった。その数年前ナポレオンについでドイツ国防軍がロシアの冬に敗退。

375頁。
スクワット15回!年か?

380頁。
60代にならんとする(伯爵)

386頁。
強制収容所から(一時的に)戻った友人。

394頁。
政治局員はトクヴィルをあきらめ、映画でアメリカを研究した。ボガードがお気に入り。『カサブランカ』は別。

「娘」が怪我をし、病院に行くため、はじめてホテルを出る。政治局員に助けられる。戻って米国人のプレゼント、カーネギーホールでのホロヴィッツのチャイコフスキー1番を聴く。

中略

583頁。
1954年。
すったもんだを一応片付けた後、猫(亡霊)に会う。

584頁。
朝、スクワット5回。まあ許せるね。

終わった。映画『カサブランカ』的な終焉。

次作書いて欲しい。書くとしたら、どうなるのだろう!Nを探しに行くと推察するが。

この本を読みながら、いろいろな曲を聴いていたが、今日はいままでま聴いたことがなかったショスタコーヴィチをBGMにしてみた。ちょっとおもしろそうなので、『ショスタコーヴィチの証言』(水野忠夫訳 中央公論社、1980年)を図書館で借りることにした。

ショスタコーヴィチで思い出すのは、『河岸忘日抄』(新潮文庫)で、「弦楽四重奏曲第四番&第八番」のLPが重要な役割を果たす。ボロディン弦楽四重奏団、マーキュリー・レコーズ。
それはこれのことか……
https://youtu.be/yavWK8tViZI

***


午後、アラン・ド・ボトンの『プルーストによる人生改善法』(白水社)を読み始める。

20頁。
プルーストは、「職業への抱負をひとつも抱いたことがなかった。」
当初、司書になれるか、試しにやってみたが「埃っぽ過ぎる」ので断念。まだ金持ちぼんぼん。

2020年10月5日月曜日

『モスクワの伯爵』、最高です

ブログの下書きをiOSの「メモ」に書くことにする。今までは手書きしていたが、あとで読めない(*^^*)ことが多いので。ブログ化する場合は、Writer(インターネット・タイプライター)にコピーして、修正してからとしよう。


『モスクワの伯爵』、読書快調。実に面白い小説だと思う。最初はお気楽な感じだったが、時代が進むにつれて、スターリニズムの影響が濃くなり、楽しい軟禁生活でもなくなっていく。そのなかで、常に明るく振る舞おうとする伯爵が「偉い人」に見えてくる。

170頁。
朝帰りして帰り、エレベーターで猫に叱られた。

182頁。
いつの間にか1924年。軟禁(?)開始は1922年6月21日。

素数を探求する友人の指導をする。

※ところで昔住んでいた部屋はスイーツ🍡じゃなくてスイートだ。

188頁。
晩餐会の席の配置が上手な主人公。

194頁。
ラベルを剥ぎ取られた10万本のワイン。

ロシアの痕跡が根こそぎにされつつある。

226頁。
ニジノ・ノヴゴロドの林檎の木々が蜜蜂を使って、危機を救う!

232頁。
時代進む。朝食のコーヒーを沸かしながら、スクワット30回。私71歳と同じ回数。50回やりなさい。ビスケットと林檎の朝食。

274頁。
金がなくなったのか、あるいはみずからなのか、レストランで働いている。極めて有能。292頁。

クラシックの方が好きだが、素朴で、頭にうかんだことをすぐ口にするようなジャズも許す。お気楽なアメリカ特派員みたいなジャズ。

305頁。
マヤコフスキーのピストル自殺。

308頁。
8年スキップ。1938年。

315頁。
旧知の友人の5歳の子を預かる。友人はシベリア送りの夫を追って出かけるのだ。数ヶ月で引き取りに来ると言って。

322頁。
スクワットの回数が20回に減っている。しっかりして欲しい。年季がたてば、回数が多くなるのが普通だ。

***

今夜は思い立って、エビ入りシュウマイを作ってみた。形は悪いが美味い。

2020年10月4日日曜日

軟禁された『モスクワの伯爵』の友達は猫と子供


エイモア・トールズの『モスクワの伯爵』(早川書房)を読み始める。

昨日まで読んでいた『賢者たちの街』にくらべて、語り口が軽い。したがってこの本の方が売れたらしい。たしかに読んでいて楽しい。

革命後、銃殺はまぬがれたが軟禁ときまり、モスクワのホテル(それまでも住んでいた)の、スイーツから従業員部屋に移される。

35頁。
ロシアンブルー登場。この猫や子供が友だちになる。(カバーの絵を参照。)

37頁。
この狭い小部屋にふさわしい読物は、モンテーニュ、としゃれる。

45頁。
モンテ・クリスト伯。セルヴァンテス。ナポレオン。偉いところは、境遇の主人であること。奴隷ではない。

この主人公の方法はロビンソン・クルーソー。(なんでも自分でやる。部屋を「拡張」し、秘密の書斎を作る。)

50頁。
でも、モンテーニュを読んでいると眠くなる。

56頁。
立派だった口ひげ、「きれいさっぱり剃ってしまってくれ」彼は(ホテルの)理髪師にそう告げた。

68頁。
決闘名物。『オネーギン』、『戦争と平和』、『父と子』、『カラマーゾフの兄弟』

142頁。
クリスマス。例の猫のドロッセルマイヤーが片目で見守る中、プレゼントを…その後、『クリスマス・キャロル』を読む。

151頁。
ロビーで例の猫のクトゥーゾフ陸軍元帥の冒険を目撃。

165頁。
生まれ故郷ニジノ・ノブゴロドは林檎の産地と、仲直りした犬を連れた女優に打ち明ける。女優は漁村の出身。

2020年10月3日土曜日

『賢者たちの街』を読むと1938年のニューヨークに行きたくなる、言及されている多くの本を読んでみたい

『賢者たちの街』続きを読み出したら止まらず、午前中に読みおえてしまった。

277頁。
かつて1917年 米国第一次世界大戦参戦。物語の年、1938年 スペイン内戦 に義勇兵として参加する主人公の金持友人はクイーン・メアリー号の一等に乗って行く。彼は結局戦死するが、主人公に贈り物を残してくれた。

293頁。
送られる車の中でビリー・ホリディの「ニューヨークの秋」を聴く。ベラルーシからの移民ヴァーノン・デュークの作った曲。この時送ってくれたヴァルと後に・・・

ニューヨークの秋は、不思議な雰囲気なのだ。

296頁。
敏腕編集長からテストされ、ある作家の原稿への文体的な感想を求められる。ヘンリー・ジェイムズ風でなく、ヘミングウェイ風にすべきと答えて、合格。

303頁。
安らかに眠る友人を眺めながら、自分の寝姿をみたいと思う。このころはスマホがないのだ。

313頁。
1938年1月から始まったこの物語。まだ1年経っていない。もっと長く感じる。

320頁。
ソローを読む若者たち。

324頁。
子供の頃読んだ冒険紛語たち。『モヒカン族の最後』から『ロビンソンクルーソー』まで。

326頁。
「内に冷静さを秘めている」主人公。

328頁。
相手の読んでいる本にカードに書いた手紙をはさんでおく。

330頁。
ハリウッド俳優の恋愛事情にも詳しくなった編集者の主人公。

333頁。
ヴィレッジの古本屋、カリプソへ。恋人との待合せまでの暇潰し。

ジョージ・ワシントンの金言集を買う。

381頁。
コルビュジュの『伽藍が白かったとき』を読むとニューヨークがもっと好きになる。この本注文した。植草甚一のニューヨーク本も出して読んでみた。

404頁。
『大いなる遺産』も読み返すか。『自分だけの部屋』は最近読んだばかり。

悲しい物語は終ったが、差別に苦しむ若物の哀しみは続く。一部、映画『追憶』に通じるところもあった。ニューヨークも傷つきながら、存続を続けている。

同一著者の『モスクワの伯爵』(早川書房)も、明日読むことにしよう。そして、この本について、ネタバレOKの友人と語りあいたい。

書評はこちらに。

https://allreviews.jp/review/4980

***

幸せな寝姿を見たいという話が出てきたが、孫の写真を見るとたしかに幸せそうだ。いつまでも見飽きない。

2020年10月2日金曜日

『賢者たちの街』は読書好きにはこたえられない小説

今朝の林檎は「秋映」、青森産。すこし小ぶりだが、非常に甘い。秋が来たと感じさせる。


***

トーマス・マンと鷗外の、同一年の日記を比べてみるというアイディアを考えた。トーマス・マンが日記を破棄した年があるので、比べられる年は少ない。かろうじて、1918年から1921年の分が捨てられずに残っていたので、これと委蛇録(1918年=大正7年から1923年=大正11年)の一部を比べればよいか。まずは、トーマス・マン日記の該当のものを入手する必要がある。

鷗外の「小倉日記」を読んで見る。明治34年1月15日に、「即興詩人」を訳し畢るとある。小倉赴任直後は生活を軌道に乗せるので、読書や書籍の購入は少ない。そのかわり、家政上の細々としたことの処理に時間を費やしている。しかも、それらを決していやいややるのでなく、着実に、多分少し面白がりながらやっている。これは鷗外らしいところだ。10年くらい後に、小倉での生活を「鶏」や「独身」という小説にしている。こちらを読むと、やはり日記に書かれたことを材料にして小説を書いているのがよく分かる。

***

昨日借りてきた『賢者たちの街』を読み始める。前評判通り、とてもおもしろい小説。「狂言回し」は、「本」である。読書好きの主人公がついに、出版社に勤め、有名編集者や敏腕編集者に目をかけられる所まで来た。450頁以上の長い小説だが、あと残りは半分。



2020年10月1日木曜日

出口裕弘『辰野隆 日仏の円形劇場』(新潮社)は読み物としても面白い

出口裕弘『辰野隆 日仏の円形広場』(新潮社)を、昨日夕方から読み始め、今日の午後読み終えた。出口裕弘の辰野隆への敬意に溢れた本。面白い。

明治維新で幕府側を応援したフランスが、新政府を応援した英国などの日本への影響下で、失った失地を文化的な面で回復する過程を、東大仏文科の歴史の中の辰野隆の評伝として描くという新機軸の展開の一冊。あまり正確でない引用を交えて読書の印象を紹介してみる。


明治初期の親仏派は、たとえば大山巌、西園寺公望、栗本鋤雲、成島柳北など。その後は、たくさんいるのだが、永井荷風や山内義雄など。

辰野隆は荷風の作品はきちんと読んでいるが、人間としては嫌いだった。(こういう人は多いだろう。)

辰野隆は仏文学の泰斗や作家をめざすというより、30年間ひたすらフランスの文学を読み続けて、「一流の読者」を目指したという。父辰野金吾の遺産があり、その死後すぐにフランスに留学したが、贅沢な生活を送れたようだ。もちろん、読書量は凄い。かれは、留学前にもどんどん雑誌や書籍を取り寄せて、外国文学の紹介をたっぷりした。「信天翁の眼玉」というフランス文学通信の連載があるそうだ。(読んでみたい。でも国会図書館DCで非公開。)

東大仏文科もそのころ、だんだん入学者が増えてくる。渡辺一夫もその一人だが、フランス語を精密に読んでいくやり方は、辰野隆のとは違っている。

江川太郎左衛門の子孫の久子と結婚。博士論文は「ボオドレエル研究序説」はきちんとした論文だが、その後の著述は洒脱な物が多い。

留学で一緒だったのが山田珠樹(森鷗外の長女茉莉の夫だ)で、二人でやりたい放題。大正10年(1921年)6月から、大正12年3月までの留学。この時期、円が強かった。なので専門など掲げずにすみ、「すごい強気の」留学記も書くことが出来たという。

大正14年、仏文科には23歳の小林秀雄が入学。本を貸すとひどく汚して返してよこす、講義中の辰野隆に金を貸せと迫る(10円貸した)など手がつけられないが、その才能を愛して可愛がる。

その後、中村真一郎が入学してくるが、彼は仏文科の中で弟子にしたかったのだろう、講師に任命する。中村はその後助教授への誘いは断り、作家への道を歩むことになる。

このあたりで、東大仏文科と「文学の実践」との美しい蜜月は終わりをつげ、真面目なフランス文学研究のみが幅を効かせるようになることになったらしい。「豪傑」の時代は終わりを告げた。