2020年10月2日金曜日

『賢者たちの街』は読書好きにはこたえられない小説

今朝の林檎は「秋映」、青森産。すこし小ぶりだが、非常に甘い。秋が来たと感じさせる。


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トーマス・マンと鷗外の、同一年の日記を比べてみるというアイディアを考えた。トーマス・マンが日記を破棄した年があるので、比べられる年は少ない。かろうじて、1918年から1921年の分が捨てられずに残っていたので、これと委蛇録(1918年=大正7年から1923年=大正11年)の一部を比べればよいか。まずは、トーマス・マン日記の該当のものを入手する必要がある。

鷗外の「小倉日記」を読んで見る。明治34年1月15日に、「即興詩人」を訳し畢るとある。小倉赴任直後は生活を軌道に乗せるので、読書や書籍の購入は少ない。そのかわり、家政上の細々としたことの処理に時間を費やしている。しかも、それらを決していやいややるのでなく、着実に、多分少し面白がりながらやっている。これは鷗外らしいところだ。10年くらい後に、小倉での生活を「鶏」や「独身」という小説にしている。こちらを読むと、やはり日記に書かれたことを材料にして小説を書いているのがよく分かる。

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昨日借りてきた『賢者たちの街』を読み始める。前評判通り、とてもおもしろい小説。「狂言回し」は、「本」である。読書好きの主人公がついに、出版社に勤め、有名編集者や敏腕編集者に目をかけられる所まで来た。450頁以上の長い小説だが、あと残りは半分。



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