2017年5月31日水曜日

「高安関、大関昇進おめでとう」とマイルスやスティーブ・ジョブスが言った夢をみ鯛

 気負わない、良い昇進の記者会見でした。体に気をつけて頑張って欲しい。

 昨夜の年上の友人との飲み会でも、高安の話題が出て評判は良かった。気持ちよく飲めた。帰って、久しぶりに(ストリーミングでなく)CDで、マイルスの「TUTU」を聴いた。優しい曲調だと感じた。酔っていたせいだけでもなさそう。

 1987年のグラミー賞をとっている。「ハード」なジャズではないので、Jazz批評家の評価はあまり高くなかったらしい。
マーカス・ミラーを中心にして、マルチレコーディング手法を駆使して作らせた。と、『マイルス・デイビス自叙伝2』には書いてある。(1999年 Jicc出版 P208)

 妥協の嫌いなマイルスが、部下を信頼して、最小の指示で作らせた、そして自分はソロで参加したアルバムなので、上記の感覚が生まれたのだろう。

 これは、なかなか難しい問題で、スティーブ・ジョブス亡き後のiPhoneの評判の良し悪しにも通じる。もちろん、「TUTU」が好きだからと言って、最近のiPhoneのほうが良いという単純な話をしているわけではない。集団で作られるモノの商品価値を決めるのは、複雑な、つまりリゾーム的要因群がからみあったものだろうと言うこと。

 単純な分析的思考では(つまりトップダウン、ウォーターフォールでは)良い商品はつくれないことのひとつの表れでも有る。

 高安が記者会見の前に持ち上げていた、祝い鯛は大きく重かった。さすがの高安もしばらく持っていると手が震えるくらいに。大関や横綱の地位を長く保つのもこのように難しかろう。

By Miya - Miya's file, CC 表示-継承 3.0Link

 
 

2017年5月30日火曜日

植草甚一先生はやはりサイコー

 三島由紀夫の自殺が隅のTVで報じられている大学の学食で、クラスの皆が驚いて騒いでいたが、私は冷静に『僕は散歩と雑学が好き』を読んでいた。

 なので50年近く、植草甚一さんの本を読み続けていることになる。刊行された著書は99%持っているし、全部読んだ。

 最近(昨日ですが)、1960年台の米国文化について調べていたが、植草さんの『カトマンズでLSDを一服』を参考書にした。もっとも、植草さんは一回もLSDなぞ飲んだことはないだろう。にもかかわらず、迫真の記事を書いてしまう。

 ニューヨークに行ったことがなかったのに、誰よりも街の情報に詳しかったし、晩年に本当に行ったときには、案内がいらなかった。

 雑誌や本に頼るだけで、マニア顔負けの情報を手に入れて、ものを書く。森鴎外(『椋鳥通信』)よりこの点では勝っている。

 昨夜、ついでに読んだ『植草甚一の研究』(1980年 晶文社)にも、おもしろい日記風のエッセイが掲載されている。

 「シドニーの本屋を覗いた九日間」は、2000豪ドルを握りしめて、シドニーに行き、観光はそっちのけで、古本を買い漁るおはなし。そういえば、ニューヨークに行ったときも、本屋さんに入り浸っていたようだ。

 「昭和二〇年に買ったり読んだりした本」は、新宿文化劇場の主任をやりながら、空襲のさなか、やはりまめに古本屋通いを続けるお話。ドサクサの中洋書も交え、生活の役には立たない本を買いまくる人も凄いが、商売とはいえそれを売っている古本屋さんも凄い。文化の層の厚さを感じない訳にはいかない。

 生き方として、この姿を若いときに学んでしまったので、もう治らない。小遣いはすべて本につぎ込む覚悟。

 ところで、この『研究』にも、植草さんの手書きの日記が掲載されている。會津八一先生のおっしゃるような、技巧を凝らさず読みやすい、大きめの正方形の字が印象的。これも見習うべきだろう。

 お許し願って、一部の画像を、掲載してみよう。


2017年5月29日月曜日

ヒッピーの日々は遠いようで近い

 良い本の定義は、別の本をよむ気にさせること、と思っている。良い映画を観た後も、またすぐに映画を観たくなる。映画館での予告編の大切さがここにある。

 要するに私にとっては本も、映画も麻薬的な魅力を持っているということだろう。「好き」の定義もここにありそうだ。

 最近、Amazonビデオで映画を幾つか観た。昨日は家人が外出していたので、暇に任せて、2本。寝転びながらiPadで観てしまった。そして2本につきTweetした。


そして




 一本目は、どうも世の中で駄作と言われることがあるらしい。たしかにどこかで観た映画に似ている(「ある愛の詩」とか)ので、観ていても飽きるところがある。ただし、楓の黄葉と、主演のヒロイン、ウィノナ・ライダーは美しい。

 ウィノナ・ライダーは後に万引きで捕まったことが有る。てなことをWikipediaで読んでいたら、後見人がティモシー・リアリーだったとも書いてある。

 そこで、ティモシー・リアリーについても、知ってるつもりで済ませないで、少し当たってみた。松岡先生にも伺った。すごい量の本のリストを示された(T_T)

 チベットの死者の書を読みたくなったが、手元にないし困っていたが、『チベット密教の本』(1994年 学習研究社)に紹介が載っていた。いまから20年前、旧職場(藤が丘)の一部の人の間で、チベットがブームになった。ダライ・ラマのドキュメント映画など連れ立って見に行ったが、その前後に買ったもの。

 中有のころ(日本だと49日まで)に魂がさまよう話がチベット死者の書には書かれているが、ティモシー・リアリーは、LSDと魂の離脱について、そしてその時の心の状態について調べたようだ。「幽体離脱」も研修時に例え話で使ったことが有る。平静心でとらわれずに自分を見つめる。
 
 LSDやヒッピーの話は、植草先生に聞くのがよさげなので、また納戸の本棚から『カトマンズでLSDを一服』(1976年 晶文社)を引っ張り出してきた。



 それによると、ティモシー先生よりAndrew Weil博士の『The Natural Mind』を読みなさい(マトモだから)とある。高くて困ったが、一章だけならテキストがWebに転がっていた。これと、植草先生の解説で我慢することにした。

***

 ところで、上記の映画の2本めは、2004年のいわゆるロード・ムービー+男の友情もの。カリフォルニアのワインバレーが舞台である。ワインが飲みたくなるが、酔っても運転しちゃうのが行けないと思った(嘘)。

 『イージー★ライダー』だと、最後には南部でうちころされてしまうが、カリフォルニアはさすがに開けているらしく、最後がハッピーエンド。

 『イージー★ライダー』はAmazonビデオでは無料対象でないので、『俺達に明日はない』か『モーターサイクリストダイアリー』でも今度観ることにする(*^^*)

 長姉の49日はもうじきだが、彼女は心がけが良かったのでもう天国に行って遊んでいることと思う。合掌。

2017年5月28日日曜日

「『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』続巻内容予測」プロジェクト開始しました

 未完に終わったトーマス・マンの『詐欺師フェーリクス・クルルの告白』の続きを読みたいのはファンとしての切なる願いです。お願いしても誰も書いてくれないので、自分で書く、のは難しいので内容を想像して楽しみたい。プロジェクトの顧問(って何だ?)としては、クルル先生とトーマス・マン先生をお招きする予定(^_-)
 
 まず、自分の過去のブログ記事をまとめて読んでみます。プロジェクトで行うべき項目は入っているでしょう。2011年2月以降、14個ある。

 よく書いたもんだと自画自賛。題名をクリックすると記事が読めます。 > 自分。

 以下のとおりです…

1. 「詐欺師フェーリクス・クルルの告白」執筆にもペルソナ手法が用いられていた

   この記事はこのプロジェクトのきっかけです。重要。 > 自分(*^^*)

2. トーマス・マンとジーンズ卿の宇宙論

3. 小塩節先生の「トーマス・マンとドイツの時代」を読んで

4. 詐欺師フェーリクス・クルル、リーヴィット、そしてトーマス・マンの乗ったOcean Liners

5. 年金生活者ならではの楽しい読書生活のノウハウ 6.ヴァーチャル旅行中の読書

6. 書かれなかった作品を想像し鑑賞する楽しみ   

7. 読んで調べて読んでまた読んで〜♫

8. 獄中記はなぜか面白い、ジョブズの新伝記よみたいぜ

9. 『獄中記』による勉強が楽しい、まだ読み終えてないが

10. ウディ・アレンの「自伝映画」を観て考えたり、ルカーチ本を読み始めたり

11. 冬休みの宿題 読書感想文『ロマンの魔術師』(その2) 付録『戯作三昧』つき

12. ルカーチ『ロマンの魔術師』でトーマス・マンはいつまでも一人前と認められない?

13. 雨降りなので宇宙論を勉強しよう
    宇宙論史のサブプロジェクトも必要なのだが…顧問はリービットさんね。

14. クックック教授の宇宙論、命題2について 

  我が集合住宅の花壇。綺麗です。


2017年5月27日土曜日

昨夜、映画2本観ましたので寝不足です

 船越英一郎と美保純が出演するNHKTVの午後のバラエティを観た。一昨日。




 早速、本屋に駆け込んだが、滝口悠生さんの本(『愛と人生』)はなかった。Amazonでも在庫なし状態。Kindleで入手するしか無いかな。

 寅さんは観ることにした。




 ついでに、これも観た。




 おかげさまで、今日は三日酔いでなくて、寝不足でふらふら。

 『會津八一書論集』も少しだけ、読み続けた。篆書は「ぼーっと」書くのがいいらしい。私がやるとただの下手くそと思われそうだ(^_-)


2017年5月26日金曜日

二日酔いの戯言

 昨夜は、大先輩たちと三軒茶屋で半年ぶりの飲み会。健康回復したので喜んで飲みすぎました。おかげで今日は二日酔い気味。胃腸は普通に働いており、朝食も普通に食べた。でもアタマはぼーっとしている。

 実は二日酔いでなく、老化現象ではないのか?というギモンは振り捨てて、PCに向かう。

 昨夜はすぐ寝たので、本を読んだりビデオを見たりはできなかった。今朝は、Twitterで宣言して置いたとおり、「男はつらいよ 寅次郎相合い傘 (第15作)」を見ようとしていたら、別件のオシゴトがはいり、ビデオ鑑賞は果たせなかった。

 オシゴトに関する愚痴のツイートは以下の通り。




 ついでにもう一つ、呟いた。




 「お役所仕事」に対応するための、年寄り向け、AIシステムが、必要かもしれない。ロボット君が相手してくれる方がよさそうだ。誰かクラウドファンディングしてやりませんか?

2017年5月25日木曜日

『猫のゆりかご』の読中記

 要するにまだ、読み始めたばかりです。例によって、というかこの本は、まったく内容を覚えていない。ひょっとして読まなかったのではないか。昨日に続き、自分の記憶(想起)能力に深刻な疑いを持たせる現象です。ともかく、古い本でも新しい本と同様に楽しめるのは得だ。

 原爆が広島に落ちされた日に、それを開発した科学者たちは何をしていたのか、というレポート本を書こうとする主人公(多分作者KVJの分身)が、仕事をはじめました。

 ある、科学者(ハニカー博士=故人)の息子(たまたま主人公と同窓生だった)に問い合わせの手紙を出し、情報を得て、裏を取りに、ハニカー博士の上司の管理職科学者の職場にインタビューに行く。そして科学に関する無知さをなじられるところまで読みました。

 まだ、序の口ですが主人公(KVJの分身)は、広島の惨事に関する「正しい」認識を持っていない。ただし、マッドサイエンティストに対する怒りだけは持っているようです。これでは、KVJの放射能症への認識はゼロと言えそうだ。

 しかし、ここまでに伏線らしき記述があります。このあと主人公は新興宗教「ボコノン教」に染まるらしく、そのほのめかしがあります。「ボコノン教」の教えに従う形で、原爆開発への怒りを表現するかもしれません。

 邦題「猫のゆりかご」はCat's Cradleの訳で、あやとりの意味らしい。猫はあやとりが好きなんでしょうか?文庫本表紙カバーのイラストは和田誠さん。


2017年5月24日水曜日

カート・ヴォネガット(・ジュニア)は、拾い読みでは済まなくなってきた

 偶然、潜在意識を考慮すると必然、再会したKV(J)の本。『屠殺場5号』だけで許してもらおうとしたが、やはりそうはいかない。

 昨日午後、駅前のマクドナルドで最後の部分と訳者後書きを読む。

 人生にはいろいろな局面がある。幸福な瞬間に意識を集中し、不幸な場面は無視せよ、とKVJは言う。永劫は幸福な瞬間にあるそうだ。スバラシイ。
 もっとも、主人公ビリーは人生のいろいろな瞬間を行ったり来たりできるので、上記の教訓を楽しめる。

 後書きには、ドレスデン爆撃と広島(長崎)を死者の人数で比較している作者は、広島(長崎)の放射能症を考慮したかという訳者(伊藤典夫さん)のコメントが含まれる。

 この件はやはり追求しなければいけない。

 KV(J)の著作はたくさんある。手元には1970年前後に出た邦訳本が数冊有るだけだ。全部読まないと気が済まないが、なにから読んでいけばいいのか。

 慶応出身の永野文香さんの論文(の査読記録)など参考にすると、まず『猫のゆりかご』(1979年 ハヤカワ文庫)から始めるといいようだ。幸い手元にあるし。広島に原爆が落ちた日に原爆を作ったひとは何をしていたのか主人公が調べて本を書こうとするというのが、この本の発端である。



 『屠殺場5号』以上に『猫のゆりかご』に関しては記憶が薄い。というか、まったく記憶にない。気合を入れて読むには好都合だ。

 脱線する。これほど記憶力が悪いと、心配になってくる。生きていく上で大切なことを、実はもう忘れ果てているのではないか。大丈夫なのか。前頭葉とか理性とかいう言葉が浮かんできたが、なんとなくぼんやりとして…

2017年5月23日火曜日

『屠殺場5号』を読んで色々考えた

 良い本の条件は以前考えた。「他の本を一冊以上紹介してくれること」である。直接書名を言及してあってもいいし、挟み込んだ広告に紹介があってもいい。潜在意識に働きかけて、連想で他の本を想起させてもいい。

 これを拡大解釈してもよかろう。『屠殺場5号』は広い意味での良書である。カート・ヴォネガット・ジュニア(KVJ)の『SLAUGHTERHOUSE-FIVE』(1969)を伊藤典夫さんが訳し、1973年に早川書房が出版した。



 KVJは1945年のドレスデン空爆のとき、捕虜として現地に居たのだろう。その前後の恐怖体験を20年以上経って、やっと小説にした。直接的には書けなかったので、SF小説仕立てにしたと思われる。

 ドレスデンには10年以上前に観光で行ったことが有る。爆撃でバラバラにされたマリーエン教会の復興はほとんど未完成だった。崩れ落ちた石のかけらが拾い集められ、番号をつけて棚に並べられていた。その後、原型に近く修復されたと聞く。

 無差別爆撃はその後、東京などにも行われ、広島長崎は原爆でやられ、ベトナムもやられ、イスラム諸国も…

 KVJと略したが、1976年以降はジュニアはとったので、KVだ。



 本の裏扉に「1976.2.22 渋谷大盛堂」とメモ書きがある。このようなメモは私としては珍しい。
 40年前に読んだはずで、たしかに全体の雰囲気と、断片的な記述の記憶はある。しかし、細部のプロットや言い回しやジョークはまったく覚えていない。なので、結構楽しめる。

 こうなると、昔購入した本を、改めて読み直すのも悪くないと思えてきた。経済的理由で新本はなかなか買えないが、買えなくても困らない。昔の本を引っ張り出して読めばいい。自分の好みに合った本を選ぶのは難しいが、昔の自分に選んでもらえれば確実だ。

 良い本の定義をまたひとつ考えた。
 「読み直しても再発見がある本。」

2017年5月22日月曜日

YMOを聴き、カート・ヴォネガット・ジュニアを読んだ遠い日々。

 いつの間にかYMOがAmazonプライムにもAppleミュージックにも降りてきている。のに気づいたので、今朝からBGMとして流している。発売当時はワクワクしながら聞いていたが、今はのんびり仕事の片手間に聴けるのはなぜ?音楽は直接に脳に作用するので、慣れると感覚の麻痺性が薄れるからか。

 話題の映画や展覧会にからむ、要するに映画の原作や絵のテーマを題材とした小説など、を捜して読む。必ずしも全部読みたいとは思えないときには、保険をかける意味で、Kindle本を捜し、お試し読みをする。それだけで用が足りてしまうことも多い。

 Kindle本を捜すと、当然Amazonさんは、関連したおすすめ本を勧めてくる。ここで引っかかることも多い。

 昨日は映画「Lion」の原作や「メッセージ」の原作をチェック。「メッセージ」の原作は「Story of Your Life(1998)」というテッド・チャンの短編で、短編集をお試し読みしたら、肝心な作品ではなく、「バビロンの塔」という作品だけが読めた。それがかなりいける。面白い。

 そうこうして遊んでいたら、「スローターハウス5」を、Amazonさんが推薦した。読んだことはあるのだが、とりあえずダウンロードしてみた。読むと、懐かしい。言い換えると、そういえば読んだことを微かに覚えている程度に忘れている。ヴォネガットのいいまわし、「そんなもんだ」というのを、村上春樹さんが真似していると勝手に思っていたのも思い出した。

 本棚の二層目(一層目に隠されている)に、カート・ヴォネガットの本がいくつか有るはずなので、掘り出してみた。四冊ほど見つかった。また読むか否かは難しいが、拾い読みはしてやろう。なぜ、そんな気になったかを言葉で説明できる程度に。



 発掘作業中に前回の発掘では見つからなかった「蕪村俳句集」が出てきたのは快哉をさけんだ(大袈裟)。