セシリア・ペイン=ガポシュキンの自伝を再度読み始めた。
私のは1984年版。明倫館さんから昨年入手。
1923年、英国から米国に新しい研究場所を求めて客船Caronia号で渡航したことは、以前メモしておいた。
146ページに「ピッカリング台長が、(星の)乾板写真測定法を有能なリービットさんに任せたのは、賢明だった。しかし、これにより変光星の研究の発展を数十年遅れさせるという厳しい決断でもあった。のちの天文台長シャプレイは、リービットさんの後釜として写真測定の仕事を私にやらせようとしたが、私は断った。星のスペクトルの研究をしたかったからである。」とある。(意訳 福地)
リービットさんは、人に頼まれると、イヤとはいえない良い性格だったようです。セシリアはこれには批判的。こういう悪い(いや強い)性格でないとどこの世界でも偉くなれないのか。でもリービットさんの業績そのものはすごい。
ま、どこにもある話ではある(^^)
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