セシリアの自伝を引き続き拾い読みする。219ページ以降に「On being a woman」という章がある。ハーバードに行った直後の、他の(男性)研究者と夜のふけるまで時間を忘れて研究談義にふける生活の楽しさ。一方、地位も給与も低いままであったことも回想している。
台長シャプレイが、欠員になった分の分光学者が必要だと言ったときに、セシリアは私も分光学者ですと申し出た。しかし、シャプレイは他から男性研究者(Otto Struve!)を受け入れようとした、セシリアには測光の仕事を押し付けた。シャプレイはStruveに向かって、セシリアには分光学をあきらめさせる、と言った。
Struveは義憤を感じてこの話をことわったと後にセシリアにうちあけた。それほどの年ではなかったはずだが自己保身欲と名誉欲にかられた老害台長。業績は十分に上げているはずだが、かれの業績は、自分の名誉のためにあったのか。
セシリアに名誉や地位が訪れるのはずっとあとになる。でも自分の時間はたっぷりあって研究についやすことができたと負け惜しみ(?)
英国の友人は、セシリアが米国で大金持ちになっていると誤解していたという。
このような正直な話が、リービットさんについても見つけられるといい。やはり、日記や手紙を直接漁るしかないな。
昨日発掘した本。義父の蔵書印が押してある。『取材学』(加藤秀俊、昭和50年、中公新書)17ページ。
「取材の立場というのは人間が情報を主体的にえらびかつ使う立場のことにほかならない…」
約40年前の本だが、いわゆる「情報社会」を予測し、かつその安易性を警告したコトバと思う。汲むところの多い本。老いて亡くなる直前まで、貧しい中でこのような本を買って読んでいた義父は尊敬にあたいする。
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