2020年10月20日火曜日

マン家の人々の生涯も小説以上に小説的

『トーマス・マン日記 1949-1950』を読み続ける。

1949年1月5日。『ゲーテと民主主議』講演原稿を書きはじめる。5月にワシントンの国会図書館で講演するため。このあと、「風邪」もひきながら、苦労して書いていくことになる。

トルストイの『主人と下僕』を読んでいる。忙しいのにあるいは忙しいからこそ本も読む。何を書き何を読んでいるかを表にしてみると面白いだろう。

1月18日。
ニューヨークの連邦裁判所で「共産主義者トップ12人」の裁判がはじまる。フリードに「旅の道連れ」(アンデルセン)を読みきかせる。

孫のうち、フリードを溺愛するトーマス・マン。なにか理由があるのかもしれない。

ということで、以下に寄り道するつもりだ。フリードは1940年生まれでご存命。



その前にこれを読む。『Unwritten memories』by Mann, Katia, 1883-1980,Publication date 1975,Language English,Translation of Meine ungeschriebenen Mem


『トーマス・マン日記』の1918年−21年の記述も調べたい。フリードの父ミヒャエル・マンの生まれたときの記述。

***

午後、『ダウントン・アビー(劇場版)』を観た。TVシリーズと違い、喜劇的な展開。国王一家は、ダウントン・アビーの一家ほど、高貴に見えない。トムに新しいロマンス。

2020年10月19日月曜日

『トーマス・マン日記 1949-1950』(紀伊國屋書店)を読み始める。いよいよ私の時代に。

昨日、三軒茶屋まで行き、世田谷区立図書館のカウンターで借りてきた『トーマス・マン日記 1949-1950』を読みはじめる。

インゲ・イェンスの書いた編者序文が秀逸。この巻に納められた1949年から1950年の日記の主題は2つ、トーマス・マンの青年への愛と、政治情況の悪化への対応。前者については日記本文に語らせ、後者については編者注でできるだけ補足すると言う。またかすかに見られる、マンの日記記述上の乱れについても述べられる。老いが忍び寄っている。

日記本文と索引も含めた編集上の苦労についても少し触れられている。コンピュータとインターネットが駆使されたらしい。

1949年1月1日。
新しいスイス製ノートブックに日記を書きはじめる。5月にはまたチューリヒに行く予定なのでまた同じノートブックが買えるであろう。

元日だが『選ばれし人』の執筆を再開、Kが風邪で寝ているせいもある。

1月3日。
「若いプリングスハイム」によると日本ではマンの本が人気。日本円で100万円の預金ができそうだが、円は間もなく暴落するだろうと書いている。

「訳者あとがき」も先に読んでおこう。この間のマンの動静がまとめてある。翻訳原稿の難しい校正についても、感謝の言葉がある。苦労がしのばれる。

定価14,000円はこれらを思えば安い。でも年金生活者には買えないのには変わりない。清水の舞台をとびおりてこそ、浮かぶ瀬もあるのだが……

2020年10月18日日曜日

『アシモフ自伝 1上』を読み終えた後、『トーマス・マン日記 1949−1950』を借りてきた



『アシモフ自伝 1上』を読み終えた。

371頁。
1941年夏。珍しく休暇をとり、シュペルヴィルへ。(手がき入力でルの書き方のコツがつかめた。というより入力システムの方が学習してくれたのか。)

周囲の客はユダヤ移民。皆ナチへの憎悪。しかし白人の黒人への差別は容認。歴史を学んでいないからと結論付ける。6月22日、ナチス・ドイツがソ連を侵略したニュースを聞き帰宅。

378頁。
1941年8月1日、キャンベルのところに行く途中、地下鉄で読書中に『銀河帝国・・・』のアイデアを、連想で思いついた。キャンベルに話すと乗ってきた。まず概要を書いて来いとアシモフを帰した。ハインラインは未来史の精密な概要を書いたが、アシモフはそんなことはしない。すぐ書きはじめた。

379頁。
1941年8月15日。大学院の物理化学集中講義「相律」の最終日。アスタウンディング誌に「夜来たる」が載り、アシモフは表紙と占領。ハインラインは「メトセラの子ら」。21歳にして一流作家と認められた。

381頁。
9月8日、「ファウンデーション」採用。126ドル。割増金はつかなかったが、シリーズものになる。

382頁。
9月18日、ニューヨークでオーロラが見えた。

392頁。
12月7日、日本軍が真珠湾を爆撃。海軍艦艇ほぼ壊滅。

394頁。
1941年の文筆収入は1060ドル!

397頁。
修士修了試験に合格。博士課程へ。

409頁。
ハインラインの口ききで、フィラデルフィアの海軍工廠に勤務することになった。徴兵のがれのため。日本との戦況は悪化したまま。

***

読書後、午前中はマンションの理事会。

午後は、かたづけのために、三茶に向かいますです。予約している『トーマス・マン日記 1949−1950』も借りてくる。



2020年10月17日土曜日

二十歳前のアシモフは書き始めてから2年ほどでSF作家としての地位を確立



『アシモフ自伝 1上』続きを読む。親の希望はアシモフを医者にすることだが、アシモフ本人はそれほど医師になることへの愛着はない。好きなSFを書くことにすくない暇を費やしている。

279頁。
18歳のアシモフは医学部進学のためいろいろな大学の面接を受けるが、落ちた。彼がユダヤ人のせいもあるが、理由はそれだけではない。容貌、実力、そして・・・

父は悲しんだ。

280頁。
1939年1月5日木曜日、キャンベルは「アド・アストラ」を書き直すように言った。

281頁。
1月10日、「真空漂流」がアメージング誌に出た。プロ作家デビュー。19歳になったばかり。

282頁。
1月31日、キャンベルから小切手が届く。69ドル。6900語だったから。だまって採用作に小切手だけ送るのがキャンベル流。

2月4日。「サイエンス・フィクション」誌に、「太陽に覆いを」が採用された。1語半セント。掲載時支払い。

283頁。~
友人でもある代理人フレッド・ポールに声をかけられたが断る。

2月6日。アメージング誌で「使うのも怖しい武器」採用。64ドル小切手。でもこの雑誌は質が悪い。昔のパルプ雑誌。

285頁。
12,600語の「巡礼」をキャンベルへ。没だが、アイデアは悪くない。

286頁。
「巡礼」を何度も書き直すがキャンベルは採用しない。

アングロサクソン系の名前の作家の方がキャンベルには受け入れやすく、改名を求められた者もいたが、アイザック・アシモフは受け入れられた。

294頁。
カレッジ卒業にまつわる、いろいろな差別。

295頁。
化学の修士号をめざすことにした。しかたない。

297頁。
「アド・アストラ」は「趨勢」(Trends)という名で檜舞台アスタウンディング誌1939年7月号に掲載された。この号は1940年代SF黄金時代のはじまりとされている。他にヴォクトやハインラインなど。

299頁。
1939年7月2日。第一回世界SF大会。最後の頃、スピーチをさせられた。新進作家としては喜ぶべきだった。

304頁。
1939年9月1日、ヒトラーがポーランドに侵入。第二次世界大戦はじまる。

9月2日「アンモニウム」がサイエンス誌に売れた。

310頁。
やっと大学院に入った。勉学の場であり交際の場にはならない。ますます作家への道に傾いて行く。

312頁。
友人のフレッド・ポールが雑誌編集長となり、2編採用してくれた。1語0.5セン卜、計77.5ドル。これで息をつく。

315頁。
1939年末。教室で才媛アイリーンと出会う。21歳、少し年上。しばらく付き合う。

317頁。
1939年の売上は総額210ドル50セント。

322頁。
ポールが35ドルで「ロビイ」を貿ってくれた。

1940年4月12日、「地球種族」をキャンベルが採用。やっと2作目がキャンベルに売れた。アングロサクソン優位の物語だからか。

323頁。
物理化学の成績はA。他は平均B。物理学の単位は落とした。コロンビア大学院の正式な学生として認められた。なお、メディカルスクールへの入学は正式に断られた。内心喜ぶ。

キャンベルがアシモフの作品を断る理由として、ハインラインの作品と競合してその場合はインラインの作品の方が好みだったということがあった。ハインラインの1938年頃、も調べたい。

***

『鬼滅の刃』のアニメを見始めた。なかなか面白い。



2020年10月16日金曜日

1938年、作家としての道を歩き始めたアシモフの年間売上は64ドルだった

予想より晴れた。日光をたのしむ外猫Amちゃんを発見した。


猫を横目に見ながら床屋に行ってきた。

***

『アシモフ自伝 1上』続きを読む。移民としての生活も大変だが、その悩みはかなり抑えて書いているようだ。一方、ナチズムとユダヤ人排斥の動きはヨーロッパに暗雲のようにたれこめる。そんな中だが、アシモフ青年はSF小説を書くことに人生を賭けようとしている。

262頁。
1938年9月18日。SFファングループに初参加。

263頁。
クリフォード・シマックの文体を学ぶ。きっかけはシマックの作品の批評を書いたこと。

266頁。
大学の「積分学」が理解できず、数学をこれ以上深くやるのは断念。

父親と政治の話をする。

ヨーロッパでヒトラーと対決できる国はない。アメリカが対抗しないと、アシモフ。父はソビィエトがナチズムを打倒できると父。

日本への怒り。日本のせいでドイツ打倒が困難になるとアシモフ。

271頁。
アメージング・ストーリーズに「真空漂流」が売れた。64ドル。バイト代の4ヶ月分。このことで父親に尊敬されはじめる。

277頁。
重苦しいヨーロッパ情勢下。小説を書いては没にされる連続。父親の病気(心筋症)のため医学部進学はあきらめるのだ、と考える自分にほっとするのに気付く。

良い小説は書けないと自己不信が生じるが、それを「作家の領域」に踏み込ませない。つまりダメならすぐ別のを書きはじめるべきと悟る。

278頁。
1938年の統計。没15編。採用1編。年間収益64ドル。アシモフはこの統計を生涯続けることになる。

***

ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(中央公論社)を読み始める。編者がショスタコーヴィチの話を聞き書きしたものらしい。ショスタコーヴィチはまず、周囲の人の印象や評価から話し始め、周囲の人が自分をどう見ていたのかを語り、自分をくっきり浮き上がらせる。以前読んだ中村真一郎さんの「文学としての評伝」の方法に近い話しの進め方と言える。ショスタコーヴィチも編者もすごい手腕といえよう。なじみのない世界の話がするすると頭に入ってくる。

2020年10月15日木曜日

未来の大作家アシモフを見いだし、指導した編集者キャンベルの功績は大きい

1938年の米国事情を知ろうと、『アシモフ自伝 1上』(早川書房)を読み直す。1920年生まれのアシモフは、1938年にはコロンビア大学に属するカレッジに在学し、SFを書き始めたところだ。そこにいたる道筋も読んでみた。ロシアからのユダヤ系移民の暮らしがわかる。

93頁。
ロシアからの亡命後の父も、アシモフも信仰からは「自由」。

98頁。
キャンディーストアで粗悪なペーパーバックを読みたがる小学生のアシモフに、図書館の貸出券を与える父。本を買うことは(貧しくて)できなかった!

102頁。
一度わかったことは、二度と忘れ(られ)ない。一種の病気だろう。

103頁。
飛び級で小学三年生になるまで、ニューヨークが世界と思っていた。教室で笑われたので、地理の教科書を一晩で読み、すべて頭に入れた。

109頁。
1928年。父親が市民権をとる。8歳のアシモフも成年時に市民権をとる有資格者となった。

110頁。
イディッシュ語をもとにヘブライ語を読めるようになった。父の影響。

114頁。
引っ越し。その際前の住民のタイプライターを垣間見る。

118頁。
キャンディーストアで週7日、日に10時間働く。この働く習慣は死ぬまで続く。

119頁。
図書館で本を借りてひたすら読む。イリアス、オデュッセイア、デュマ、ディケンズ、オールコット、ネズビット、パイル、マクドナルド、シュー。借りられる二冊のうち一冊は小説で、一冊はノンフィクションでなければならない!アガサ・クリスティー、ウッドハウス。

120頁。
キャンディーストアのパルプ雑誌も読む。

そしてSF雑誌。アメージング・ストーリーズ。創刊1926年4月号。

121頁。
ドリトル先生を読むことを教えてくれたマーティン先生。

132頁。
新聞を読みはじめる。大統領選でニューヨーカーでないフーヴァーが当選。世界大恐慌。1929年おわる。

136頁。
飛び級で「高校生」あつかいになる。図書館で借りることができるのは相変わらず二冊だけ。

141頁。
読みたい物語は自分で5セントのノートに「創作」することにした。1931年秋。

143頁。
1932年版の『ワールド年鑑』を父親にプレゼントしてもらう。さまざまな統計から多数のグラフを描いてみた。

149頁。
男子校高校生になる。標準は15歳だがアシモフは13歳。

当時のユダヤ人社会では、子供を医者にすることが夢。

151頁。
ローズヴェルト大統領になる。学校新聞の仕事をしたかったが手伝いのため時間がない。

計算は得意だったが数学そのものの才能はないとわかった。

178頁。
高校卒業。

1935年4月10日。マンハッタンにあったエリート校コロンビア・カレッジの面接で不合格。同じコロンビア大学の中のセス・ロウ・ジュニアカレッジ(ブルックリン)に合格。こちらの方がユダヤ人が多い。

184頁。
父がアンダーウッド五号(中古タイプライター、10ドル)を買ってくれた。

188頁。
(1936年。)SFを書きはじめた。文体無視で書きなぐる。

193頁。
学費がなかったが奨学金100ドルと月15ドルのアルバイトを学校から紹介される。最年少の学生になる。

197頁。
外国語、単語を覚えるのはいいが文法不得意。

201ページ。
1936年9月、大学2年目。ブルックリン外の(モー二ング・ハイツ)校舎に通う。歩いて一時間。

202頁。
化学の講義を聞き、気に入る。先に教科書を読んだことがあったの原因。一方、解剖が不得意で医学部への進学に疑問を持った。

208頁。
キャンディーストアの周囲の住民はアイルランド系が多い。保守的。反ユダヤ感情。売っていた新聞には、カトリック系が多い。そしてタブレット紙。これらは反ローズヴェルト、反ユダヤ。反共産主義。ヒトラーには無関心。

209頁。
周囲はドジャーズファンたがアシモフは以前同様ジャイアンツファン。

219頁。
19世紀文学ファンで、ヘミングウェイなど20世紀文学は(今でも)読まない。サバティーニの歴史小説やJ.C.リンカーンのケープコッド小説を全部むさぼり読む。

ノンフィクション好き。ウェルズの『世界文化史大系』、『生命の科学』も。ギリシャ史。フランス史。

ジーンズ。エディントンの天体物理学書。入門書だろうか?

他。ロバート・ベンチリー。オグデン・ナッシュ。

211頁。
政治や世界情勢への興味。1936年11月3日、大統領選でローズヴェルト勝利。12月、蒋介石が張学良に監禁さる。中日戦争の導火線。

213頁。

読んだSF作品の情報を索引カードにし、詳価もつけた。

214頁。

1937年5月29日。発表を意識した小説を書きはじめた。「宇宙のコルク抜き」(Cosmic Corkscrew)

19世紀小説やパルプ雑誌の影響で、形容詞と副詞がたっぷり!ただしSFの基本はしっかりしていた。科学的な仮定を考え、その上に小説を組みたてる。

221頁。
1938年1月1日から日記をつけた。毎日。細大もらさず。除々に簡単になって行くが、文筆と交際のみの記録は書き続ける。個人的な感情などは書いてないので、しまっておく必要がない。

243頁。
1938年6月21日。父親に促されて原稿を持ち込む。編集長J. キャンベルは28歳。若造だったがアシモフ19歳からみたら世故たけた大人だっただろう。初めてだが投稿者としてのアシモフを覚えていて、1時間も話をしてくれた。「宇宙のコルク抜き」の原稿もしっかり読んでくれたが、もちろん没。しかしこの会見のおかげでアシモフは著作を続ける勇気を得たので、編集者としてのキャンベルの有能さは大したものと言わなければならない。

246頁。
この頃から日記は簡潔になる。出版のための執筆に力をそそぐためだ。

SF雑誌をよむというエデンの園から、出版のための執筆という別のエデンの園へ。どちらもエデンの園というのがアシモフらしいところか。

248頁。
最初の2作品は時間をかけて修正しながら書いたが、1語1セントという相場ではそれではやっていけない。その後ずっとタイプ原稿は二度以上作らない。うまくいかないときは新たに書き直す。

250頁。
1940年代の有名SF作家はほとんどキャンベルが育てた。特に1938年のアシモフとキャンベルの邂逅はSFの世界をゆるがす大事件と言っていいだろう。

キャンベルの回想をアシモフが綴った文も収めたこのアンソロジーは読んでおくべきか。



2020年10月14日水曜日

エイモア・トールズの『賢者たちの街』と『モスクワの伯爵』(どちらも早川書房刊、宇佐川晶子訳)読後感

メルマガ週刊ALL REVIEWS Vol.70 (2020/10/05-2020/10/11)の巻頭言です。エイモア・トールズの著作二篇(*)につき、書いてみました。

(*)『賢者たちの街』、『モスクワの伯爵』。どちらも早川書房刊、翻訳は宇佐川晶子さんです。


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週刊ALL REVIEWS第68号の巻頭言で紹介された『賢者たちの街』を読んだ。ブルックリン出身の編集者が語る、もの悲しく美しい1930年代ニューヨークでの立身出世と恋愛談。編集者がカーラジオで聴いて感動した『ニューヨークの秋』は多くのアーチストが手掛けたスタンダードナンバーだが、編集者が聴いたときに歌っていたのがマイノリティーのビリー・ホリディであるという設定が重要だ。ちなみに編集者は若いときから本の虫。

あまりに面白かったので、同一著者の『モスクワの伯爵』も続けて読むことにした。1920年代のホテルでの軟禁生活を語る前半はエンターテインメントとして楽しめた。1930年代の後半はスターリニズムの圧迫への伯爵のしたたかな抵抗が痛快。テーマは本当は非常に重たいのだが、「チャーミングな小説」(アメリカの某編集者評であると本書あとがきで訳者に教わった)として、全体を一気に読ませる凄腕の著者エイモア・トールズ。素人目にはこれが長編の二作目とは思えない。

『モスクワの伯爵』は2016年刊で、著者の公式Webサイトを見ると次回作は2021年に出す予定らしい。勝手な内容予測として、モスクワから「自由の国」への亡命物語と考えてみた。亡命先で伯爵または娘またはパートナーの辿る道は、『賢者たちの街』と似たものになるだろう。「自由の国」での生活をなんとか始められたとして、その先にきっとある差別をエイモア・トールズはどうとらえて、いかに『賢者たちの街』のように小粋に、瀟洒にかつ酷薄に描くだろうか。

ともかく二冊とも面白く読めた。物語に没入するときのあのわくわくする気持ちを味わうことができた。宇佐川晶子さんの翻訳も素晴らしい。二冊のストーリーの社会背景を重ね合わせて考えるのも興味深いし、現在の世界の閉塞状況を救う道を考えるときの参考にもなりそうだ。エイモア・トールズの出自も気になってくるが、インターネットで調べても表面的なものしかわからない。

良い本に出会えたのはALL REVIEWSのおかげだ、そして巻頭言執筆仲間のおかげだ。今週も楽しい読書を求めてALL REVIEWSを巡回したい。(hiro)

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https://allreviews.jp/news/3395

2020年10月13日火曜日

1938年に皆はどう暮らしていたか

「1938年」をキーワードにして、手元の本を拾い読みしてみた。

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エイモア・トールズ『賢者たちの街』一章は1937年12月31日からはじまる。以下この物語は1938年が主な舞台。

二十章は秋。失恋した主人公はアガサ・クリスティーをしこたま読む。ポアロ、マープル、『ナイルに死す』、『スタイルズ荘の怪事件』。ゴルフ場に牧師館にオリエント急行。

エピローグは1940年12月31日など。ラストは1955年。序章は1966年10月4日。

『モスクワの伯爵』1938年、ニーナ(夫につきそいシベリア行き)からソフィアを預かる。孫みたいなものだ。伯爵は48歳。まだスクワット20回できる。そろそろ軟禁生活からの脱出を具体的に考え始めたかもしれない。

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トーマス・マンの1938年。『トーマス・マン日記』(紀伊國屋書店)より

1月1日。スイス、キュスナハトの亡命先自宅。1月11日アローザのホテルへ。一家の冬休み(本人は仕事ばかり)。1月31日キュスナハトに戻る。2月16日出発、クイーン・メリー号。2月22日ニューヨーク。6月末まで米国横断講演旅行。6月29日ワシントン号でニューヨークを発つ。7月7日キュスナハト着。9月14日、5年間住んだキュスナハトを発つ。ニーウェ・アムステルダム号で9月18日米国へ向かう。9月24日、ニューヨーク着。9月29日プリンストンへ。1939年6月6日(64歳)まで滞在。イル・ド・フランス号で欧州へ。ワシントンへ戻り、(9月18日)プリンストンに戻る。ここで二度目のクリスマス。

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アシモフの1938年。『アシモフ自伝』(早川書房)より

1938年1月1日、ブルックリンの父親の家に住む18歳のアイザック・アシモフ青年は日記を付けはじめる。母とイディッシュ語のショーを見に行く。コロンビア・カレッジ3年生。

1938年春、アスタウンディング・ストーリーズの編集長にキャンベルが就任。誌名をアスタウンディング・サイエンス・フィクションに変更した。アシモフは投書を今までより熱心に再開。タイピングはアルバイトのおかげで上手い。

6月21日、キャンベル編集長に会いに行く。7月18日も。原稿は没だが感触は良い。他の雑誌からも没。8月4日、アンダーウッド5号故障。スミス・コロナポータブルを買う。SFを書いて雑誌に売り込もうというこの年の苦闘は翌年まで続く。秋。ナチスののさばる欧州情勢を知る。

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アーサー・C・クラークの1938年。『楽園の日々』(早川書房)

ロンドンの狭い部屋で、ロケットに対する誤解を解こうとアスタウンディング誌に投書を書いていた。受け取るのはキャンベル。21歳の若気のいたりの投書はこれ。


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ロシアから米国への移民という観点でもう少し追求(って読書するだけだが)してみる。

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夜、週刊ALL REVIEWSが出た。今週の巻頭言は私。エイモア・トールズの二冊について書いた。

2020年10月12日月曜日

1930年代後半のアメリカの中のニューヨークの状況を知りたい

ル・コルビュジェ『伽藍が白かったとき』(岩波文庫)をかなりの部分拾い読み。この本は『賢者たちの街』381頁で引用されている。この時期(1935年から1936年)に、ル・コルビュジェがニューヨークを訪れたときの感想を交えた著作。


73頁。
ノルマンディー号でアメリカへ。

アメリカの伽藍は白いのか?

83頁。
仕事に麻痺し、地下鉄や高架鉄道の金属音に呆けてしまった男たち女たち、子供。

92頁。
パリの居酒屋は古い。

アメリカはご清潔。

94頁。
ニューヨークの街は碁盤目。パリと違う。

106頁。
ニューヨークの摩天楼は小さすぎ、そして多すぎる。もっと大きいのを提案したい。

111頁。
この十年間に、ニューヨークは空に伸び、モスクワは摩天楼を「資本主義的」であるといって告発した。

150頁。
「ニューヨークはアメリカではない」アメリカとは、ニューイングランドや、ボストン、シカゴ、そしてもっと広い部分だ。

151頁。

外から来た人はニューヨーク人になれてもアメリカ人になるとはかぎらない。

155頁。
アメリカ人は黒人に関すること以外は非常に民主的に見える。

163頁。
ニューヨークはパリに一番近い大都市である。(ル・アーブルで船にのるとすぐに着く。)

177頁。
すべての金銭は労働時問をあらわす

200頁。
中世伽藍が白かったとき、精神は勝ち誇っていた。だが現在のフランスの伽藍は黒ずんで、精神は傷ついている。

エイモア・トールズは、この本を引用することで、白い伽藍を上り詰めようとする主人公に警告を発しているのだろうか。


***


1936年前後の『アシモフ自伝 1上』を調べてみたい。ロシアからの移民でブルックリンに住んでいた若きアシモフは何を考えていたか。本を探し出してきた。

2020年10月11日日曜日

『賢者の街』を読んで疲れたら、エンターテインメントとしてのアガサ・クリスティーと『モヒカン族の最後』をよむべし

先日読み終えた『賢者たちの街』を何箇所か、あとがきも含めて読み直してみた。この本のなかで「本」は重要な役割を果たしている。後に雑誌の編集者になる主人公は、子供のころからの本の虫だ。待ち合わせの前に時間があると(時間をわざと作ってかもしれないが)、ヴィレッジの古本屋で本を捜して買ったりする。旅行に出るときに本を持つが、足りなくなるのを恐れて、駅の売店で他の雑本よりはマシだろうといままで読んでいなかったアガサ・クリスティーを買ったりする。そしてアガサ・クリスティーにはまり、その後数ヶ月でほぼ全作品を読む。

全作品と言っても、主なストーリーは1937年から38年なので、『ポワロのクリスマス』までを読んだということだろう。アガサ・クリスティーの生涯の著作の半分くらいまでは出ていたのだろうし、人気抜群の流行作家とみなされていたと思える。

実は私は、いままでほとんど読んでいないので、この機会に読もうかと考えている。著作リストを片手に片端から読んでやろうと思っている。https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%AC%E3%82%B5%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A3%E3%81%AE%E8%91%97%E4%BD%9C%E4%B8%80%E8%A6%A7

不実なボーイフレンドとの会話に出てくるのは、子供時代に二人共読んだフェニモア・クーパーの『モヒカン族の最後』。この題名には、私もかすかな思い出がある。小学生の頃読んだ。原作をInternet Archiveでさがして眺めたが、ピンとこない。数時間潜在意識に脳内を探索させたら、どうも漫画化されたものだったと思い出した。杉浦茂の画だった。キーワードが見つかったので、しばらくInternetで捜し、BOOK☆WALKERというところで電子版を見つけた。画像の品質はあまりよくないがほぼ読めるし、なにより330円なので安い。

さっそく読み、昔の面白さが蘇った。ただし、内容は今考えると問題無しとしない。『賢者たちの街』の著者もそれはわかった上で引用していると思う。『モヒカン族…』は映画化も何回もされている。こちらも時間があれば……