2020年10月16日金曜日

1938年、作家としての道を歩き始めたアシモフの年間売上は64ドルだった

予想より晴れた。日光をたのしむ外猫Amちゃんを発見した。


猫を横目に見ながら床屋に行ってきた。

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『アシモフ自伝 1上』続きを読む。移民としての生活も大変だが、その悩みはかなり抑えて書いているようだ。一方、ナチズムとユダヤ人排斥の動きはヨーロッパに暗雲のようにたれこめる。そんな中だが、アシモフ青年はSF小説を書くことに人生を賭けようとしている。

262頁。
1938年9月18日。SFファングループに初参加。

263頁。
クリフォード・シマックの文体を学ぶ。きっかけはシマックの作品の批評を書いたこと。

266頁。
大学の「積分学」が理解できず、数学をこれ以上深くやるのは断念。

父親と政治の話をする。

ヨーロッパでヒトラーと対決できる国はない。アメリカが対抗しないと、アシモフ。父はソビィエトがナチズムを打倒できると父。

日本への怒り。日本のせいでドイツ打倒が困難になるとアシモフ。

271頁。
アメージング・ストーリーズに「真空漂流」が売れた。64ドル。バイト代の4ヶ月分。このことで父親に尊敬されはじめる。

277頁。
重苦しいヨーロッパ情勢下。小説を書いては没にされる連続。父親の病気(心筋症)のため医学部進学はあきらめるのだ、と考える自分にほっとするのに気付く。

良い小説は書けないと自己不信が生じるが、それを「作家の領域」に踏み込ませない。つまりダメならすぐ別のを書きはじめるべきと悟る。

278頁。
1938年の統計。没15編。採用1編。年間収益64ドル。アシモフはこの統計を生涯続けることになる。

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ソロモン・ヴォルコフ編『ショスタコーヴィチの証言』(中央公論社)を読み始める。編者がショスタコーヴィチの話を聞き書きしたものらしい。ショスタコーヴィチはまず、周囲の人の印象や評価から話し始め、周囲の人が自分をどう見ていたのかを語り、自分をくっきり浮き上がらせる。以前読んだ中村真一郎さんの「文学としての評伝」の方法に近い話しの進め方と言える。ショスタコーヴィチも編者もすごい手腕といえよう。なじみのない世界の話がするすると頭に入ってくる。

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