2020年10月13日火曜日

1938年に皆はどう暮らしていたか

「1938年」をキーワードにして、手元の本を拾い読みしてみた。

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エイモア・トールズ『賢者たちの街』一章は1937年12月31日からはじまる。以下この物語は1938年が主な舞台。

二十章は秋。失恋した主人公はアガサ・クリスティーをしこたま読む。ポアロ、マープル、『ナイルに死す』、『スタイルズ荘の怪事件』。ゴルフ場に牧師館にオリエント急行。

エピローグは1940年12月31日など。ラストは1955年。序章は1966年10月4日。

『モスクワの伯爵』1938年、ニーナ(夫につきそいシベリア行き)からソフィアを預かる。孫みたいなものだ。伯爵は48歳。まだスクワット20回できる。そろそろ軟禁生活からの脱出を具体的に考え始めたかもしれない。

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トーマス・マンの1938年。『トーマス・マン日記』(紀伊國屋書店)より

1月1日。スイス、キュスナハトの亡命先自宅。1月11日アローザのホテルへ。一家の冬休み(本人は仕事ばかり)。1月31日キュスナハトに戻る。2月16日出発、クイーン・メリー号。2月22日ニューヨーク。6月末まで米国横断講演旅行。6月29日ワシントン号でニューヨークを発つ。7月7日キュスナハト着。9月14日、5年間住んだキュスナハトを発つ。ニーウェ・アムステルダム号で9月18日米国へ向かう。9月24日、ニューヨーク着。9月29日プリンストンへ。1939年6月6日(64歳)まで滞在。イル・ド・フランス号で欧州へ。ワシントンへ戻り、(9月18日)プリンストンに戻る。ここで二度目のクリスマス。

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アシモフの1938年。『アシモフ自伝』(早川書房)より

1938年1月1日、ブルックリンの父親の家に住む18歳のアイザック・アシモフ青年は日記を付けはじめる。母とイディッシュ語のショーを見に行く。コロンビア・カレッジ3年生。

1938年春、アスタウンディング・ストーリーズの編集長にキャンベルが就任。誌名をアスタウンディング・サイエンス・フィクションに変更した。アシモフは投書を今までより熱心に再開。タイピングはアルバイトのおかげで上手い。

6月21日、キャンベル編集長に会いに行く。7月18日も。原稿は没だが感触は良い。他の雑誌からも没。8月4日、アンダーウッド5号故障。スミス・コロナポータブルを買う。SFを書いて雑誌に売り込もうというこの年の苦闘は翌年まで続く。秋。ナチスののさばる欧州情勢を知る。

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アーサー・C・クラークの1938年。『楽園の日々』(早川書房)

ロンドンの狭い部屋で、ロケットに対する誤解を解こうとアスタウンディング誌に投書を書いていた。受け取るのはキャンベル。21歳の若気のいたりの投書はこれ。


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ロシアから米国への移民という観点でもう少し追求(って読書するだけだが)してみる。

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夜、週刊ALL REVIEWSが出た。今週の巻頭言は私。エイモア・トールズの二冊について書いた。

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