2020年3月18日水曜日

『遍歴』(神谷美恵子)読了、結末は悲しいが老人にも勉強意欲を湧かせる本だ




『遍歴』残りを一気に読み終えた。

引用をやめて、メモだけを頼りに、印象を書く。

66頁。1927年4月から、成城女子部に入る。小原國芳の「全人教育」に触れ、「独学」の喜びを味わう。

68頁。決まりきった言葉で物を言うのに嫌悪感を覚える。

74頁。勉強法。あることを学ぶ場合、その歴史を一通り勉強することにした。兄のすすめでパスカルを学ぶ。その後、ギリシャ・ラテンの古典に親しむ。後に、プラトンを座右の書にする。この辺の記述は加藤周一の文章を思わせる。私に言わせると、「相対的」で冷静。

76頁。母方の叔父(無教会主義)のススメでハンセン病の療養所に赴く。

81頁。三谷隆正からハガキをもらう。終生の師。

90頁。結核。規則正しい療養生活。教員資格のカリキュラムを取り寄せて学び、その後すぐ資格をとった。

92頁。再発。療養に当たり、読みたい本(もちろん古典)を原語で読むことにした。
ここを読んで、自分もThomas Mannの『Tagebücher』を取り出してしまった。また、読もう。

94頁。たとえばマルクス・アウレリウス『自省録』。生きる意味を感じた。後に訳した。

102頁。米国へ。「ペンドル・ヒル」で学ぶ。スイス以来久しぶりにのびのびと学ぶ。

105頁。長いモラトリアム。やはり医学への道を歩もうと決める。

110頁。アナ・ブリントン(ペンドル・ヒルの寮監)を見て女性の役割は家を守ることだけでないと思う。

156頁。プラトンを読みながら倫敦へ。

160頁。(米国への)帰りの船でもプラトンの『ポリテイア』を読み、医学に賭けることの確信を得る。選ぶのは自分自身の責任だ。

164頁。理学部医学進学過程で猛勉強。夜遅く実験を終えて帰るときの充足感。

165頁。時局のため、日本に戻る。やむなく女子医専に入る。

このあと、「長島愛生園日記」。

226頁。戦災にあう。米国製とプレイエルのピアノが二台とも焼けた。

224頁。精神科医局へ。終戦。

228頁。「文部省日記」

文部大臣(前田多門)の懇請により、米軍との交渉時の秘書官的立場になる。1946年5月23日まで。

280頁。結婚。物のない生活の良さ……と強がりを書いている。

287頁。子供を預けた派出婦から子供が結核をうつされた。
その後、念願の長島愛生園で精神科医として働くが、無理がたたって病気になる。『遍歴』の最後の部分は、病床で書いているが、内容は未完成のまま終わってしまう。悲しい。

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