2020年3月17日火曜日

『遍歴』を読むと神谷美恵子の幼時のスイスでの教育経験は大きな意味を持ったとわかる

Netflixを解約した。解約理由のところでは「時間がないから」を選んでおいた。これは事実だ。10ヶ月以内ならアカウントは保存されているらしい。

ちょうど二ヶ月前に加入したことがブログを検索してみてわかった。
https://hfukuchi.blogspot.com/2020/01/netflix_20.html

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『遍歴』(神谷美恵子 みすず書房)を借りてきた。
みすず書房の紹介ページ:
https://www.msz.co.jp/book/detail/08184.html

11頁。1923年。諏訪丸にてマルセイユ経由でジュネーブに旅立つ。まだ幼い前田美恵子は「アメリカ」に行くのだと思いこんでいたらしい。実際には父多門がILOの日本代表に就任したため家族帯同で赴任した。

16頁。新渡戸稲造が国際連盟の事務局次長としてジュネーブに先に行っていた。新渡戸は祖父的存在だと言っている。これは母親の母校普連土学園の顧問として、父母の結婚の世話も焼いてもらっていたため。ただし、新渡戸は前田多門に、小さい子供まで連れてくるのは……とたしなめたらしい。

19頁。「寺子屋」ならぬ、ジャン=ジャック・ルソー研究所」の一部の「学校」に入った。所長はピアジェだったが、もちろんそのことは後で知ることになる。学校の方針は「独学」、カリキュラムで縛るのでなく、子供が自由に学ぶように仕向けられた。言語はフランス語。日本語を話すよりフランス語のほうが得意になった。英語しかできない母親は言葉で苦労したらしい。

44頁。担任のデュプイ先生は素晴らしい地理の先生だった。後に、1960年代に、森有正や兄前田陽一とポール・ロワイヤルの「パスカル記念館」を訪れたら、その管理人はデュプイ夫人のお子さんだったという。

60頁。スイスの生活は3年ほどで終わったが、強い影響を受けた。「日本人らしくなく」なった。つまり自分の意見を持ち、自分の頭で考える。

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