2021年1月31日日曜日

第一印象と違って見えてきたブルデュー、その考え方が好きになってきた

自治会の「卒業祝い」チラシを印刷し終えた。Jが広報担当部長に持っていった。とりあえず、今年度の作業終了。明日からは我が家の確定申告の作業にとりかかる。例年、この時期は忙しい。そのせいで花粉症の症状が重くなるのかも。

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『ブルデュー 闘う知識人』の第2章の読書にとりかかる。

68頁。

知識人の本来のあり方は「批判的」であること、民主主義に不可欠の「対抗権力」であることを想起させる必要はある。ブルデューは終始、批判的知識人であろうとしたひとである。

70頁。

ブルデューはサルトル的な社会参加(アンガージュマン)の形態を「全体的知識人」あるいは「預言者的知識人」と呼んだ。

71頁。

機関的知識人=御用学者

72頁。

種的知識人(これは良い意味)、例、権力と戦ったフーコー。

74頁。

ブルデューはフーコーの唱える種的知識人という考え方を全面的に支持している。

そして集団として行動することを支持する。

78頁。

ブルデューにはよく決定論者のレッテルが貼られる。しかし彼は……二項対立を哲学教科書的としてしりぞけ、これらを力動的に統合することを心がけた。

途中までだが、2章を読んで、先日の対談前の付け焼き刃の勉強で浮かんだ、ブルデューに対するマイナスイメージが払拭された。この本を読んで良かったと思う。

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明後日の巻頭言をなんとか書き終えて出稿した。とりあげた須賀敦子の世界は奥深い、これからも著書を読み込む必要がある。

2021年1月30日土曜日

みんなのつぶやき文学賞の投票が始まった、2月7日いっぱいで締め切り

昨日の原稿を読み直す。

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「人影はなく、五月というのに鳥のさえずりさえ聞こえなかったのは、地区の死を無言で包みたいという死者たちの意志がどこかにじっと潜んでいたのか。」

……「明月珠」そのものの評価はこうだ。

「蔵書が灰になるのをまのあたりにして立ちつくす丘の上の老詩人を描ききって、どこかギリシア悲劇の主人公を彷彿させる作者(石川淳)の筆の冴えは、稀な感動をさそう、……」

時の流れを感じつつ書評の結末部を読む。

「数日後、年譜を繰っていて、あの夜、……荷風の年齢が、現在の自分のそれとおなじだったことに気づいたのは、怖ろしいような収穫だった。」 

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1945年3月10日に荷風が見たのは東京大空襲の惨害であり、この書評を書くために偏奇館跡に行った須賀敦子が見たものは「膨張経済の崩壊」であった。老境になった二人が見る死の影。

上記の部分に、👆これを追加しよう。

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『ブルデュー 闘う知識人』の第一章「人間ブルデュー」を読んだ。貧しい農民としての生い立ちから始めて、コレージュ・ド・フランスの教授職にまで上り詰めながらも、レイモン・アロンと対立するまでを描く。難しい用語は「ハビトゥス」だけで他は出てこない。ハビトゥスとは社会的制約から来る人の性向のことを言うらしい。社会学は大学教養部で森博先生に習って以来ご無沙汰だった。教科書は残してあったので開いてみたらデュルケムの勉強したノートがはさまっていた。読んだがわからない。昔はわかっていたのか、わかったふりをしていたのか。

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みんなのつぶやき文学賞のTwitterによる投票が開始された。運営のお手伝いをする予定なので、Tweetの解析を見せてもらった。昨年新たに出版された文芸書が対象だが、皆いろいろな本を取り上げて投票してくる。皆、よく読んでいるなあと感心するし、書名から書誌情報を調べていると、殆どの本を読みたくなってしまう。嬉しい悲鳴をあげたくなる。他の読書家の読んだ本の情報を知ることは重要だ。このイベントにはそんな意味があったのだ。

公式サイトはこちら。
https://tbaward.jp/

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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。
Johann Sebastian Bach. Geschwinde, ihr wirbelnden Winde, BWV 201
速く、速く、渦巻く風よ(アポロとパンの争い)
https://youtu.be/Pl4Dcm3H-c0


2021年1月29日金曜日

英語と日本語の達人藤本和子さんの文章がこころよい


『イリノイ遠景近景』を読み終えた。藤本和子さんのエッセイは、自分を語るときは春風駘蕩としているが、マイノリティの芸術家たちのインタビューのときは鋭い。どちらにしても文章の切れ味がスバラシイ。藤本和子さんの次の本として、昨日借りてきた『塩を食う女たち』(晶文社)を読むことにする。

昨日借りた加藤晴久『ブルデュー闘う知識人』(講談社)も少しだけ読んだが、いまのところ読みやすいし理解できる。難関と言われるブルデューを読み解く手がかりになりそうだ。

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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。
Bach: Markus-Passion [Gönnenwein] Donath, Lisken, Jelden 
マルコ受難曲 BWV247

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昨日の原稿を書き直した。一晩寝かせて、もう一度書き直すつもり。

須賀敦子『本に読まれて』(中公文庫)を「エッセイ的な形式」書評のお手本として勉強のため再読した。「エッセイ的」とはこの文庫本の解説を書かれた大竹昭子さんの評価だ。
https://allreviews.jp/reviewer/118

特徴的なところをあげてみよう。引用も含める。

「偏奇館の高み」、これは石川淳の、永井荷風を思わせる老人を描いた短編「明月珠」の書評である。少女時代に麻布に住んでいた須賀敦子が、実際に市兵衛町の荷風の旧居偏奇館跡を訪ねたときの描写から書評を始める。土地勘はあるはずだが、なにしろ半世紀は過ぎているので、何度も道を間違えながら歩く。手に持った地図も古い。


「地図の示す論理につぎつぎと背きながら、私は、早春のような薄日の射す坂道から坂道へと歩いた。」

……須賀敦子は結局なんとか目的地にたどり着いた。偏奇館あと、今は荒れ果てた集合住宅を見る。

「人影はなく、五月というのに鳥のさえずりさえ聞こえなかったのは、地区の死を無言で包みたいという死者たちの意志がどこかにじっと潜んでいたのか。」

……「明月珠」そのものの評価はこうだ。

「蔵書が灰になるのをまのあたりにして立ちつくす丘の上の老詩人を描ききって、どこかギリシア悲劇の主人公を彷彿させる作者(石川淳)の筆の冴えは、稀な感動をさそう、……」

時の流れを感じつつ書評の結末部を読む。

「数日後、年譜を繰っていて、あの夜、……荷風の年齢が、現在の自分のそれとおなじだったことに気づいたのは、怖ろしいような収穫だった。」 

晩年の須賀敦子の文章は完全に「書評」を超えていると思える。

もう一つ『「レ・ミゼラブル」百六景』の書評も読んでみた。

書評結末は、「これ(挿絵のなかでコゼットが見つめるニュールンベルグ製(と鹿島茂さんが鑑定して書いているところの高級人形)に似たフランス人形のエピソードは、たしか『小公女』にもあった。……こう書いてみると、一八四九年生まれの作者バーネットが一八六二年に出版された『レ・ミゼラブル』にヒントを得てこの人形の話を入れたのは確実と思える。」としてある。

ここも凡庸な書評とは言えない。そして著者の鹿島茂さんがバーネットの百年後、一九四九年生まれであることも須賀敦子の頭の中にはあるだろう。

https://allreviews.jp/review/2783

https://allreviews.jp/isbn/4001120275

書評の役割は、書評対象の書籍を買うべく書店に走らせることだという。須賀敦子の書評はその役割を十分以上に果たす。その上で、書評の読者を書籍の存在する仮想的時間空間を縦横に連れ回したうえで新たな世界に向かわせるという、壮大な役割も果たす。須賀敦子にならって自分の人生を懸命に生きながら、そのなかで本に向き合い、人生を豊かなものにしていきたい。もう一度いうが、これは「書評」を超越した書評の顔をしたエッセイであり、文学作品と言っていい。

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「集合住宅」管理組合理事長の仕事の最後の追い込みと、町内自治会のチラシ印刷で忙しく、上記のことに割ける時間が少なかった。来週は別のオシゴトも入るので、執筆はなんとか日曜日で終了としたいものだ。

2021年1月28日木曜日

須賀敦子の書いたような書評を読みたいし自分でも書きたい

巻頭言の下書きをした。昨日と「路線変更」した。TV番組『天国と地獄』で綾瀬はるかになった高橋一生のセリフの受け売り。

書評の書評をするという不遜な試み。うまく書けるかなあ。


須賀敦子『本に読まれて』(中公文庫)をエッセイ風な(読書感想文でない)書評の手本として再読。これはこの文庫本の解説を書かれた大竹昭子さんの受け売り。https://allreviews.jp/reviewer/118

いくつか、この本に収められた書評を読んで見た。

「偏奇館の高み」、これは石川淳の「明月珠」という荷風をモデルとした短編の書評である。須賀敦子は実際に市兵衛町の偏奇館跡を訪ねるところから書評を始める。

「地図の示す論理につぎつぎと背きながら、私は、早春のような薄日の射す坂道から坂道へと歩いた。」

……結局なんとか目的地にたどり着いたが、

「人影はなく、五月というのに鳥のさえずりさえ聞こえなかったのは、地区の死を無言で包みたいという死者たちの意志がどこかにじっと潜んでいたのか。」

……この間に

「蔵書が灰になるのをまのあたりにして立ちつくす丘の上の老詩人を描ききって、どこかギリシア悲劇の主人公を彷彿させる作者(石川淳)の筆の冴えは、稀な感動をさそう、……」

と「明月珠」を評する。

書評の結末部はこうだ。

「数日後、年譜を繰っていて、あの夜、……荷風の年齢が、現在の自分のそれとおなじだったことに気づいたのは、怖ろしいような収穫だった。」 

ああ、これは完全に「書評」を超えているではないか。


『「レ・ミゼラブル」百六景』の書評。

「抄訳で読んで作品ぜんたいを理解した気になってしまうのは、しかし、私にかぎったことではないらしいことが、著者(鹿島茂さん)によるまえがきを読んでわかった。」

書評結末は、

「これ(挿絵のなかでコゼットが見つめるニュールンベルグ製(と鹿島茂さんが鑑定して書いているところの高級人形)に似たフランス人形のエピソードは、たしか『小公女』にもあった。……こう書いてみると、一八四九年生まれの作者バーネットが一八六二年に出版された『レ・ミゼラブル』にヒントを得てこの人形の話を入れたのは確実と思える。」

ここも凡庸な書評とは言えない。

https://allreviews.jp/review/2783

https://allreviews.jp/isbn/4001120275

書評の役割は、書評対象の書籍を買うべく書店に走らせることだという。須賀敦子さんの書評はその役割を果たした上で、読者を書籍の存在する時間空間のなかを縦横に連れ回したうえで新たな次元に向かわせるという、壮大な役割も果たす。われわれ読者は須賀敦子にならって身を捨てつつ本に向き合う必要がある。

いろいろな書評を発見して読む楽しみ。これはARが与えてくれる恩恵でもある。

👆まだ書き直しが必要だ。「エッセイか、書評だろうか、須賀敦子」

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夕食の買い物の時に図書館に行き、三冊借りてきた。最近のマイブームに従って借りてきたが、出版時期は古い。



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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。

Bach - Mass in F major BWV 233 - Rademann | Netherlands Bach Society

https://youtu.be/hyVLhEsH_q8


J.S. Bach: Mass in A major BWV 234 [Ricercar Consort - Ph.Pierlot]

https://youtu.be/4i3dAC4rpOI


2021年1月27日水曜日

文章の能力は、筆者の表現力と知識・知恵と、読者との相性で決まる

「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

J.S. Bach: St John Passion, BWV 245 - Bach Collegium Japan, Masaaki Suzuki (HD 1080p) 日本語対訳字幕

https://youtu.be/SiKgrevzT-g

居眠りしたり読書したりしながらだが、全部聴いた。潜在意識に記憶が残っているだろう😅

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ブルデューを「習うより慣れろ」の方針で読んでみようと思いはじめる。

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『イリノイ遠景近景』を四分の三くらいまで読んだ。以下は、まだとりとめのない感想メモだ。これを発展させて巻頭言の原稿に出来ないか考える。


藤本和子さんの文章力。

作家の文章と翻訳家の文章はちがうのか。

文章力はその人の職業によらない。


投票のプロセスで、特に他の人の投票内容を見ると、こんな本があると気づく。そしてその関連本も目に触れる。

ARサイトも同じ、Twitterそのものも。

藤本和子さんが翻訳以外でご自分でも本を書いておられることを、Twitterを通じて知った。ブローティガンの訳でお名前は昔から知っていた。

『西瓜糖の』など魅力的な文章は、原著者のブローティガンのおかげ?ちがう。

実は藤本さんの力も大きいようだ。名翻訳のよって来たるところは何なのか。語学力、理解力、知識、知恵。米国におられていての文化の理解力。日本文化の理解も必要だろう。全部ひっくるめると(乱暴だが)人間としての力と呼びたい。

柴田、村上両氏の翻訳論も参考になる。

トニ・モリソン(ノーベル賞受賞)は友達。

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巻頭言のチェックリスト。大切なのは毎回以下を愚直に行うこと。

(0)準備

 ・受け取った文章を常用のエディター(など)に移し、できるだけ拡大し、見やすいフォントにする。

(1)校正的なチェック

 ・固有名詞つまり人名、書籍名、出版社名などの誤字脱字については時間を置いて、チェックを2度くりかえす。

 ・他の文字に関しても誤字脱字を一度以上チェックする。このとき内容にとらわれない(校正者の態度で行う)。 

(2)校閲的なチェック

 ・数字、年号などの妥当性を見る。ほかは一読して気になるところを見る。


(1)、(2)とも、結果を筆者にSlackで伝え、修正は筆者にまかせる。

2021年1月26日火曜日

マタイ受難曲を聴くならこのビデオ

当家の修理担当者としては大変な事件が発生した。

朝3時によんどころない事情で起きたとき、いつも時間を確かめるのに眺めていた電子レンジの時間表示がついていなかった。停電でもなさそうだが原因わからずまた寝た。

今朝調べたら、レンジ棚の内蔵コンセントの焼損らしい。壁コンセントから電源をとっているが、壁コンセレトは無事。最近使いはじめた電気ケトルの電力使用量が多いので、古くてホコリのたまりかけたレンジ棚内蔵コンセントのなかの配線が焼けたようだ。溶けただけで火が出なかったのが幸いだった。臭いは数日前から気になっていた。

棚の裏側。このコンセントは使用禁止にした。

レンジ棚は食器棚も兼ねている、壁コンセントにアクセスするには動かさねばならぬが、重い。載っていた10キログラムくらいの古い電気オーブン・レンジをエイヤと下ろす。食器も半分くらい出す。瀬戸物は非常に重いと久しぶりに実感。棚をずらし、壁コンセントから太めの電源延長コードを引き、レンジ棚の横から前にまわす。

全部終わるには朝食後2時間ほどかかった。もう昼食準備の時間となった。

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「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

バッハのマタイ受難(!)曲を聴きながら修理作業をした。偶然だけど。

https://youtu.be/P3OcPLf7Kyo

ところで、この動画はすぐれものだ。ドイツ語と日本語訳両方の字幕がついている。ぼんやり眺めているだけで、マタイ受難曲や聖書の内容が理解できる。昔の人に見せたら、驚嘆するにちがいない。これを自由に観ることができるわれわれは幸福である。

私としては長生きしてこれを発見できて良かった\(^o^)/

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明後日あたりに腰が痛くなるだろう。

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作業の合間の休憩に撮った写真。Amちゃんは近所で評判の地域猫だ。通る人皆に愛想をふりまいている。おやつ狙いでもあるが、不特定の人はあまり与えないで欲しいものだ。



2021年1月25日月曜日

読んで、聴いて、修理する、理想の生活😅

あまり寒くはないが、朝読書は寝床でおこなった。『トーマス・マン日記』の1920年2月16日から3月7日まで。順調に『魔の山』を書き続けているようなので安心(?)だ。毎朝1ページずつ原稿を書いている。上着や時計などの買い物も良くしている。しかし、

3月3日。
……『詐欺師』もそうであるように、この長編小説(『魔の山』)を1914年には終わらせていなくてはならなかった……

3月7日
……今朝目が覚めてすぐに、50歳に近い人生の経過を生々しく、ほとんど息がつかえるほど切実に感じた。

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「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

Mass in B Minor | John Eliot Gardiner (2015) ミサ曲 ロ短調 (BWV 232)

https://youtu.be/m7obnfrlP0s

途中で少し寝たが一応全曲聴いた、ということで。

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藤本和子『イリノイ遠景近景』(新潮社)を読み始める。ブローティガンの翻訳を昔に読んで、いい文章だなあと思い、それはブローティガンのせいだと思っていたが、認識を改めたほうがいいかも知れない。藤本さんのエッセイの文章が実に読みやすく、自分にピッタリ来る、そして文章の中から情景がすぐに立ち上がってくるからだ。ブローティガンの日本語訳の読者は藤本さんに感謝すべきなのだろう。

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午前中は、自治会のオシゴトで「卒業祝い品配布」のチラシ作り。

午後は、台所流しの水栓の破損した「泡沫キャップ」の交換作業。古い部品が蛇口のネジ山にこびりついており、外すのに苦労した。最終的にはラジオペンチで破壊的に取り外す。結果はうまくいき、新しい「泡沫キャップ」の効果で、水が飛び散らなくなった。

これが混合水栓本体

「泡沫キャップ」を取り外したらバラバラに壊れた

新しい泡沫キャップ。ねじ込むだけ。


うれしかったので、夜は日本酒(おちょこ一杯だけ)で乾杯。つまみはホタルイカの干物。

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定期検診で行ったかかりつけ医で、逆流性食道炎と人間ドックで言われたと訴えたら、胃酸を抑える薬を処方してくれた。薬局の方(M子さんでなかった(T_T) )は、食事後にすぐ横になってはいけませんとのこと。

2021年1月24日日曜日

暖かくなったら散歩に出よう

雪かきが必要かと、朝6時におそるおそるカーテンを開いたら、外は白くない。雨がかなり降っている。気温が予想ほど下がらなかった。3度くらいらしい。ホッとして、二度寝した。なので、今日も『トーマス・マン日記』は読まずじまい。

花粉の量は少なかったらしい。花粉症の症状はあまりない。


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「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

Johann Sebastian Bach. O Ewigkeit, du Donnerwort(おお永遠よ、いかずちの声よ), BWV 20 1724

https://youtu.be/Fx9j_6tavrs


Ich hatte viel Bekümmernis(わが心には憂い多かりき), BWV 21 1714

https://youtu.be/ln9MBa8lXV4


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バッハを聴きながら、『素白先生の散歩』から、「一本松」、「遊行三昧」、「柴又と流山」を読む。全編のんびりした散歩の話なので、自分も出かけてみたくなる。コロナ禍のご時勢だし交通費も持ち合わせないので、人のいない時に近所を歩いてみよう。会社定年の直前はよく散歩していたが、かえって暇ができてからはしなくなった。これは改めたいが、まずは暖かくなってからと思うと腰が重くなる。



2021年1月23日土曜日

あせらず充分に時間をかけて生きていこう

出典:ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)
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数日前から開始した「バッハ全曲を聴くプロジェクト」、今日の記録。

掃除をし、コタツを設置しながら聴いたのは、BWV 17まで。その後、コタツの中でBWV 19まで聴いた。題名を書き写すだけでドイツ語のそして聖書の勉強になる。

Bach J.S. Cantata BWV 14 "Wär Gott nicht mit uns diese Zeit"(神われらとともになかりせば)1735

https://youtu.be/HBQlvBs3qFs?t=1


Bach J.S. Cantata BWV 16 "Herr Gott, dich loben wir"(主なる神よ、我ら汝を讃えん)1726

https://youtu.be/-aTEsoVz_HY?t=1


CANTATA `WER DANK OPFERT, DER PREISET MICH` BWV 17(感謝を捧げる者、われを讃えん)1726

https://youtu.be/RNevIP5nI7w


BWV 18 (Complete Cantata) - Gleichwie der Regen und Schnee vom Himmel fällt(天より雨と雪の降るごとく)

https://youtu.be/GGz2Npl7oL0?t=3


BWV 19 Es erhub sich ein Streit(かくて戦起れり)

https://youtu.be/gelYowgE4q4

BWV15 汝、わが魂を冥府に捨て置きたまわざれば (Denn du wirst meine Seele nicht in der Holle lassen) 1703年は昨夜聴いたような気がする。AmazonPrimeMusicで。

全部「聴く」、いや、とにかく「聞く」のが目的なので多少のことは気にしない。

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朝起きたときは、たぶん花粉症のせいで、左目のピントが合わず、活字が読めなかった。こんなときは音楽をきくに限る。

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昼過ぎに少し回復したので素白の随筆を一つだけゆっくりと読んだ。「寺町」。4頁くらいのものを一時間かけて読む。こうして静かに読んでいると文章が立ち上がってくる。素白先生と一緒に落ち着いた風景を感じているような気がしてくる。

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夕方、ずっと観たかった映画『モリのいる場所』を、やっとAmazonPrimeビデオで観た。自分の庭で長年過ごす熊谷守一。小さな庭でも30年間こもれば、一つの宇宙となる。


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夜、雨が雪に変わるかも知れないとの予報。このような条件では雪がひたすら降っても地上で溶けていき、時間をかけて降れば一部の地面だけうっすら白くなる。

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時間の大切さを痛感する一日。あせってはいけない。静かに確実に留まらずにやっていくのが人生だろう。

2021年1月22日金曜日

新しいものが良いとはかぎらない

今朝も日和って寝床で読書。

『トーマス・マン日記』1920年1月17日から2月15日まで。フェルダフィングに2週間ほど滞在。知人(リヒター)宅の蓄音機が気に入り、いろいろレコードを聴く。『タンホイザー序曲』、『ラ・ボエーム』、『アイーダ』のフィナーレ、カルーゾ、バッテイスティーニ、メルバ女史、ティタ・ルッフォ等々、言うまでもなく、『魔の山」の終盤の記述の材料になる。この他にも、『魔の山』のマニアックな部分の材料をこの時期に精力的に仕入れている。

寝床で読んでいると、当然途中で寝てしまう。その間に夢を見た。自分がマン家の子供になっている夢。山からトラックで母親たちと降りてくる。もちろん母親はカーチャで、トラックを下りて街なかを手をつないで歩く。嬉しい。母カーチャは若く、行きずりの若い男にぶつかりそうになっても、怒らずに微笑みかける。少し困った。

目覚めたので、今度は『素白先生の散歩』を読む。素白の随筆はゆっくりと味わうように読まざるを得ないように書いてあると思う。「牛堀と長瀞」を読むと、利根川のほとりの宿屋の女が明るい色の番傘をさして立っているのを船から見ているという文章がある。その姿は船の進行に連れて雨の中に消えていく。

また、眠ってしまった。すぐに、女性が黄色い(!?)傘をさして、桟橋に佇んでいる光景を見た。これは、オモシロイ。やめられないと、また目を覚ましたときに考えた。

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素白の残した随筆は数少ない。だが、ひとつひとつゆっくり読まなければならないので、全部読むには相当な時間がかかりそうだ。時間をかけて一字一句彫琢した貴重な文章だ。古いけれどその滋味はかわらない。

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午後、思い立って、台所の水栓の蛇口の部品「TOTO 泡まつキャップ THYB68-1」を、インターネットで探して注文した。送料ともで約1000円。年末に破損して水が飛び散って困っていた。今日は金曜日で夕方注文したので、月曜日以降早ければ火曜日に届くだろう。楽しみだ。蛇口に残ったキャップの一部分(プラスティック製)は、水垢で固まっていてはずれないので、ペンチなどで無理やり外さなくてはならないだろう。昔の無骨な蛇口のほうが修理がやりやすかった。なんにでも安価なプラスティック部品を使おうとする最近の製品は困りもの。