2021年1月28日木曜日

須賀敦子の書いたような書評を読みたいし自分でも書きたい

巻頭言の下書きをした。昨日と「路線変更」した。TV番組『天国と地獄』で綾瀬はるかになった高橋一生のセリフの受け売り。

書評の書評をするという不遜な試み。うまく書けるかなあ。


須賀敦子『本に読まれて』(中公文庫)をエッセイ風な(読書感想文でない)書評の手本として再読。これはこの文庫本の解説を書かれた大竹昭子さんの受け売り。https://allreviews.jp/reviewer/118

いくつか、この本に収められた書評を読んで見た。

「偏奇館の高み」、これは石川淳の「明月珠」という荷風をモデルとした短編の書評である。須賀敦子は実際に市兵衛町の偏奇館跡を訪ねるところから書評を始める。

「地図の示す論理につぎつぎと背きながら、私は、早春のような薄日の射す坂道から坂道へと歩いた。」

……結局なんとか目的地にたどり着いたが、

「人影はなく、五月というのに鳥のさえずりさえ聞こえなかったのは、地区の死を無言で包みたいという死者たちの意志がどこかにじっと潜んでいたのか。」

……この間に

「蔵書が灰になるのをまのあたりにして立ちつくす丘の上の老詩人を描ききって、どこかギリシア悲劇の主人公を彷彿させる作者(石川淳)の筆の冴えは、稀な感動をさそう、……」

と「明月珠」を評する。

書評の結末部はこうだ。

「数日後、年譜を繰っていて、あの夜、……荷風の年齢が、現在の自分のそれとおなじだったことに気づいたのは、怖ろしいような収穫だった。」 

ああ、これは完全に「書評」を超えているではないか。


『「レ・ミゼラブル」百六景』の書評。

「抄訳で読んで作品ぜんたいを理解した気になってしまうのは、しかし、私にかぎったことではないらしいことが、著者(鹿島茂さん)によるまえがきを読んでわかった。」

書評結末は、

「これ(挿絵のなかでコゼットが見つめるニュールンベルグ製(と鹿島茂さんが鑑定して書いているところの高級人形)に似たフランス人形のエピソードは、たしか『小公女』にもあった。……こう書いてみると、一八四九年生まれの作者バーネットが一八六二年に出版された『レ・ミゼラブル』にヒントを得てこの人形の話を入れたのは確実と思える。」

ここも凡庸な書評とは言えない。

https://allreviews.jp/review/2783

https://allreviews.jp/isbn/4001120275

書評の役割は、書評対象の書籍を買うべく書店に走らせることだという。須賀敦子さんの書評はその役割を果たした上で、読者を書籍の存在する時間空間のなかを縦横に連れ回したうえで新たな次元に向かわせるという、壮大な役割も果たす。われわれ読者は須賀敦子にならって身を捨てつつ本に向き合う必要がある。

いろいろな書評を発見して読む楽しみ。これはARが与えてくれる恩恵でもある。

👆まだ書き直しが必要だ。「エッセイか、書評だろうか、須賀敦子」

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夕食の買い物の時に図書館に行き、三冊借りてきた。最近のマイブームに従って借りてきたが、出版時期は古い。



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今日の「バッハ全曲を聴くプロジェクト」の実績。

Bach - Mass in F major BWV 233 - Rademann | Netherlands Bach Society

https://youtu.be/hyVLhEsH_q8


J.S. Bach: Mass in A major BWV 234 [Ricercar Consort - Ph.Pierlot]

https://youtu.be/4i3dAC4rpOI


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