2017年2月15日水曜日

1950年台後半、このころのマイルスの演奏が好きだ!

『マイルス・デイビス自叙伝 1』。
 1955年、「ミュージングス・オブ・マイルス」を作る。俺が望んでいたものに近い演奏になった。

 このころの演奏を聴くと、マイルスの明かるい気分が窺えて、実に楽しい気分になります。しかし、マイルスは止まるところなく、音楽的な完成への道をひた走りに走ります。

 そのころ、大会社のコロンビアが契約をしようとアプローチしてきた。前渡し金4000ドル、毎年30万ドルという破格の条件だ。受ける事にしたが、不遇時代に助けてくれたプレスティッジには恩義がある。1年間の残り契約中に4枚分のレコードを作った。

 1956年、入院して喉頭の良性腫瘍をとった。直後に大声で口論してしまい、声がしゃがれてしまった。白のメルセデス・ベンツを買った。独身者用の部屋を借りた。

 6月にコロンビアのために、「ラウンド・アバウト・ミッドナイト」に入る曲を吹き込んだ。この頃、クリフォード・ブラウンが自動車事故で死んだ。長生きして欲しかったのだが。

 パリに行き、グレコとよりを戻した。サルトルとも再会した。「サン・ジェルマン」クラブで、バド・パウエルの演奏を聴いたが、みるかげもない様子だった。

 クラブでの演奏は週2500ドルになった。1957年3月クスリと縁の切れないコルトレーンやフィリーのクビを切った。

 5月、ギル・エバンスと「マイルス・アへッド」を作った。再びパリに飛び、「死刑台のエレベーター」の音楽を担当。
(1巻はこれで終了、次回からは2巻へ)

 ドゥルーズだけでなく、勉強の種はどんどん増えていく。今朝見つけたのは、長沼伸一郎さんの『物理数学の直感的方法』。経済学(統計)版もある。面白そう。

 そして、AmazonPrimeビデオに『エニグマ』(2014年)が入っているのを発見。歯医者に行った後、早速見てしまった。すると、アラン・チューリングについても調べたくなった。Kindleでかなり読めそう。

 近所ではビル解体工事が進んでいる。でかけて写してみました。爆撃の後のロンドンみたいだ。


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