2017年7月11日火曜日

漂流記や旅行記はなぜ面白いのか

 漂流や旅行をしていると、

 日常を離れたところで、本性があらわれる。
 しがらみがないので好き勝手に生きられる。
 新たな自分の側面を識ることができ嬉しい。
 孤独の中で心の深い所に潜り込んでいける。

 ただし、漫然と暮らすのではなく、記録するという形で自分の心の動きを観察し、アウトプットし、それも一緒に材料として考えなければならない。

 基本は、洞窟の岩壁に刻んだ、日々の印かも知れない。

 昨夕、注文していた古本が二冊到着。最近、古本でも注文後の到着は早い。



 「ロビンソン漂流記」(デフォー 吉田健一訳 1951年 新潮文庫)

 「滞欧日記」(澁澤龍彦 巖谷國士編 1993年 河出書房新社)

 「ロビンソン漂流記」は冒頭を50ページ位読んでみた。吉田健一先生らしくない(?)、流麗な訳文だ。そして、昔読んだ子供向けの本とはことなり、難破する前の主人公の経歴
がながながと書かれているのにも驚いた。中流の安穏な暮らしを勧める愛情深い父親に反発して、先の見通しもなく飛び出す主人公が愛おしい。

 「滞欧日記」は旅行先の事物への著者の偏愛にも興味あるが、日記の原型のノートが興味深い。我々同様に、旅行ごとにノートを用意して、各地でメモを書きまくる。ただし敬服するのは、日々のメモの文章の整っていることと、文字も綺麗だったということ。疲れる中で書くのは辛い作業だが、さすがに澁澤さんはプロだ。

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