2017年7月31日月曜日

今昔の日本語を学ぶときにも、脳内とインターネットの「連想記憶」が働く

 今朝は読みさしの本も観覧中のビデオ映画もない。(*)

 Facebookを見ていたら、こんな記事が紹介されていた。
 「日本人はなぜ古文が読めなくなったのか ――ロバート キャンベル氏に聞く、原典をひもとき足元を見つめ直す魅力」

 国文学研究資料館の館長に就任されたロバート キャンベルさんが、昔の日本語の文献を読めない日本人に苦言を呈している。

 そこで国文学研究資料館のページに行ってみた。なるほど、綺麗な資料がデジタル画像化されている。しかし、文字は半分ほどしか読めない。

 一念発起して(前からも思ってはいたのだが)、崩し字から読む訓練を始めようと思う。古文書が読めるようになると素晴らしい。

 キャンベルさんは井上ひさしの「國語元年」も紹介している。おもしろそうな戯曲なので、捜して注文したい。ところで、井上ひさしの日本語関係本を検索していたら、「自家製文章読本」がヒット。これは、たしか読んだ事がある。本棚を見に行ったらすぐ発見。



 序文と解説文(ロジャー・パルバース:言語の体験つまり日本語は体験が少なく、世界に雄飛した英語は体験豊か)を読んだ。

 中村真一郎先生の文章読本(鍵言葉:「文章の土台、苗床」、考える文章・感じる文章)もいいと書いてある。これはゼヒ入手したい。

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 あっという間に勉強主題が山積みになる。小人閑居して不善をなすとはこのことだ(^_-)

 このとき、インターネットでの検索と自分の脳内の記憶検索とが呼応して働いているのを感じる。隠居生活の醍醐味だ\(^o^)/

 (*)実は昨夜、「博士の愛した数式」を最後まで面白く観た。おかげでオイラーの公式も思い出した。原作は遠慮しておきます。勉強主題が発展しすぎて収拾がつかなくなりそうなので。

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