2019年4月24日水曜日

OLD REVIEWS試作版第十弾…源氏物語序(谷崎潤一郎)

源氏物語 序 (谷崎潤一郎)

私が中央公論社の嶋中社長から、源氏物語を現代文に直してみたらと云ふ相談を最初に受けたのは、昭和八年頃であつたかと思ふ。私は前から源氏が好きであつたし、その飜譯と云ふことにも興味を感じないではなかったが、しかし何分にもこれを完成するためには數年間の努力と根氣とを要する仕事であるから、もし嶋中氏の提案と熱心なる慫慂とがなかつたならば、斯樣な企てに手を染めるべくもなかつたのである。事實私は、さう云ふ話があつてからも猶󠄁暫くは躊躇してゐたのであるが、山田孝雄博士が校閱の任に當たつて下さると云ふ吉報などに、激勵されて、昭和九年の末頃からぼつぼそんな心積りをし、昭和十年の九月から實際に筆を執り始めた。そして、本年、郎ち昭和十三年の九月に至つて、兎も角も第一稿を書き終へることが出來た。

敢て第一稿と云ふ所以は、私は決して今書き上げたものを以て完壁とは信じてゐないからである。元來私は非常な遲筆なのであるが、此の、自分の原稿用紙にして三千三百九十一枚になるものを書き終へるのに、滿三箇年を費したとすると、一日平均三枚強と云ふ速力になる。尤もその間に、中篇小説一篇を書くために二箇月程を割いたことがあり、去年の四月には痔瘻で一箇月程入院したことなどもあり、又毎年三四囘は巳むを得ぬ用事で上京する等のことがあつたが、それらの日を除いた既徃三年の間と云ふものは、他の一切を放擲して、全然助手を使はずに自分一人だけで此の仕事に沒頭し、殆ど文字通り「源氏に起き、源氏に寢ねる」と云ふ生活をつゞけた。時には午前四時五時から午後十一時十二時迄机に向つてゐたことも珍しくなく、日課とする夕方の散歩の時間、手紙一本書く暇をさへ惜しんだ程であつた。斯くてやうやうこれだけのものに纏め上げた譯なのであるが、まだ現在のところでは、一應「しまいまで書けた」と云ひ得るに過󠄁ぎない程度でなかなか満足な出來榮えには逹してゐない。たゞ幸いにして此の全卷を刊行し終る迄には、今後尚一年一箇月の日子があるので、その間に更に推敲を重ねつゝ印刷に附するつもりである。否、出版後と雖、私にして若し餘生があれば、暇にあかして心行く迄修正することを老後の樂しみにし、さうしていつかは、ほんたうに完壁なものとして世に送り出したいと思ふのである。
(續く)

次に此の書を讀まれる方々にお斷りしておきたいのは、これは源氏物語の文學的飜譯であって、講義ではない、と云ふことである。云ひ換へれば、原文に盛られてある文學的香氣をそつくりそのまゝ、とは行かない迄も、出來るだけ毀損しないで現代文に書き直さうと試みたものであって、そのためには、原文の持つ含蓄と云ふか、餘情と云ふか、十のものを七分ぐらゐにしか云はない表現法を、なるべく蹈襲するやうにした。飜譯文が原文よりも長くなることはどうしても防ぎ得ないけれども、努めて饒舌にならないやうに、言葉の分量と種類とを節して、原文のあの曖昧さ、幾樣の意味にも取れるやうな云ひ方から生ずる陰翳を、わざといくらか殘すやうにした。それで此の書は、口語で書いてある限りに於て、原文よりは現代人に分り易いに違ひないが、だからと云って、全然辭書や註釋書等を用ひることなしに、悉くを理解する譯には行かないであらう。たとへば諸君が、現代作家の作品を讀む場合でも、普通はそれが現代語で書かれてゐるが故に分つたやうな氣がして讀過するのであるが、若し學校で古典を解釋するやうに一字一句について詮索し出したら、矢張字引を引くなり講義を聽くなりしなければ分らない箇所が相當に出て來る、それと同樣だと考へて頂きたい。そして私の趣意とするところは、あまり學究的にならずに、普通の人が普通の現代小說を讀むやうな風に讀んで頂きたいのであって、典據だとか、故實だとか、文法だとか云ふもの、詮議に囚はれると、その瞬間に藝術的感興は飛んで行つてしまふのである。

さう云ふ譯で、此の書はそれ自身獨立した作品として味はふべきもので、原文と對照して讀むためのものではないのだけれども、しかしそのことは、原文と懸け離れた自由奔放な意譯がしてあるとか、原作者の主觀を無視して私のものにしてしまってあるとか云ふやうな意味では、決してない。正直を云ふと、此の原作の構想の中には、それをそのまゝ現代に移植するのは穩當でないと思はれる部分があるので、私はそこのところだけはきれいに削除してしまった。[實際それは構想のほんの一部分なのであって、山田博士も既に指摘してをられる通り、筋の根幹を成すものではなく、その悉くを抹殺し去っても、全體の物語の發展には殆ど影響がないと云ってよく、分量から云へば、三千何百枚の中の五分にも達しない。]が、その他の部分では能ふ限り原作者の藝術的境地を尊󠄁重し、可なり忠實に原文に卽いて行ったつもりで、少くとも、原文にある字句で譯文の方にそれに該當する部分がない、と云ふやうなことはないやうに、全くないと云ふわけには行かぬが、なるたけそれを避けるやうにした。であるから原文と對照して讀むのにも役立たなくはない筈であり、此の書だけを參考としてゞも、隨分原文の意味を解くことが出來るやうには、譯せてゐると思ふのである。たゞ何處までも文學的と云ふことを主眼にし、語學的飜譯をしたのではないから、細かい言葉の末節迄も一致してゐるとは云ひ難く、時には、現代文としてはかうした方が效果があると信じた場合、故意に原文の意味を歪め、ぼかし、ずらし、などしてゐるところもないではない。

前にも云ふやうに、此の仕事は嶋中社長の庇護と鞭撻の中から生れたやうなものであるが、一面山田孝雄博士の懇切な指導に負ふところが甚だ少くないことを感ずる。私が博士のお宅へお願ひに上ったのは、博士の名前を看板にお借りしたいからではなく、實際に叱正の筆を執つて頂きたいからであったが、博士は私が豫期した以上に、十二分のことをして下すった。その校閱は頗る嚴密丁寧を極め、單に誤譯を訂正して下さるばかりでなく、文章上の技巧、表現の仕方等にまで周到な注意を與へられ、往々にして校正刷が眞赤になったくらゐであったが、これが私をどのやうに力づけてくれたか知れない。此の書がどれほど原作の味はひに肉薄し得たかは、大方の批判に待つとして、博士の援助がなかったらば、今あるやうな程度のものにも成し得なかったことは確かである。

その外、此の方面に於ける先人の研究のお蔭を蒙ってゐることは云ふ迄もないところであるが、現代文に譯す上には、何と云っても口語で書かれてゐるものが一番參考になる譯であるから、その意味に於いて、特に明治以後現在もなほ盛に出版されつゝあるあらゆる種類の飜譯書、註釋書、講義錄等が、多大の援助を與へてくれたのであって、私はこれらの先輩諸家や新進國學者の述作にも、深く感謝しなければならない。

それから、此の書の裝釘は私の三十年來の舊友である長野草風畫伯にお願ひすることにした。かう云ふ性質の文藝作品は、裝釘の適否が大いに内容に影響すると思ふのであるが、草風氏のやうな凝り性の人が、畫家として、友人として、いろいろ骨を折って下すったお蔭で、ほゞ私の註文に嵌まった、優雅な本が此處に出來上つた次第である。

顧れば、足かけ四年前に私が筆を執り始めた頃とは、社會の狀勢が著しく變り、今や我が國は上下協力して東亞再建の事業に邁進しつゝある。かう云ふ時代に、われわれが敢て世界に誇るに足ると信ずるところの、われわれの偉大なる古典文學の結晶を改めて現代に紹介することになったのも、何かの機緣であるかも知れない。

名も知れぬ草にはあれど紫の
ゆかりばかりに花咲きにけり

昭和十三年十一月
潤一郎しるす

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出典 『源氏物語. 卷一』 谷崎潤一郎訳 1939.1(昭和14年) 中央公論社
国会図書館デジタルコレクション (下の画像も)


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あとがき 裏話が面白い。最近の版にはこの序文がなさそうなので、ブログ化してみました。あと、6ページ分あるので、また明日以降やります。

美しい造本ですし、デジタル化された画像も奇麗です。

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