2021年7月13日火曜日

今日も新しい育児法を教わった(毎日勉強)

今日は孫(10ヶ月)の母親代わりとして10時から18時までお世話。遊んでやり、ミルク(ウイルス性のカゼで腹をこわしているのでラクトレスというやつ、症状が治まったら普通のミルクに戻すそうだ)を飲ませ、抱いているとちゃんと昼寝してくれて助かる。もちろんオシメの交換も経験者なので楽勝。午後は体調がどんどん良くなり、いたずらするようになってきた。父親がいるがリモートワークでしかも打ち合わせばかりしているので、遠慮して3回も散歩(といっても抱っこ)に連れ出す。蒸し暑いので肌着だけで連れ出したが、日は照っていなかったので熱中症にはならなかった。

仕事から帰ってきた母親に、無事引き渡した、と思ったら口の中になにか入っていると指摘を受けた。ティッシュの空き箱を噛んでいたのを大丈夫だろうとほっておいたので、上顎に柔らかくなったボール紙のカスが張り付いていた。さすがに母親は目ざとい。あわてて私が指を突っ込んで取り出した。のどにつかえないでよかった。

帰り道で早くも筋肉痛発生。明後日のワクチン接種の副反応が目立たなくて良いだろう。

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昼寝していただいているうちに『ニッポンの書評』を読み返す。やはり、最後の豊﨑さんと大澤さんの対談が面白い。

以下、要旨の下手なまとめ。文責私。

一八八七(明治二〇)年に「出版月評」という雑誌が創刊された。
このころはまだ批評と書評が末分化。

丸善の「学鐙」の元になった「学の燈」という雑誌が、一八九七(明治三〇)年創刊。
出版PR誌の嚆矢。 内田魯庵編集長!

植田康夫の「出版論」によれば、1929年「書評」というコトバが使われ始めた。
平野謙は、書評をたくさん書いてるのに書評というコトバが嫌いで使わなかった。

豊﨑さんの昔の印象に残る「書評家」というと、平野謙さんはじめ、谷沢永一さんや向井敏さん。
(これ、同意。)

文壇のヒエラルキーにおいては「書評家」よりも「評論家」「批評家」のほうが上だから、みんな、「文芸評論家」って名乗っているそうだ。

日本の場合、雑誌にせよ新聞にせよ、書評の分量は八〇〇字から一二〇〇字のあいだが主流。海外の状況をかんがみるに圧倒的に少ない。むこうは書評欄全体が大きいため、長大な書評も載せられる。何頁にもわたる場合もあります。でも長い文章は読む人が少なくなるのだ。

(欧米の書評事情についてはAR内の識者(Fさん)に教えを請うことにしよう。)

日本の場合、新聞は一億総中流に全国まんべんなく配達される。何百万単位の販売部数。となると、どうしても長い文章はあわない。

「毎日新聞」の変化が興味深い。一九九二(平成四)年四月に大型書評を導入。2000字。

書きたいことがたくさんあるのに、それらを泣く泣く切り捨てて書いた800字と、四苦八苦しながらようやっと埋めた800字とではまったくちがう。

出版の大衆化のあとに、書評の大衆化が起きている。

書くコツとしては、常に目安の倍書く。書いてから無駄な部分をそいでいく。その結果、きれいな800字用の書評、1600字用の書評が身についていく。

作家が書評を書いたり、批評家が書評を書いたりというのが大半だったのに、一九九〇年代以降はライターが書評を書くという流れができてきた。

10年後の有能なライターは、雑誌からじゃなくて、草の根運動的な場所(Webなど)から出てくるのかもしれない。
(ここも同意。)

書評には大きく分けてふたつの要素がある。ひとつは、インフォメーション機能。「こんな新しい本が出たよ」と新刊情報を案内する。もうひとつはクリティシズム機能。書評の「評」の部分す。

伝統のあるところだと、イギリスの「タイムズ・リテラリー・サプリメント」。訳すと「タイムズ文芸付録」。「付録」として書評欄が本紙から独立している。アメリカだと「ニューヨークタイムズ・ブックレビュー」とか。別売でそれだけ買うことも可能。

クロスレビューも良い。一冊を三、四人で書評するの。

書評批評(互いの)も重要。

参考にさせていただきます。m(_ _)m

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上記とは無関係だが、『文学概論』(東京堂 1926年)に浮気して「読んで」みたら、「快楽批評」という単語が出てきた。これはなんだろう。印象書評?

目次しか読んでないけど



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